第150話「交易所で防御陣形を展開する」

 ──ソフィア皇女が侵入者を捕らえる少し前。国境地帯の交易所では──




 夕方。交易所の周囲に、数人の旅人が隠れていた。


 草色の服に、表裏で色が違うマント。膨らんだ革袋。

 長旅をしてきたことを示すように、顔には土埃がついている。


 彼らは静かに、交易所へと近づいていく。

 背の高い草に隠れながらの、素早い動き。周囲を探るような、鋭い眼光。

 彼らはリカルド皇子配下の調査部隊だった。


「これより我々第1部隊は、交易所の調査を行う」


 部隊の隊長は言った。


「ここは『ノーザの町』と魔王領が共同で作った場所だ。国境地帯の情報を得るにはちょうどいいだろう」


 彼は柵で囲まれた交易所を指さした。

 交易所の中央には石造りの建物がある。数はふたつ。

 そこが、今日の調査対象だ。


「あの建物に忍び込み、内部を調査する。書類などがあれば持ち帰る。盗賊とうぞく仕業しわざに見せかけるため、金目の物も持ち出すことになるだろう。なにか質問はあるか?」

「建物は『交易所の管理施設』と『休憩所』だと資料にありました。どちらを調査しますか?」


 部下の一人が手を挙げ、問いかける。

 部隊長は首を振って、


「両方だ。情報はすべて持ち帰る。魔族と亜人が『例の箱』を手に入れようと画策している可能性もあるのだからな」


 人間と亜人が交易を行うなど、帝都では考えられない。

 となれば、魔王には交易以外の目的があると考えるべきだろう。


 魔王領の者たちは、強敵『魔獣ガルガロッサ』をあっさりと倒した。

 その後に出現した巨大ムカデと、巨大サソリの魔獣も瞬殺したのだ。

 それほどの強さを誇る者たちが、交易のためだけの施設を作るわけがないのだ。


「国境地帯に交易所が設置されたのは、新種の魔獣が討伐された後だと聞いている」


 部隊長は言った。


「もしかしたら魔王領は、あの魔獣が召喚されたものだと知って、新たな勇者召喚が行われると考えているのかもしれない」

「た、確かに……それはあり得る話です。隊長」

「だから、ここを調べる必要があるのだ。ここは魔王領のものたちが管理していると聞く。探れば、奴らの考えていることもわかるだろう」


 彼らは、交易所を囲むさくに近づいて行く。

 獣除けに作られた、木製の柵だ。高さは低く、簡単に飛び越えることができる。


 柵の向こうは閑散としている。

 今日は交易が行われていないのだろう。人の姿はまったく見えない。


 警備も薄い。入り口にミノタウロスの兵士がいるだけだ。

 交易所が休みだから警備が薄いのだろう。

 それは分かるが……不用心すぎる気もした。


「もう少し近づいて状況を確認する。危険であればここを離れ、ソフィア殿下のところに行った部隊の支援に回るとしよう」

「「「──了解しました」」」


 調査部隊は草に隠れながら進んでいく。

 すると──


「部隊長。なにか立て札があるようです」

「うむ。読んでみろ」

「はい。『交易所は改築のため、お休みします。改築工事中は危険なので近づかないでください』──だそうです」

「「「…………」」」


 調査部隊の兵たちは顔を見合わせた。

 よく見ると、同じような立て札は他にもあった。



『危険なので近づかないように。警告しましたよ?』

『近づかないでと言ってますよね?』

『本当に交易所はお休みなのです。町長や村長にも連絡していますので、確認してください』



 ──立て札には、そんなことが書かれていた。


「警戒が薄いのはこの立て札のせいか? 警告すれば、人は近づかないと?」

「魔王領は強力な戦闘能力を持っております。国境地帯の民はそれを知っているはず。ならば、立て札でも警告の役目を果たせるのではないでしょうか」

「そういうことか」


「となると隊長。魔王領の油断もわかります」

「警備が薄いのは、彼らが自分たちは強いと思っているからではないでしょうか?」

「最強の自分たちに逆らえる者などいない、そう考える者もいます」

「亜人の考えそうなことで──」



 彼らは声をひそめて話し合う。

 そうして、短い打ち合わせが続いたあと──


「──隠れろ。森から誰かが出てくる」


 部隊長の声で、調査部隊の者たちは一斉に地に伏せる。

 彼らがいるのとは逆方向。魔王領の方角。

 そこから獣人とリザードマンがやってくる。


 彼らは、武器を持っていない。

 手にしているのは桶とモップ、ホウキなどだ。

 交易所の掃除にでも来たのだろうか。



「────『折れぬ突撃槍アンブレイカブル・ランス』──使命は」

「────恐怖を克服する──機会」

「────お掃除当番」

「────お風呂をピカピカにして──師さまにほめてもらうのだ」



 彼らが話す声が聞こえた。


 彼らは今のところ、こちらには気づいていないようだ。

 だが、相手には聴覚の鋭い獣人がいる。対策は必要だろう。



『ここから先は、声を立てるな』



 部隊長は部下たちに、ハンドサインを示した。

 隠密行動の基本だ。

 聴覚の鋭い相手がいる時は声を出さず、手で合図をすることにしてあるのだ。


『奴らを観察する』

『奴らが通ったルートは安全だ』

『気配を消すことを徹底』

『発見されたら、逃げる』


 ハンドサインを組み合わせ、部隊長は命令を下していく。



『『『了解しました』』』



 兵士たちは気配を殺し、地面に伏せ続ける。


 やがて、獣人とリザードマンが中央の建物に入っていく。

 彼らの姿が見えなくなる。

 調査部隊が作戦を開始するには、いいタイミングだった。



『──行くぞ』



『『『はい。副隊長!』』』


 部隊は交易所に近づいて行く。


 彼らはふと、敷地を囲む柵の向こうに、奇妙な置物があるのに気づいた。

 色は赤色。円錐形えんすいけいをしている。それが敷地のあちこちに置かれている。南側の門の近くには、先端に鳥のような彫刻がついたものもある。


 改築中を示すものだろうか。

 それとも、人間にはわからない、魔王領の風習だろうか。

 彼らがそんなことを考えていると──



『チカヅクナ! 取って食うぞコラアアアア!』



 巨大な殺気が、調査部隊の者たちに襲いかかった!


「────ひ、ひぃぃぃっ!?」

『馬鹿者! 声を立てるな!!』


 部隊長は反射的に、声を立てた兵士を押さえつける。

 その間も巨大な殺気は押し寄せる。

 部隊長の身体が震え出し、全身の皮膚ひふに鳥肌が立つ。


(──な、なんなのだ。この殺気は──!?)


 声は聞こえない。

 ただ、『取って食うぞ』という殺気が襲って来ているだけだ。

 まるで、喉元に牙を突き立てられているような感覚だった。


 彼らは優秀な調査部隊だ。戦闘経験も多い。

 闇の中で盗賊を討伐したことも、凶暴な魔獣と戦ったこともある。

 その時でさえ、恐怖を感じたことはなかった。 


 なのに、押し寄せる殺気に、身体の震えが止まらない。

 叫び出したい。

 今すぐ、逃げ出したい──


「────っ! ──っ!!」

『すまぬ。静かにしていてくれ』


 部隊長は、パニックを起こした者を縛り上げ、猿ぐつわをませた。

 これでもう声は上げられない。


『部隊1名の離脱を確認。帰途に回収する』


 部隊長は震える手でハンドサインを示した。


『残りの者たちは少し待て。これからお前たちに「感覚を鈍らせる魔術」を使う』

『──ぶ、部隊長!?』

『──それは危険では!?』

『──その魔術は敵に使うもので、仲間に使うものでは……』


 感覚を鈍らせる魔術は、主に戦闘補助に使われるものだ。

 対象の魔獣や人間の視覚・嗅覚・皮膚感覚などを鈍くする効果がある。

 主に敵や獲物の回避能力を下げたり、逃げやすくするために使われている。


 弱い魔術で、効果時間も短い。レジストされることも多い。

 だが、自分や仲間に使うなら話は別だ。

 レジストせず、そのまま受け入れればいいからだ。


「お前たちも知っているだろう。この世界に召喚され、怯えていた勇者のことを」


 部隊長は小声で話し始める。


「彼は最初の戦闘で、自分自身に『感覚を鈍らせる魔術』を使用した。そうすることで恐怖を克服し、みずから『バーサーカー』と名乗るようになり、魔獣に立ち向かったのだ。我々もそれにならおうではないか」


 おそらく殺気を生み出すものは、交易所の外側に設置されている。


 その証拠に交易所の中央では、獣人とリザードマンは掃き掃除をしている。

 鼻歌を歌いながら、楽しそうに。


 あれはこの殺気が交易所の外にしか影響がないことを示している。

 ならば対策は簡単だ。

 一時的にこちらの感覚を鈍らせて、殺気を感じないようにする。

 その間に内部に入り込めばいい。

 そうして魔術の効果が切れるのを待てば、落ち着いて調査ができるはずだ。


『──以上だ。質問は』


『『『──ありません』』』


『では、魔術を使用する。全員、そのままだ』


 部隊長は部下たちに魔術をかけていく。

 最後に、自分にも魔術を使用する。

 途端に視界がぼやけていく。風の音も遠ざかる。


(──感覚を鈍らせれば、殺気を感じなくなるはずだ)


 ──よほど強烈な殺気でなければ。


 そんなことを考えながら、調査部隊は動き出す。

 彼らは交易所を囲む柵に手をかけた。


 その直後──


「────ぐが────ぁ!」


 再び巨大な殺気が押し寄せて、別の部下がパニックを起こした。

 部下は目を身体を丸めて、必死に悲鳴をこらえている。うずくまる背中が震えている。引っ張っても叩いても、動かない。

 完全に呆然自失状態だった。


(ま、まだ殺気が来るのか!? 感覚を鈍らせても駄目なのか!?)


 即座に部隊長はパニックを起こした部下を拘束し、口をふさぐ。

 これで脱落者は2名。

 残った調査部隊は、隊長を含めて3名だ。


(──もう、撤退てったいするべきだろうか)


 一瞬そう考えて、部隊長は首を横に振る。

 逃げたらリカルド皇子の名前に傷が付く。

 調査部隊が得体の知れない恐怖に怯え、逃げ去るなどあり得ない。


『彼も帰りに回収する。行くぞ』


 部隊長は部下と共にさくを乗り越え、交易所の敷地内に入った。

 同時に『感覚を鈍らせる魔術』の効果が切れる。


 目的地に視線を向けると──交易所の中央では、獣人とリザードマンが掃除を続けていた。

 それと、いつの間にか女性がひとり、亜人たちの隣に立っていた。


(──人間か?)


 耳の後ろに小さな角があるような気がするが……遠すぎてよくわからない。

 人間かもしれない。

 だとすれば、この交易所は人間が入っても大丈夫ということだ。


 美しい女性だ。何者だろうか。

 獣人とリザードマンにお茶とお菓子を振る舞っている。楽しそうだ。

 同じ人間である自分たちは、こんな苦労をしているのに……。


『──まぁいい。盗賊のふりをして近づき、彼女からも話を聞くとしよう』


 隊長は素早く覆面ふくめんをつけた。

 盗賊に化けて、中央の建物に忍び込む。あの女性と亜人たちは拘束する。

 そうしてあらいざらい情報を手に入れるのだ。


 そう思って部隊長がハンドサインを出し、振り返ると──



 ぴくぴく、ぴく。


「「…………」」


 残りの部下2名が気絶していた。



『入ってくるなと言っただろうがあああああああっ!!』

『ただいまこちらは工事中ですぐうううううううっ!』

『ごきょうりょくぉぉおおおおおおねがいしますううううぅ!!』



(ぐああああああああああっ!?)


 同時に、さっきとは比較にならないほど、強烈な殺気が押し寄せてくる。


(お、おかしい。中に入れば、殺気は感じないのではなかったのか!?)


 交易所の中央では、やはり女性と亜人たちが話し込んでいる。

 これほどの殺気の中で、どうして落ち着いていられるのだろう……?


(だ、だめだ。これ以上は無理だ。撤退てったいを──この交易所に近づいてはいけないと、殿下にお伝えしなければ──)


 作戦は失敗だった。


 5名のうち2名はパニックを起こしたため拘束した。

 あとの2名は、交易所内にあふれる殺気のせいで気絶している。

 動けるのは部隊長だけ。これでは調査など不可能だ。


(脱出を…………ん? 私は、どこから入ってきたのだったか?)


 仲間をかついで走り出した部隊長が、深紅の円錐に激突した。

 衝撃で地面に倒れ込む。が、円錐はびくともしていない。

 起き上がる部隊長は周囲を見回す。


(な、なぜだ!? 私は柵に向かって走り出したはずなのに……!?)


 方向感覚が狂っていた。

 すでに『感覚を鈍らせる魔術』の効果は切れている。

 なのに、出口がどこなのかわからないのだ。


 さらに──



 シャーッ……シャーッ……。



(……なんだこの音は?)


 耳を澄ますと、なにかが地面を滑るような音が聞こえる。

 その音に、魔族の女性と亜人たちも気づいたようだ。まずい。


「──起きろ! 撤退だ! 作戦は中止。撤退する!!」


 気絶した者の耳元で叫ぶ。彼らが薄く目を開ける。

 なんとか意識を取り戻したようだ。よかった。

 彼らが自分の足で立てるなら、撤退が楽になる。


「……一体なんなのだ。ここは」


 交易所の地下に巨大な魔獣がいるとでも言うのだろうか。

 そうでなければ、なにがこんな恐ろしい殺気を放つというのだ。


 部隊長は周囲を見回す。

 目眩めまいで揺れる視界の中、危険なものはなにもない。


 あるのは入り口を大きく開けた天幕テント

 交易所のあちこちに配置された、真っ赤な円錐形えんすいけいのもの。

 よく見ると、交易所の中央には特殊な円錐形のものがある。先端に、角の生えた獣の彫像がついているものだ。やはり、この円錐形のものがなにか効果を発揮しているのだろうか。


 交易所の中央からは女性と獣人、リザードマンが歩いて来る。

 シャーッ、という音に気づいて、様子を見に来るようだ。


「……急いで逃げなければ……頼む、自力で歩いてくれ」

「……う、うぅ」

「……ひ、ひぃぃぃ」


 部隊長は自分と仲間に、『感覚を鈍くする魔術』を使う。

 殺気が少しだけ弱まる。部下たちが歩けるようになる。

 あとは出口に向かうだけだ。


 この土地には、殺気とは別に、人の方向感覚をおかしくさせるものがある。

 なのに女性と獣人とリザードマンは、涼しい顔で移動している。にこやかに談笑している。


 こっちがこんな思いをしてるのに、なんで笑ってるんだこの野郎。近くに来たら殴りつけてやる──そんなことを考えながら、部隊長は部下を連れて歩き出す。


 近くにある天幕テントに触れながら、ゆっくりと進んでいく。

 方向感覚は当てにならない。この天幕を頼りに歩くしかない。

 天幕の向こうには柵がある。

 あとはなにも考えずに、それを飛び越えればいいだけだ。


(作戦は失敗だが、情報を得ることはできた。この交易所には得体の知れないものがある。リカルド殿下にお伝えしなければ……)


 そうして部隊長は柵へとたどり着く。

 視界はぐらぐらと揺れている。

 それでも助走をつけて、柵を跳び越えようとしたとき──



 シャーッ!!



 目の前を、笑顔の子どもの看板が通り過ぎた。


(──な、なにぃぃぃっ!?)


 金属性の板だった。

 笑顔で駆け出すような、子どもの姿が描かれていた。



 それが、交易所の外周に沿って高速移動していた。



(は、はああああああっ!?)


 なんだこれは。

 さっきまでは、こんなものはなかった。

 調査部隊は普通に、柵を乗り越えてきたはずだ。


 なのに今は、子どもの姿をした看板が、柵の内側を高速で周回している。

 しかも、1枚ではない。2枚か3枚か4枚──いや、動きが速すぎてわからない。

 まるで、子どもがさわやかな笑顔を浮かべて、交易所を走り回っているようだ。


(こ、これは……交易所の安全装置なのか!?)


