第87話「リアナ皇女、『ノーザの町』を散策する」

「彼女はレイラ。わたくしが保護した少女です」


 少年と少女に向かって、副官ノナは言った。


 ノナはリアナに目配せしている。打ち合わせの通りに、という合図だ。

 町に入ったらリアナは『レイラ』という偽名を使うことになっていたのだ。


「わたくしはノナ。街道警備を務める兵士です。上司の命令でレイラさんを両親のところまで送り届ける役目を仰せつかっております。その途中でこの『ノーザの町』に立ち寄ったのですが──」

「不思議なくらい町が賑わっていたので、気になって、それで……」


 副官ノナの言葉を、リアナが引き継いだ。


 今のリアナは髪を栗色に染めて、フードを被っている。

 着ているのは一般的な旅人の服だ。

 彼女がリアナ皇女だとは、誰にもわからないはず。


 それでも、見知らぬ少年少女と話すのは緊張する。

 今までリアナは同年代の者と、対等な立場で話したことがないからだ。

 それでもリアナは少年と少女の目を見ながら、話し続ける。


「それで、この町には帝国の姫君がいらっしゃると聞いて……もしかしたら、町が賑わっているのはそのせいなのかな、と思いまして。せっかくここまで来たのだから、町の人にお話をうかがいたいと……」


 リアナは一息に、用意していたセリフを語り終えた。

 それから、少年少女の顔を見ると、


奇遇きぐうですね」


 少年は感心したようにうなずいた。


「俺もソフィア殿下のお姿を見たくて、ここで待っていたんです」

「そうなのですか」

「俺とこの子は近くの町から来ました。最近『ノーザの町』が賑わっていると聞いたので、なにか商売ができないかと思って、あちこち見て回っていたのです」


 長身の少年は、赤い髪の少女の方を見た。

 少女の方は、少し慌てたように、


「そ、そういうことなので」

「そうしたら、ソフィア殿下がまもなく町に戻られるという話を聞きました。だから俺たちも、門のところにいたのです」

「ソフィア殿下は、ここを通られるのですか?」

「はい。町の人たちが、そんなことを言っていました」


 少年の言う通りだった。

 耳を澄ますと、町の者の話し声が聞こえる。



「──ソフィア殿下が、兵士たちをねぎらいに行っている」

「──間もなく戻られるので、ぜひ、お姿を拝見したい」

「──一時間後くらいに戻られるらしい」



 彼らはそんなことを、口々に話していた。

 町の門のまわりに人が多いのは、そういう理由のようだ。


「殿下が戻られるには、まだ時間があるようですね」


 副官ノナが、少年と少女に向かって言った。


「もし、よろしければ、その間にお話を聞かせていただけますか? わたしもここまで来ることはあまりないので、国境近くに住む人の話を聞いてみたいのです」

「いいですよ。兵士の……えっと、ノナさん」

「はい」

「俺の方も話をしますから、ノナさんとレイラさんからも話を聞かせてもらえますか?」

「わたしの、ですか?」

「私の?」


 不思議そうな顔になるノナとリアナに、少年は少し考えてから、


「実は俺は、家具や金属製品を作る仕事をしているんです」

「職人さんですか」

「はい。それで、できれば南の方……帝都でなにが起きてるのかを知りたいんです。必要なものや、流行がわかれば、物作りの参考になりますから」

「なるほど。そういうことでしたら……」


 ノナがリアナの方を見た。

 リアナは迷うことなくうなずいた。


 リアナは──ソフィアが町の人にとってどういう存在なのか聞きたい。

 代わりに帝都の話をするくらい、構わないだろう。


「わかりました。お話をしましょう」

「では、ゆっくりできる場所に行きましょう。そこなら、町の人たちの噂話うわさばなしも聞けます。この町のことを知りたいレイラさんやノナさんには、ちょうどいいと思います。場所は──えっと」

