第105話「聖剣についてたずねる」

「ソフィア・ドルガリアです。お風呂に入らせていただきます」

「……失礼します。錬金術師さま」


 浴室からふたりの少女の声がした。

 ソフィア皇女と、リアナ皇女だ。


 ここは、交易所にある休憩所。

 俺とメイベルは隠し部屋で、2人が来るのを待っていた。

 今日はここでソフィア皇女たちと密談をすることになっている。


 場所を交易所にしたのは、『ノーザの町』には今、大公カロンの部下がいるからだ。


『魔獣調査』を終えた彼らは、リアナ皇女を町まで送り、その後は動かずに大公カロンが来るのを待っている。

 彼らの中には俺やメイベル、アグニスの顔を知っている者もいる。

 俺たちがソフィア皇女の元を訪ねたら気づかれるだろうし、話に聞き耳を立てる者もいるかもしれない。


 だったら、ソフィア皇女がお忍びでここに来た方がいいと考えたんだ。

 ここなら俺もソフィア皇女も、心置きなく話ができるからね。


 隠し部屋にいるのは、俺とメイベル。

 アグニスは休憩所の前で、ライゼンガ将軍の部下と一緒に見張りを務めてくれている。あくまでも、念のためだけど。


「お待ちしておりました。ソフィア殿下、リアナ殿下」


 俺は壁越しに声をかけた。


「錬金術師トール・カナンです。隠し部屋に控えております」

「メイベル・リフレインと申します」

「お話をする機会をいただいたことに感謝しています。まずは、おふたりともおくつろぎください」


 俺はふたりにお風呂を勧めて、落ち着いたら話を始めてくれるように言った。

 せっかく来たんだ。まずは自慢の『しゅわしゅわ風呂』を楽しんでもらおう。


「ありがとうございます。トール・カナンさま。メイベルさま」

「お言葉に甘えます……ありがとう」


 ソフィア皇女とリアナ皇女から、お礼の言葉が返ってくる。

 そうして俺とメイベルは隠し部屋の床に座って、ふたりの皇女が落ち着くのを待つことにしたのだった。



 ちゃぽん。


「……はふぅ」



 しばらくして、ソフィア皇女のため息が聞こえた。


「……やっぱり……落ち着きますね。ここは」

「……あの、姉さま。湯船のお湯がしゅわしゅわしているのですが……」

「やはり、トール・カナンさまが作ってくださったお風呂はすばらしいです……」

「身体に湯気が集まってきます! しかも、キラキラしております! なにが起きているのですか!?」

「落ち着きなさい。リアナ。来る前に説明したではありませんか」

「聞いておりましたけれど……これほどのものとは……」

「子どもの頃に言いましたよね? お風呂で騒いではいけません。湯船で泳いではいけません、と。お風呂は静かに入るものですよ。リアナ」

「はい」

「…………」

「…………」



「「…………はぅ」」



 ふたりとも、落ち着いたみたいだ。


「湯加減はいかがでしょうか」


 俺は隠し部屋から声をかけた。



「はい。ちょうどいいです。ゆったりできます」

「熱すぎず、ぬるすぎず……いつまででも入っていられそうです……」



 ふたりの声が返ってくる。


「それに……不思議です……戦いで消耗した魔力が回復して……身体のすみずみまで行き渡っていくような感じがいたします……気持ちがいいです……」


 特に、リアナ皇女はすごくよろこんでくれてる。

 彼女は長旅で疲れている上に、『魔獣ノーゼリアス』との戦いで大量の『光の魔力』を使ってる。

『しゅわしゅわ風呂』はその疲れを癒やして、魔力の回復を早めてくれるはずだ。


「そろそろお話をしてもよろしいでしょうか。殿下」

「はい」「な、なんでしょうか?」


 ……そういえばふたりとも殿下だった。


「ソフィア殿下におうかがいします。お話があるとのことでしたが、それは『魔獣調査』についてでしょうか?」

「いえ、そちらとは別の件になります」

「別の件ですか?」

