第58話「幕間:帝国領、国境近くでの出来事(2)」

 ──魔王領との国境近くの町、ノーザにて──






 固いベッドの上で、ソフィア皇女は目を覚ました。

 まわりを見て、ここが帝都ではないことを思い出す。


「……昨日、この町に到着したのでしたね」 


 ソフィアは長いため息をついた。

 帝都から国境までの旅は、彼女にとって負担が大きすぎた。

 町に入った後で馬車を降り、宿の部屋に入ったところで限界が来たのだ。


 メイドたちの手助けを断り、寝間着に着替えたところまでは覚えている。

 その後は記憶がはっきりしない。

 なんとか、ベッドに入ることはできたようだったけれど。


「帝国はもう少し、街道の整備をするべきなのでしょうね。国境地帯とはいえ、人や兵士は行き来しているのです。せめて馬車の揺れを、もう少しなんとかした方が……」


 街道を整備するか、揺れの少ない新しい馬車を作るか。

 ──そんなことを考えて、ソフィアは肩をすくめた。


「ばかみたい。北の地に追いやられた私が、そんなことを考えてどうするのですか」


 ソフィアはベッドから降りた。

 彼女がいるのは、二間続きの部屋だ。寝室と客間がひとつずつ。

 離宮りきゅうの部屋よりも狭いが、特に問題はない。


 ここはノーザの町の、町長の屋敷やしきだ。

 帝都から来た部隊は、ここを拠点としている。


 この町には十数日前まで、リアナとザグランの部隊が駐留ちゅうりゅうしていた。それと入れ替わるようにして、ソフィアたちはやって来た。

 だから同じ屋敷やしきをそのまま使っている。

 もっとも、ここにいる期間は、ソフィアの方がはるかに長くなるのだけれど。


 そんなことを考えながら、ソフィアが窓を開けた

 ふわり、と、風が吹き込んでくる。

 緑のにおいがする。森が近いのだろう。


「……いい風ですね。帝都よりも、空気が澄んでいる気がします」


 窓からは背の高い城壁が見えた。

 この町は、魔王領から攻撃を受けることを想定している。

 城壁が高いのも、兵を収容する施設があるのもそのためだ。

 たとえ平和になっても、帝国は北への備えを忘れてははいないのだ。


「この地になにがあるのか、興味はあります……けれど」


 ソフィアは腕に力をこめて、建て付けの悪い窓を閉じた。

 それだけで荒い息をつき、ベッドに腰掛ける。


「でも、できるだけ早く、帝都に戻らなければ。リアナがザグランの影響を受け続けるのは……よくないです……」


 けれど、そのための方法がわからない。

 もしも軍事訓練で光の魔力を使い果たせば、帝都に戻してもらえるだろうか。


 ソフィアは『光の攻撃魔術』を使うためにここに来ている。

 魔力が尽きて、動けなくなって──役立たずになれば、帰してもらえるかもしれない。


「……それでザグランが許してくれればいいのですが」

「ソフィア殿下。お目覚めになられましたか?」


 不意に、ドアの外で副官マリエラの声がした。


「──起きておりますよ。おはようございます。マリエラ」

「体調はいかがでしょうか? 殿下」

「昨日よりはよいようです」

「それはよろしゅうございます。では、ひとつお願いをしてもよろしいでしょうか」

「お願い?」

「この町の町長と、商業地区の代表者にお言葉をいただきたいのです」


 ドアの向こうで、副官マリエラは言った。


「町に多くの兵が来たことで、民が動揺どうようしているようなのです。殿下がお姿を見せて下さり、彼らにお言葉をいただければ、民も落ち着くかと」

「わかりました」


 ソフィアは答えた。

 町民が動揺どうようする気持ちが、わかるような気がしたからだ。


『魔獣ガルガロッサ討伐戦』の時にも、この町には多くの兵が駐留ちゅうりゅうしていた。

 それから間を置かずに新たな部隊がやってきたら、『魔王領とのいくさになるのだろうか』と考える者もいるだろう。

 不安になるのはもっともだ。


「私が民を落ち着かせましょう。これも皇族の役目ですから」

「ありがとうございます。それでは準備ができ次第、お迎えにまいります」


 マリエラは言った。


「殿下はそれまでお休みになっていてください。すべては、自分たちが手配いたしますので──」


 ドアの向こうで、マリエラが去って行く足音が聞こえた。

 すぐにメイドたちが、着替えを持ってやってくる。


「お召し替えをお手伝いいたします」と言われたが、ソフィアは彼女たちを部屋に入れるのを拒んだ。

 旅についてきたメイドたちは、すべてザグランの配下だ。

 彼女たちを側に置けば、ソフィアの言葉も様子も、体調さえも伝わってしまう。

