第28話「ライゼンガ将軍、帝国貴族と交渉する」

 ──トールが『レーザーポインター』を作っていたころ、ライゼンガの領地では──






 ここは、魔王領の南にある火炎将軍ライゼンガの領地。

 その中心にある将軍の館に、帝国からの使者が来ていた。


 使者の名前は、ガルア辺境伯へんきょうはく。 

 魔王領に最も近い場所に領地を持つ、帝国貴族だった。


「はじめまして。火炎将軍ライゼンガどの。自分はドルガリア帝国より参りました、ガルア辺境伯へんきょうはくと申します」


 帝国貴族であることを示すマントをつけた男性が、ライゼンガ将軍に向かって頭を下げた。

 それに対してライゼンガも軽く会釈えしゃくし、あいさつを返す。


「魔王陛下より南方の領地を預かる将軍、ライゼンガ・フレイザッドと申す」


 今回の会談は、魔王ルキエも同意してのものだった。

 目的は、鉱山開発について交渉をするためだ。


 数ヶ月前、ライゼンガが預かる山岳地帯で新たな鉱脈こうみゃくが見つかった。

 場所は帝国との国境近く。

 すぐ側にはガルア辺境伯へんきょうはくの領地がある。


 魔王領はすぐにも鉱山の開発を始めるつもりだったが、調査の結果、近くに強力な魔獣まじゅうが住み着いていることがわかった。

 開発の前に、まずはその魔獣を倒さなければいけない。


 しかし、国境地帯に兵を集めれば、帝国から『魔王領に侵攻の意志あり』と誤解されるかもしれない。

 また、下手に魔獣を刺激して、魔獣が町を襲うようなことになれば、帝国にも迷惑がかかる。


 そう考えたライゼンガは、帝国のガルア辺境伯に、事情説明の使者を送った。

 数回のやりとりのあと、以下のような計画が持ち上がった。



・魔王領は、帝国と協力して魔獣の討伐を行う。

・鉱山が開発されたあかつきには、帝国は採掘された銀の一部を報酬として受け取る。



 そうして、将軍と辺境伯の間で書面による交渉が続き──

 今、最後の詰めの段階に入っているところだったのだ。




「条件を確認させていただいてもよろしいでしょうか。ライゼンガどの」

「ああ。構わぬ」


 ライゼンガは辺境伯の前に、一枚の羊皮紙ようひしを置いた。


「条件はここに書かれている通りだ。なにか気になる点はおありか? ガルア辺境伯」

「そうですね……まずは確認ですが。帝国は『魔獣ガルガロッサ』討伐のため、兵を提供するということでよろしいでしょうか? 兵数は50から100名になりますが」

「うむ。問題ない。協力していただけるのは助かる。あの魔獣は多くの配下を引き連れているからな」


 辺境伯の言葉に、ライゼンガはうなずいた。


「帝国から来た兵士たちは、我々魔王領の者と協力して戦う、ということでよろしいな? ガルア辺境伯よ」

「はい。それで、こちらがいただく報酬についてですが……」

「鉱山が開発された後、採掘さいくつされた銀の一部を帝国に、報酬ほうしゅうとして差し上げることにしてある。これでどうだろうか?」

「貴国の魔王陛下も、この条件に納得されているのですな?」

「もちろんだ。ルキエ・エヴァーガルド陛下は、この条件なら問題ないとおっしゃっていた」

「銀の一部をこちらに。期間は1年、ですか」


 ガルア辺境伯は、書類から顔を上げた。


「銀をいただく期間を、もう少し長くはできませんかな?」

鉱脈こうみゃくがどれほどあるかわからぬ。確たることは言えぬよ」

「できれば2年、いえ、4年いただければうれしいのですが」

「魔王陛下にはすでに1年と伝えておる」

「そこはそれ……やりようはあるものでして」


 ガルア辺境伯は手もみをしながら、にやりと笑った。

 辺境伯は、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした男性だ。

 身長はライゼンガに及ばないが、帝国でも名のある戦士だと聞いている。


 辺境伯は武器を従者に預けて、ライゼンガの屋敷までやってきた。

 勇気ある人物だとは思う。

 もっとも、会談の場所は屋敷の出口に近い部屋を選んだ上に、外には多数の兵を控えさせているのだが。


 勇敢な戦士をたっとぶのは、ライゼンガの家の方針だ。

 ガルア辺境伯が交渉役であることに不服はない。

 だが、このねばつくような目つきはなんとかならないものだろうか。


「……やりよう、とは?」

「口に出すのはやぼでございましょう」

「口に出してもらわねば、わからぬ」

「では、申し上げましょう。銀をいただく期間を4年に延ばしていただくお礼として、帝国に送られた銀の一部を、ライゼンガ将軍にお渡しいたします。これは将軍への個人的なお礼です」


 ガルア辺境伯は、唇をゆがめて、笑った。


「帝国の取り分は減りますが、その分、期間は長くなるのです。皇帝陛下もお喜びになりますでしょう。もちろん、ライゼンガ将軍も得をなさいます」

「話にならぬな。それではわれが魔王陛下をだますことになる」

「将軍が口を閉ざしていればわかりますまい」

「貴公が真実を知っているであろう?」

「このガルア、口は堅い方でございまして」

「……貴公は信じられる人間か?」


 ライゼンガは、カップに入ったお茶を飲み、ひと呼吸おいてから、続ける。


「貴公は書状に、魔王領に送られてくる客人は『強力な武人』だと書いていたな。見た目は強そうに見えなくとも、我が腕試しをするのにぴったりの、強い男だと」

「おっしゃる通りです。将軍は、あの者と戦われたのですか?」

「まさか。見ただけでわかったよ。彼は武器を持って戦う者ではないと」

「それは残念。ですが、将軍としては、ああいう者は気に入らないのではないですかな? 貴族の血を引くのに戦えず、なのに、のうのうと生きている。あの者は将軍のお力で、性根をたたき直していただくべきと存じますが」

「……性根を?」

「帝国と魔王領は、今は和平を保っているとはいえ、かつて戦った国々。帝国に恨みを持つ者もいるでしょう。ぜひとも、彼をそういう者に差し出すがよろしい。そうすれば帝国に恨みを持つ者の胸も晴れるでしょう」

「貴公が……トールどのを『戦士』として紹介した理由が、それか」

「はい。公爵さまもおっしゃっていました。トール・リーガスは公爵家の恥だと。せめてその命をもって、帝国の役に立つべきだと。そこで、さきほどの話に戻るのですが……」


 ガルア辺境伯はテーブルに手を突き、身を乗り出した。


「名案がございます。今回の魔王領と帝国の契約を4年に伸ばし、帝国が銀の一部を魔王領に送っていることがばれた場合は……トール・リーガスに責任を押しつけるのはどうでしょうか?」

「…………」

「彼が将軍をだまして、書類の一部を書き換えていたことにします。そうして、帝国に渡すはずの銀を、自分のふところに入れていた。その銀は、彼が帝国に戻るための裏工作に使っていたことにしましょう」

「…………」

「これなら、将軍に迷惑はかかりません。トール・リーガスなる者が、すべての罪を背負って消えるだけです。彼はその命をもって、帝国と将軍の役に立つこととなります。よい考えだとは思いませんか?」

「……ひとつ、たずねる」


 ライゼンガ将軍はテーブルに視線を落としたまま、告げる。


「『トール・リーガスどのに責任を押しつける』というのは、貴公の判断か?」

「私だけではございません。父君であるリーガス公爵の提案でもございます」

「そうではない。貴国の皇帝は、このことを知っているのかと聞いている」

「いいえ。陛下がご存じなのは、銀をいただく期間を4年に延ばすことのみでございます」


 ガルア辺境伯は肩をすくめた。


「帝国に奉仕するのは貴族のつとめ、いちいち陛下にご報告するほどのことではございませんよ」

「……そうか、良かった」

「え?」

「帝国そのものを軽蔑けいべつせずに済んだ。魔王陛下は『人間に学ぶ』という考え方をお持ちだ。その陛下を、悲しませたくないからな」

「あ、あの……ライゼンガ将軍?」

「……もういい。黙れ。これ以上、口を開くな」



 ばきぃんっ。



 ライゼンガ将軍の手の中で、陶器とうきのコップが砕け散った。

 将軍はそのまま拳を握りしめ、破片を粉になるまですりつぶす。


 ぼっ、と、将軍の髪から炎が立った。

 赤銅色の肌がさらに赤くなり、深紅の瞳が黄金色に染まり始める。

 将軍は無言で腕を伸ばし──屋敷の出口を指さした。


「出ていけ」

「は、はい?」

「貴公のような下劣げれつな者と話す口はない! 出ていけ! 二度と我が前に姿を現すな!!」

「ひぃっ!?」


 だん、と、ライゼンガがこぶしを叩き付けたテーブルが、天板から真っ二つに折れる。

 飛び散った木片は彼の周囲で、火の粉となって舞い上がる。


「魔王陛下をだますというだけでも罪深いというのに……こともあろうに、恩人であるトールどのを利用しろだと? 事が露見ろけんしたときには、罪をすべて彼になすりつけろだと……? 我が友であり、我が娘の恩人でもあるトールどのを!? ふざけるのもいい加減にしろ!!」

「わ、我が友!? あの者が!?」

「ああ。我はトールどのを尊敬している。そして、彼を登用した魔王陛下に忠誠を誓っているのだ!!」

「な、なぜ!? トール・リーガスなどに!?」

「『トール・リーガスなど』だと? 貴公はどこまであの方を侮辱すれば気が済むのだ!!」


 部屋の温度が上昇していく。

 ライゼンガ将軍の身体から、熱が放出されているのだ。

 目の前でゆらぐ炎と、将軍の怒り。

 その両方に圧倒されて、辺境伯が真っ青な顔になる。


「わ、わけがわかりませぬ。トール・リーガスがどうしたというのです!?」

「トールどのは、娘アグニスの婿むこにと、われが心に決めたお方だ!」


 ライゼンガ将軍は深紅の目で、辺境伯ガルアをにらみつけた。


「そのトールどのを利用するなどとはあり得ぬ! 貴公との交渉はここまでだ! この件は、魔王陛下にすべて報告する!! 陛下より、帝国の皇帝にも書状が行くだろうよ。貴公が汚い手を使って魔王陛下をだまし、我とトールどのを利用しようとしたことがな!!」

「そ、そんな。この話を受け入れていただければ、将軍にも利益が──」

「そんなもの、アグニスの笑顔に比べれば塵芥ゴミに等しい!!」

「で、では、鉱山の件は!?」

「もともと、今回の交渉は帝国と魔王領の友好のためのもの。鉱山の魔獣を討伐するため集める兵が、帝国への侵攻のためのものだと誤解されぬように交渉してきたのだ」


 怒りに震える声を抑えて、ライゼンガ将軍は続ける。


「だが、貴公では話にならぬことがわかった。魔王領に敵対の意思がないことは、帝国の皇帝に、直接書状で伝えることとしよう」

「そうではありません! 鉱山の件は皇帝陛下にもお伝えしているのですよ!? ここで交渉役から外されたら、私と、公爵さま・・・・の立場は……!?」

「この件は魔王陛下より、我に一任されている」


 ライゼンガは腕を、窓に向けて振った。

 金属で補強された窓が、あっさりと砕け散る。


 すでに騒ぎを聞きつけていたのだろう。

 窓の下にはライゼンガの配下と、ガルア辺境伯の配下が集まっていた。


「火炎将軍ライゼンガの名において告げる! 辺境伯ガルアどのより、魔王陛下と我が友に対しての看過かんかできぬ発言があった! 魔王陛下より交渉を一任された我の責任において、辺境伯との交渉はここまでとする!!」


