第70話「魔王軍と帝国部隊、共闘する(2)」

 ──ソフィア視点──




『ギッ、ギギギギギギギ!!』

「──『大いなる光の魔力よ』」


 ソフィア皇女は、光の魔術の詠唱えいしょうを始めた。

 間に合わないことは、わかっていた。


 彼女の左右では、魔法兵が慌てている。

 彼らも、地中を進む巨大ムカデに気づかなかったのだ。


(こんな魔獣がいるなんて──)


 目の前に迫った魔獣に、ソフィアは目を見開いた。

 真っ黒な巨体に、無数の脚。人の腕ほどもある牙。

 どれも、一撃でソフィアを倒すことができるだろう。


「『敵を撃つ無数のつぶてをこの手に──すべては、大いなる存在の掌中しょうちゅうに』──」


 それでもソフィアは詠唱を続けながら、魔法兵の前に出る。

 決めたのだ。この身をかけて、民を守ると。

 だから、こんな魔獣を野放しにするわけにはいかない。


(──あとはお願いします。トール・カナンさま)


 魔獣が生み出す土けむりが、ソフィアの身体を叩く。

 それでもソフィアはゆるがない。

 目の前に迫った巨大な牙と赤い目を見据えながら、自分が使える最強魔術の詠唱を続ける。


 その時──



「──いきます。『アイシクル・バインド』!!」



 不意に、ソフィアの背後から飛んで来た氷の刃が、巨大ムカデの脚を一本、凍り付かせた。

 ソフィアは反射的に振り返る。

 トール・カナンの姿が見えた。彼と並んで走ってくる、銀髪のエルフの少女も。


(近づいては駄目です! トール・カナンさま!!)

『ギギギガアァァァァァアア!』


 不快そうに魔獣が吠える。


「お友だちを傷つけないで欲しいのね! 『ヴィヴィッドライト・ストライク』!!」

「恩人さまはその方を大事に思っております! 『ヴォイド・アロー』!!」


 さらに、トールの頭上にいる白と黒のフクロウたちが、それぞれ魔術を発射する。

 白い光弾と、黒い槍。

 2発の魔術が、巨大ムカデに突き刺さる。


(だめ。あなたたちが危険になるだけです! だめ──)


 その程度の攻撃では、魔獣の動きは止まらない。

 奴はそのままソフィアを喰らい、トールたちに襲いかかるだろう。


(ならば、その牙に砕かれる前に魔術を──せめて相打ちに──!)


 魔獣を、トール・カナンの所へは行かせない。

 ソフィアは覚悟を決めた。

 これが最後──そう思ってソフィアは、トールたちの方を見る。


 その時──



「メイベル! 例のアイテムを」

「はい。準備は出来ています!」



 トールと、エルフの少女が手を挙げるのが見えた。

 ふたりとも、指の間になにかを挟んでいる。

 見覚えがある。あれは、さっきソフィアに渡そうとしていたものだ。あれは──?



「「『防犯ブザー』、発動!!」」



 ぽち、という感じで、トールとエルフ少女が指に力をこめた。

 すると──




『オマワリサーンッ!!』




 ビクゥッ!!



 ──突然、魔獣の周囲で大声が発生した。

 まるでその声に殴られたように、巨大ムカデが動きを止める。


 巨大なムカデはおびえたように、周囲を見回す。

 自分が絶対に勝てない敵が近くにいる──そう感じているかのように。


 ソフィアも、なにか、おそろしく大きな存在の気配を感じた。

 見られているような気がする。息づかいさえ、聞こえるようだ。


 だが、見回しても誰もいない。

 魔獣はそれに気づいたのか、改めて前進しようとして──




『オマワリサーン!』

『ピーポーピーポー!! オマワリサン! コッチデス!!』




 ビクビクッ! ビクゥッ!!




