第62話「ソフィア皇女、決意する」

「──お待ち下さい」


 そう言ってソフィアは、話を続けようとするフクロウを止めた。

 状況が、よくわからなかったからだ。


 このフクロウが何者なのか。

 どうして部隊長アイザックではなく、自分に連絡を取って来たのかも。


「しゃべるフクロウなど……人間の世界にはおりません」


 ソフィアは呼吸を落ち着けてから、言った。


「さきほど『国境』とおっしゃいましたね。ということは、あなたは魔王領からいらっしゃったのですか?」

「そうなの。魔王領の者は嫌い?」

「いいえ。それに私は、帝国と魔王領が平和であって欲しいと思っておりますから。妹のリアナのためにも」


 ソフィアは、妹のリアナの幸せを願っている。

 そのためには、国が平和であった方がいい。


 戦いになれば『聖剣の姫君』であるリアナが剣を取る機会が増える。

 リアナが傷つくのは嫌だし、戦いのたびに、軍務大臣ザグランがリアナを利用するのはもっと嫌だ。リアナがザグランの影響を受けて、変わってしまうのも。

 そうならないためにも、帝国と魔王領には平和な関係でいて欲しいのだ。


「両国の平和のためなら……私は、この身など惜しくはありません」


 ソフィアは椅子いすから立ち上がり、皇女としての正式な礼をした。


「あなたが魔王領からの使者ならば、伝えるべき言葉があるのでしょう。このソフィア・ドルガリアに教えていただけますか?」

「承知しましたの。ソフィア皇女殿下」


 そう言って白フクロウは、枝から窓枠まどわくへと移動した。


 よく見ると屋敷の庭木に、数羽のフクロウが留まっていた。

 黒いフクロウ。赤っぽいフクロウ。黄色っぽいフクロウなど。

 この町には色々な種類のフクロウがいるらしい。


「では、魔王領からお願いなの。軍事訓練の場所を変えて欲しいのよ」

「軍事訓練の場所を?」

「そうなの。魔王領には以前、招待状が来たの。『軍事訓練を行うので、国境付近に来てください』と。でも、あんな危険な場所で行われている訓練を、魔王領が見にいくわけにはいかないの」

「危険な場所……とは?」

「西の平原なの」


 白いフクロウはまっすぐにソフィアを見つめながら、言った。


「西の平原で帝国の兵士たちは、道に向かって魔術や矢を放ち、人が通れなくしているの。危ないの」

「……え?」

「我が主君はおっしゃっているの。『危険な場所で行われている訓練を、魔王領が見にいくわけにはいかない。それでは帝国の民を危険にさらすことに、魔王領が同意したことになってしまう』と」

「そ、そんなことが……」


 ソフィアの顔が真っ青になった。


「帝国の兵士が、民を危険にさらすような訓練を? アイザックたちは、どうしてそのようなことを……」


 しばらく考えて──ソフィアは、アイザックの意図に気づいた。

 彼がやっているのは、魔王領への嫌がらせだ。

 

 魔王領の者たちと、国境地帯に住む帝国民が交易をしていることは、ソフィアも知っている。帝国の高官会議が黙認もくにんしていることも。


 帝都から遠いこの地は魔獣まじゅうも多く、生きるためには互いに協力しなければいけない。

 魔獣を倒すために魔王領と共闘することもあるし、必要な素材をやりとりすることもある。

 国境を接している以上、交流は避けられない。


 アイザックはそれを妨害することで、魔王領を困らせようとしているのだろう。


(──そんなやり方で『強さ』を示すことに、なんの意味があるのですか!?)