 ライゼンガ将軍は、窓の外に集まった者に向かって、叫んだ。


「さぁ、速やかに帰るがいい! 辺境伯よ。交渉は決裂したのだ!!」

「ま、魔獣はどうするつもりなのですか、将軍よ。あなたたちだけで、あの魔獣を倒せるとでも──」

「言われるまでもない。奴の恐ろしさは、我もよく知っている」

「今すぐ謝罪なさい! そうすれば──」

「友を侮辱した者に下げる頭など持たぬ!」

「──ぐっ」

「そんなことをするくらいなら、魔獣の前にこの命を散らした方がましだ! わかったら消えろ!! 今すぐに!!」


 ライゼンガは叫んだ。

 しばらくの間、辺境伯ガルアは将軍をにらみ返していたが──


「……は、話が違う。どうしてこんなことに……」


 ──つぶやいて、彼は部屋を飛び出していった。


 しばらくすると窓の外で、辺境伯とその兵が去って行くのが見えた。

 これから帝国に戻るのだろう。

 皇帝に報告して、それから向こうの動きがあるまでしばらく時間が必要かかる。

 こちらは魔王陛下に報告して、判断をあおごう──そんなことをライゼンガが考え始めたとき──


「……お父さま」

「アグニスか。すまぬな、窓をこわしてしまった。嫌な空気を入れ替えようと思ったのだが、やりすぎてしまったようだ」


 聞こえた声に、ライゼンガは振り返る。

 部屋の入り口にアグニスが立っていた。


「一体なにがあったのですか。お父さま」

「お前が気にするほどのことではないよ」

「お父さま!」

「……帝国からの使者が、トールどのを侮辱したのだ」

「わかりました。ちょっと……追いかけて……燃やしてくるので」


 反射的に駆け出そうとするアグニス。

 胸元のペンダントが光り、五属性の身体強化を発動する。


「待て! アグニス!!」

「トールさまを侮辱する方はアグニスの敵なので!!」

われも同じ気持ちだ! そのわれが、必死に怒りをこらえているのがわからぬか!?」


 ライゼンガは叫んだ。

 アグニスが振り返ると、父の髪から炎が上がっているのが見えた。

 部屋の温度も上昇し、熱で空気がゆらいで見える。

 火の魔力を操作できるライゼンガでも、怒りのために、炎を抑えきれずにいたのだ。


「……アグニスよ。仕返しするのはよい。だが、そのことをトールどのになんと伝えるつもりだ?」

「……あ」

「帝国の貴族があなたを侮辱したので、アグニスは復讐ふくしゅうしましたとでも言うのか? だが、帝国の貴族の本心を知ったら、トールどのは傷つくだろう。また、そのせいで魔王領と帝国がいくさになったら、あの方はつらい思いをするのではないか?」


 父の言葉に、走り出したアグニスは足を止めた。

 強化された身体能力で壁を蹴り、その反動でジャンプ。

 そのまま、ライゼンガの前に着地する。


「……わかりました。アグニスは、トールさまが傷つくのは、嫌なので」

「……帝国ではトールどのを魔王領の人質か、自由に使えるなにかだと考えているようだ。だが、トールどのがそれをご存じだとは思えぬのだ。もし知っていたとしたら……あんなに穏やかでいられるはずがない」

「アグニスも、そう思います。トールさまは、優しいので」

「わかる。それゆえ……この件は、トールどのには伏せておくこととしよう」


 ライゼンガとアグニスは並んで、窓の外を見つめていた。

 すでに帝国の兵士たちの姿は見えない。

 さっさと領外へと出て欲しいものだと、ライゼンガは思う。


 追いかけて燃やしたくなるからだ。


 やはり、将軍の位は返上しておくべきだった──彼は声に出さずにつぶやいた。

 ただの民であれば、友を侮辱ぶじょくしたものに炎をぶつけても、自分が責任を取るだけで済む。他に迷惑はかからない。

 だが、ライゼンガは魔王領の将軍だ。

 怒りにまかせて辺境伯を攻撃したら、それは魔王領と帝国の問題になってしまう。


「まずは、魔王陛下に報告をせねばならぬな。交渉が決裂したと」


 ライゼンガはため息をついた。


「魔王城に書状を出すとしよう。今回の件、罪はすべてこのライゼンガにある。魔王陛下がお怒りならば、将軍の地位も領地も返上し、一兵卒いっぺいそつとしてやり直す所存、とな」

「お父さま……」

「うむ。そうなったらアグニスは……トール・リーガスどののメイドにしていただくがいい。『原初の炎の名にかけて』、あの方のものになると誓ったのだ。不満は……ないようだな。言わずともよい。その顔を見ればわかる」

「…………恥ずかしいのです」


 こうして、ライゼンガ領と辺境伯の交渉は決裂したのだったが──



「あの辺境伯は、将軍閣下の友人を侮辱したらしい!」

「だったら交渉決裂こうしょうけつれつも仕方ないな!!」

「鉱山にいる魔獣など、我々だけで倒してやる!!」



 ──配下の兵士たちからは、全く不満は上がらなかった。


 その後、ライゼンガは魔王ルキエに書状を出し、すべてを報告した。

 数日後、返事が来た。



『報告書を読んだ。辺境伯ガルアとやらの提案をったこと、賢明な判断である。貴公に罪はないことを、魔王ルキエの名においてここに記す。


 また、貴公からの報告と前後して、帝国の皇帝より書状が来た。

 今回のことは辺境伯ガルアとやらの独断であり、皇帝も知らなかったとのことだ。

 関係者は、皇帝の名において処分されるらしい。


 魔獣討伐についても新たな提案があった。

 帝国側は予定通り、魔獣討伐のための兵を出すそうだ。

 謝罪を兼ねているため、報酬は不要とのことだった。


 ただ、帝国からは聖剣使いの第3皇女が来るそうだ。

 皇帝の一族が出征してくるとなれば、余もそれなりの出迎えをせねばならぬ。


 よって、余自らが兵を率いて、魔獣討伐に出向くこととした。

 火炎将軍ライゼンガには、魔王親征の準備を命ずる』



「魔王ルキエ・エヴァーガルド陛下、初のご親征しんせいである!!」


 書状を読み終えたライゼンガ将軍は、部下に向かって声をあげた。


「それに同行するのは大変な名誉である。皆の者! 用意をせよ!! アグニスには陛下を出迎えるに相応ふさわしい服を仕立てよ!!」


 そうして、ライゼンガ将軍と部下たちは、魔王を出迎える準備を始めたのだった。

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