 再び声が響いて、巨大ムカデの動きが止まる。

 その間にトール・カナンとエルフの少女は、ソフィアのところにやってくる。

 ふたりが持っているのは、銀貨を一回り大きくしたような円盤えんばんだ。

 声はそこから出ているらしい。


(まさかこれも、トール・カナンさまのアイテムのお力ですか!?)


 こんなアイテムは見たことがない。

 光も、熱を出すこともなく、あの巨大な魔獣をひるませている。

 どんなことをすれば、それが可能だというのだろうか……。


「ソフィア殿下、今です! 光の魔術を!」

「──『そして大いなる光の魔力よ。我が敵を消滅させよ!!』」


 この機会を逃すわけにはいかない。

 ソフィアは詠唱を完了し、光属性の攻撃魔術を発動させる。 



「くらいなさい! 『ヴィヴィッドライト・デストラクション』!!」



 無数の光の球体が、巨大ムカデの周囲に浮かび上がる。



『オマワリサン!』『タスケテー! オマワリサン!!』『オ、オマワリサーン!!』



 さらに、響き渡る声が、魔獣の身体を殴りつける。

 魔獣は身動きが取れない。ビクビクと痙攣けいれんを繰り返すだけ。

 そのすきに、ソフィアの魔術が着弾する。



 ボシュッ。



『グギャアアアアアアアアア!!』


 巨大ムカデの身体に、穴が空いた。


 ソフィアが使ったのは、高位の光属性攻撃魔術だ。

 光弾のひとつひとつに『ヴィヴィッドライト・ストライク』と同じ威力がある。


 闇の魔力が『無』を現すように、光の魔力は『存在』を現す。

 そして強すぎる光の魔力を帯びた球体は、強烈な存在の力を持っている。

 それに触れたものは、自分の存在を光に塗りつぶされてしまうのだった。


「ごめんなさいムカデさん。みんなを守るために、消えてください」

『グギャアアアアアア──!』


 ソフィアの意志に反応して、光の球体がムカデの身体に触れる。

 巨大ムカデの胴体が、削り取られていく。


『ギギ!? グガ!? ギィアアアアアア!!』


 巨大ムカデに逃げ場はなかった。

 光の球に触れたその身体が、次々に削られていく。脚が消え、胴体が消え、身体がバラバラになっていく。そうして、絶命する。


 それを見届けたソフィアは──がっくりと地面にひざをついた。


「久しぶりに魔術を使ったら、この有様です。やっぱりまだ、私は『ポンコツ』なのですね」


 魔術を一度使っただけで、体力が尽きてしまった。

 でも……なんだか、安心する。

 隣にやってきたトール・カナンが、身体を支えていてくれるからだ。


「無茶しないでください。殿下」

「……かっこいいところを、お見せしたかったのです」

「かっこよかったですよ」

「…………安心しました」


 ソフィアは、ほっと息をついた。

 それから、トールの腕の中で深呼吸。

 なんとか呼吸を整えて、立ち上がる。


 戦闘は終わりかけていた。

 3匹いた魔獣のうち、1匹は魔王が、もう1匹はソフィアが消滅させた。

 帝国兵が戦っていた者がまだ生きているが、虫の息だ。


「「「帝国の力を思い知るがいい!!」」」

『ギグギュアアアアアアアア!』


 兵士が胴体に槍を突き入れると、最後の巨大ムカデは──その動きを止めた。


 その直後、アイザックがソフィアの元にやってくる。

 落馬したせいだろう。かぶとは外れ、槍も手放していた。


 アイザックは、トールとエルフ少女を見て、


「ソフィア殿下を助けていただいたことに感謝する!」


 ふたりに向かって、深々と頭を下げた。


「地中を進む魔獣に気づかなかったのは、小官しょうかんのミスだ。また、この魔獣は小官の副官がおびき寄せたようなもの。責任は小官にある。貴公がいなければ……殿下の命さえも危なかっただろう」