 魔王領に帝国の力を見せるのが重要だというのは、ソフィアにもわかる。

 戦いの抑止力は必要だからだ。

 そのために、ソフィアはこの場所で『光属性の攻撃魔術』を使うことになっていたのだ。


 でも、アイザックのやり方は間違っている。

 それは勇者のような『強さ』とは全く違う。子供じみた嫌がらせだ。


「だから、お姫さまの力で、軍事訓練の場所を変えて欲しいの。魔王領は、帝国の民に迷惑をかけたくないの。それを訴えるために、私はここに来たのよ」


 白いフクロウはそう言って、頭を下げてみせた。


「お願いを聞いてくれたら、私たちの主君はあなたに『健康グッズ』を使わせてあげると言っているの」

「さきほどもおっしゃいましたが、『健康グッズ』とは?」

「この私の魔力循環まりょくじゅんかん改善かいぜんしてくれた力なの。私は、強すぎる光の魔力のせいで、身体の魔力循環が悪くなっていたの」

「魔力の循環じゅんかんが?」

「そのせいで、身体が冷えたり、すぐに体力がなくなったりしていたの」

「……え」


 それは、ソフィアの症状と同じだった。

 帝国にも治癒術師ちゆじゅつしはいるが、ソフィアの体調は治せなかった。

 白いフクロウは、それと同じ状態らしい。


「でも、もう治ったの。それを恩人さまに治してもらったの」

「……そ、そんなことができるのですか!?」

「それをあなたにも使わせてあげるの。あなたが秘密を守ってくれるなら」


 白いフクロウは言った。


「恩人さまはすごい力を持っているの。だけど、その力をあまり帝国の人には知られたくないの。だけど、あなたが願いを聞いてくれて、秘密を守ってくれるなら、その力の一端を、使わせてあげるの」

「本当に、この身体をやすアイテムがあるのですか?」

「お疑いなの?」

「……失礼ながら。突然すぎるお話ですので」

「魔王領が真実を伝えていることは、私の恩人さまが保証してくれるの。その方は言っていたの。お姫さまが魔王領のことをお疑いなら、自分の名前を出してもいいと」


 不意に、白いフクロウは言った。


「私の恩人さまの名前はトール・カナン。帝国では、トール・リーガスと名乗っていたのよ」

「トール・リーガス。魔王領に送られた、公爵家こうしゃくけの方ですか?」


 彼のことはソフィアも知っている。

 リーガス公爵家が、子どもを魔王領への人質として差し出したことは有名だ。

 というか、公爵自身が社交界で自慢して回っていた。

 その後、公爵は失敗して、南方に送られてしまったのだけれど。


「よかった。トール・リーガスさまは、無事に暮らしていらっしゃるのですね」

「無事というより、恩人さまは魔王領の重要人物でもあるのよ」

「そ、そうなのですか?」

「そうなの。今回、私がここに来たのは、あの方のご提案もあってのことなのよ」


 白いフクロウは翼を広げて、一礼してみせた。


「恩人さまは言っていたの。『もしも皇女殿下が「健康グッズ」を使い、わずかでもご不快に思うようなことがあれば、我が身に向かって「光属性の攻撃魔術」を撃っていただきたい。それをもって、つぐないといたします』──と」

「──え!?」

「皇女殿下は『ヴィヴィッドライト・ストライク』を超える『光属性の攻撃魔術』を使えるの?」

「は、はい。使うと私自身、数日の間は動けなくなってしまいますが……」

「ならば、恩人さまはそれを受けることを望まれるの。すでに魔王陛下の前で、宣言してしまっているの。それが自分の責任だと」

「で、ですが、そんな攻撃魔術を受けたら……その方の命は……」

「仕方ないの。トールさまが望まれたことなの」


 白いフクロウは、真剣な口調で言って、うなずいた。


「あの方の決意は固くて、結局、我が主君──魔王さまも認めてしまったの」

「トール・カナンさまは、それほどの覚悟をお持ちなのですか……?」


 ソフィアの胸が高鳴っていく。

 自分が高揚していることに気づいて、ソフィアは思わず胸を押さえた。

 白いフクロウは「光の攻撃魔術」「UVカットの追加実験」「パラソルを4重に」とつぶやいているけれど──ソフィアの耳には、届いていなかった。


 ソフィアはトール・カナンという少年の覚悟を聞いて、感動していたのだ。


(トール・カナンというお方は……命がけで、魔王領と帝国のはしになろうとしているのですね)


 彼は『ソフィアが「健康グッズ」で不快な思いをしたら、「光の攻撃魔術」を我が身に向かって放ってもらう』と、魔王に対して誓っているのだ。

 どれだけの勇気があれば、そんなことができるのだろう……。


 ソフィアは思う。

 自分にそれだけの勇気はあるだろうか──と。


 ソフィア・ドルガリアは皇女だ。

 皇位継承権こういけいしょうけんはなくとも、皇帝の子であることに代わりはない。


 そして今、この北の地で、帝国の部隊長が子どもじみた嫌がらせをしているのだ。

 皇女として、止めなければならない。


(私も、トール・カナンさまの勇気にこたえなければ)


 魔王領に送り込まれた少年が、帝国と魔王領の架け橋になろうとしているのだ。

 皇女である自分が、それにこたえなくてどうするというのだろう。


 だが、アイザックを止めるには……ある程度は健康な身体が必要だ。

 それを魔王領の『健康グッズ』が与えてくれるというなら──


「協力いたします。私が帝国兵を止めます。そのために私に『健康グッズ』を使わせてくださいませ」


 ソフィアは白いフクロウに向けて、宣言した。


「皇女ソフィアの名において、秘密は守ります。証拠として、これをお預けいたしましょう」


 そう言ってソフィアは、右手の指に触れて──身につけていた指輪を外した。

 それを手の平にせて、白いフクロウに向けて差し出す。


「これは私とリアナを育ててくれた乳母の形見です。私たち姉妹にとっては母親代わりで、大好きだった人がくれたものなのです。妹の皇女リアナも、同じものを持っています。金銭的価値は高くありませんが……私たちにとっては宝物です。これをお持ちください」

「いいの?」

「トール・カナンさまの勇気に比べれば、ちっぽけなものですよ」

「……わかったの」


 白いフクロウは前脚を差し出す。

 ソフィアはその爪に、銀色の指輪を引っかけた。


「これで、信頼の証拠になるでしょうか?」

「なるの。これから白いフクロウ──ソレーユは、魔王さまの元へ行くの。そうして、みんなが寝静まったころに『健康グッズ』を持って来るの。皇女さまはそれを使って、効果を確認するの。それでいいの?」

「わかりました。では、準備をしておきますね」


 ソフィアが言うと、白いフクロウ──それから、まわりの枝に留まっていたフクロウたちは、飛び去っていった。







 そして、深夜。


「「「お待たせなのー」」」


 フクロウたちは、四角い桶のようなものを持って、戻ってきた。

 眠い目をこするソフィアの前で、フクロウたちは桶を床に置く。

 脚につけた袋から、桶に水を注いでいく。

 小さな水袋なのに、あっという間に桶はいっぱいになっていく。

 どういう仕組みになっているのか訊ねるけれど、フクロウたちは「秘密の箱があるの」と言うだけだった。


「では、これに足を入れてみて欲しいのよ」

「これは……なんなのですか?」

「勇者世界のアイテムで『フットバス』というの」

「『フットバス』……」


 聞いたことのないアイテムだった。

 けれど、勇者世界というだけで、なぜか信頼できるような気になっていく。

 勇者が超絶の力を持つ者であることは、ソフィアも知っているからだ。


(それに……私は魔王領と、トール・カナンさまを信じると決めたのです)


 ソフィアは靴を脱ぎ、白い素足を『フットバス』に入れていく。

 それを見た白フクロウのソレーユは、


「……変な声が出ないように、口を押さえておいた方がいいの」

「痛くなるものなのですか?」

「ううん。気持ちよすぎるので」


 白フクロウのソレーユが、『フットバス』の縁に触れた。

 すると、中のお湯が波打ちはじめる。

 小刻みな振動が生まれて、それがソフィアの足に伝わっていき──


「────っ!?」


 ソフィアは思わず口を押さえた。


(な、なんなのですか、これは。足が……いえ、身体全体がほぐされていくような……)


 まるで、無数の手で、脚をマッサージされているようだった。

 ふわり、と、固くなった身体がゆるんでいくのを感じる。

 ソフィアは自分の体内で魔力が凝り固まっていたことに初めて気づいた。

 それが身体の循環を悪くしていたのだ。それが今、溶けて、流れ出しているのだ。


(──気持ちがいいです。まるで、流れるお湯に浸かっているような)


 ソフィアは、はふぅ、と、熱い息をついた。


「しばらくは継続しないと元に戻ってしまうのよ。だから、次は魔王陛下との会談の時に使ってあげるの」

「────っ!」


 こくこくこくっ。


 ソフィアは口を押さえたままうなずいた。

 そうして、しばらく『フットバス』を使ったあと──


「……ふぅ」


 ソフィアは力なく、ベッドに横たわった。

 両腕を挙げて、拳を握りしめる。

 身体に力が満ちているような気した。

 起き上がって歩いてみる……身体が軽い。


(だるさも重さも感じません。身体が羽になったよう。でも……)


 服が、重いような気がした。

 よくなった魔力の流れを、寝間着が邪魔している。

 そんな気がして、ソフィアが服を見つめていると──


「トール・カナンさまからは、これをお姫さまに渡すように言われていたの」


 白フクロウのソレーユが、袋の中から2枚の布を取り出した。


「強すぎる光の魔力を持っている人のための、下着なの。これをつけるといいの」

「……え?」


 ソフィアは渡された布を広げてみた。

 確かに下着だ。上下揃っている。

 上は腰までをおおうキャミソールで、下も少し長めのものになっている。


 しかもなぜか透明だ。

 手に持つと、はっきりと向こうが透けて見える。


「服を差し上げてしまうと、まわりの者にアイテムを渡したのがわかってしまうの。だから、これで我慢がまんして欲しいの」


 白フクロウは、真面目な口調で告げた。

 冗談ではなく、この下着は重要なものらしい。


「これを着るだけでも、身体はかなり楽になるはずなの。肌に触れる部分に、光属性の下着を着けると魔力循環まりょくじゅんかんの助けになるのだと、あの方は発見されたのよ」

「そ、そんなことが……」


 ソフィアは下着を手に、うなずいた。

『フットバス』の効果は実感している。ならば、この下着の効果も確かだろう。

 でも、だとすると──


(魔王領の技術レベルは帝国より10年……いえ、数十年先を行っているということになります)


 その魔王領と敵対するのは愚かすぎる。


(アイザックを止めなければ。その後は──私が帝国と魔王領の架け橋になりましょう。ふたつの国が決して、争うことがないように)


 そんなことを心に決める、ソフィアだった。


「ありがとうございました。こちらは、お返ししますね」


 ソフィアは『フットバス』を白フクロウに渡した。

 すると、まわりの枝からフクロウが飛んできて、数人がかりで『フットバス』を持ち去っていく。

 彼らに手を振りながら、ソフィアは白いフクロウに向き直る。


「身体の具合も……少し、よくなった気がします」

「よかったの」

「帝国兵を止めるためには、魔王領から正式な抗議があったことを公表するのが近道だと考えます。そのために、あなたの主君とお話する機会をいただけますか」

「すでに準備はしてあるの。明日、使いを出すそうなの」

「わかりました。他になにかございますか?」

「この下着を作った方は、『使用レポート』が欲しいと言っていたの」

「『使用レポート』?」

「『アイテムをたくさんの人に使ってもらって感想を聞いて、それを参考にブラッシュアップしていく』そうなの。『光属性の人用下着』を作ったのは初めてだから、ぜひ感想を、と」

「この透ける下着の感想を……」


 ソフィアは頬を押さえた。

 なんだか、すごく恥ずかしかった。

 この下着を作ったのはどんな人なのだろうか──そんなことを思いながら、彼女は白いフクロウにうなずき返す。


「わかりました。『レポート』をしますと、この下着を作った方にもお伝えください。それと、トール・カナンさまにもご伝言をお願いいたします。『あなたの勇気に敬意を表します。お目にかかるときを楽しみにしております』──と」