「アグ……いえ、私が知っているので」


 赤い髪の少女が、少年の言葉を引き継いだ。


「近くにお茶を飲める場所があると聞いているので」

「ありがとう。助かるよ」

「親友のアドバイスを受けて、ちゃんと予定を立てて来ましたので」


 少女は恥ずかしそうにつぶやいた。

 仲の良さそうなふたりだった。


(私と姉さまが町の民だったら……こんなふうに、いつも一緒にいられたのでしょうか)


 そんなことをつぶやきながら、リアナは少年たちについて歩き始めた。






「ここなら、町の人の噂話うわさばなしも聞けると思います。ノナさんとレイラさんにも、参考になるかと」

「隅の席が、空いているので」


 リアナが案内されて来たのは、町の酒場と茶屋が一緒になった店だった。

 昼間だからか、今はみんなお茶を飲んでいる。

 少年と少女も並んでお茶を飲みながら、町の声に耳を傾けているようだ。


「……あの少年は本当に職人のようです」


 ノナが、リアナの耳にささやいた。


「……彼はずっと、町の者が持っている道具などを観察しておりました。職業病ですね。仕事のために情報収集をしたいというのは、間違いないようです」

「……市井しせいの者というのは、たくましいのですね」


 リアナはつぶやいてから、お茶を口にふくんだ。

 茶は薄いが、甘い。でも美味しい。

 いつも飲んでいるものとは違う。雑然とした町の味だ。


 自分の知らないところで、民はこうして生活している。

 その民に、姉のソフィアは慕われている。

 門の前で皆が、彼女の帰りを待っているほどに。

 どうしたらそういうことになるのか、リアナにはまったくわからないのだった。


(……私は、本当になにも知らなかったのですね)


 民のことも、初めて間近で見たような気がする。

 テーブルの向こうにいる少年と少女──一般的な民というのは、彼らのようなことを言うのだろう。


 少年はお茶を飲みながら、ふところから羊皮紙ようひしを取り出している。

 さらにペンとインクを出して、こまめにメモを取っているようだ。町の噂を書き留めているのだろう。研究熱心だ。

 長い羽根ペンとインク壺をどうやって懐にしまっているのかは、よくわからないのだけど。


 少女の方は、その隣でのんびりとお茶を飲んでいる。

 落ち着いた様子で、少年が隣にいるだけで、満ち足りているようにも見える。

 兄妹のようにも見えるが、もしかしたら若夫婦かもしれない。


 リアナが、そんなことを考えていると──




「まったくたいしたお方だ。ソフィア殿下という方は!」




 茶屋にいる町の者が、不意に声をあげた。

 姉の名前に反応して、リアナの肩が、びくん、と震える。

 彼女は緊張した表情で、うわさ話に耳を澄ませた。



「ソフィア殿下のおかげで、この町もずいぶんと良くなったよ」

「あのような姫君がいらっしゃるとは思わなかったよ。殿下は今日も外に出て、兵士たちをねぎらわれているそうだ」

「しかも、ご自身もお強いんだよな。魔術で魔獣を粉々にされたそうだ」



(……そうですね。姉さまは、魔獣と戦われたのでした)



 そんなソフィアを、リアナは知らない。

 けれど、民が話しているくらいだから、事実なのだろう。


 さらに、人々の話は続いている。



「新種の魔獣を討伐されたとき、ソフィア殿下は守護精霊を呼び出されたそうだぜ!」

「知ってる知ってる。魔獣を怯えさせるほどの存在を召喚されたんだよな」



(……姉さまが守護精霊を!?)



 知らない。ありえない。

 そんな魔術はリアナだって知らない。


 でも、町の者はそう言っている。

 しかも彼らの話はまだまだ続く。



「これは噂だけどね。ソフィア殿下は、動物と話ができるみたいよ」

「だからあの方のまわりには、フクロウや猫が集まっているのね」

「本当に、神秘的なお方ね……」



(姉さまが動物と会話する力を!?)