「『魔獣調査』に関わる件でもあるのですが……その前に、リアナがトール・カナンさまとお話をしたいそうです。よろしいでしょうか?」

「はい。いいですよ」


 ちょうどいい。俺もリアナ皇女と話をしたかったんだ。


『お掃除ロボット』に持たせたアドバイスがどんなふうに役立ったか、それに聖剣がどんなふうに反応したか、詳しく聞きたかった。

 となると、ソフィア皇女のことだから──


「では、そちらに参りますね」


 やっぱり。


 もちろん、こうなることは予想していた。

 ソフィア皇女は前回『謎光線があるから安心』といって、なにも着ないで隠し部屋に来たからだ。それを踏まえて、今回は用意したものがある。


「ソフィア殿下。脱衣所に用意した湯浴み着ですが──」

「はい。とても着心地のよいものですね」

「着てくださっているのですね?」

「そうですね。私は肩紐のついている方を使わせていただきました」

「リアナ殿下はもう片方を?」

「ええ。とても手触りがいいと言っておりました」


 ふたりとも湯浴み着を身につけているようだ。


 それに、ソフィア皇女の口調からすると、リアナ皇女は俺に重要な話があるようだ。

 となると。直接顔を合わせて話をした方がいいな。


「……湯浴み着を着てるなら、いいかな」

「……湯気と謎の光もありますからね」


 俺とメイベルはうなずいた。


「わかりました。それでは、隠し部屋にいらしてください。

「ありがとうございます。行きましょう。リアナ」

「ね、姉さま……」

「覚悟を決めなさい。リアナ、乙女に二言はありませんよ?」

「…………はい」



 ちゃぷん。



 ふたりが湯船から出た音がした。

 それからしばらくして、隠し部屋の扉が開いた。


 濃密な湯気が、浴室から流れ出てくる。

 同時に、安全対策のための光が飛んでくる。

 湯気と光に守られて──最初に隠し部屋に入ってきたのは、ソフィア皇女だった。


 彼女は桜色の髪を揺らして、照れたような表情だ。鎖骨のあたりから膝上までは、湯気と光に隠れている。見えるのは細い肩紐だけだ。ソフィア皇女は、ちゃんと湯浴み着を着ているらしい。

 彼女は上気した手で、リアナ皇女の手をつかんでいる。

 リアナ皇女は扉から顔だけ出して、こっちを見てる。姉の行動にびっくりしたように目を見開いてる。俺を見て、上気した顔がさらに真っ赤になる。彼女は隠し部屋に入るのをためらっているようだけど──


「大丈夫ですよ。リアナ。私たちの姿は湯気と光で隠されております」

「……でもでも、姉さま」

「あなたが言ったのでしょう? 皇女としてではなく一人の、ありのままの人間として、トール・カナンさまとお話がしたい、と」

「…………うぅ」

「もちろん、無理ならば、やめてもいいのですよ?」


 ソフィア皇女が、優しい声で告げる。

 その声を聞いたリアナ皇女は、目を閉じて、唇を結んで──

 なにかを決意したかのように顔を上げて、隠し部屋に足を踏み入れた。


「失礼いたします。錬金術師トールさま」


 そのまま彼女は床の上に膝を──って、え?

 リアナ皇女がひざまづいてる? 俺の前に? なんで?


「……どうなさったのですか。リアナ殿下」

「私はあなたさまに、お礼と……お詫びを申し上げたいのです?」

「お礼とお詫び?」

「まずはお礼から申し上げます。今回の『魔獣調査』で、私と大公カロンさまは、あなたに命を救われました。あなたさまの『お掃除ロボット』が情報を運んできてくださらなければ、私たちはなにもわからない状態で、『魔獣ノーゼリアス』と戦わなければいけませんでした」


 リアナ皇女は真っ赤な顔で、目を伏せたまま、一息に言い切った。


「聖剣についてのご助言も見事でした。あなたさまのお言葉があったからこそ、私は今まで以上に聖剣の力を引き出し、『魔獣ノーゼリアス』を両断することができたのです。おかげで、犠牲者も怪我人もありませんでした……なのに」


 細い肩が、小さく震えていた。

 リアナ皇女はひざまずいたまま、顔を上げようとしない。

 身体はちゃんと、湯気と光で隠されている。肩紐がないからわからないけれど、彼女は身体に巻くタイプの湯浴み着を着ているはずだ。


 なのに湯気のせいでなにも着ていないように見えてしまう。

 まるで身ひとつで裁きを待つような、たよりない姿に。


「私はあなたに、直接お礼を言うこともできませんでした。心臓がどきどきばくばくして、頭の中がかーっと、真っ白になって……前にあなたのことを『道具』などと言ってしまったことを思い出してしまい……どうしたらいいか、わからなくなってしまったのです。だから私は……あのその……あの」

「わかりました」

「……え?」

「リアナ殿下がお礼を言ってくださっていることと、以前、俺を『道具』と呼んだことを申し訳なく思っていることは理解しました。とりあえず、もう謝らなくてもいいですよ」


 彼女が湯浴み着ひとつで出てきた時点で、もう十分だと思う。

 皇位継承権を持つ皇女が、よく知らない相手の前に裸同然で現れるなんて、相当の覚悟がなきゃできない。

 ソフィア皇女の後押しがあったとはいえ、隠し部屋に出てくることを選んだのはリアナ皇女だ。

 彼女は護衛をひとりも連れずに、武器も持たずに、他国の民になった俺の前に現れた。

 それだけでお礼の気持ちと、謝りたい気持ちはわかった。もう十分だ。



「で、でも。それでは私の気が済みません! ちゃんと納得いくように、お礼をしなければ……」

「それでは、聖剣について教えていただけますか?」

「……聖剣について?」


 きょとんとした顔で首をかしげる、リアナ皇女。

 俺は彼女に向かってうなずいて、


「俺のアドバイスで聖剣の威力が増したんですよね? でも、俺は殿下が聖剣を振るうところを見ることができませんでした。だから、その時の聖剣がどんなふうだったのか、詳しく教えて欲しいんです。光の刃のサイズがどうなったかとか、魔力の流れがどうなったかを」

「は、はい。承知いたしました!」


 リアナ皇女は顔を上げ、目を輝かせた。


「具体的に申し上げます! すごかったです!」


 彼女は、興奮したように腕を振り上げて、 


「身体中の魔力がシュシュシュンッと聖剣に流れ込んで、まるで自分と聖剣がヒューンと一体化したかのようでした! それだけではなく! 魔力がグルルンと渦を巻いて──」

「リアナ……それではわかりませんよ?」


 その説明を、ソフィア皇女が止めた。


「もう少しわかりやすく説明した方がいいと思いますよ?」

「で、でも姉さま、錬金術師トールさまならおわかりになると……」

「それに甘えてはいけません」


 いや、別に構わないよ? だいたいわかるから。

 体内魔力がシュシュシュンッ──つまり、小刻みに高速で、ムラなく浸透していって、そのスピードが思ったよりもヒューンと速くて、浸透した魔力がグルルンと渦を巻いたんだよね? つまり中で増幅して光の刃を形成したんだよね?


「ごらんなさい。メイベルさまが困っていらっしゃいます」


 ソフィア皇女が、メイベルの方を見た。

 確かにメイベルは、難しい顔をしてる。今の説明ではわからなかったみたいだ。


「トール・カナンさまのお側にいらっしゃる方のことも考えなくてはなりません。トール・カナンさまだけに通じる言葉で話していては、まわりの方の不審を招くことにもなりましょう。どうすれば他の方にも伝わるのか考え、それを実行なさい。リアナ」

