第69話「魔王軍と帝国部隊、共闘する(1)」

 ──数時間前、北東の森の奥で──





「この洞窟どうくつの奥に、眠れる魔獣まじゅうがいるはずです」


 副官マリエラは、配下の兵士たちに告げた。

 森の奥には、山岳地帯につながる岩山があり、そのふもとに洞窟があった。

 軍務大臣ザグランの書状にあった通りだ。

 だとすれば、眠れる魔獣もこの奥にいるはず。


『謎の剣』の奪取だっしゅに失敗したあと、マリエラは『ノーザの町』に戻った。

 その後、探索たんさくに必要なものを準備してから、直属兵と共にここまでやってきたのだ。


「やはりザグラン閣下は偉大ですね。その場にいなくとも、国境の様子など見抜いてしまわれるのだからな。すぐに調査にかかりましょう」

「洞窟の位置はわかったのです。少なくとも、アイザック部隊長に報告すべきでは……」

「必要ありません」


 マリエラは切り捨てた。


「我々は帝国の強さを示すために、軍事訓練を行ってきました。ですが、ソフィア皇女とアイザック・ミューラは、魔王領との会談に応じることを決めたのです。すでに軍事訓練の目的は失敗したと言えましょう。我々は失敗した兵団とは別の、独立部隊だと考えてください」

「は、はい……」

「それに、この奥にいるのは『グレート・ダークベア』です。ザグラン閣下かっかはおっしゃっています。休眠きゅうみんを繰り返す、弱い魔物だと。目覚めさせてしまったのなら、倒せばいいのです」


 マリエラを先頭に、兵士たちは洞窟に向かって歩き出す。

 馬は、近くの木につないである。

 魔獣を見つけ次第、『ノーザの町』に戻る。そしてソフィア皇女を連れてきて、魔獣討伐を行う。

 それでザグランに与えられた命令は達成される。


 ソフィア皇女とアイザック・ミューラをどうするかは、ザグランの考えることだ。

 マリエラはザグランが求める功績こうせきだけを挙げて、すみやかに帝都に戻ればいい。


「殿下と魔王との会談を、帝都の高官会議がどう評価するのはわかりません。それなら、私が関わっていないことにした方がいいでしょう。この調査はそのための口実に──」

「マリエラさま。奇妙な音が聞こえます」


 不意に、兵士のひとりが足を止めた。


「熊の声ではありません。なにか、大きな虫がはいずっているような。もしや、魔物が我々が近づいていることに気づいたのでは……?」

「おや、臆病風おくびょうかぜに吹かれたのですか?」

「そうではありません! ですが──」


 兵士はためらいながら、考えを口にする。


「『魔獣ガルガロッサ』もそうでしたが……元々の魔獣が住んでいた場所に、新種の魔獣が現れたという話を聞いたことがあります。元いた魔獣を倒して、居場所を奪うのだと。そのナワバリを侵すものを、許さないのだと──」