「国境の交易所だって、殿下のお力があったからこそ出来上がったんだよな」

「まさか国境で商売のチャンスが得られるなんて思わなかったよ」

「魔王領も、殿下のお力を認めているんだろうな」



(あの魔王領が……姉さまの力を認めているのですか!? 『魔獣ガルガロッサ』をあっという間に倒した。あのおそるべき魔王が!? そんな!!)



「ソフィア殿下が交易所にたびたび出掛けているのも、その関係だろうな」

「戻るたびに、お元気になられているようだ」

「殿下が交易所で温泉を掘り当てたってうわさもあるよね。だから元気になっているのかな」



(ソフィア姉さま……あなたは勇者のように超覚醒してしまったのですか……?)



 リアナはカップに口をつけたまま、硬直していた。


 光の魔術で魔獣を粉々にする。

 守護精霊を呼び出す。

 動物と話をする。

 魔王領に力を認めさせる。

 温泉を掘り当てる。


 そんなソフィアを、リアナは知らない。

 双子の姉のことなのに、別人の話を聞かされているようだった。


 もちろん、町の者の言うことだ。真実とは限らない。

 それでも──ある程度の真実は含まれているのだろう。

 この町の民はリアナよりもずっと、ソフィアの近くにいるのだから。


(……大公さま。私はやはり……姉さまのことをなにも知らなかったのです。私は……なんて……物知らずな……)


「どうかしましたか? レイラさん」

「は、はい!」


 偽名で呼ばれて、リアナは思わず顔をあげた。

 ふと見ると、職人の少年が、心配そうに彼女を見ていた。


「気分でも悪いんですか?」

「い、いいえ。大丈夫です。お茶もおいしいですから」


 リアナはかぶりを振って、お茶を口にふくんだ。

 隣にいるノナは……心配そうな顔をしている。


「……大丈夫です。ノナさま」


 ノナにそう告げて、リアナは少年少女の方を見た。


「あなた方はソフィア殿下のお姿をご覧になったことはあるのですか?」

「はい。幸運にも何度か、近くで」

「そうなのですか……」

「ソフィア殿下とは、やはりうわさ通りのお方なのでしょうか?」


 口ごもったリアナの代わりに、ノナが問いかける。

 リアナが妹だとばれないように、助け船を出してくれたのだろう。


「いえ……俺はソフィア殿下は、噂以上のお方だと思っています」

「噂以上の?」

「とても勇敢で、ときどき思いもよらないことをして、好奇心も旺盛な、そんなお方ですね」

「親しい方のようにおっしゃいますね」

「すいません。失礼でしたね。お詫びします」

「いえ、それほど殿下が、親しみのある方だとは思いませんでした」

「近くの町に住む者の勝手な感想です。聞き流してください」


 少年はそう言って、笑った。


「殿下がいらしたことで、帝国の兵士の方々が国境地帯を守ってくださるようになりました。そのおかげで、近くの町に住む俺たちも移動がしやすくなったんです。本当に殿下には感謝しています」

「わ、私も、ソフィア殿下はいいお方だと思うので! 尊敬していますので!」


 赤い髪の少女も、こくこく、とうなずいている。

 彼らにとって、リアナの姉は親しみやすく、尊敬できる者のようだ。

 それ以上の質問は必要ないような気がして──リアナは口ごもる。

 自分にはないものを姉が持っている。それがわかってしまったから。


「それじゃ、帝都の話を聞かせてもらえますか?」


 少年が、副官のノナを見て言った。


「街道警備の方なら、帝都にも行かれるのでしょう?」

「は、はい。数ヶ月に一度、報告を兼ねて」

「帝都って……えっと、兵士の方にとって暮らしやすいところですか? 不便なところとか、こうしたらいいのにな、とか、ってありますか?」

「帝都は、偉大なる帝国の首都です」


 兵士ノナは少年に向けて、そう言った。


「人と文化の中心地ですからね。治安もいいですし、大抵のものは手に入ります。なにより、皇帝陛下のお膝元です。入って来る情報も、得られる技術も、おそらくは大陸一でしょう」