「は、はい! 姉さま!」


 リアナ皇女はうなずいた。

 考え込むように頭を抱えて、それから、桜色の髪から水滴を散らしながら、かぶりを振って──


「で、ではこの場で、聖剣を使うときの動きを実演いたします!」


 リアナ皇女は勢いよく立ち上がった。

 仁王立ちだった。

 両脚を軽く広げて、腰に手を。聖剣を装備しているような動きだ。


「言葉ではうまくお伝えできないような気がいたしますので、私の実際の動きをお見せして、魔力の流れについてお教えいたします! よ、よくご覧下さい!」

「いいのですか?」

「構いません。私もそれなりの覚悟をもって、ここに来ておりますので……」


 ……すごいことになった。

 帝国の姫君が目の前で、聖剣の使い方を実演してくれるのか。

 こんな機会、普通は絶対にありえない。


 今のリアナ皇女は聖剣を持っていないけれど、動きを見せてくれるだけでも十分だ。

 異国の者に伝えてもいい情報としては、これがぎりぎりだろう。聖剣の使い方がわかったところで、聖剣そのものがなければ意味はない。普通に考えれば、たいした情報にはならない。

 それでも、俺には計り知れない価値がある。

 俺はいつか聖剣を超える魔剣を作ろうって思っていた。だから、リアナ皇女がどんなふうに魔力運用してるのかを見せてもらえれば、すごく参考になるはずだ。


 いくら『魔獣調査』の件で感謝してるからって、ここまでしてくれるなんて……。

 ……やっぱり、いい人だな。リアナ皇女は。

 素直で一生懸命すぎて……危なっかしいくらいだ。

 

 聖剣の使い方を実演してくれるのは、そんなリアナ皇女の厚意によるものだ。

 彼女の気持ちを無にするわけにはいかない。

 というか錬金術師として、この機会を逃すのはあり得ない。

 見せてもらおう。彼女のすべてを。


 ……後ろでソフィア皇女が真っ赤な顔で額を押さえてるのが、少しだけ気になるけど。

 彼女は自分の湯浴み着の肩紐を引っ張って、ぱちん、と鳴らしてる。なにかの合図か、まるでリアナ皇女の注意を引こうとしてるみたいだけど……?


 メイベルは……うん。真面目な顔でリアナ皇女を見てるね。

 彼女もリアナ皇女が言い出したことにおどろいてるのかもしれない。

 でも、その視線が、リアナ皇女の肩から膝のあたりまで何度も往復してるのはどうしてだろう。


 ……2人のことを気にするのは後にしよう。

 今はリアナ皇女から、聖剣について教えてもらわないと。


「それでは、お願いします。リアナ殿下」

「は、はい。では、ご覧下さい!」




 それからリアナ皇女は、聖剣の使い方と、体内魔力の流れについて教えてくれた。


「──『聖剣の光刃』を解放する際は、このように聖剣を大上段に振りかぶります。背筋を伸ばすことで、体内魔力の流れと聖剣が一直線になるようにするのです。下腹部から頭頂部まで光の魔力がシュパー……いえ、噴水のように流れるようにイメージいたします。具体的にはここから、ここまでです」


 ──指さしながら魔力の流れを説明してくれたり。




「──その準備段階として、軽く腕を広げて周囲の光の魔力を集めます。両脚をぐん、と……軽く開いて地面を踏みしめ、さわさわ……皮膚で光の魔力を感じ取ります。そしてどくんどくんという心臓……このあたり……の鼓動を意識して──」


 ──実際にポーズを取って、魔力の吸収方法を教えてくれたり。



「──そしてこのまま腕を振り下ろしながら、『スバババーン』です。え? 錬金術師さまは『ズ、バババーン』の方がいいとお考えなのですか? そうですね……確かに、魔力の一斉放出という観点では、そちらの方がよいのかもしれません。背骨を意識して──もう少し近づかれても大丈夫ですよ? はい、そうです……それで──」


