第17話「少女アグニスの悩みを聞く(1)」
「これで『魔王城案内ツアー』はおしまいです。お疲れさまでした。トールさま」
数時間後、俺たちは自室に戻ってきた。
メイベルのおかげで、城のほとんどの部屋を回ることができた。
バルコニーでは、魔王領の景色を楽しんで。
ドワーフの料理長が管理する
図書室では、魔王領の歴史書を読ませてもらって。
魔王ルキエの執務室に寄ってあいさつをして。ついでに宰相のケルヴとも顔を合わせて。
魔王と上位の魔族、魔王城の賓客だけが使える風呂場に案内してもらって (まだ風呂は沸いていないので、見学だけ)。
俺たちは、部屋に戻って来たのだった。
とりあえず、魔王領にはいろいろな種族がいることがわかった。
魔王陛下直属の錬金術師としては、その種族の特徴に合わせたアイテムを作る必要がありそうだ。このあたりはまだまだ研究しないと。
「色々と参考になったよ。ありがとう。メイベル」
「どういたしまして。わからないことがあったら、なんでも言ってくださいね」
そう言って、メイベルは笑った。
「トールさまがこれから一番よく使われそうなのは……お風呂場でしょうか」
「そうだね。お風呂は好きだから、たまに使おうと思ってるよ」
「はい。あの場所は基本的に、自由に使っていただいて大丈夫です。ただ、入り口に『使用中』の札が出ているときは注意してくださいね。入ってすぐのところは、広い休憩スペースになってますので、他の方と出会うことも多いと思いますので」
「気をつけるよ。ありがとう」
「それと……将軍さまと、アグニスさまのことですけど」
ライゼンガ将軍と、その娘のアグニスさんか。
将軍に
「……トールさまには、お話しておいた方がいいと思うんです。実は──」
メイベルが言いかけたとき、ノックの音がした。
「失礼いたします。トール・リーガスさま。メイベル・リフレインはおりますでしょうか?」
「メイド長? し、失礼しますね。トールさま」
メイベルがドアを開けると、額に角の生えたメイドが廊下に立っていた。
「どうされましたか。メイド長」
「魔王陛下がメイベルをお呼びです。重要な相談があるそうです。『ティーカップは3人おそろいにした方がいいのではないか?』だそうですが……」
「もぅ。陛下ったら」
メイベルが笑みを浮かべて、トールを見た。
お茶会の話だろう。トール、ルキエ、メイベルの3人でティーカップをおそろいにするかどうか、メイベルに相談したいらしい。
「行っていいよ。メイベル。ちなみに俺はおそろいがいいと思う」
「承知いたしました。トールさま」
メイベルはメイド服のスカートをつまんで、一礼。
それからメイド長と一緒に、魔王ルキエの執務室の方へと歩き去った。
「それじゃ俺は、倉庫の整理でも──」
と思ったけど、今日は城内を歩き回って疲れてる。
慣れない場所だからか、妙にくたびれた。汗もかいている。
着替えて、ゆっくりしたいところなのだけど──
「お風呂、使えるかな」
最後に案内してもらった風呂場のことを思い出す。
あの場所は、自由に使っていいらしい。
魔王や上級魔族が使う場所だけれど、魔王ルキエは個人用の浴室があるし、上級魔族──たとえば、ライゼンガ将軍なんかは、川での水浴びで済ませてしまう。
だから滅多に使う者はいないと、メイベルは言ってた。
行ってみるか。
『使用中』の札が出てたら戻ってくればいい。
それに、せっかく魔王城の歩き方を教えてもらったからね。忘れないうちに復習しよう。
俺は着替えとタオルの準備をはじめた。
風呂場は魔王城の1階にある。
両開きの扉には『使用者なし』の札がかかっている。扉の横には掲示板があり、そこには入浴可能な時間と、主に使う人たちの名前が記されている。
お風呂が使えるのは午後6時から。それ以前は、行水なら可能。
6時から8時までの使用者はほとんどいなくて、8時以降は宰相のケルヴが使用する。
扉を開けると中は休憩スペース。その先が脱衣所になる。
左側が男湯で、右側が女湯。ただし魔王陛下が使用される場合は、男湯・女湯ともに使用不可になる。これは魔王の正体を隠すためだろう。
あとは『酔っ払っての入浴禁止』『
今は6時ちょっと過ぎ。お風呂の使用可能時間内。入浴中の札はなし。
少し考えてから、俺は風呂場のドアを開けた。
ドアを開けると、広い休憩スペースがあった。
寝椅子があって、壁際には水分補給用の水場がある。その向こうにはドアがふたつ。男女それぞれの脱衣所への入り口らしい。
休憩スペースに人の気配はない。
思わずほっと息をつく。
これで落ち着いて汗を流せるかな──と、思ってまわりを見ると、床の上に鎧が落ちていた。
火炎耐性を持つ
ライゼンガ将軍の娘、アグニスさんが着けていたものだ。
近くで見ると、詳しい情報がわかる。
この鎧には、『地属性』は2つ、付加されている。地属性を重ねることで強力な火炎耐性を実現しているらしい。動きやすいように、素材はやわらかめになってる。かなりの貴重品だ。
でも、やっぱり鎧の留め金がゆるんでいる。
おそらく、耐えきれないほどの火炎を浴び続けているのだろう。
修復したくなるけれど──この鎧の持ち主はライゼンガ将軍の娘さんだ。 勝手に触れたらただじゃ済まない。
それに、置いてあるのは鎧だけじゃない。
鎧の隣には
持ち主はどこにいるんだろう?