 それが仕方のないことでも──町に来た初日から監視かんしされるのは、嫌だった。


 ソフィアは簡素なドレスに着替えながら、自分の体調を確認する。

 旅の間よりはずっといい。

 すぐに疲れてしまうのは相変わらずだけれど、それは仕方がない。

 それより、服を着ると身体が重くなったように感じるのはどうしてだろう。昔からずっと不思議だった。そんなに重い布を使っているわけでもないのに。


「……勇者の言葉で言えば『ポンコツ』ですからね、私は」


 そう言って、ソフィアはまた、ベッドに腰を下ろした。

 しばらくして、副官マリエラが、部屋をノックした。

 ソフィアは彼女に連れられ、民が待つ広間へと向かったのだった。






「ソフィア・ドルガリア皇女殿下に拝謁はいえつが叶いましたことを、感謝しております!」

「これに勝る喜びはございません。ありがとうございます。殿下!」


 広間では、町長と商業地区の代表者が平伏へいふくしていた。


 ソフィアには、ふたりの姿がよく見えない。

 彼女の顔は、薄いヴェールで隠されているからだ。


 広間に入る前に、マリエラが着けたものだ。

 皇女は平民に顔をさらすものではない、という理由からだったが、そんなルールはどこにもない。おそらくは、ザグランの指示だろう。


 ソフィアの前には、護衛の兵士たちが並んでいる。

 その隙間から町長たちを見つめながら、ソフィアは皇女としての礼をした。


「皇帝陛下の命令により参りました。皇女──ソフィア・ドルガリアです」


 旅の疲れは残っているが、話をするくらいはできる。

 皇女として、民の不安を解消しなければ──そう考えながら、ソフィアは話し続ける。


「たて続けに兵が来たことで、皆は不安に思っているかもしれません。けれど、心配は無用です。今回の訓練は戦のためではなく──」

「──魔王領という脅威きょういがある以上、国境の備えを固めるのは当然のこと」


 ソフィアの言葉をさえぎり、部隊長アイザックが言った。


「我がドルガリア帝国の兵は、勇者を目指して日々鍛錬たんれんを続けている。今回の軍事訓練は、その一環いっかんである。我が兵士たちの力を、君たちも見るがいい。そうすれば不安など吹き飛ぶだろう」

「──お待ちなさい。アイザック・ミューラ!」

「皇女殿下はお疲れにも関わらず、君たちにお言葉をくださった。その恩義おんぎを忘れぬように。君たちが我が部隊に協力することこそが、殿下のお望みであるのだから」


 そう言ってアイザックは手を振り、町長たちに退出たいしゅつうながす。


(違います。民が不安に思っているのは、兵士の強さを疑っているからではなく──)

「皇女殿下、こちらへ」


 となりにいたマリエラが、ソフィアの手を取った。

 広間に戻ろうとするソフィアを、廊下へと連れ出していく。


「殿下はあいさつだけで結構です。下々の者とお話される必要はございません」


 副官マリエラは目を怒らせて、ソフィアを見ていた。


「殿下のお役目は、軍事訓練の際に『光属性の攻撃魔術』を使っていただくこと。そのためにこそ、殿下はここにいらっしゃるのです。それをお忘れなく」

「しかし。民が不安に思っているのであれば、それを解消するべきでは……?」


 ソフィアは途切れ途切れに、言葉を続ける。


「民は……魔王領との戦になると思っているのかもしれません。ここは国境近くの町です。帝都にいる私たちとは……魔族や亜人に対する考え方も違いましょう。ならば……私たちに戦うつもりがないことを伝えて……」

「やはり、お疲れのようですね」


 そう言ってマリエラは手を叩き、メイドたちを呼んだ。

 食事の支度をするように命じてから、ソフィアを二階へといざなう。


「お休みください。すぐに温かいスープを用意いたします。身体を温めて落ち着かれれば、余計なことを考えることもなくなるでしょう」

「マリエラ! 私は民のことを考えるべきだと──」

「それは殿下には関係ございません」


 マリエラはソフィアの言葉を切り捨てた。

 それから彼女は、声をひそめて、


「民との対話や交渉は、すべて自分がいたします。すべて、予定通りに、過不足なく行います。自分は軍務大臣ザグランさまのお心のままに軍事訓練が行われるように進めて参ります。ソフィア殿下がお心を悩ませる必要はございません」

「……ですが」

「はい。わかりました。民のことが気になるのでございますね? では、殿下に町をご案内する機会を設けましょう。馬車で町をめぐれば、民の様子もわかりましょう。それでご満足いただけますか? 殿下」

「……そうですね。もう、わかりました」


 ソフィアは、話す気力が失せていくのを感じていた。

 マリエラは、自分と話をする気がないのがわかったからだ。


「お食事の後、書状をお持ちいたします。魔王領に、部隊の到着を伝えるものです。文面はこちらで書いておきますので、サインだけ、お願いいたします」


 そう言って、副官マリエラは広間の方へと戻って行った。

 ソフィアはメイドたちと共に、自室へ。

 部屋に入ると、彼女は椅子に座り、肩を落とした。


 自分ができそこないで、勇者の世界で言う『ポンコツ』なのはわかっていた。

 だから、雑に扱われることは覚悟していたつもりだった。

 だが──これほどまでとは思わなかったのだ。


 部隊長のアイザックと副官のマリエラは、ソフィアのことを見ていない。

 ふたりはそれぞれ主導権を握ろうとしている。だから、おたがいのことしか見ていない。

 ソフィアには、そんなふうに思えた。


「……これが、3年も続くのでしょうか」


 ソフィアはため息をついて、机の上の本を手に取った。

 帝都から持って来た本だ。

 勇者が自分たちの世界についてどう語ったか、それを聞いた帝国の祖先がどう感じたか──そんなことが記されている。


 ソフィアは本に触れると、不思議に気持ちが落ち着いてくる。

 本に書かれている知識は、自分を知らないところに連れて行ってくれる。

 今では召喚しょうかんされなくなった勇者たちのことだって、教えてくれる。それがうれしかった。


「そういえば……勇者の世界には、遠くに声を届けるアイテムがあったのでしたね。確か『スマホ』というものだったでしょうか。私にも、そんなアイテムがあればいいのに……」


 ソフィアは、窓を開けた。

 目を閉じ、遠くの誰かに語りかけるように──ささやきかける。


「勇者よ。どうか私に『スマホ』と同じ力をください。民と……魔王領の者たちに、言葉を届けて欲しいのです。私に魔王領への敵対の意志はないと。魔王領といくさを起こすつもりも、民を巻き込むつもりもないと──」




「──────いいよー」




「……え?」


 かすかに聞こえた声に、ソフィアは周囲を見回した。

 見下ろしても、狭い庭があるだけだ。人の気配はどこにもない。


 そういえばこの町に来る途中、羽妖精ピクシーの姿を見たような気がする。

 でも、彼女たちは人前に現れない種族だ。

 自分から話しかけてくるなんてありえない。


「だとすると……本当に『スマホ』と同じ能力を……?」


 ソフィアがそうつぶやいたとき、ノックの音がした。


 ソフィアは急いで窓を閉めた。

 椅子に座り、ずっと本を読んでいたようなポーズを取る。

 そうしてから返事をすると、メイドたちが部屋に入ってくる。

 彼女たちは食事の用意を整えてから、部屋の隅に移動した。


「食事が終わったら呼びます。さがってよろしい」

「恐れながら、殿下のお側にいるようにとおおせつかっております」


 年若いメイドは、そう言って一礼した。

 立ち去るつもりは、なさそうだった。


 だから、ソフィアは食事の間、窓を見ないようにしていた。

 さっきのことは誰にも言わない方がいい。そんな気がしたのだ。


(魔王領には『魔獣ガルガロッサ』と眷属けんぞくを倒す力があると聞いています。同じように、彼らが私に理解できないような……例えば、遠くに声を届けるような力を持っているのだとしたら……?)


 彼らはすでに、こちらの情報をつかんでいるのかもしれない。


 結局、ソフィアは今あったことを、誰にも話さないことに決めた。

 不確かな情報は、まわりを不安にさせるだけだからだ。


 仮に、魔王領がなにかの力を使って、偵察ていさつしているのだとしたら、今は気づかないふりをした方がいい。

 そうすれば、こちらからにせの情報を流すこともできる。

 ソフィアが彼らに敵対する意志がないことを、伝えることもできるはずだ。


 それに、今回の軍事訓練は、魔王領にも公開される。

 隠さなければいけないことは、なにもないのだ。


(本当に魔王領が、勇者の『スマホ』のようなアイテムを持っているのだとしたら……)


 ぜひ、見てみたい。

 どうせソフィアの身体は『ポンコツ』だ。長くは生きられない。

 だったら、死ぬ前に勇者の世界のアイテムを見てみたい。


 その後で、妹のリアナに伝えるのだ。


『この世界には、私たちには想像もできないものがあります。強さだけで、すべてを解決することはできないのですよ』──と。


(姉として、私がリアナにできることは……それくらいなのですから)


 声に出すことなく──ソフィア皇女はそんなことをつぶやいたのだった。

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