 ──剣を振るときの動きを実演してくれたりした。


 わかりやすかった。

『聖剣の姫君』が、目の前で聖剣を扱うところを実演してくれてるんだ。わからないはずがない。


 リアナ皇女は俺のリクエストに応じて、横を向いたり後ろを向いたりしてくれてる。すごく、動きがわかりやすい。

 もちろん、湯気と光のせいでリアナ皇女の身体は見えない。けれど、彼女は湯気の外から指さして、魔力を集中させるのがどの部分か教えてくれる。

 ソフィア皇女の『わかりやすく説明しなさい』という言葉を、忠実に守っているようだ。


 その指示を出した本人は、壁の方を向いちゃってるけど。

 ソフィア皇女は強力な『光の魔術』の使い手だからな。聖剣には興味がないのか。

 同じように壁の方を向いているメイベルは……魔王領の者として、聖剣の秘密には触れないように気を遣っているのかもしれない。さすがだ。


 そんな2人の前で、俺とリアナ皇女は聖剣について語り続ける。


「殿下。大上段から振り下ろすだけではなく、突きと同時に光の魔力を放出するのはどうでしょうか?」

「突き、ですか?」

「この場合は一斉放出ではなく、出力をコントロールする感じになります。わかりやすく言うと『シュパーン』ですね。高威力の場合は『シュッ、パーン』。弱の場合は『シパーン』になりますが」

「とてもよくわかります」

「振り下ろしと突きを取り混ぜた方が、戦いの幅が広がると考えますが」

「その場合の魔力の流れはどうなりますでしょうか?」

「噴水のように吸い上げた魔力を、胸の間で一度溜めて、真横に放出する感じとなります。下腹部より魔力をぐいっ、と引っ張って、このあたりでぐるぐる回す感じですね」

「面白い発想です! このあたりから魔力を、ですね?」

「もうちょっと下でしょうか」

「感覚的にはわかるのですが……」

「おへそから指3本分下です」

「もう少し近くで教えてくださいませ。突きの形に『聖剣の光刃』を放つことができれば……もっと効率的な戦闘も可能かと思います。私が実際に剣を突く動きをいたしますから、錬金術師さまは実際に魔力の流れを指で追ってくださ──」



「そこまでになさい。リアナ」



 不意にソフィア皇女が、ぱん、と手を叩いた。

 その音で俺とリアナ皇女は我に返った。


 リアナ皇女は一歩踏み出し、腕を引いて剣を構えるポーズ。

 俺はその横に立って、魔力の流れを指で追おうとしていた。


 いつの間にか、近づきすぎてた。

 一介の錬金術師と、皇女にふさわしい距離じゃなかった。


「──し、失礼しました。リアナ殿下」

「──い、いえ! こちらこそ、失礼を……」


 慌てて俺とリアナ皇女は距離を取る。

 ……いけないいけない。

 聖剣の説明を聞くのに、夢中になりすぎた。

 ソフィア皇女はリアナ皇女の肩に手を乗せてる。メイベルは……さっきから俺の服の裾を引っ張ってた。

 まったく、気がつかなかった。

 興味があることに集中しすぎてしまうのは悪い癖だよな……。


「申し訳ありませんでした。リアナ殿下」


 俺は、彼女に向かって頭を下げた。


 相手は皇位継承権を持つリアナ皇女だ。

 状況によっては、帝国の女帝になるかもしれない人だ。

 いくら話が合うからって、距離が近すぎた。失敗だ……。


「つい、話に夢中になってしまいました。お詫び申し上げます」

「い、いえ。それは私も同じです。錬金術師トールさまの説明がわかりやすくて……楽しすぎて……我を忘れてしまいました」

「残念ですけど、ここまでにしましょう」

「せっかく、新しい技を開発できそうでしたのに」

「『聖剣の光刃・突き』ヴァージョンについては、俺もあとで考えてみます。詳しいことがわかったら、お知らせします」

「ありがとうございます。錬金術師トールさま」


 リアナ皇女は俺に向かって頭を下げた。

 それから、真剣な表情で、


「そのお礼というわけではありませんが、皇女として……いえ、皇女の衣を脱ぎ捨てたひとりの人間としてお約束いたします。私は聖剣の力を錬金術師トールさまと、その大切な方々には、決して向けることはいたしません」


 リアナ皇女は胸のあたりに手を当てて、宣言した。


「錬金術師トールさまからは、よりよい聖剣の使い方を伝授いただきました。その力をあなたさまや、その大切な人に向けるのは……人として、正しいやり方ではないと思うのです」