 その兵士は、少し間をおいてから、


「アイザック・ミューラの味方をするわけではありません。ですが、一度町に戻って、大勢で調査をした方が……」

「わかりました。臆病者は、ここに残ってください」

「マリエラさま!?」

「新種の魔獣がいるなら、その存在を確認するべきでしょう。それもわからずに、ただ恐れるだけとは……帝国の兵士として恥を知りなさい!!」




 がりんっ。




 マリエラの叫びに応えるように、洞窟の奥から、なにかを砕くような音がした。

 兵士たちは、反射的に武器を構える。

 洞窟から、なにかが出て来ようとしている。

『グレート・ダークベア』──熊の魔獣まじゅう──ではない。


 聞こえるのはガサガサというと、まるで虫がはいずるような音。

 それと、なにかをみ砕くような音だ。


 まるで長い眠りから覚めたように、ゆっくりと、なにかが近づいてくる。


「──迎撃用意!」


 マリエラは指示を出す。

 連れてきたのは精鋭の兵が10人。

 大抵の魔獣なら倒せるはずだ。たとえ相手が新種の魔獣でも──


『────グガ、ァ』


 ぐしゃり、と音がして、洞窟の入り口に、真っ黒な熊が姿を現した。

 ただし、毛皮だけだ。中身はすでに食い尽くされている。


 黒い毛皮を口にくわえているのは──虫型の魔獣だった。

 しかも、大きい。頭だけでも、人の背丈の半分くらいはあるだろう。

 さらに洞窟から、無数の脚のついた胴体が姿を現す。


 体長は数メートル。いや、十数メートルはあるだろう。

 動きは鈍いのは、やはり眠っていたからだろうか。


 だが、魔獣はマリエラたちを見ると、すばやく首をもたげた。

 まるで、冬眠から目覚めた獣が、久しぶりの獲物を見つけたかのように。


「新種の──魔獣!? ムカデ型の!?」

『グガアアアアアアアア!』


 マリエラの声が不快だったのか、巨大なムカデが首を振って、吠えた。

 それで、この魔獣が音に敏感びんかんだということが、わかった。


 マリエラは──動けなかった。

 こんな事態は、ザグランの指示書にも書かれていなかった。


 一匹なら──洞窟から出てくる前なら──そんな思考が頭をめぐる。

 だが、身体は完全に硬直している。声を出すこともできない。

 どうすればいいのか、わからない。

 戦うこと、逃げること──どちらが自分とザグランの利益になるのか──


『ギギギギギィィィィ!!』


 さらに、2匹目のムカデが姿を現した。

 赤い目ににらまれて、マリエラの硬直が解ける。


「に、逃げなさい! 今すぐ!! 帝都まで──いや、『ノーザの町』に連絡を──!!」


 マリエラは、馬を繋いでいた紐を切り、大慌てでくらにまたがる。

 彼女はそのまま、森の出口に向かって馬を走らせる。

 仲間は──ついてきている。音だけでわかる。全員であって欲しいが、確認する余裕もない。



『グゥオオオオアアアアアアアアア!!』

『グガラァアアアア!!』



 魔獣が、追ってきている。

 当然だ。ナワバリを侵された魔獣が、獲物えものを見逃すはずがない。


「どうして……どうしてこんなことに!!」


 マリエラは心の中でソフィア皇女とアイザック・ミューラをののしる。

 あの者たちが余計なことをしなければ、自分が魔獣調査に来る必要などなかった。

 じっくりと時間をかけて、あの剣を調べることだってできたのだ。あれが本当に聖剣なら、こんなムカデごとき、一振りで倒すこともできただろうに。


「どこまでも閣下の邪魔をする! アイザック・ミューラめ!!」

「マリエラさま! 前方を──!」

「──え?」


 考えに沈んでいたせいで、前を、よく見ていなかった。

 一瞬、衝撃が来て、マリエラは宙に投げ出される。そういえばここは森の中。地面には木の根もあれば──森を流れる川もあるのだ。

 背後の魔獣に気を取られて──忘れていた。


「……ザグラン閣下……マリエラにご加護を──」


 衝撃が来て、マリエラは意識を失った。

 最後に思ったのは、自分が軽装の鎧を着ていたこと。

 そのせいで、たぶん、川で沈まずに済むだろうこと。


(さすがはザグラン閣下……あなたのご判断は正しい)


 そんなことを思いながら、副官マリエラは目を閉じたのだった。






 ──数時間後 (トールとソフィアが話をしているころ)──





「だれか来ますよー?」


 フクロウに化けて偵察ていさつに出ていた羽妖精ピクシーたちは、近づいてくる兵士に気づいた。

 4人は顔を寄せて、ひそひそと話し合う。


「あれは、帝国の騎兵きへいでございますね」

「……ぼろぼろです」

「どうします?」

「難しいです。ソレーユとルネに聞いてみるですー!」



「「「「ソレーユ! ルネ! 来て来てー!」」」」



 しばらくして、羽妖精のソレーユとルネがやってくる。

 周囲に人気がないのを確認して、ふたりは、馬上の騎兵に近づいていく。


 騎兵は目を閉じて、馬にしがみついていた。

 武器と盾は持っていない。どこかで落としてきたのだろう。よろいも外れかけている。

 本人は手足から血を流しながら、荒い呼吸を繰り返している。


「なにがあったのよ?」

「けがをされておりますね」

「……う、うぅ」


 兵士はうつろな目で、ソレーユとルネを向けた。

 フクロウがしゃべっていることに気づくこともなく、彼は、


「自分は……副官マリエラどのの部下……だ」


 かすれる声で、そう言った。


「……マリエラどのと共に……休眠中の魔獣の調査を行っていのだ……だが、予想外の……ことが」

「予想外、ですの?」

「なにがあったのでございますか?」

「国境地帯にいるのは、ただの熊──『グレート・ダークベア』だと聞いていたが……違う。奴はすでに死んでいた……あの場所にいたのは……巨大な長虫で……ああ、あああっ!」


 騎兵は馬にしがみついたまま、震え出す。


「あんなものは……知らない! あんな魔獣がいるなんて……あれは……あれは!!」

「お馬さん。この人をあっちの方向に連れて行って欲しいのよ」

「あちらに帝国兵がいますので、合流してくださいませ」


 ソレーユとルネは馬の耳元に近づき、声をかける。

 ふたりの声を聞いて、馬は帝国兵がいる方へ走り出す。


魔獣まじゅうは危険なのよ。ルネ」

「恩人さまのためにも、安全確認いたしましょう。ソレーユ」


 白と黒のフクロウは高度を上げる。

 騎兵が来た方角をじっと見る──そして、見つける。


 岩山の向こうに見える、巨大な影を。

 それは土ぼこりを巻き上げながら、まっすぐにこっちに向かってきている。


「──すっごくおっきなムカデなのよ。ルネ」

「──あんな魔獣は存じ上げませんね。ソレーユ」


 わかるのは、あれが危険だということと。

 このままだと魔獣は町を襲うか、帝国と魔王領の会談の場に突入するだろう。


「「ご主君と恩人さまに連絡をします──っ」」


 ふたりはくるりと、空中で方向転換。

 そのまま一直線に、トールたちのいる方向へと飛んでいったのだった。





 ──トール視点──





「聞いての通りじゃ、トールよ。巨大なムカデ型の魔獣が2体、こちらに近づいておる」


 天幕テントを出た俺に、ルキエが言った。

 宰相さいしょうケルヴさんやライゼンガ将軍もいる。

 ふたりとも、ここで打ち合わせをしていたようだ。


「じゃが、このあたりにいる魔獣といえば、休眠中の『グレート・ダークベア』のはず。巨大なムカデの魔獣など聞いたことがないのじゃが……」


 ルキエの言葉に、宰相ケルヴさんはうなずきながら、


「おそらく新種だと思われます。陛下」

「すぐに迎撃げいげきの準備をいたしましょう。このライゼンガにお任せを!」

「うむ。すぐに手配を進めよう」


 ルキエとケルヴさん、ライゼンガ将軍が、兵士の方に歩き出す。

 魔王領にはルキエの『闇属性魔術』がある。『レーザーポインター』もある。

 大抵の魔獣ならそれで片が付くはずだけど……相手は新種か。心配だな。


「馬鹿な! 魔獣を呼び寄せたのは、マリエラの部下だと言うのか!?」


 少し離れたところでは、アイザック・ミューラが叫んでいた。


「休眠中の魔獣の調査に行き……ナワバリに入り込まれた魔獣を怒らせた……なんと、愚かなことを。それで、マリエラ本人はどうしたのだ!?」

「逃走中に川に落ち、流されていったそうです」

「……話を聞くこともできぬのか」

「マリエラどのと部下数名の行方はわかりません。どうされますか」

「捜索隊を出す余裕はない。その前に、魔獣を迎え撃つ!」


 アイザック・ミューラは剣の柄を握りしめ、兵士たちを見た。

 視線を受けた兵士たちは姿勢を正し、剣をつかむ。

 さすが。訓練されてるな。帝国の兵士たちは。


「魔獣を町に近づけるわけにはいかぬ」


 アイザック・ミューラは叫んだ。


「重装騎兵を前衛として陣を敷く! 歩兵はその後方で壁となり、魔術兵を守れ。魔獣はここで倒す! 町に近づけるわけにも、魔王領に入らせるわけにもいかぬ。マリエラが呼び出した魔獣で被害が出たら、帝国の誇りもだいなしだ。これは非常事態と心得よ!!」

「「「承知しました!!」」」

「……マリエラには後に責任を取ってもらう。ザグランどのも──ああ、もう敬語など要らぬ! 軍務大臣のザグランめにも、部下の行動の責任を取ってもらうぞ!!」


 そう言って、アイザック・ミューラは、こっちを向いた。


「非常事態です。トール・カナンとのお話はまた後ほどということで。よろしいですな。ソフィア殿下」

「承知しました」


 ソフィアは真剣な顔でうなずいた。


「休んだおかげで体調も回復しました。民を守るため、私の力を使わせてくださいませ」

「……それについては後ほど。参りましょう。殿下」

「はい。アイザック・ミューラ」


 それから、ソフィア皇女は俺を見て、


「色々とありがとうございました。トール・カナンさま。またお会いしましょう」

「はい。ソフィア殿下。それと、これを持っていってもらえますか?」


 俺はポケットから、小さなコインのようなものを取り出した。

 それをソフィア皇女に向かって差し出そうとする──けれど、


「話は終わりといったはずだ! 殿下も、お急ぎください」

「……申し訳ありません。トール・カナンさま」


 アイザック・ミューラに急かされて、ソフィアは俺の前から立ち去った。

 ……アイテムを出すのが遅かったか。

『簡易倉庫』の中にいる間に渡すべきだった。


「トール、話は終わったか」

「お話してもよろしいですか? トールさま」


 入れ替わるように、ルキエとメイベルがやってくる。


「迎撃準備の方はよろしいのですか。ルキエさま」

「ケルヴとライゼンガが進めておる。余は戦いの前に、お主と話をしておきたいのじゃ」

「ちょうどよかったです。じゃあ、これを差し上げます」


 俺はルキエに向かって、円盤状のアイテムを差し出した。

 メイベルはそれを見て、なにかに気づいたように、


「それは私にくださった『護身用アイテム』ですね?」

「護身用のアイテムじゃと?」


 ルキエは興味深そうに、俺の手の平にある円盤を見てる。


「指を当てて魔力を注げば発動します。ちょっと大きな音が出ますけど」

「うむ……いや、すまぬが今回は、使うのをやめておこう」


 そう言って、ルキエは首を横に振った。


「これから兵を率いて魔物を迎え撃つことになる。大きな音を出すアイテムを使うと、兵が動揺するじゃろう。それに……身を守るものなら、トールが持っていて欲しい」

「わかりました。陛下」


 残念だけど、しょうがないな。

 これから始まるのは集団戦だ。

 説明不足のアイテムで、みんなをびっくりさせるわけにはいかない。


「余はこれから兵を率いて東に向かう。帝国兵と共闘きょうとうできぬか、交渉してみるつもりじゃ」

「ソフィア皇女なら、一緒に戦ってくれると思います」

「余も、そう願っておる」


 それからルキエは、俺の手を握って、


「トールは陣の後方にいるように。メイベルはトールの護衛を頼む。ソフィア皇女が『光の攻撃魔術』を使ったときは、絶対にこやつの手を放すな。『UVカットパラソル』を持って突進していかぬように」

