第150話「交易所で防御陣形を展開する」
──ソフィア皇女が侵入者を捕らえる少し前。国境地帯の交易所では──
夕方。交易所の周囲に、数人の旅人が隠れていた。
草色の服に、表裏で色が違うマント。膨らんだ革袋。
長旅をしてきたことを示すように、顔には土埃がついている。
彼らは静かに、交易所へと近づいていく。
背の高い草に隠れながらの、素早い動き。周囲を探るような、鋭い眼光。
彼らはリカルド皇子配下の調査部隊だった。
「これより我々第1部隊は、交易所の調査を行う」
部隊の隊長は言った。
「ここは『ノーザの町』と魔王領が共同で作った場所だ。国境地帯の情報を得るにはちょうどいいだろう」
彼は柵で囲まれた交易所を指さした。
交易所の中央には石造りの建物がある。数はふたつ。
そこが、今日の調査対象だ。
「あの建物に忍び込み、内部を調査する。書類などがあれば持ち帰る。
「建物は『交易所の管理施設』と『休憩所』だと資料にありました。どちらを調査しますか?」
部下の一人が手を挙げ、問いかける。
部隊長は首を振って、
「両方だ。情報はすべて持ち帰る。魔族と亜人が『例の箱』を手に入れようと画策している可能性もあるのだからな」
人間と亜人が交易を行うなど、帝都では考えられない。
となれば、魔王には交易以外の目的があると考えるべきだろう。
魔王領の者たちは、強敵『魔獣ガルガロッサ』をあっさりと倒した。
その後に出現した巨大ムカデと、巨大サソリの魔獣も瞬殺したのだ。
それほどの強さを誇る者たちが、交易のためだけの施設を作るわけがないのだ。
「国境地帯に交易所が設置されたのは、新種の魔獣が討伐された後だと聞いている」
部隊長は言った。
「もしかしたら魔王領は、あの魔獣が召喚されたものだと知って、新たな勇者召喚が行われると考えているのかもしれない」
「た、確かに……それはあり得る話です。隊長」
「だから、ここを調べる必要があるのだ。ここは魔王領のものたちが管理していると聞く。探れば、奴らの考えていることもわかるだろう」
彼らは、交易所を囲む
獣除けに作られた、木製の柵だ。高さは低く、簡単に飛び越えることができる。
柵の向こうは閑散としている。
今日は交易が行われていないのだろう。人の姿はまったく見えない。
警備も薄い。入り口にミノタウロスの兵士がいるだけだ。
交易所が休みだから警備が薄いのだろう。
それは分かるが……不用心すぎる気もした。
「もう少し近づいて状況を確認する。危険であればここを離れ、ソフィア殿下のところに行った部隊の支援に回るとしよう」
「「「──了解しました」」」
調査部隊は草に隠れながら進んでいく。
すると──
「部隊長。なにか立て札があるようです」
「うむ。読んでみろ」
「はい。『交易所は改築のため、お休みします。改築工事中は危険なので近づかないでください』──だそうです」
「「「…………」」」
調査部隊の兵たちは顔を見合わせた。
よく見ると、同じような立て札は他にもあった。
『危険なので近づかないように。警告しましたよ?』
『近づかないでと言ってますよね?』
『本当に交易所はお休みなのです。町長や村長にも連絡していますので、確認してください』
──立て札には、そんなことが書かれていた。
「警戒が薄いのはこの立て札のせいか? 警告すれば、人は近づかないと?」
「魔王領は強力な戦闘能力を持っております。国境地帯の民はそれを知っているはず。ならば、立て札でも警告の役目を果たせるのではないでしょうか」
「そういうことか」
「となると隊長。魔王領の油断もわかります」
「警備が薄いのは、彼らが自分たちは強いと思っているからではないでしょうか?」
「最強の自分たちに逆らえる者などいない、そう考える者もいます」
「亜人の考えそうなことで──」
彼らは声をひそめて話し合う。
そうして、短い打ち合わせが続いたあと──
「──隠れろ。森から誰かが出てくる」
部隊長の声で、調査部隊の者たちは一斉に地に伏せる。
彼らがいるのとは逆方向。魔王領の方角。
そこから獣人とリザードマンがやってくる。
彼らは、武器を持っていない。
手にしているのは桶とモップ、ホウキなどだ。
交易所の掃除にでも来たのだろうか。
「────『
「────恐怖を克服する──機会」
「────お掃除当番」
「────お風呂をピカピカにして──師さまにほめてもらうのだ」
彼らが話す声が聞こえた。
彼らは今のところ、こちらには気づいていないようだ。
だが、相手には聴覚の鋭い獣人がいる。対策は必要だろう。
『ここから先は、声を立てるな』
部隊長は部下たちに、ハンドサインを示した。
隠密行動の基本だ。
聴覚の鋭い相手がいる時は声を出さず、手で合図をすることにしてあるのだ。
『奴らを観察する』
『奴らが通ったルートは安全だ』
『気配を消すことを徹底』
『発見されたら、逃げる』
ハンドサインを組み合わせ、部隊長は命令を下していく。
『『『了解しました』』』
兵士たちは気配を殺し、地面に伏せ続ける。
やがて、獣人とリザードマンが中央の建物に入っていく。
彼らの姿が見えなくなる。
調査部隊が作戦を開始するには、いいタイミングだった。
『──行くぞ』
『『『はい。副隊長!』』』
部隊は交易所に近づいて行く。
彼らはふと、敷地を囲む柵の向こうに、奇妙な置物があるのに気づいた。
色は赤色。
改築中を示すものだろうか。
それとも、人間にはわからない、魔王領の風習だろうか。
彼らがそんなことを考えていると──
『チカヅクナ! 取って食うぞコラアアアア!』
巨大な殺気が、調査部隊の者たちに襲いかかった!