「……リアナ殿下」

「未熟な私の言葉です。信じていただけるかどうかはわかりませんが」

「いいえ、信じます」


 リアナ皇女は文字通り、皇女の衣を脱ぎ捨ててここに来ている。

 その彼女が約束してくれたなら、信じよう。


「ありがとうございます。リアナ殿下……ソフィア殿下も」

「錬金術師さま?」

「トール・カナンさま?」

「おふたりのような方が帝国にいてくださったというだけで、なんとなく、救われたような気がします」


 帝国のことは大っ嫌いだけどな。

 でも、そのトップ──皇帝一族の中にも、こうやって生身で向き合って、話をしてくれる人はいたんだ。


『ノーザの町』にソフィア皇女がいて、帝都にリアナ皇女がいるなら、魔王領との関係も平和なままでいられるだろう。きっと。


「俺はリアナ殿下を信じます。俺は……殿下がこうして話を聞いてくださる方であることを知っています。ですから、ひとりの人間……錬金術師として、リアナ殿下を信頼いたします」

「……錬金術師トールさま」

「ご安心を。いざと言う時は、私がリアナを叱って差し上げますから」


 ソフィア皇女は濡れた髪をかきあげて、不敵な笑みを浮かべた。


「私が帝国側の者として、この約束の立会人となりましょう」

「特に立会人とかは必要ないと思いますが……」

「今日、この日の記念のようなものです。もちろん、私もリアナを信じておりますよ」


 そう言って、うれしそうに手を叩くソフィア皇女。

 それから、彼女は真面目な顔になり、


「私からも、トール・カナンさまにお礼を申し上げます。『魔獣調査』でリアナを助けていただき、ありがとうございました。あなたは……私の妹を大きく成長させてくださいました」

「……姉さま」

「さて、リアナの件はここまでですね」


 再び、ぱん、と手を叩いた。


「では、私の方の話をさせていただきましょう」

「『魔獣調査』にまつわるお話ですね?」

「正確には、『魔獣調査』の際に、大公カロンさまからご提案いただいたお話になります」


 ソフィア皇女は、リアナ皇女の方を見た。

 リアナ皇女がうなずくのを確認して、話を続ける。


「大公カロンさまは私とリアナに、昔、帝国で起きたことについて話をしてくださるとおっしゃいました。その場に、トール・カナンさまも同席していただきたいのです」


 そうして、ソフィア皇女は説明をはじめた。


 調査を始めた時点で、大公カロンは『魔獣召喚』に帝国の者が関わっていると予想していたこと。

 その原因が、帝国のかつての過ちにあったらしいこと。


 かつて皇帝一族が、失ってはいけない人を失い、それが現在も尾を引いていること。

 それが今回の魔獣召喚事件の遠因にもなっている可能性があること。

 過去の事件にヴォイド・リーガス──当時の剣聖が関わっているかもしれないこと。


「大公カロンさまは『魔獣調査』が終わったら、私とリアナに詳しいお話をしてくださると約束されました。トール・カナンさまが立ち会うのも構わないとのことです。あなたさまがご希望されるのであれば、ぜひにと思うのですが」

「大公さまが、俺にも……?」

「トール・カナンさまの身の安全は私が保証いたします。もっとも、大公さまは良い方ですので、ご同席されても危険があるわけではないのですが……」

「俺も、大公さまは嫌いではないです。でも──」


 かつての過ちってなんだろう?