「わかりました。陛下!」

「戦闘中に『UVカットパラソル』の実験なんかしませんよ?」

「そうか。ならば余の目を見て誓うがいい!」

「……」

「いや、だから、目を見て誓えと」

「…………」

「メイベル。絶対にトールの手を放すでないぞ?」

「はい。陛下」


 笑いながら、俺の服の袖を掴むメイベル。

 いや、だから『光の攻撃魔術』の中に飛び込んだりしないって。たぶん。


「それより陛下。ひとつ提案があるんです。みんなをびっくりさせない作戦について」


 敵は動きの速い大ムカデらしい。

 だから、その動きを封じる作戦を考えてみたんだ。

 こっちは見慣れたアイテムを使うから、みんなもびっくりしないと思う。


「なるほど。うまくいけば、魔獣を楽に倒せそうじゃ」

「問題は、帝国に俺のアイテムを見せてしまうことなんですけど……」

「そこは余がうまくごまかす。心配することはない」

羽妖精ピクシーたちの協力が必要になります。俺は、ソレーユたちと打ち合わせをしますよ」

「うむ。それから、別の話じゃが──」


 ルキエは仮面をつけたまま、うなずいた。


「ソフィア皇女がいることで、これから、魔王領と帝国の関係も変わると思う」

「はい。陛下」

「『ノーザの町』と交流が始まれば、余たちの世界も広がるじゃろう。こんなところで、魔獣などに邪魔されるわけにはいかぬ。それに、余には『スペシャル開運リング』がついておるからな」