「そういうものですか」

「『ノーザの町』も人が多くなってきているようですが、まだまだ帝都には及びませんよ」

「もっと南の方はどうですか?」


 少年は言った。


「南方での戦争って、まだ続いているんですか?」

「小国連合との小競り合いですね。詳しいことは話せませんが……」

「話せる範囲でいいです」

「なぜ、そのようなことに興味を?」

「俺は職人です。国が変われば、必要となるものも変わります。これからの変化を見据えて、みんなの役に立つものを作りたいんです」

「立派な心意気ですね」

「……私も、そう思います」


 気づくと、リアナは少年の言葉にうなずいていた。

 少年の目は輝いている。彼は、自分の仕事に誇りを持っているのだろう。

 その彼を、隣の少女は温かい目で見つめている。

 リアナはそのふたりが、なぜか、とてもうらやましかった。


「南方戦線は、帝国の勝利で終わりますよ。間もなく。帝国の圧倒的な力をもって」


 しばらく間を置いてから、ノナは言った。


「兵士の間ではそういう話になっています。言えるのはそれくらいですね」

「ありがとうございます」


 少年はそれで満足したようだった。

 羊皮紙にメモを取り、ぶつぶつと「これから作るべきものは──」とつぶやいている。

 彼の作るものが国を動かすことはないだろうけれど、立派な心意気だと思う。


(姉さまも、こうして民と触れ合うことで、変わられたのでしょうか……)


 そんなことを考えながら、リナアは町の様子を眺めていた。


 茶屋は大通りに面している。ここからだと人の流れがよくわかる。

 姉は桁外れの存在になってしまったようだけれど、町は普通のままだ。

 違うのは、フクロウと猫が多いことくらいか。

『ノーザの町』の者たちが、害虫やネズミ避けのために世話していると聞いている。


 お茶屋の前にも、猫がいる。

 小さな白い子猫と、黒い子猫だ。

 白猫の方は、じっとリアナを見ている。不思議そうに首をかしげて、近づこうか迷っているようだ。黒い子猫の方に顔を近づけて、なにか話し合っているようにも見える。


 そういえば姉さまは小さな生き物が好きだった──そう考えて、リアナは猫に手を伸ばす。

 けれど白猫はするり、と身をかわして、少年と少女の方へ。

 迷いなく少年の膝に乗り、小さな声で、何かを言った。


「……え?」


 不意に、少年が目を見開き──リアナを見た。


「どうかなさいましたか?」

「……いえ、なんでもないです」

『……にゃんにゃにゃにゃんにゃにゃ』


 少年と白猫が首を横に振る。


「それより、そろそろソフィア殿下が戻られるのではないかと思います」

「どうしてわかるのですか?」


 猫に聞いたのだろうか。

 そう思うリアナに、少年は外を向いて、


「町の入り口の方が、騒がしくなっていますから」

「……ああ、そういうことですか」

「行きましょう」「行くので」


 少年少女とリアナたちは会計を済ませ、席を立つ。

 職人の少年と赤い髪の少女が並んで歩き、リアナとノナは、その後をついていく。

 大通りに出ると、町の門の前に、人が集まっているのが見えた。


(これから、ソフィア姉さまが戻ってくる。そうしたら私は姉さまの姿を見て……)