 それにうちの祖父──ヴォイド・リーガスが関わっていた……って。

 祖父からはなにも聞いていない。もちろん、あの親父からも。


 俺は祖父のことはほとんど知らない。

 祖父の方も、俺には関心を持っていなかった。

 というかうちの親父が「貴様が剣聖だった方の前に出られると思うか!」と言って、俺を祖父と会わせようとしなかった。


 その上、俺が物心ついた頃には、祖父はもう酒浸りだった。

 話す機会もないままに、あの人は旅の途中で盗賊に襲われて、あっさり死んでしまったんだ。


 その祖父の過去の話は。もちろん、興味がある。

 

「けれど、俺はうかがった話の内容を魔王領の方に……魔王陛下やメイベルたちに伝えることになります。それでもいいですか?」

「構いません」


 俺の言葉に、ソフィア皇女はうなずいた。


「トール・カナンさまの同席を許可された以上、それは大公さまも、ご承知の上でしょう」

「聞いたままを正確にお伝えするかもしれませんが、それでも?」

「問題ないと思います。大公さまも、魔王領の方々には伝えたくないことについては、省略されるかと」

「わかりました。それでは、同席させていただきます」


 俺はソフィア皇女に向かって頭を下げた。


「貴重な機会をいただいたことに感謝いたします。ソフィア殿下、リアナ殿下」

「お気になさらないでください。こちらから、ご一緒してくださるようにお願いしたのですから」

「そ、そうです。錬金術師さま」


 ソフィア皇女とリアナ皇女はそう言ってくれるけど……これは俺にとって貴重な機会だ。


 もしかしたら、帝国が今のようになってしまった理由がわかるかもしれない。

 あるいは、勇者召喚の秘密も。


 まぁ、今さらこの世界に勇者を召喚して、戦わせる理由はなにひとつないんだけど。

 あ、でも、勇者世界のマジックアイテムについて教えを乞うのはいいな。

 召喚して『通販カタログ』を見せて、掲載されているマジックアイテムの秘密を根掘り葉掘り聞くのはいいな。すごくいいな。

 そうしてすぐに帰ってもらえば、こっちの世界に影響はないわけだし。


 でも……あの戦闘民族とまともに話ができるんだろうか。

 うちの親父とか、帝国の兵士たちと同じような性格──その強化版だったらどうしよう。

 ……やっぱり、勇者召喚には手を出さない方がいいか。


 とにかく、大公の話は聞くことにしよう。それは確定だ。そんな機会を逃すわけにはいかない。

 問題は、話の内容をもれなく記録する方法だな。

 ルキエやメイベルには、正確にすべてを伝えたい。

 だけど羊皮紙に記録を取りながら話を聞くわけにはいかない。そんなことをしたら、大公カロンを警戒させてしまう。


 となると、記録用のマジックアイテムを作る必要があるな。


 ……確か『通販カタログ』に、記録用のマジックアイテムが載っていたような。

 キャッチコピーに『このアイテムがあれば、嫌な上司もノックアウト』って書いてあったやつだ。

 記録と魔術に使えるものらしい。帰ったら調べてみよう。


「それでは、大公さまにお目にかかるまでに準備をしておきます」

「はい。私の方も『ノーザの町』に戻り次第、大公さまとお話をしてみますね」


 ソフィア皇女は言った。

 日程が決まったら、俺の方に連絡してくれるそうだ。

 俺もそれまでに、魔王陛下と宰相ケルヴさんに話を通しておこう。


 そうして密談は終わり、ソフィア皇女とリアナ皇女は、お風呂場に戻っていった。


『しゅわしゅわ風呂』の効果が効いてるから、湯冷めをすることはない。

 でも、いつまでも湯浴み着一枚の2人と向き合ってるわけにもいかないからね。


 ソフィア皇女は二度目だからか、冷静そのものだった。

 でも、リアナ皇女は──聖剣の説明を終えて我に返ったのか、湯気が出そうなくらい真っ赤になっていた。

 結局、頬を押さえながら、俺の方を見ることなく風呂場に戻っていってしまったんだ。


 それから、しばらくして──



「「はふぅ」」



 また、湯船に浸かったふたりの、ため息が聞こえてきた。


「……トール・カナンさまに、お願いがございます」


 ふと、リアナ皇女がつぶやいた。


「私が間違った道を進まないように……姉さまと一緒に……私を、見守っていていただけませんか?」

「見守る、ですか?」

「……そ、そうです」

「それは……手紙のやりとりを通して、ということでしょうか?」


 俺は魔王領にいるし、ソフィア皇女は『ノーザの町』にいる。

 直接、リアナ皇女を見ていることはできない。

 だから、遠くから……ということになると思うんだけど。


「……はい。その通りです」


 しばらくすると、リアナ皇女の、ささやくような声が聞こえた。


「私はまだ未熟です。これから成長したいと思っていますが……以前のように、間違えることもあるかもしれません。けれど、尊敬する姉さまと錬金術師さまが見てくださっているなら、過ちを防ぐことができるような気がするのです」