 ルキエは手袋を外して、指輪を俺に示した。

 メイベルも隣で同じようにしてる。


「この指輪をつけている限り、私たちは不幸にはならないんですよね? トールさま」

「余たちが不幸に見舞われてしまえば、トールがうそつきになってしまうからの」

「だから、魔獣もすぐに片付きますよね。陛下」

「うむ。メイベルは、トールをよろしく頼む!」


 そう言って、ルキエは宰相ケルヴさんとライゼンガ将軍が待つ場所に向かった。

 俺とメイベルは、兵士さんたちの後をついていくことになる。

 2人だけでじっとしてたら、他の魔獣に襲われるかもしれないからだ。


「私たちも参りましょう。トールさま」

「そうだね。ちょうど、ソレーユたちも戻って来たから」


 頭上を見ると、数羽のフクロウたちが飛んでくるところだった。

 フクロウたちは一斉にフードを外して──ぽん、と、羽妖精の姿になる。


「偵察してきたの」

「小耳に挟んだところでは、わたくしたちにお願いがあるとか」

「うん。羽妖精ピクシーのみんなに、手伝って欲しいことがあるんだ」


 俺はみんなに説明した。

 目的は、ルキエやソフィア皇女たちが、魔獣と戦いやすくすること。

 そうして、彼女たちの魔術が、ちゃんと命中するようにすることだ。


「まぁ、この作戦なしで倒せれば、一番いいんだけどね」

「そうですね。トールさまが作られた、この『ブザー』も。使ってみたいですけど……使う機会がない方が、本当はいいのですよね」


 メイベルは手の平に載せた、円盤状のアイテムを見てる。

 今、このアイテムを持ってるのは、俺とメイベルだけ。

 射程が短いから、あんまり使い道はないと思うんだけど……。


「とにかく、俺たちは支援の準備をしよう。メイベルは、念のためいつでも魔術が使えるようにしておいて」

「はい、トールさま」


 そうして俺たちは、兵士たちの後について、歩き始めたのだった。





 ──帝国軍前線で──





「「「魔獣が来たぞ──っ!」」」


 帝国の兵士が叫んだ。


 東から、漆黒しっこくの影が近づいてくる。

 速い。


 最初に見えたのは、巨大な顔。

 岩をも砕きそうなアゴが、がちがちと開閉を繰り返している。

 頭部には4つの眼がついている。胴体は黒い殻に包まれ、腹から伸びる無数の脚が、高速で地面を掻いている。わきおこる土ぼこりは、奴が高速で進んでいる証だ。


「あんな魔獣は帝国の記録にもない。やはり新種か……」


 馬上で、アイザック・ミューラはつぶやいた。


「マリエラがいなくて幸いだ。魔王たちと共闘するなどと言ったら、あやつは絶対に反対するだろうからな……」


 アイザックは、陣の左翼に目を向けた。

 そちらでは、魔王率いるミノタウロス部隊が列をなしている。

 現在、魔王領との国境側に魔王軍が、帝国の領土側にアイザックたちの兵団が並んでいる。

 互いに距離を置いて部隊を配置し、魔獣を1体ずつ倒そうという体制だ。


 ミノタウロスたちと一緒に戦うのは前例がないが、帝国兵たちは怯えていない。

 ソフィア皇女が魔王領の者たちに、敬意を払っているからだ。

 なのに、武装した兵士たちが怯えているわけにはいかない。

 その皇女が魔術兵に混じって、敵を迎え撃とうとしているならなおさらだ。


「誇り高き帝国の兵士たちよ! 我らの強さを、魔王領に見せつけるのだ!!」


 アイザック・ミューラは叫んだ。


「間もなく、魔獣どもが射程距離に入る! 魔術兵は合図とともに放て! その後、重騎兵が突撃! 歩兵は殿下をお守りしろ!」


 近づいてくる大ムカデを見つめながら、距離を測る。

 魔術が届く距離まで、ゆっくりとカウントダウンをする──のだが。



「喰らうがいい! 『虚無の魔炎ヴォイド・フレイム』!」

『ギィアアアアアアアアアア!!』



(魔王領の魔術がすでに命中しているのは……どうしてなのだ)


 魔王領の陣地からは赤い光が飛び出し、それが魔獣まで届いている。

 光そのものに攻撃力はないようだ。

 ただ、その光に沿って、魔王が放つ黒い炎が飛んでいくだけ。

 そして黒い炎はありえない距離を飛んで、魔獣にダメージを与えているのだった。


(……魔王とは恐ろしいものだな。だが、今は心強い味方でもある!)


 とにかく敵の1体は任せられる。

 そう考えながら、アイザックは合図のために手を振り上げる。

 

「今だ、魔術兵は敵を撃て! その後、小官たちは突撃する!!」

「「「──放て! 『ファイア・ブラスト』!!」」」

「「「おおおおおおおおおっ!」」」


 魔術兵たちの手から、大量の火球が飛び出す。

 その直後、騎兵きへいたちが走り出す。

 先頭のアイザックは、槍に強化魔術をかける。これくらいできなければ、高位の武官は務まらない。槍が赤く染まったのを確認し、アイザックはさらに馬を走らせる。


 火球が大ムカデの胴体に当たる。弾ける。


『ギシャシャシャシャ!!』


 それを不快に思ったのか、巨大ムカデが地面を蹴る。

 長大な身体がムチのようにしなり、跳ね上がる。

 大量の火炎魔術をかいくぐり、そのまま騎兵の群れに向かってくる。


「──ぐぁ!」

「こ、こいつ……動きが、速い!!」


 あおりを喰らった騎兵たちが地面を転がる。

 体長十数メートルの大ムカデだ。

 近くを通過しただけでも地面は揺れ、馬がパニックを起こす。

 それでも帝国の騎兵たちは、槍と戦斧ハルバードで、大ムカデに切りかかる。


「脚を狙うのだ!! 機動性を奪えば、こやつは動きの鈍い長虫になる!!」

「「「承知しました!!」」」

「歩兵は、ソフィア殿下の護衛を残して前進せよ! 大盾を並べて壁となれ。魔獣の動きを封じるのだ!!」

「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!」」」


 背後から、歩兵たちの叫び声が響き渡る。


 すでに取り囲んでいるというのに、巨大ムカデの動きは止まらない。

 このままでは、兵たちの体力が保たない。

 アイザックがそう考えたとき──



「「「「お手伝いしますー!」」」」



 ひゅー。

 がっちゃん。



 空から、黒い鎖が降ってきた。

 数本の鎖をつなぎ合わせたような、長い長いその鎖は、魔獣の身体に絡みつく。

 思わずアイザックが頭上を見ると──魔物の上を、数羽のフクロウが飛んでいた。



「「「「いきますー! 『陸地アースロック』!!」」」」



 しゃきんっ!