 その後でどうしたいのか、リアナにはまだわからない。


 高官会議には『リアナ皇女はソフィア皇女に会いに行くことを禁じる』と言われている。

 だが、大公カロンは『ノーザの町に入るなとは言われていない』と言ってくれた。

 その上、彼は出発前に、



『リアナ殿下がソフィア殿下に会いに行くことは禁じられている。だが、ソフィア殿下が偶然、リアナ殿下を見つけて、会いたいと思ったのなら問題あるまい?』



 ──そんなことを言ってくれたのだ。

 無茶な理屈だ。リアナにも、それくらいはわかる。

 けれど、大公カロンが親切心で言ってくれたこともわかるのだった。


「……殿下。間もなくのようです」

「……はい。ノナさま」


 耳元でささやくノナに、リアナはうなずき返す。

 とにかく、姉の姿を見たい。

 そう考えて、町の門に向けて歩いていく。


 だから、騒ぎに気づくのが遅れた。




「だ、誰か! そいつを捕まえて──っ!!」




 叫び声が聞こえた。

 反射的に声の方を見ると──路地の前で女性が倒れている。

 通りの向こうでは短剣を持った男が、幼い少女を小脇に抱えて走って行く。


「強盗が……私の子を──! 誰か──っ!!」


 女性の足元には銅貨と銀貨が散らばっている。

 恐らく、女性から金を奪おうとした男が抵抗されて、子どもを奪って逃げたのだと。


「来るな! 誰も来るな! 来たらこいつを──!」


 男が短剣を振り上げる。

 ノナが許可を求めるように、リアナを見る。

 リアナはうなずき、ローブの下に隠した短剣を握りしめ、走り出す。


(姉さまの町で、狼藉者ろうぜきものを許すわけには──!)


 ──だが、遠い。

 誰かが男の動きを止めてくれれば。そう思ったとき──




『オマワリサーン! アイザックジャナイオマワリサーン!!』




 びくうっ!!



 人混みの中から声が響き、子どもを抱えた男が、硬直した。

 その手から力が抜け、短剣が落ちる。


 なにか恐ろしい者の気配を感じたように、男は左右を見回す。

 その直後──



「悪い人は許さないので!!」



 赤い髪の少女が、男の腕をつかんで拘束こうそくしていた。


(いつの間に!?)


 リアナとノナは、事件に気づいてすぐに走り出した。

 職人の少年と赤い髪の少女は、ふたりの近くにいたはずだ。

 なのに、どうして少女が、すでに強盗の隣に? 

 素早く雑踏をすり抜けたとでも言うのだろうか。水のように?