風呂場のドアには確かに、『入浴者なし』の札がかかってたはず。それに脱衣所はドアの向こうで、ここは休憩スペースだ。鎧を脱ぐ場所じゃない。
そんなことを考えながらまわりを見ると……俺は休憩スペースの隅に、小さなドアがあること気づいた。
開きっぱなしのドアの上には『サラマンダーの湯わかし場』の文字がある。風呂のお湯は、この部屋で湧かしているらしい。
サラマンダーといえば
アグニスさんが訪ねて来てもおかしくない。
それに……昼間のライゼンガ将軍の様子を見ると、あいさつしないで素通りしたら怒りを買うような気がする。
お風呂を使わせてもらうんだから、せめて一声かけるべきだろう。
そう思って、開いたままのドアに近づくと──
「こ、こら。いたずらしちゃだめだよ。もーっ」
はしゃぐような声がした。
薄暗い部屋の中を、3体のサラマンダーが飛び回ってる。
サラマンダーの大きさは1メートル前後。赤い
深紅の炎をまとい、息をするたび、口と鼻から火炎が噴き出している。
サラマンダーたちの中心には、赤い髪を持つ少女がいた。
炎を宿した髪を揺らしながら、踊るように身体を動かしている。
彼女が手を伸ばすたびに、指先から火炎が噴き出す。
炎はかまどに吸い込まれ、ぐつぐつという音と共に、
釜からは金属製の管が伸びている。方向からすると、風呂桶に繋がっているのだろう。なるほどああやってお風呂を沸かしているんだな。参考になるなぁ。
炎が強すぎると、湯沸かし役のサラマンダーが彼女の頬をぴたぴたとなでる。
少女は「ごめんね。コントロールが苦手で」と笑いながら、かまどから距離を取る。
肩にとまったサラマンダーは、満足そうに「ぐるる」と声をあげる。
少女の髪から浮かぶ炎と、サラマンダーの羽からあふれる炎が絡み合い、ひとつの炎になる。
それがうれしいのか、少女はサラマンダーを抱きしめる。やわらかい胸に包まれたサラマンダーが照れたように首をかしげるのを見て、俺は今さら、彼女が裸なのに気づいた。
そりゃそうだ。
少女もサラマンダーも身体に炎をまとっている。火炎巨人の子孫と炎精霊の炎に耐えられる衣服なんて存在しない。
炎をまとった少女の姿があまりに自然すぎて、彼女が裸だって、しばらく気づかなかった。
きれいなもの──人もアイテムも機能美も含めて──に夢中になってしまうのは悪い
だけど、遅すぎた。サラマンダーはすでに俺の存在に気づいてた。
だから俺が動いたとき、サラマンダーたちも動いた。
彼らは一斉に俺の方を見て「ぐるる」と頭を下げた。
それを見た少女もドアの方を見て──俺と、目を合わせた。
深紅の目──ライゼンガ将軍と同じ色の目だ。
少女アグニスの肌が、桜色に染まっていく。次いで朱色に。深紅に。
羞恥に染まったその肌からオレンジ色の鱗粉のようなものが浮き上がる。深紅の髪が炎のように持ち上がり──揺れて──炎を浮かび上がらせて──
「────っ!?」
少女アグニスの全身から、炎が噴き出した。
「「「ぐるる────っ!!」」」
直後、サラマンダーたちがドアに体当たりする。
火炎が湯沸かし部屋の外に出る寸前、鉄のドアがそれを食い止める。
それでも少しだけ、火炎があふれ出したので、
「『超小型簡易倉庫』を起動。火炎を収納!」
俺はポケットから、手のひらサイズの『簡易倉庫』を取り出した。
爪の先で倉庫のドアを開けると、しゅる、と音がして、火炎が吸い込まれる。
吸い込まれた火炎は『簡易倉庫』の中でしばらく燃え続けていたけれど──広い広い収納空間には燃え移るものもなく、すぐに消えた。
「うん。意外と使えるな」
『簡易倉庫』を作ったあと、念のため小型版も作っておいたんだ。
もちろん、性能は大型の『簡易倉庫』と変わらない。
小さくても、中には広い収納空間がある。
火炎を吸い込むには十分だ。
「──あ、ああああああっ! なんてことを。魔王陛下のお客人に炎を。ど、どうしたら……」
ドアの向こうから、涙声が聞こえた。
「す、すぐに回復術師を呼ばないと……ああ。でも、お父さまになんと言えば……アグニスが、サラマンダーさんたちと遊んでいたことがばれたら……この子たちが
「大丈夫ですから」
「……え?」
「こんなこともあろうかと、準備をしてたから、無事です」
俺はドアをノックしてから、声をかけた。
「それと……すいません。つい見とれちゃって。声をかけるのを忘れてました」
「……い、いえ」
「とりあえず、服を着てから話をしませんか?」
「あ、はい。あの、その、わたし……アグニスは……」
ドアの向こうから、戸惑うような声。
「服は……そこにある鎧だけ、なので」
「鎧だけ」
「アグニスは、炎がうまくコントロールできなくて……火炎耐性がないものは、身につけてても、すぐ、燃えちゃう……ので」
「……なるほど」
昼間、『鎧を直したい』と言ったとき、ライゼンガ将軍が怒った理由がわかったような気がする。
アグニスさんは
だから普通の服を身につけられない。すぐに燃え尽きてしまうからだ。
アグニスさんが身につけられるのは、火炎耐性を持つ鎧だけ……ってことかな。
仮にそうだとすると、俺が鎧を直すためには、彼女を裸にしなきゃいけない。
……そりゃライゼンガ将軍も怒るよな。初対面で『あなたの娘さんの下着をいじらせてください』って言ったようなものなんだから。
「俺は外に出てます。鎧を着終わったら呼んでください」
「…………はいぃ」
「「「ぐるるー」」」
ドアの向こうからはかすかな返事と、サラマンダーのうなり声。
それを確認して、俺は廊下へと出たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます