第61話「魔王領と帝国兵団、作戦を開始する」

 ──数日後、ノーザの町で──





「え? マリエラは、まだ戻っていないのですか?」


 夕食を持って来たメイドたちに向かって、ソフィア皇女は言った。


「すぐに戻ると聞いていたので、夕方まで待っていたのですが……」

「申し訳ございません。殿下」


 メイド長である年配の女性は、深々と頭を下げた。

 他のメイドたちは、気まずそうに目を伏せている。


 ここは、ソフィア皇女の自室。

 ソフィア皇女は今日一日、副官マリエラが来るのを待っていた。

 約束があったからだ。

 それは軍事訓練にも関わる、重要なもののはずなのだが──


「マリエラさまは午前中に外出されたままなのです」


 メイド長は申し訳なさそうに、小声で告げた。


「本当は、すぐに戻られるおつもりだったようですが、さきほど……戻りは遅くなるかもしれないというむねの連絡がまいりまして……」

「今日は軍事訓練について打ち合わせを行う予定になっていたはずです。それより重要な用件があるのでしょうか?」

「申し訳ございません! わ、わたくしどもでは、なんとも……」

「わかりました。もう、よろしいです」


 ソフィアはそう言って、食事に戻った。

 メイドたちを責めても仕方がない。

 彼女たちは、マリエラの指示に従っているだけなのだから。


(軍事訓練の打ち合わせのあと、マリエラは私と共に町を回ることになっていたのですが……)


 町に着いた翌日、マリエラはソフィア皇女に約束した。『民の様子が見たいのであれば、馬車で町を回る機会をあげます』──と。

 それが空約束にならないように、ソフィアは日程を決めさせた。

 今日がその日だったのだ。


 だから、ソフィアは朝からずっと、迎えが来るのを待っていた。

 昼前に、メイドを通して問い合わせた。マリエラはすぐに戻るという回答だった。

 その後、すっかり日も暮れた今になって、中止が告げられた。

 町を回る約束はともかく、軍事訓練の打ち合わせまでも。


(いっそ屋敷を抜け出して、ひとりで町を回ってみましょうか)


 そんなことを考えて、ソフィアは首を横に振る。

 ソフィアの部屋は屋敷の2階だ。廊下にはメイドと衛兵が護衛についている。

 彼らの目を盗んで外に出るのは不可能だ。


「では、部隊長のアイザック・ミューラに伝えなさい。ソフィア・ドルガリアは副官マリエラと、軍事訓練について打ち合わせの約束があると。マリエラが不在なら、部隊長だけでも参加するように。さもなくば、次の打ち合わせの日程を決めなさい、と」

「……それが、部隊長も町を出ておりまして」

「アイザックもですか?」

「「「申し訳ございません!!」」」


 ソフィアの反応に、メイドたちが一斉に頭を下げる。

叱責しっせきされた」と感じたようだった。


「マリエラさまは、アイザックさまが町を出たのを見て、後を追っていかれたのです」


 メイド長が前に出て、そう言った。


「緊急のご用とのことでした。そのため、殿下へのご連絡が後回しになってしまったのでしょう。マリエラさまに代わり、おび申し上げます」

「一体、なにがあったのですか?」

「……わたくしどもが話したことは、内緒ないしょにしていただけますか?」


 不意に、メイド長がつぶやいた。

 彼女は周囲のメイドたちに目配せする。ここでのことは誰にも話すな、という合図だろう。

 それを確認して、ソフィアはうなずいた。


「もちろん。あなた方の不利になるようなことはいたしませんよ」

「……実は、町の者から、奇妙なものを見つけたという報告が入ったのです」


 ソフィアが優しい笑みを浮かべているのを見て、安心したのだろう。

 メイド長は、ほっと息をついてから、ゆっくりと話し始めた。


「殿下は、町の東に岩山があるのはご存じですか?」

「ええ。地図に書いてありますから」


 ソフィアは壁に貼られた地図を見ながら、答えた。


「ですが、そちらは訓練予定地の平原とは逆方向でしょう? わざわざそのような場所に、アイザックとマリエラが向かう必要があるとは思えません。兵士たちも不審ふしんに思うでしょうに」