 魔王領を甘く見過ぎた。

 警備の兵が少なかったのは、兵士以外の者が交易所を守っていたからだったのだ。


 侵入者を威圧する、謎の殺気。

 侵入者の方向感覚を狂わせる、謎のシステム。

 侵入者の脱出をはばむ、子どもの看板。


 それだけの防御機構があるなら、警備兵などいらない。

 この交易所は複数の魔術とマジックアイテムで、厳重に守られていたのだ。


(ここを調査するには……少数では無理だ。100名以上の兵力がなければ……)


 だが、そんなことをしたら戦争になる。

 これだけの能力を持つ者を敵に回すなど、ありえない。

 そもそも100名の兵を送り込んだところで、ここを制圧できるかわからない。殺気で気絶させられて、方向感覚を狂わされるだけかもしれないのだ。


(と、とにかく脱出しなければ)


 部隊長は覚悟を決める。


(ソフィア殿下の方に向かった第2部隊は成果を上げているはず。我々だけが失敗したら……見下されてしまう。彼らの下に立つのはプライドが許さぬ!)


 部隊長は深呼吸する。タイミングを測る。

 作戦は決まった。


 次の『子どもの看板』が通り過ぎたら、柵を跳び越える。

 その後、外から部下を引っ張り寄せる。それだけだ。


(──今だ!)


 彼は走り出す。目眩のせいで足がふらつく。

 柵にまっすぐ向かっているはずが、コースが斜めになっている。

 だが、構わない。そのまま勢いをつけて、ジャンプする。



 ぴたっ。



 その直後、部隊長の目の前で、看板が停止した。

 描かれている子どもが、彼を見た。

 そして──

 


 ごすぅっ!!



 ──勢いよく飛び出してきた看板が、部隊長を吹き飛ばした。


「……こ、こんな。馬鹿な……」


 ありえない。

 自分たちは皇帝一族に選ばれた精鋭で、隠密行動のプロだ。

 作戦に失敗するなどありえない。


「……殿下に……どう報告すれば……」


 交易所に入ったら得体の知れない恐怖に怯えて、見通しの利く場所で道に迷って、高速で周回する子どもの看板に吹き飛ばされました……そんな話を誰が信じるだろうか。

 リカルド皇子を連れてきて……直に体験してもらうしか…………。


 そんなことを考えながら、部隊長は気を失ったのだった。





 ──数分前。文官エルテ視点──



「……『飛び出しキッド』が動いていますね」

「……ということは、侵入者でしょうか」

「……自分が様子を見に行ってくるのだ!」


 文官エルテと、リザードマンと獣人の少年は顔を見合わせた。


 リザードマンと獣人は『『折れぬ突撃槍アンブレイカブル・ランス』の者たちだ。

 彼らはライゼンガ将軍の命令で、エルテの護衛を担当することになっていた。

 彼らが『三角コーン』の恐ろしさを、その身をもって知る者だからだ。


「交易所全体を監視するには、もっと兵士が必要なようですね」


 エルテはため息をついた。


 彼女はつい先日、交易所に派遣されてきたばかりだ。

 役目は、改築工事を視察して、宰相府に報告書を送ること。

 そのために、ここに滞在することになったのだった。


「少人数では、どうしても目の届かないところがあります。錬金術師さまが、この場所に『三角コーン』を持ち込まれたのは正解だったようですね……」

「エルテどの、複雑な表情をされておりますな」

「『五行防衛陣』と『飛び出しキッド』は恐ろしいのだ……」

「とにかく、様子を見に行くといたしましょう」


『折れぬ突撃槍』の2人が先頭に立ち、エルテたちは歩き出す。

 今の交易所には『三角コーン』による『五行防衛陣』が敷かれている。

 お休みの間、交易所を守るための措置だった。


「しかも、今の『五行防衛陣』は『威嚇いかく・飛び出し型』になっているのですよね」


『三角コーン』の中には人間の髪がそれぞれ一本、入れてある。

 人間という種族が近づいたら、その魔力に反応して『三角コーン』は巨大な存在感を発生させる。

 しかも、『五行防衛陣』の効果で、威嚇効果いかくこうかは増幅されているらしい。

 その威力は数倍。熟練の兵士でさえ気絶してしまうほどらしい。


「でも、私たちはなんともないのですね……」


 エルテたちも陣地の中にいるのだが、恐怖はまったく感じない。

 というか、さっきまでのんきにティータイムを楽しんでいた。

 静かで、書類仕事もはかどったくらいだ。


「『三角コーン』は人間にしか反応しません。魔族である私や、獣人やリザードマンであるあなた方には、影響はないのです。そんなに恐がらなくても大丈夫ですよ」

「で、ですが……エルテさま」

「『三角コーン』はおそろしいものなのだ」


『折れぬ突撃槍』のふたりは、身体を縮めて震えている。

 数日前に『三角コーン』の陣内で道に迷ったのが、よほど怖かったらしい。


「大丈夫です」


 そんなふたりに、エルテは笑いかける。


「そのために錬金術師さまは、私たちに『健康増進ペンダント』を渡してくださったのですから」


 エルテは胸元につけたペンダントに触れた。

 青竜・朱雀・白虎・玄武・麒麟の姿が施された、金属性のペンダントだ。

 これには装着者の魔力を変換し、パワーアップさせる効果がある。

 そしてこのペンダントは『五行防衛陣』の中で、もうひとつの効果を発揮する。


「これを身につけている間は、方向感覚が狂うことはない、錬金術師さまはそうおっしゃっていました」

「は、はい。『五行防衛陣』を恐がる我々のために作って下さったのです」

「錬金術師さま、いい人なのだ。でも、説明はよくわからなかったのだ。このペンダントがあれば……正しい東西南北を常に身につけていることになるから、方向感覚は狂わないい……やっぱり、わからないのだ」

「私も理論はわかっておりません。ですが、錬金術師さまの作るものは確かです」


 そう言ってエルテは笑った。


 このペンダントをくれたとき、トールはちゃんと説明してくれた。


 ペンダントには東西南北を表す『神獣』というものが刻まれている。

 つまりこのペンダントを身につけている者は、正しい東西南北と、その中心点を持ち歩くことになる。


 まわりがどんなに回転しても、中心点は動かない。

 だからペンダントの装着者は『五行防衛陣』の中でも方向感覚が狂うことはない。


 ──そんな説明だった。


 念のため、叔父の宰相ケルヴにも相談してみた。

 書状を出したらすぐに回答が来た。


『トールどのは信頼できます。ただ、理論を理解しようとすると頭が痛くなりますよ。物理的に』


「……叔父さまがあの方を信頼されているのはわかります」


 もちろん、エルテもトールを信頼している。

 彼女だってトールが作った『部分隠し用ヘアーピース』を使っているのだから。

 おかげでエルテの角は小さくなっている。遠目には人間に見えると、皆が言ってくれている。

 これなら、人間たちと仲良くなることもできるだろう。


 だが、トールが来てから、叔父のケルヴは常に頭を痛めている。

 宰相室の壁や柱も傷んできている。それだけが心配だった。


「いました。侵入者です」


 エルテは交易所を囲む柵を指さした。

 その手前に、旅人のような服を着た者たちが倒れていた。 


「ただの旅行者のようなのだ」

「どういうことでしょうか。エルテさま」

「柵の外側をごらんください。しばられて、猿ぐつわをつけられた者たちがいます。あの手際のよさは、ただの旅人には不可能です」


 エルテは柵の外を見ながら、告げた。


「この者たちは、旅人に化けた帝国兵とみるべきでしょう。『三角コーン』の殺気でパニックを起こした仲間を黙らせて、自分たちは侵入したのでしょうね」

「では、縛り上げて連行しましょう」

「エルテどのは、安全なところにいて欲しいのだ!」


『折れぬ突撃槍』のふたりが、侵入者を拘束する。

 抵抗はなかった。

 侵入者たちは全員、気絶している。外傷はない。

 一人だけ『飛び出しキッド』の直撃を受けた者がいる。彼には手当てが必要だろう。


「これが『五行防衛陣・威嚇・飛び出し型』の力なのですね……」


 エルテは呆然とつぶやいた。

 彼女の見ている前で、交易所の外周を走っていた『飛び出しキッド』が止まる。

 それらは自動的に倒れて、平たい板になり、天幕の中に移動する。

 侵入者が現れれば、再び動き出すはずだ。


『五行防衛陣・威嚇・飛び出し型』は五行の力で侵入者を惑わし、『三角コーン』の力で威嚇いかくし、『飛び出しキッド』で攻撃する──まさに攻防一体の陣形なのだ。



 錬金術師トールは言っていた。


『五行の力を組み込んだ「三角コーン」の陣内では、魔力が高速で循環してますよね? となると、その魔力の流れに「飛び出しキッド」を乗せれば、魔力に沿って高速移動を始めますよね? そうすれば「飛び出しキッド」は侵入者を防いでくれるんじゃないでしょうか』