 フクロウたちが叫ぶと、黒い鎖から──大量の細い鎖が飛び出した。

 それらは地上へと突き刺さり、巨大ムカデの動きを封じる。


『グゥオオオオオオオオ!!』


 巨大ムカデがもだえる。が、鎖は外れない。

 細い鎖なのに、千切れることも、ゆるむこともなく、完全に魔獣を固定している。


「あの鎖はまさか──聖剣 (仮)を拘束こうそくしていた!?」


 まさか、魔王領側にも同じ剣があったのだろうか。

 そして魔王とその眷属けんぞくたちは、すでに剣と鎖を我が物に──あるいは鎖こそが本体なのか──。


「なんでもいい。今のうちだ! 魔獣を倒せ!!」

「「「うぅおおおおおおおお!」」」


 雄叫びをあげて、兵士たちが魔獣に殺到する。

 動きが止まればこちらのものだ。槍が、戦斧ハルバードが、魔獣の腹に突き刺さる。


 一息ついたアイザックが横を見ると、魔王領と戦っている魔獣にも、同じ鎖が絡みついていた。

 そこに魔王と宰相の魔術が着弾し、魔獣にダメージを与えていく。

 あちらの魔獣はもう、瀕死ひんしだ。


 魔王領の兵団は間もなく敵を倒すだろう。

 ならば、こちらも急がなければ。


『グガッ! ギギァ! グゥオオオオアアアアア!!』


 帝国兵に囲まれた魔獣が叫び声を上げ、身をよじる。



 ばきんっ!



 耐えきれなくなったのか、細い鎖のうち数本が外れた。

 だが、それで魔獣が自由になることはない。逆に鎖の本体が、魔獣を力いっぱい締め上げている。岩山の剣の時のようだ。

 あの鎖はやはり、邪悪な者や、不適格な者を許さないのだろう。


「小官は勇者ではないが、勇者のサポート役だ。邪悪な者は許さぬ!」


 アイザックは槍を手に、馬を走らせる。

 とどめは自分が刺す。そう思ったとき、ふと彼は、足元の違和感に気づいた。

 鎖が外れた場所──その周辺の地面が、奇妙に盛り上がっている。

 まるで巨大なものが、その下を通っていったように。


 一瞬、アイザックは、自分が聞いた報告を思い出す。

 マリエラの部下は言っていた。複数の、巨大なムカデ型の魔獣が襲って来た、と。

 魔獣が2体だけ・・・・・・・とは言わなかった。

 そして、ムカデの中には、地面の下に潜る能力を持つものもいるのだ。


 アイザック・ミューラが、それに気づいたとき──




「地面の下を、もう一匹が進んでいるのでございます! ご注意を!!」




 空中から、叫び声が聞こえた。


「──歩兵は下がれ! 皇女殿下のところへ戻るのだ!!」


 アイザックは反射的に馬首を返す。

 3匹目のムカデは地中を進み、アイザックたちの背後に回ろうとしている。

 背後にいるのは、ソフィア皇女と魔法兵、少数の歩兵だけだ。


「魔王領の方々に告げる! 魔獣が背後に回った。ソフィア皇女が危険だ。どうか──支援を──!」


 アイザックの前方で、地面が割れ──3匹目のムカデが姿を現した。

 土の塊が飛び散り、アイザックの馬をなぎ倒す。

 馬から飛び降り──地面を転がりながら、アイザックは、現れた3体目のムカデを見た。


 大きい。

 他の2体の倍ぐらいはあるだろう。おそらくは、群れのボスだ。


 そしてその巨大ムカデは、ゆっくりと、ソフィア皇女の方を向いたのだった。


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