「いえ、兵士の大部分は、進んでおふたりに同行したそうです」

「その岩山になにがあるというのですか?」

うわさによると……『封印されし武器』とのことです」


 メイド長は誰かに聞かれることを恐れるように、声をひそめた。


「兵士たちは言っていました。『この地は太古に、異世界の勇者たちと魔王軍が剣をまじえた場所。その際に使われた魔法の武器が残っていてもおかしくはない。地形の変化で、埋もれていたそれが姿を現すこともあるだろう』──と」

「魔法の武器……なるほど。そういうことですか」


 ソフィアはうなずいた。

 どうしてアイザックとマリエラが町を出たのか、わかったからだ。


 勇者の時代の武器で、残っているものは少ない。

 新たなものを見つけ出せば、大きな功績こうせきとなるだろう。


(それでアイザックとマリエラは出かけていったのですね……予定はすべて、なかったことにして)


 食事を終えたソフィアは、がっくりと肩を落とした。

 気が抜けてしまった。

 軍事訓練の打ち合わせの準備も、民にかける言葉を考えたことも、すべて無駄になったのだ。


「今日は早めに休みます。あなたたちも、さがって下さい」


 ソフィアはメイドたちに告げた。


 メイドたちが立ち去ると、ソフィアは寝室の窓辺に椅子を移動させた。

 ここが一番、落ち着く場所だった。

 寝室には廊下に繋がるドアがない。だから、メイドたちにのぞかれることもない。

 落ち着いて読書をするにはちょうどいい。


 アイザックとマリエラ、兵士たちの多くも不在なら、屋敷も静かだろう。


 今日のために体調を整えておいたのは無駄になった。

 だから、その分たくさん、本を読むことにしよう──そんなことを思いながら、ソフィアは椅子に腰掛ける。


「それにしても、今日はフクロウが多いようですね」


 ソフィアはぼんやりとつぶやいた。

 ノーザの町は害獣避けにフクロウや猫を飼っている。夜になると、町を飛んでいる姿を見かける。

 けれど、今日はやけに数が多いような気がする。

 兵士たちが町を出たから、フクロウも安心したのだろうか。


 ふと見ると、庭木の枝に、小さなフクロウがとまっていた。

 体長十数センチの、真っ白なフクロウだ。

 ソフィアに興味があるのか、じっとこちらを見ている。


「こんな近くに来るのは、珍しいですね」


 ソフィアはフクロウに向かって語りかける。


「せっかくいらしたのです。よろしければ、このソフィアの話し相手になっていただけませんか?」


 彼女の言葉に、フクロウは小さくうなずいた。

 それから活きのいい翼を広げて、白いフクロウは枝から離れたのだった。







 ──同時刻、ノーザの町の東にある岩山で──






「まったく、面倒なものを見つけたものだな!」


 部隊長アイザックは岩山を見上げながら、吐き捨てた。


 ここは魔王領との境界近くにある岩山だ。

 山の高さは数百メートル。

 周囲には薬草が生えているため、町民にとっての採取場でもある。



 そして今、その岩山の山頂付近に、一本の大剣が突き刺さっていた。



「「「……おお」」」


 岩山のふもとで、兵士たちは感動したようにつぶやいている。

 彼らも、幼いころから異世界勇者の伝説を聞いているのだろう。

 岩に刺さった聖剣。封印された魔法剣。

 ──そんな伝説と、目の前の光景を重ねているのかもしれない。


「このアイザックでさえ、あの剣には目をかれてしまう。なんなのだ。あの剣は……」


 岩山に刺さっているのは、よくある両手剣だ。

 岩の裂け目にさやの半ばまで突っ込んだ状態で固定されている。

 さらに異様なのは、その剣が鎖で拘束されていることだ。


 鎖はさやと、剣のつばに巻き付いている。

 それが幾重にも重なり、鞘やつばのかたちが見えない。

 唯一見えるのは、剣の柄の部分だけだ。


 風雨にさらされていたのなら、すでにびているかもしれない。

 だが、錆び付いた剣を抜いたら、刀身が魔法を帯びていたという例もある。

 剣を抜いた瞬間に真の姿を現したという伝説だって、勇者時代にはいくらでもあるのだ。


「面倒だ。本当に面倒だ……」


 部隊長アイザックは歯がみした。

 本来なら、あんなものに時間を割くべきではない。放置しておいて、軍事訓練の合間にでも調査するべきものなのだが──


「アイザックどの。あなたは町に戻られるべきでは?」


 岩山のふもとには、副官マリエラが立っていた。

 彼女もアイザックと同じように、岩山に突き立った剣を見上げているのだった。


(……この者さえいなければ、あんな剣は放っておくのだがな)


 部隊長アイザックは声に出さずにつぶやいた。

 あの剣にはたいして興味はない。だが、副官マリエラの手に渡るのは気に入らない。

 仮にあれが魔法剣だった場合、彼女の功績になってしまうからだ。

 ひいてはそれは軍務大臣ザグランの功績になり、あの者の地位が安定する。軍務大臣の椅子が、アイザックから遠ざかる。

 それは避けたいところだったのだ。


「もう一度申し上げます。アイザック部隊長。あなたは軍事訓練の準備に戻られるべきです」


 副官マリエラは言った。


「あなたの使命は魔王領に帝国の強さを示すこと。このような雑事に構うべきではないでしょう」

「民の平穏を守るのも小官しょうかんの役目だ」


 アイザックはマリエラをにらみながら、告げる。


「町の近くで異常があれば、調べて、解決する。でなければ民も落ち着くまい」

「たかが1本の剣ですよ?」

「たかが、では済むまい。あれが本当に魔法剣ならば、魔王領の連中が取りにくるかもしれない。それは民を不安にさせるだろう」

「魔法剣? アイザックどのは、本気でそんなことを?」

「ここはかつて勇者と魔王軍が争った地だ。失われた武器があってもおかしくはない」

「ならばどうして、今まで見つからなかったのでしょうね」

「岩山に大きな亀裂がある。おそらくは、あの中に埋もれていたのだろう。さらにあの岩山には、崩れた跡があるな。最近、小規模な崖崩がけくずれがあったのだろう。それで埋もれていた剣が姿を現したのではないか?」

「夢を見すぎなのではありませんか? アイザックどの」

「そう思うなら、ここは小官しょうかんに任せて、町に戻られよ。マリエラどの」


 アイザックはマリエラを見据みすえて、そう言った。


「貴官の役目は、ソフィア殿下のサポートであろう?」

「私はザグランさまに、異常があれば報告するように言われておりますので」


 副官マリエラは、嫌味なくらい丁寧な礼をしてみせた。


「あの剣の正体についても、報告しなければなりませんね」

「正体がわかれば貴官にも伝える。それでよかろう」

「アイザックどののご厚意には感謝いたします」


 言いながらも、マリエラは立ち去ろうとしない。

 理由はわかっている。

 マリエラは、アイザックを信用していないのだろう。アイザックが、マリエラを信用していないように。


(この場をマリエラに任せたあとで、あれが魔法剣だとわかったら──)


 間違いなく魔法剣は、軍務大臣ザグランの元へ送られる。

 代わりにマリエラは、似た剣をアイザックに見せるだろう。

 あの剣は鎖におおわれている。見えているのは握りの部分だけ。似たものを見つけ出すのは簡単だ。


 絶対にそうなる。確信がある。

 アイザックがあれを手に入れた場合、同じことをするつもりなのだから。


(……だから面倒なのだ。まったく)


 部隊長アイザックが、そんなことを考えたとき──


「部隊長! 兵士たちが剣のところにたどりつきました!」


 不意に、兵士のひとりが声をあげた。

 アイザックが顔を上げると、山頂にある剣の近くに、数名の兵士が立っていた。


「よし。報告せよ。剣はどのような状態だ?」

「やはり、鎖で固定されております! 鎖の先は、岩の裂け目の奥に食い込んでいるようです。ほどくことも、岩から引き抜くこともできません」

「剣を抜くのも無理か!?」

「……やってみます」


 兵士たちは剣に手をかけた。

 岩場にしっかりと脚を踏ん張り、力を入れる。

 4人の兵士たちは全力で剣を抜こうとする。だが──


「……動きません!」

「びくともしません。なんですか、これは……」

「まるで岩と一体化しているかのようだ」


 報告を聞いて、アイザックは考える。

 この剣のことは手早く処理するべき──そう決めて、彼は声をあげる。


「わかった。では、おのを用意する。それで鎖を切るがいい!」

「お待ち下さい。部隊長」


 アイザックが叫んだ瞬間、マリエラは言った。


「鎖にも意味があるのかもしれません。地属性の魔術で岩を破壊して、鎖を抜いてみるべきでは」

「口を挟むな! 部隊の指揮権は小官しょうかんにある!!」

「私は部隊長の副官でもあります。意見を申し上げる権利はあるはずです」

「……ちっ」


 舌打ちして、アイザックは周囲を見回す。

 兵士たちの中に、マリエラの言葉にうなずいている者がいる。


 やりにくい──と、アイザックは思う。


 この場での指揮権はアイザックにあるが、帝都に戻ったとき、すべての評価を下すのはザグランだ。その副官であるマリエラの意見は、兵たちも無視できないのだろう。


(……指揮権の統一は、軍事の基本だというのに)