「いえ。間に合ってよかったです」

「だが、魔物の動きを止めたあれは……なんなのだ?」

「詳しいことは言えませんが、魔王領の開発した魔術のようなものです」


 トール・カナンは応えた。

 アイザック・ミューラは首をかしげて、


「なるほど。だが『オマワリサン』……とは?」

「それについては、本で読んだことがあります」


 思わず、ソフィアは口をはさんでいた。


「確か、こんなお話でした。仲間の勇者に意地悪をされた少年勇者が言ったのです。『そういうことをするな! オマワリサンを呼ぶぞ』と」

奇遇きぐうですね。似たような本を、職場の書庫で読んだ記憶があります」

「まぁ、トール・カナンさまも?」

「『オマワリサンに言いつけるぞ』ですよね。勇者の中でも、まだ幼い戦士の物語でした」


 トール・カナンの言葉に、ソフィアは、こくこく、とうなずく。

 同じ本を読んでいたことが、なぜか、すごくうれしかった。

 けれど、アイザック・ミューラは納得いかない顔で、


「おふたりには分かっているようですが……小官には分かりかねます。『オマワリサン』とは一体……なんなのですか?」

「おそらくは勇者の世界で、彼らを守っていた存在だと思います」

「私も同意見です。でなければ、この世界でその名を呼ぶ意味がありません」


 トールとソフィアは顔を見合わせて、うなずく。


 ソフィアはさっきの状況を思い出す。

 巨大ムカデは確かに『オマワリサーン!』の声に、怯えているように見えた。


 それはおそらく、根源的こんげんてきな警戒心によるものだろう。

 現に、ソフィアや帝国兵は一切、影響を受けていない。

 邪悪なものだけを止めるもの、つまり──


「『オマワリサン』とは、勇者世界のあちこちに偏在へんざいする守護精霊しゅごせいれいのようなものなのでしょう」

「俺は『オマワリサン』というキーワードで動く、町を守護するゴーレムのようなものだと考えています」

「そういう仮説も成り立ちますね」

「いえ、守護精霊というのは俺も思いつきませんでした。いい発想だと思います」

「ありがとうございます。トール・カナンさま」


 ソフィアとトール・カナンは顔を見合わせて、笑った。

 このまま、勇者世界の話を続けたかった。

 トール・カナンとなら、一晩中だって話を続けられそうな気がする。


「な、なんと!? 守護精霊!? ゴーレム!? それを呼び出す魔術だというのか!?」


 ふたりの後ろで、アイザック・ミューラが声をあげた。


「だ、だが、そんなものは出現していないぞ。なぜ魔獣は怯えたのだ!?」

「あの魔術は、『オマワリサン』のような存在感を作り出すもののようです」


 トール・カナンが応えた。


「『オマワリサン』そのものを呼び出すことはできません。ただ、それに似た『存在感』を生み出して、魔獣を怯えされるだけなんです。つまり異世界の『オマワリサン』の権威を借りる魔術ですね」

「そういえば魔王ルキエ・エヴァーガルドは『人間に学ぶ』と言っていましたね」


 ソフィアは続ける。


「そうやって学ぶことで、魔王領は新たな魔術を編み出したのでしょう」

「その通りです。ソフィア殿下」

「聞いての通りです。私たちもおごることなく、学び続けましょう。アイザック・ミューラ」

「もちろんです。殿下!」


 アイザック・ミューラは、よろいに包まれた胸を叩いた。


「このアイザック・ミューラ、目を開かれたような気分です。この気持ちを忘れぬように、小官は名前を変えましょう。今、この時より、小官のことはアイザック・オマワリサン・ミューラとお呼びください!」

「良き名だと思いますよ。アイザック・オマワリサン・ミューラ」

「同感です。かっこいいですね」

「ありがとうございます。殿下。それと……トール・カナン」


 アイザック・ミューラはまた、ソフィアとトール・カナンに頭を下げた。


「では小官は、この魔獣の正体を探ることとします。周囲に似た魔獣がいないどうかも、調べなければなりません。兵の一部をお借りします。殿下は『ノーザの町』にお戻り下さい」

「わかりました。よろしくお願いします。アイザック・オマワリサン・ミューラ」

「はっ!」


 そうして、アイザックは兵をまとめはじめる。

 彼は充実した表情で、拳を握りしめて。


「小官は勇者ではなかった。だが、勇者を守る守護精霊に近いものではあったのだな……」


 ソフィアに見送られながら、アイザック・オマワリサン・ミューラは──そんなことをつぶやいていたのだった。







 ──トール視点──





「あれが光の高位魔術『ヴィヴィッドライト・デストラクション』か」


 光の粒子が巨大ムカデを包み込んで、その存在そのものを破壊してしまった。

 すごいな。ソフィア皇女。

 元気になったら、あんな魔術も使えるんだ。


「いえ、私はトールさまが作られた『防犯ブザー』の方が、すごいと思いますよ?」


 メイベルはアイテムをてのひらにせて、つぶやいた。

 そこには銀貨よりふたまわり大きいくらいの、厚みのある円盤えんばんがあった。


 これが『防犯ブザー』

 指を当てて魔力を注ぎ込むことで、発動するアイテムだ。


「あの巨大なムカデの動きを封じてしまうのですから……びっくりです」

「魔力を食うから、1回使うたびに魔石を替えなきゃいけないんだけどね」


 だけど、それだけの価値はあった。

 やっぱりすごいな。『通販カタログ』にってた『防犯ブザー』って。


 ちなみに、解説文はこんな感じだった。




──────────────────




 当社おすすめの『防犯ブザー』をご紹介します!


 夜道の一人歩き、塾帰りのお子さんなど、心配ですよね?

「助けを呼ぶ」「逃げる」と言っても、いざとなったら声が出なくて、身体が動かないことだってあります。


 でも、この『防犯ブザー』があれば安心です!

 握って力をこめるだけで、大きな音が鳴り、お巡りさんを呼んでくれます!

 サイレンの音も鳴り響きます。

 びっくりした相手は、身動きひとつできなくなるでしょう。


 敵意を持って向かって来る相手に効果絶大!

 安全のため、家族ひとりにひとつずつ、この『防犯ブザー』をご購入下さい!




──────────────────



 すごいアイテムだった。

 で、『通販カタログ』を参考に作ったのが、これだ。



──────────────────



『防犯ブザー』

(属性:光光光・風風風)(レア度:★★★★★★)




 強大な風の魔力により、巨大な音を発生させる。

 強大な光の魔力により、巨大な生物がその場にいるような、『存在感』を発生させる。


 敵を威嚇いかくし、動きを止めるためのアイテム。

 指を当てて魔力を注ぎ込むことで発動する。

 基本的に、所有者が『敵』と思った相手にのみ作用する。


 魔力で起動することによって、巨大な音と、巨大な『存在感』を発生させる。

 音は敵を威圧いあつし、『存在感』は相手をひるませ、その動きを止めることができる。


 音は『オマワリサン』を呼ぶ声として鳴り響く。

『オマワリサン』とは、勇者世界の人間がピンチになったときに、助けを求める存在である。


(ソフィアの推測:『勇者世界に偏在へんざいする守護精霊』)

(トールの推測:『勇者世界で人々を守る、マジックアイテム』)


 このアイテムの対象になった者は、おそろしく巨大な存在をすぐ近くに感じ、さらには視線、気配までも感じ取ってしまう。

 敏感な者ほど、威圧いあつされて、動けなくなる。


 光の魔石と、風の魔石が必要です。

 魔力の消耗が激しいため、使えるのは数十秒程度です。

 使用後は魔石を交換してください。

 物理破壊耐性:★★★ (魔術で強化された武器でないと破壊できない)