「──わかったの。必ず、お伝えするの」


 つぶやいた後、フクロウたちは一斉に翼を広げた。

 そうして彼らは、夜の闇に飛び去っていったのだった。


 しばらくしてからソフィアは、フクロウたちが置いていった下着を身につけた。

 透明な下着は──なんだかたよりなくて、落ち着かなかった。


「……変な習慣がついたらどうしましょう」


 その上から寝間着をつけて、ソフィアはベッドに横になる。

 身体がぽかぽかしているのを感じた。

 熱があるときとは違う。ゆったりと身体がゆるんでいくような、そんな感じだった。


 目を閉じると、眠りはすぐにやってきた。

 そうしてソフィア皇女は、夢も見ない、ゆったりとした深い眠りについて──






「──もう……朝ですか」


 ソフィアは身体を起こして、ベッドから降りた。

 手早く寝間着を脱いで……半透明の下着を見て、昨日のことが夢でないと確認する。

 それからドレスに着替えて──


「──え?」


 ソフィアは、自分が軽々と動き回っていることに気がついた。

 昨日までとはまったく違う。

 いつもは重い身体を引きずるように起きて、しばらくベッドで呼吸を整えていた。それからゆっくりと起き上がり、落ち着いたところで着替え始める。

 そんな毎日だったはずだ。


 なのに今日のソフィアは、気がつくとベッドから出て、普通に着替えをしていた。

 健康な、普通の少女のように。


 ソフィアは手足を振ってみる。歩いてみる。屈伸してみる。

 問題ない。部屋の中を歩き回っても、息が切れることもない。


 それに……身体中に魔力が満ちているような気がする。

 軽く詠唱をすると、指先に光の球が浮かび上がる。『魔力ランプ』に使われている『ライト』の魔術だ。簡単な魔術だけど、昨日までは使うたびに疲れを感じていた。

 けれど、今は息をするように魔術が使えるのだ。


(……魔王は、本当に私を信じてくれているのですね)


 ソフィアの身体をやすということは、帝国側に光の魔術の使い手を生み出すということでもある。

 なのに、魔王領はソフィアに、『フットバス』を使わせてくれた。

 それは彼らが、ソフィアが敵になることはないと、信じてくれたことを意味する。


「──まったく不快にはなりませんでしたよ。トール・カナンさま。むしろ、こんな心地よい気分は、生まれてはじめてです」


 ソフィアは魔王領にいるはずの少年に向かって、つぶやいた。

 顔も知らない彼を思うと……なぜか、心臓が高鳴っていく。


 トール・カナンという少年は、命がけでソフィアの信頼を勝ち取り、『フットバス』を使うように促してくれた。

 彼が『ソフィア皇女が不快に思ったら、光の魔術をこの身に受ける』とまで言ってくれなければ、ソフィアは魔王領を信じ切ることはできなかった。『フットバス』を使うこともなかっただろう。