 これが敵国とのいくさならば、アイザックの命令は絶対だろう。

 だが、今回の使命は、あくまでも軍事訓練だ。

 だから、部隊長であるアイザックと、軍務大臣の腹心であるマリエラに、兵士たちの忠誠心が分散してしまっているのだ。


「……わかった。地属性の魔力で岩を掘り進めばいいのだな? では、担当の者を選び、この場に残すとしよう」


 アイザックはマリエラを見て、告げた。


「彼らに後の処理は任せ、小官しょうかんとマリエラどのは引き上げるとしよう。剣を入手した後は話し合い、その扱いを決める。それでどうだろうか」

「少数の兵を残すのは反対です。魔獣まじゅうや、魔王領の者たちに襲われる可能性があります」


 マリエラは「話にならない」とばかりに、首を横に振った。


「兵を残すことそものが、魔王領に対して『この場所に意味がある』というメッセージになります。そうなれば、魔族や亜人たちもこの剣を取りにくるかもしれません。部隊長には、それがおわかりになりませんか?」


 皮肉っぽい口調で、マリエラは言った。

 アイザックは彼女をにらみながら、告げる。


「……逆に、あの剣を魔王領の者が置いた可能性はないのか?」

「なんのためにですか?」

「我々をこの地に集めておそう。あるいはノーザの町を攻撃するためだ」

「魔王領がノーザの町を攻撃したいのであれば、我々がここに来る前にしていたはずです。町の兵力が増えた今になって攻撃する意味がどこにあるのですか?」

「……うむ」

「可能性があるとすれば、ソフィア殿下の御身おんみを狙うくらいですが」


 マリエラは言葉を切った。

 アイザックはしばらく待ったが、続きの言葉はなかった。

 言わずともわかる。ソフィア殿下に、人質としての価値はない。


 ソフィア皇女に皇位継承権はない。

 仮に彼女を人質にして、魔王領がなにか要求してきたとしても、帝国が応じることはない。


 しかも、ソフィア皇女は病弱だ。

 さらったあとでソフィア皇女が死んでしまうことも考えられる。

 そうなれば帝国は、それを口実に諸国へと呼びかけるだろう。『魔王領は危険だ』と。そうすれば連合軍を結成し、魔王領に侵攻することも可能となる。

 帝国の高官会議は、そこまで考えて、ソフィア皇女を送り込んだのだから。


「……ソフィア殿下は問題ない。殿下は、兵たちに守られている。危害を加えることはできぬはずだ」


 だが、アイザックは、ソフィアを守る部隊長としての言葉を口にした。


「殿下の安全は守られている。ならば……我々はここに陣地を作り、あの剣を調べるとしよう。早急に回収し、時間がかかるようなら破壊する。魔王領の者たちが使えないようにな。それでいいな、マリエラどの」

「部隊長の賢明なご判断に感謝いたします」

「魔王領は動かぬと思うがな。これだけ兵が集まっているのに、偵察ていさつも出さないのだから」


 部隊長アイザックは北の方角──魔王領との国境に視線を向けた。

 視界の先には、背の高い岩山が続いている。

 国境の山岳地帯だ。


 遠目に見ても、魔王領の兵がいるようには見えない。

 矢も魔術も届かない距離だが、動くものがあればわかるだろう。

 いるのは──岩場をうろつく、大きなトカゲだけ。魔獣ではない。ただの野生動物だ。

 警戒するほどのことはなにもない。


「いずれにせよ。さっさと作業を終わらせよう。皇女殿下も……心配されているだろうからな」


 部隊長アイザックの指示で、兵たちは動き始める。

 謎の剣の調査を行うために、彼らはここに、一時的な拠点を作ることになったのだった。






 ──同時刻、魔王領の山岳地帯で──





「帝国兵があの剣に食いついたようだぞ。ケルヴどの」


 岩場に腹ばいになり、ライゼンガ将軍は言った。


「さすがは宰相さいしょうケルヴどの。お主の作戦、うまくいったようだな」

「大剣を岩に刺すことを提案されたのはトールどのですけれどね……」


 同じような格好で、宰相ケルヴは答える。

 町の近くの岩山に剣を刺す作戦は、夜のうちに行われた。

 その結果を見るために、宰相ケルヴとライゼンガ将軍は、山岳地帯までやってきたのだった。


 ふたりがいるのは、山岳地帯にある岩場だ。

 遠くに、剣を刺した岩山が見える。さすがに帝国兵の顔は見えないが、数はだいたいわかる。百数十人といったところだろう。

 帝国が派遣した兵の大半が、この場に来ているようだった。


「こちらに気づいた様子はありませんね」

「こんな岩場のてっぺんに、人がいるとは思わぬだろうよ」


 宰相ケルヴの言葉に、ライゼンガ将軍はうなずく。


「そもそも普通に考えれば、こんな場所は登るのも危険だ。ここで偵察ができるのも、トールどののアイテムのおかげであろう」

「まさか『チェーンロック』に、こんな使い方があるとは思いませんでした……」


 宰相ケルヴとライゼンガ将軍は、後ろを振り返る。


 背後の岩場には、黒い鎖で作られたハシゴがあった。

 ハシゴは岩壁を這いながら、すぐ下の山道まで続いている。

 ケルヴもライゼンガも、これを使って、岩場のてっぺんまで登ってきたのだ。


「すごいものですね。この『改良版チェーンロック・ハシゴ型』とは──」



──────────────────



『改良版チェーンロック・ハシゴ型』

(属性:地地地地・水)(レア度:★★★★★★★★★★★☆)



『チェーンロック』を、ハシゴの形につなぎ合わせたもの。

 魔力を注ぐと『陸地ロック』モードとなり、『補助チェーン』が展開される。


『補助チェーン』は岩の隙間や岩壁に食い込み、強い地属性によってぴったりとくっつく。そのため、安定したハシゴとして使うことができる。

 10本の『補助チェーン』によって固定されるので、十数人がぶら下がってもびくともしない。


『陸地ロック』は、ロックをかけたものが魔力を注ぐことで外すことができる。

 チェーンの強度が許す限りは、いくらでも再利用可能。



──────────────────





「さすがトールどの、便利なものを作られるものだ。これで魔王領も安心だな!」

「将軍。おわかりですか? このハシゴは城壁にもくっつくのですよ?」

「……む?」

「基本的に岩や石であれば固定できるのでしょう? 当然、石造りの城壁にもくっつきます。城壁に近づくことさえできれば、普通に乗り越えて中に侵入できるのですよ?」

「……まぁ、トールどのの作るものだからな」

「……そうなんですけどねぇ」


 宰相ケルヴは、むふー、とため息をついた。

 その姿を見て、ライゼンガ将軍が噴き出す。


「うむむ。笑ってはいけないとは思うのだが……宰相どのの姿は、トカゲそのものだな」

「それを言うなら将軍閣下の姿もそうですよ。お互い『なりきりパジャマ』を着ているのですからね」

「フードを外せば元の姿になるのだったな。外してみるか?」

「やめておきましょう。帝国兵に見つかるといけません」

「……そうだな」


 腹ばいになったケルヴとライゼンガは、そろってうなずいた。

 夕陽に照らされて、ふたりの身体のウロコが光っている。長い胴体は岩場を這い、短い手足が岩をつかんでいる。長い尻尾はふたりの意志通りに動くのだが、どういう仕組みになっているのかはわからない。