 耐用年数:半年 (効果が激しいため、劣化が早い)。

 ユーザーサポートなし。



──────────────────





「このアイテムは『存在』を意味する光の魔力を利用して、相手の背後にすごい存在感を生み出すようになってるんだ。だから感覚が鋭いものほど、『後ろに誰かいる!』って感じて、ビクッとなってしまうみたいだ」

「だから巨大ムカデは、驚いて動きを止めたんですね」

「でも、背後を見ても誰もいない」

「だけど気配は感じるんですよね?」

「うん。視線とか、息づかいまで感じるみたいだ」

「おそるべきアイテムですね……」

「勇者世界の『防犯ブザー』には及ばないけどね。あっちは『オマワリサン』を召喚するためのものだったけど、これは『存在感』を作り出すことしかできないから」


 まぁ、この世界に『オマワリサン』を召喚するのは危険かもしれないけど。

 異世界勇者が助けを求めるほどの存在なんだもんな。

 一体何者なんだろう。勇者世界の『オマワリサン』って。


「それと、ソレーユたちもがんばってくれたよね」

「『チェーンロック』で、魔獣の動きを封じたのですよね?」

「うん。ありったけの『チェーンロック』をつなぎ合わせて、魔獣にからめて『陸地アースロック』をかけたんだ。地下を進む魔獣のせいで、補助チェーンが外れちゃったけど」

「本体のチェーンが、魔獣そのものを締め付けてましたからね……」


 まさか戦闘用にも使えるとは思わなかった。

 でもまぁ、羽妖精ピクシーたちの協力がなければ使えないんだけどね。

 あとでソレーユたちにも、お礼を言わないと。


「トール・カナンさま。それに、エルフのお方」


 アイザック・オマワリサン・ミューラを見送っていたソフィアが、俺たちの方を見た。

 そして、ドレスのすそをつまんで、一礼する。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました……本当に」

「いえいえ、間に合ってよかったです」

「トール・カナンさま。そちらの方をご紹介いただけませんか?」


 ソフィア皇女は、メイベルに向かって笑いかける。


「命を救っていただいたのに、お名前も知らないようでは失礼ですから」

「この子はメイベル・リフレイン。魔王陛下の部下で、俺のお世話をしてくれる人で……大事な婚約者です」

「ト、トールさま!?」


 メイベルが真っ赤になった。

 慌てたように、俺とソフィア皇女を見てる。


 でも、ちゃんと紹介はしておかないと。

 会談でルキエは『トールには婚約者がいる』と明言したんだから。


「あなたさまが、トール・カナンさまの婚約者、なのですね」


 ソフィアはメイベルをじーっと見て、うなずく。

 それからまた、皇女としての礼をして──


「はじめまして。ソフィア・ドルガリアと申します。メイベル・リフレインさまに、婚約者の先輩として、どうか、ご指導をお願いしたく存じます」

「え、えええええっ!?」


 メイベルが変な声をあげた。

 うん。びっくりするよね。いきなり帝国の皇女に頭を下げられたら。


 でも、メイベルだって魔王の側近だ。

 すぐに落ち着いて、お辞儀じぎを返した。


「帝国の皇女殿下に丁寧なごあいさつをいただき、恐縮きょうしゅくしております。私はトール・カナンさまのメイドで……こ、婚約者の、メイベル・リフレインと申します。どうか、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「……う、うぅ」

「さっそくですが、メイベル・リフレインさま」

「……はい」

「トール・カナンさまの好きな食べ物や、ご趣味などを教えていただけますでしょうか。それと……よろしければ好まれる女性像なども」

「好きな女性のタイプは……わたしにもわかりません」

「そうなのですか?」

「ご趣味は錬金術です。本当に、いつも夢中になって、すごいことを考えてくださっています。好きな食べ物や、嫌いな食べ物はないみたいです。いつも研究しながら食事を取っていらっしゃいますから。私が『あーん』しても、気づかないくらい、集中して」