 そう言って、リアナ皇女は、呼吸を整えてから、


「錬金術師トールさまの前なら、私は皇女の衣を脱ぎ捨てて……ただの女の子でいることができます。姉さまの前では、私はただの妹のリアナです。本当の私を理解して……見てくださっているおふたりに対して恥ずかしくないように、私は生きたいのです。ですから……」

「わかりました」


 俺は言った。


「リアナ殿下とは以前、手紙のやりとりをするって約束しましたからね。ソフィア殿下と一緒に、手紙を通して見守らせていただきます」

「ありがとうございます。錬金術師トールさま」

「では、私が手紙の取り次ぎをいたしますね」


 ソフィア皇女は笑った。

 苦笑いするような、不器用な妹が可愛くて仕方がないような、そんな声だった。


「申し訳ありません、トール・カナンさま。リアナは……めんどくさい子なのです」

「そうなんですか?」

「天才肌で感覚派。思い込んだら止まらない。ひとつのことに夢中になると他のことを忘れてしまう。自分がどんな状態なのかも、言われないと気がつかない。訓練によって、公式の場では皇女としての体裁は保てているようですが……姉としては先が心配です」


 ぱちん、と、紐を鳴らすような音がした。

 メイベルが「たぶん、湯浴み着の肩紐を鳴らしたのでしょう」と教えてくれる。

 そういえば、さっきも同じことをしてたな。どんな意味があるんだろう。


「…………ご忠告ありがとうございます。姉さま」


 消えそうな声で、リアナ皇女がつぶやいてる。

 すると、ソフィア皇女は内緒話をするみたいに、


「でも、そこがリアナのかわいいところでもあるのですよ? トール・カナンさま」

「ね、姉さま!? なにをおっしゃるのですか!?」

「あら? 姉として、妹を自慢するのは当然のことでは?」


 リアナ皇女の困ったような声と、ソフィア皇女の楽しそうな声。

 俺とメイベルは隠し部屋で、二人のやりとりを聞いていた。


 そうして、優しい時間が過ぎていき──お風呂の時間は終わった。

 ふたりは俺とメイベルにお礼を言って、浴室から出て行った。


 メイベルは先に隠し部屋を出て、浴室と脱衣所から、ふたりがいなくなったのを確認してくれた。

 彼女に呼ばれて脱衣所に向かうと、メイベルは2枚の湯浴み着を手に取り、首を傾げていた。


「どうしたの、メイベル」

「いえ。なんでもありません」


 そう言ってメイベルは2枚の湯浴み着をまとめて、『超小型簡易倉庫』に入れた。

 それから俺たちはまた、隠し部屋へ。

 ソフィア皇女とリアナ皇女、それから護衛の人たちが帰るのを待って、俺たちは外に出たのだった。






「お疲れさまでしたので。トールさま。メイベル」

「アグニスも、見張りありがとう」

「いえいえ、これくらいなんでもないので」


 メイド服姿のアグニスは笑った。

 俺たちは休憩所を離れて、天幕の方へ。


 今日はたくさん、収穫があった。

 いつもとは違う服を着たメイベルとアグニスを見ることもできたし、ソフィア皇女やリアナ皇女とも話ができた。休日にしては充実しすぎだ。


「それじゃ、買い物をして帰ろうか」

「はい。私は食材が買いたいです」

「天幕の市場に、おいしそうな果物があったので!」


 俺も、錬金術の素材になりそうなものがないか、改めてチェックすることにしよう。

 そんなことを考えながら、俺たちはまた、市が開かれている天幕へと向かったのだった。

 

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