 ──と。


 すごく、いい笑顔で。

 エルテには、言ってることの半分もわからなかったけれど。


 彼の説明を理解できる者は数少ない。

 その中にエルテは入っていない。それが最近、なぜか残念に思えてしまう。


(あの方の理論を多少なりとも理解できるのは、魔王陛下と、エルフのメイベルと、『ノーザの町』のソフィア皇女くらいでしょうね……) 


 もちろん『飛び出しキッド』には安全装置があるから、攻撃するのは人間相手だけだ。魔族のエルテが近づくと──普通に避けてくれるのだ。


「でも、人間の侵入者にとっては、悪夢のようなものでしょうね」


 とにかく、交易所の安全は確保された。

 ちょっとやり過ぎな気もするけれど……侵入者への警告にはなった。

 今はそれでいいことにしよう──そう考えてうなずく、エルテだった。


「侵入者は魔王領で尋問して、その後、ソフィア皇女に引き渡すことになるでしょう。どうして交易所に侵入したのか、他に仲間がいるのか……素直に話してくれればいいのですが」

「エルテさま、ちょっと見ていただきたいのだ」


 不意に『折れぬ突撃槍』の獣人が、エルテを呼んだ。


「侵入者の荷物に、妙な羊皮紙が入っていたのだ。見ていただきたいのだ」

「わかりました。貸して下さい」


 エルテは羊皮紙を受け取り、目を通していく。


 羊皮紙に書かれていたのは、名簿だった。

 人数は20人前後。

 一番上に書かれているのは『指揮官 ゲラルト・ツェンガー』の文字。

 その下には、副官。さらには正規兵。一時雇用の兵士の名前が書かれている。


「これは……魔獣が現れた砦の……兵士たちの名簿でしょうか」


 エルテは呆然とつぶやいた。


「となると、この侵入者たちは『例の箱』について調べるために来たのかもしれません。この交易所にも、なんらかの手がかりがあると考え、侵入を試みたのでしょう」


 エルテは、魔王から聞いた話を思い出す。

 交易所の管理を任されたエルテにも、『例の箱』についての説明があったのだ。


 砦の指揮官ゲラルト・ツェンガーが、『謎の箱』を召喚したこと。

 巨大サソリの魔獣が出たどさくさで、それが持ち去られたこと。

 持ち去ったのは、一時雇用の兵士である可能性が高いこと。

 ということは、つまり──


「このリストの『一時雇用の兵士』の中に『例の箱』を持ち去った者がいるということですね……」


 もちろん、彼らが偽名を使っていた可能性はある。

 それでも、これは重要な手がかりだ。

 すぐにライゼンガ将軍に報告して、魔王陛下に書状を送ってもらわなければ。


「皆さまは侵入者を拘束し、出張所の部屋に閉じ込めておいてください。私はすぐに魔王陛下と将軍宛の書状を書きます。終わり次第、それをこの名簿とともに、ライゼンガ将軍に届けてください」

「「了解いたしました!」」


 エルテは中央の建物に向かって走り出す。

 このリストがあれば、魔王領が『例の箱』を手に入れることができるかもしれない。

 そうすれば帝国へのアドバンテージになる。

 侵入者の件も含めて、交渉材料になるだろう。

 さらに──


「『例の箱』を手に入れたら、錬金術師さまは大喜びで開けようとするでしょうね」


 間違いなくそうする。彼はそういう人だ。

 そして、どれだけ時間がかかろうと、最終的には開けてしまう。絶対にやりとげる。


『例の箱』は未知数だ。中になにが入っているかはわからない。

 でも開ける。

 錬金術師トール・カナンとは、そういう人だからだ。


「……このリストを陛下や将軍に渡しても大丈夫なのでしょうか。魔王領が『例の箱』を手に入れてしまったら、大変なことになるのでは……」


 貴重なリストを手にして、身体の震えが止まらないエルテなのだった。




──────────────────



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