 トール・カナンの勇気が、ソフィアの背中を押してくれたのだ。


「彼のおもいと、魔王領の信頼に応えなければいけません」


 ソフィアは意を決して、歩き出す。

 ドアに手を掛けて、外へ。

 部屋の外──廊下へとソフィアは脚を踏み出した。



「で、殿下!?」

「どうされたのですか、ソフィア殿下!?」

「出歩かれてはお身体にさわります!」



 廊下に控えていたメイドたちが、口々に声をあげる。

 ソフィアは穏やかに笑いかけながら、告げる。


「気に掛けてくれたことをうれしく思います。でも、大丈夫。今日は調子がいいのです」


 ドレスのすそをひるがえして、軽やかにソフィアは歩き出す。



「──殿下が、元気に歩いていらっしゃいます」

「──肌の血色も良くなってます。桜色の髪も──すごく、つやつやしていらっしゃいます」

「──ソフィアさまが笑いかけてくださいました。皇女殿下が、私などに……」



 軽やかに歩くソフィアを、メイドたちは思わず見送ってしまう。

 そのままソフィアは、屋敷の入り口にたどり着く。

 そこで、この屋敷が思っていたより狭かったことに気がついた。

 部屋に閉じ込められていた間は、まるで無限に広い牢獄のように思えていたというのに。


「殿下、お待ち下さい!」

「おひとりで外を出歩かれるのは危険です!!」


 屋敷の玄関で、兵士たちが声をあげた。

 アイザックとマリエラに置いていかれた兵士たちだ。

 ソフィアは、彼らの方を向いて、


「お役目、ご苦労さまです。いつも屋敷を守ってくれていることに感謝していますよ」

「……え」

「で、殿下?」

「確かに、ひとりで出歩いては心配させてしまいますね。では、護衛をお願いできますか?」


 ソフィアは兵士たちに向かって、笑いかける。

 輝くような笑顔に、兵士たちはとまどいながら、声をあげる。



「ご、護衛を?」

「なにをなさるつもりなのですか、殿下?」



「昨日、町を回る予定だったのが、中止となってしまったのです。代わりにこれから、城門まで歩こうと思います。手の空いている者に、護衛を頼みたいのです」


 兵士たちの目を見つめて、ソフィアはきっぱりと告げた。


 兵士たちは、迷っているようだった。

 部隊長であるアイザックは不在、副官のマリエラも戻ってこない。

 現在、町にいる者で、兵士たちの最も上位にいるのはソフィア皇女だった。


 ソフィア皇女が屋敷に閉じ込められていたことは、兵の誰もが知っている。

 その当人が兵士たちに言ったのだ。『城門まで行きます。護衛をなさい』と。

 目を輝かせて。普段とは違う、健康的な姿で。



「──この場での最高責任者は、ソフィア殿下です」

「──城門までなら、ご案内いたしましょう」

「──殿下に町をご案内する……これ以上、名誉なことはございません!」



 兵士たちは床に膝をつき、宣言した。


「ありがとうございます。皆さま」


 ソフィアはスカートをつまみ上げて、一礼。


「これは私、ソフィア・ドルガリアのわがままです。なにかあったとしても、皆に責任はありません。屋敷にいるすべての者が証人です。どうか、覚えておいてください」


 そうしてソフィアと兵士たちは、屋敷の外に向かって歩き出したのだった。





 外に出てからは、大騒ぎだった。

 ノーザの町に来てから、ずっと姿を見せなかった皇女ソフィア。

 その彼女が、朝の光の中に姿を現したのだ。


 兵士たちに守られながら歩くソフィアに、町の民は声をあげる。

 ソフィアを讃える声。

 平和を望む声。

 魔王領との争いを、避けて欲しい──そんな願いの声を。


 ソフィアは彼らの声にうなずきながら、町の城門に向かう。

 彼女が近づくと──北の城門がゆっくりと開いていく。その向こうにいるのは馬に乗った兵士だ。

 彼は目の前の騒ぎに目を見開き、その中心にいるのがソフィア皇女だと気づいて、慌てて馬を下りた。


「し、失礼いたしました。ソフィア殿下がいらっしゃるとは気づかず……」

「構いません。偵察ていさつに出ていらっしゃったのですね?」

「は、はい。魔王領と連絡を取るための場所があるのですが、そこに、書状を発見しまして──」


 偵察兵ていさつへいはゆっくりとソフィアに近づき、彼女の前で膝をついた。


「現在、部隊長と副官は町を出ております。代理として、私が書状を確認しましょう」

「──は、はい。皇女殿下」


 偵察兵は、筒状になった羊皮紙をソフィアに渡した。

 ソフィアはそのまま書状を開いた。

 見るまでもなかった。

 魔王ルキエ・エヴァーガルドからの、会見の申し出だ。


 宛先あてさきは、ソフィア・ドルガリア皇女。

 両国の平和のために、魔王と皇女で話をしたい──そんなことが書かれていた。


「すぐに返事を書きましょう」


 羊皮紙を閉じて、ソフィアはうなずく。

 そうして兵士たちに向かって、


「書き終わり次第、魔王領との連絡地点に届けてください。それから町の方で、魔王領に詳しい方を屋敷に呼んでいただけますか? 先方についての、話をおうかがいしたいのです」

「は、はい。殿下」

「両国の平和のために、私にできることをいたします」


 ソフィアは拳を握りしめて、告げる。

 健康な身体が、一時的なものだということは知っている。


 だから、今のうちに生命をかけて、できる限りのことをする。

 身体をやしてくれた魔王領に借りを返し、国境近くの民には平穏な生活を。

 そうして両国の平和を──妹のリアナのために。


「かつての人々が異世界の勇者を召喚したのは、世界を平和にして、民を安心させるためでした。その勇者をあがめる帝国の皇女として、私は国境地帯の平穏を望みます。そのために、この身を使うといたしましょう……」


 周囲の兵士たちを見つめながら、胸を張って──

 皇女ソフィア・ドルガリアは、そんなことを宣言したのだった。

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