 ちょっと待って。それ知らない。


「と、とにかく、トールさまは素敵な方です。いつも私たちのことを第一に考えてくださいます! 私にとっても、陛下にとっても、すごく大切なお方です」

「わかります。トール・カナンさまは、尊敬できるお方です」


 ソフィア皇女は俺を見て、にっこりと笑った。

 それから話を続けようとしたけれど──遠くで、声がした。兵士が彼女を呼びに来たんだ。


「残念ですが、戻らなければいけないようです」

「……残念です」


 俺はうなずいた。

 ソフィア皇女とは勇者の伝説とか、色々話をしたかったんだけどな。


「でも、殿下は『ノーザの町』にいらっしゃるんですよね。ご近所さんですから、いつでも会えますよね」

「はい。大歓迎です」

「わかりました。それでは、そのうちに」

「メイベルさまも……トールさまのこと、色々教えてくださいませ」

「は、はい」

「私も、メイベルさまのようになれるように、がんばります」


 ソフィアはなぜか──メイベルの手を見て、


「そして私も──婚約者の証であるその指輪をいただけるように、精進しょうじんいたします。どうか、よろしくご指導ください」

「「え?」」

「それでは、失礼いたします」


 最後にまた一礼して、ソフィア皇女は帝国兵のところへ戻っていった。

 俺とメイベルは、ぽかん、として、その背中を見送っていた。


 ソフィア皇女が見てたのは、『スペシャル開運リング』だよな。

 で、彼女はそれを、婚約指輪だと勘違かんちがいした。


 訂正しようにも、俺もメイベルも呆然としてて、出遅れた。

 ソフィア皇女はもう、兵士たちのところに戻ってる。キリッとした表情で、兵士たちの指揮を取ってる。あそこに割り込んで、婚約指輪の話をするのは無理だ。


「トールさま」

「うん」

「私は『スペシャル開運リング』をいただいて、すごくうれしかったです。生まれてから今までにもらったプレゼントの中で、一番でした」


 メイベルは愛おしそうに、『スペシャル開運リング』をなでた。


「だから、これが婚約指輪なら、すごくうれしいのですけれど……」

「その指輪、ルキエさまにもあげちゃってるんだよね……」


 どうしよう。

 帝国が公式に『スペシャル開運リング』を婚約指輪だと認めてしまったら、俺がメイベルだけじゃなく、魔王のルキエとも婚約していることになる。


「まぁいいか。その『スペシャル開運リング』はまだ未完成だし」


 俺は言った。


「完成版ができたらルキエに渡して、未完成品のリングは回収することにしよう。そのとき、メイベルとルキエでデザインを違うものにすれば、問題ないよね?」

「いえ、陛下はあの指輪を、絶対に返してくださらないと思います」

「……そうなの?」

「ちょうどいらっしゃいましたから、話してみたらいかがですか?」


 メイベルはいたずらっぽい表情で、笑った。


 ふと見ると、魔王ルキエと宰相ケルヴさんが、こっちに来るところだった。

 宰相さいしょうケルヴさんは小走りに近づいてきて、


「魔王陛下とその兵団は、これから魔獣の巣に向かうことになりました」

「魔獣の巣に、ですか?」

「休眠中の『グレート・ダークベア』が住んでいたところです。帝国兵の証言によると、あの巨大ムカデたちは、そこから現れたようなのです。我々は魔獣の移動経路を逆にたどって、同型の者が他にもいるかどうか、確かめなければなりません」

「わかりました。俺も同行します」

「よろしいのですか?」

「興味があるんです。それに、巣に魔獣の素材が残っているかもしれませんから」

「……そういうことなら、ご同行をお願いします」


 そんなわけで、俺とメイベルは、魔獣の住処に向かうことになった。

 ルキエも一緒だ。

 指輪のことは、機会を見て伝えよう。


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