「は、放せ──!」


 男が少女の手をふりほどこうとする。

 だが、少女はびくともしない。

 それどころか空いた手で、男のもう片方の手を掴み、ひねりあげる。


「大丈夫?」


 少女は優しい表情で、解放された子どもへと笑いかける。


「怖かったね。でも、もう大丈夫なので」

「……う、うん」

「この人は、兵士さんに引き渡すので」


 くるん。


 赤い髪の少女はあっさりと、男を地面へと引き倒した。

 軽々と。

 まるで、紙の人形を振り回しているように。


 リアナの背中に冷や汗が伝う。

 まさか国境地帯に、これほどの強者つわものがいるとは思わなかったのだ。



『オマワリサーン! ハヤクキテ、オマワリサーン!!』



 雑踏から声が鳴り響く。

 そのたびに男の身体は鞭で打たれたように痙攣けいれんする。

 表情は怯え、まるで巨大な生き物を目にしているかのようだ。

 そして──



「「「呼んだか?」」」



 騒ぎを聞きつけたのか、道の向こうから兵士たちがやってくる。

 帝国兵だ。全員、槍を持っている。


「この人が、子どもをさらおうとしていたので。捕まえたので」

「おお! すまない。我らが気づくべきだった」

「とにかく、引き渡すので」


 赤い髪の少女が男を、兵士たちに引き渡す。

 強盗の男は抵抗をやめていた。

 恐怖に怯え、ただ、震えているだけだった。


「ありがとう。それで君は──?」

「急ぐので失礼するので、それでは!!」


 赤い髪の少女はそう言って、人混みの中へと走り込んだ。

 残された兵士たちは、男を縛り上げる。

 それから、彼らは町の人々に向かって声をあげた。


「対応が遅れて申し訳ない! 我ら治安部隊は新設されたばかりで、連絡がうまく行っていなかったようだ」


 兵士のひとりが、民に向かって頭を下げた。

 それから、彼らは一斉に、



「我らは、アイザック部隊長直属の部隊である」

「『ノーザの町』の治安維持を担当する『オマワリサン部隊』とは我々のこと」

「人の出入りが増えたため、ソフィア殿下とアイザック部隊長の許可を得て、部隊を創設したのだ。困ったことがあったら、部隊の本部まで来るがいい」



 そう言って、兵士たちは男を引っ立てていく。

 人々は、それを拍手で見送っていた。


(……治安維持のための『オマワリサン部隊』……そんなものまで)


 交易所ができて、人が増えれば、よからぬ者も入って来る。

 だから人々を守る部隊を作る。

 姉のソフィアは、そこまで考えていたのだ。


(では、さっきの少年と少女も。その仲間の?)


 そう考えると、あの2人が姉について詳しかったのも説明がつく。

 赤い髪の少女が、怖いくらいに素早かった理由も。


(姉さまは……この町を……これほど見事に治めていらっしゃるのですか……)


 ぐらり、と、足元が揺らいだような気がした。

 自分は姉のことを、なにもわかっていなかった。

 改めてそれを思い知らされたのだ。


「もしかしたら、ソフィア殿下はこの国境の地で、新たな人材を見つけられたのかもしれません」

「人材を?」

「はい。そうでなければ、短期間でこれほど、町が変わるはずがありません」

「そうかもしれません。でも、その人材を手に入れたのも、姉さまのお力なのでしょう?」

「……殿下」

「門に向かいましょう。私は今の姉さまを、見てみたいのです」


 リアナは町の門に向かって歩き出す。

 心臓が、ばくばく、と、鳴っているのがわかる。


 そういえば、あの少年と少女にお礼を言うことができなかった。

 話を聞いてくれたこと。色々と教えてくれたこと。民と話す、貴重な機会をくれたこと──次に会ったらお礼を言わなければ。

 帝国の姫君としてではなく、ソフィアの妹として。姉の名を汚さないように。


「ソフィア殿下がいらっしゃった!」


 町の門の方から、声がした。

 兵士たちに守られて、馬車が町に入ってくる。小さな馬車だ。

 窓のところで、ドレス姿の少女が手を振っている。


「……あれが、ソフィア姉さま?」


 思わずリアナは目をこすった。

 馬車の中にいる姉が、輝いているように見えたからだ。

 もちろん、目の錯覚だろう。

 ソフィアはただ、穏やかな笑みを浮かべているだけだ。


 それでも彼女は、リアナの知る姉とは別人のようだった。

 瞳は生命力に輝き。肌もつやつやとしている。

 民に向かって振る手は力強く、帝都にいた頃のひ弱さは感じさせない。

 なにより、姉の表情が不思議だった。

 まるで大切な誰かに会うことを期待しているような、そんな顔で、ソフィアはまわりを見回している。もちろん、探しているのはリアナではないだろう。

 リアナがここにいることを、ソフィアは知らないのだから。


 なのに、目が合った。

 ソフィアの視線が、フードを被ったリアナのところで止まった。

 こちらを見ているソフィアが、不思議そうに首をかしげる。


 そして──


「……行きましょう。ノナさま」

「……よろしいのですか?」

「……無理です! 今の私は姉さまと……どんな顔をして会えばいいのかわからない……」


 つぶやいてリアナはきびすを返した。

 そうして人混みに紛れるようにして、路地へ。

 ソフィアの行列が去って、人が少なくなってから──逃げるように町の外へと出たのだった。








「本当によろしかったのですか? 殿下」


 町を出たところで、ノナが立ち止まる。

 後ろをついてくるリアナの方を振り返り、問いかける。


「ソフィア殿下がリアナ殿下に会うことを望まれたなら、命令違反にはならない。大公さまはそうおっしゃっていましたのに」

「……これでいいのです。ノナさま」


 リアナはかぶりを振った。


「今の私には、ソフィア姉さまの前に立つ資格はありません」

「しかし、殿下」

「私の使命は、新種の魔獣の調査です。まずはその役目を果たして、功績を挙げます。ソフィア姉さまにお目に掛かるのはそれからです」

「ご無理をなさることは──」

「無理などではありません!」


 気づくと、リアナは声をあげていた。


「私は帝国の姫として、姉さまほどの成果をあげていないのです。それでなんの面目あって、姉さまに会うことができましょうか! 功績です。まずは功績をあげるのです。そのためには……私が先頭に立って、魔獣の調査と、討伐を」

「本当に、よろしいのですね?」

「幸い、私の正体は誰にもばれてはおりません。姉も、あの一瞬では私がリアナだとは気づかなかったでしょう。私とノナさまが黙っていれば、リアナはここにいなかったことになるのです」


 帝国の姫君らしく功績を立てよう。姉に負けないくらいの功績を。

 そうすれば堂々と、ソフィアの前に立てるだろう。

 幸いにも、リアナがここにいることは、誰も気づいていないのだから──




「恐れながらお伺いします。ソフィア殿下の妹君でいらっしゃいますか?」




 振り返ると──そこには、さっきまで一緒にいた少年と、少女がいた。


 少年は白い猫を抱いている。茶屋で見かけた猫だ。

 猫は前脚でリアナを指し示して、なにかをつぶやいている。

 少女は少年を守るように、じっとこちらを見ている。リアナとノナが剣を抜いたら、すぐに動けるような体勢だ。


 少年は一礼して、ふたたび、リアナに問いかける。


「再度おうかがいいたします。そこにいらっしゃるのはソフィア・ドルガリア殿下の双子の妹君、リアナ・ドルガリア殿下でいらっしゃいますか?」

「そなたは……一体何者なのだ?」


 副官ノナが腰の剣に手を伸ばす。

 同時に、少年が少女の背中から降りる。少女が警戒するように、ノナを見る。


「おやめなさい。ノナさま」

「レイラさま……いや、レイラさん?」

「あなたにもおわかりでしょう? あの少女は、ただ者ではありません」


 あの少女の強さは未知数だ。戦うべきではない。

 リアナの戦士としての本能が、そう告げていた。


「どうしてそんな誤解を?」


 だからリアナは、穏やかな声で問いかける。


「リアナ・ドルガリアさまのお名前は存じております。ですが、あのようなお方と私を間違えるのは、殿下に対して失礼ではないでしょうか?」

「俺には、光の魔力に詳しい友人がいるんです」

『にゃあ』

「その子が教えてくれました。強い光の魔力を感じると」

「──!?」

「ソフィア殿下と同じような魔力だそうです。そんな光の魔力の持ち主は、リアナ・ドルガリア殿下しかいらっしゃらないと思いましたので」

「……あなたは」

「ソフィア殿下にも、すでに事情をお伝えしてあります」


 少年は言った。

 その後ろ──町の方角から、馬が近づいてくる。


 乗っているのは2人。

 ひとりは兵士。その後ろに、フードとマントで顔を隠した少女がいる。

 少女の手には黒い子猫がいる。さっき町の茶屋で、白い猫と一緒にいた子だ。



「久しぶりですね。リアナ」



 馬上で、少女がフードを上げた。

 艶のある白い肌。リアナより少し短い、桜色の髪。


 リアナの姉、ソフィア・ドルガリアがそこにいた。


「……ソフィア姉さま」

「せっかく来たのに、どうして、帰ってしまうのですか?」


 ソフィアは少年の手を借りて、馬から下りた。

 そうして、リアナに向かって手を差し伸べて──


「いらっしゃい、リアナ。話したいことがたくさんあります」


 ──優しい笑みを浮かべながら、リアナの姉ソフィアは、そんなことを言ったのだった。

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