 これが、トールの作ったマジックアイテム『なりきりパジャマ』の能力だった。

 数日前に完成したもので、着ると別の生き物に姿を変えることができるという、すさまじいものだ。


 トールでも、製作にはかなり苦労したらしい。魔王ルキエとメイベル、それに羽妖精ピクシーたちの協力がなければ作れなかったと言っていた。

 そうして彼は偵察用ていさつにと、『トカゲ型なりきりパジャマ』を、ケルヴとライゼンガにくれたのだ。


 ケルヴは、装着時そうちゃくじに聞いた説明を思い出す。

『フードをかぶれば、完全にトカゲの姿に。フードを外せば、元の姿に戻れます』とのことだった。


 相変わらずの極秘アイテムなので、部下に使わせるわけにはいかない。

 だからケルヴとライゼンガがパジャマ姿で、帝国兵の偵察ていさつに来たのだった。


「将軍はどう思われますか。この『なりきりパジャマ』について」


 ケルヴは──トカゲの頭を振って問いかける。

 ライゼンガは、自動的に出る細い舌を振りながら、


「アグニスは可愛いと言ってくれたぞ?」

「そういうことを言っているのではありません。このトカゲの姿──まさに本物そっくりです。思っただけで尻尾も動かせます。ありえないでしょう。このようなもの……」

「あるのだから仕方あるまい」

「そもそも、全身が完全にトカゲの姿になっているのに、普通に外が見えるのですからね……あとでトールどのに『なりきりパジャマ』の能力について、詳しく聞かなければ気が治まりません。まったく……トールどのはもう。まったく……」

「こら。岩に頭をぶつけるのはやめぬか。パジャマが傷むであろう」


 ライゼンガ (トカゲ)は長い尻尾を動かして、ケルヴの頭を押さえた。


「とにかく、作戦は成功したのだ。帝国兵たちはあの剣に引きつけられておる。その間に──真の責任者と話をつけるべきだろうよ」

「あの大剣で、どれだけ帝国兵を引き留められるでしょうか」

「長くて数日だろうな。見える部分はトールどのが補修してくれたが、刀身はさびだらけだ。抜けばただのガラクタだとばれるからなぁ」

「とにかく、戻って陛下に報告しましょう」

「そうだな。町に行った羽妖精ピクシーたちも心配だ」


 宰相ケルヴはうなずき、ライゼンガ将軍とともに、帝国兵に背を向けた。

 それから、パジャマのフードを外す。

 ぽん、と音がして、ふたりは人の姿に戻る。

 緑色でふわふわの可愛いパジャマを着た、大人の姿に。


「……やっぱり落ち着きませんね。早く着替えたいです」

「アグニスは可愛いと言ってくれておったがなぁ」


 ふたりは魔王領側の岩壁につけた、チェーンのハシゴを下りていく。

 山道には部下が待っているはずだ。早く着替えたい──そんなことを考えながら、宰相ケルヴは、同じパジャマを着て、ノーザの町に向かった者たちのことを思い浮かべる。


「彼女たちなら、この手のパジャマも似合うのでしょうが……」


 自分には似合わない。二度と着ない。

 陛下は「似合う」と言ってくれたが、あれは絶対におせじだろう。

 こんな緑色で、フードにトカゲっぽい目があり、フリフリ揺れる尻尾まであるパジャマなど、この宰相さいしょうケルヴに似合うはずがないのだ。

 くれるからにはもらっておくが、それはアイテムを流出させないためだ。

 とりあえず寝室に置いておくつもりだが、他意はない。絶対に。


「まったく……どうしてトールどののアイテムは、私の精神を削っていくのでしょう」


 そんなことを考えながら地上に向かう、宰相ケルヴなのだった。






 ──同時刻、ノーザの町で──






「ごきげんようなのよ。お姫さま」


 窓のすぐ側の枝にとまり、白いフクロウは言った。


「──え」


 ソフィアは思わず目を見開く。


「フクロウが……しゃべった……?」


 空耳かと思った。

 人の言葉を話す使い魔など存在しない。

 勇者の時代にはいたかもしれないが、具体的な記録は残っていない。

 おどろくソフィアの前で、白いフクロウは、ちょこん、と身体をかかげて、一礼した。


「ふむふむ。やはりあなたは……ソレー……じゃなかった、ある者と同じ症状のようなの。光の魔力が強すぎて、身体に負担をかけているようなの」

「ど、どうしてそれを……いえ、あなたは何者──」

「お話があるの。まずはそれを聞いて欲しいの」


 ソフィアの言葉に重ねるように、白いフクロウは言う。


「──このフクロウの主君は、平和を求めている。だけど、帝国は国境付近で嫌がらせをしているの。その事実をあなたに伝えたいの。そうして……主君とあなたで話をして欲しいの。もしそれが叶うなら、フクロウの主君は、あなたに健康グッズを使わせてあげるそうなのよ」


 ──淡々と、小さな声で、白いフクロウはそんなことを言ったのだった。

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