「────ひ、ひぃぃぃっ!?」
『馬鹿者! 声を立てるな!!』
部隊長は反射的に、声を立てた兵士を押さえつける。
その間も巨大な殺気は押し寄せる。
部隊長の身体が震え出し、全身の
(──な、なんなのだ。この殺気は──!?)
声は聞こえない。
ただ、『取って食うぞ』という殺気が襲って来ているだけだ。
まるで、喉元に牙を突き立てられているような感覚だった。
彼らは優秀な調査部隊だ。戦闘経験も多い。
闇の中で盗賊を討伐したことも、凶暴な魔獣と戦ったこともある。
その時でさえ、恐怖を感じたことはなかった。
なのに、押し寄せる殺気に、身体の震えが止まらない。
叫び出したい。
今すぐ、逃げ出したい──
「────っ! ──っ!!」
『すまぬ。静かにしていてくれ』
部隊長は、パニックを起こした者を縛り上げ、猿ぐつわを
これでもう声は上げられない。
『部隊1名の離脱を確認。帰途に回収する』
部隊長は震える手でハンドサインを示した。
『残りの者たちは少し待て。これからお前たちに「感覚を鈍らせる魔術」を使う』
『──ぶ、部隊長!?』
『──それは危険では!?』
『──その魔術は敵に使うもので、仲間に使うものでは……』
感覚を鈍らせる魔術は、主に戦闘補助に使われるものだ。
対象の魔獣や人間の視覚・嗅覚・皮膚感覚などを鈍くする効果がある。
主に敵や獲物の回避能力を下げたり、逃げやすくするために使われている。
弱い魔術で、効果時間も短い。レジストされることも多い。
だが、自分や仲間に使うなら話は別だ。
レジストせず、そのまま受け入れればいいからだ。
「お前たちも知っているだろう。この世界に召喚され、怯えていた勇者のことを」
部隊長は小声で話し始める。
「彼は最初の戦闘で、自分自身に『感覚を鈍らせる魔術』を使用した。そうすることで恐怖を克服し、みずから『バーサーカー』と名乗るようになり、魔獣に立ち向かったのだ。我々もそれに
おそらく殺気を生み出すものは、交易所の外側に設置されている。
その証拠に交易所の中央では、獣人とリザードマンは掃き掃除をしている。
鼻歌を歌いながら、楽しそうに。
あれはこの殺気が交易所の外にしか影響がないことを示している。
ならば対策は簡単だ。
一時的にこちらの感覚を鈍らせて、殺気を感じないようにする。
その間に内部に入り込めばいい。
そうして魔術の効果が切れるのを待てば、落ち着いて調査ができるはずだ。
『──以上だ。質問は』
『『『──ありません』』』
『では、魔術を使用する。全員、そのままだ』
部隊長は部下たちに魔術をかけていく。
最後に、自分にも魔術を使用する。
途端に視界がぼやけていく。風の音も遠ざかる。
(──感覚を鈍らせれば、殺気を感じなくなるはずだ)
──よほど強烈な殺気でなければ。
そんなことを考えながら、調査部隊は動き出す。
彼らは交易所を囲む柵に手をかけた。
その直後──
「────ぐが────ぁ!」
再び巨大な殺気が押し寄せて、別の部下がパニックを起こした。
部下は目を身体を丸めて、必死に悲鳴をこらえている。うずくまる背中が震えている。引っ張っても叩いても、動かない。
完全に呆然自失状態だった。
(ま、まだ殺気が来るのか!? 感覚を鈍らせても駄目なのか!?)
即座に部隊長はパニックを起こした部下を拘束し、口をふさぐ。
これで脱落者は2名。
残った調査部隊は、隊長を含めて3名だ。
(──もう、
一瞬そう考えて、部隊長は首を横に振る。
逃げたらリカルド皇子の名前に傷が付く。
調査部隊が得体の知れない恐怖に怯え、逃げ去るなどあり得ない。
『彼も帰りに回収する。行くぞ』
部隊長は部下と共に
同時に『感覚を鈍らせる魔術』の効果が切れる。
目的地に視線を向けると──交易所の中央では、獣人とリザードマンが掃除を続けていた。
それと、いつの間にか女性がひとり、亜人たちの隣に立っていた。
(──人間か?)
耳の後ろに小さな角があるような気がするが……遠すぎてよくわからない。
人間かもしれない。
だとすれば、この交易所は人間が入っても大丈夫ということだ。
美しい女性だ。何者だろうか。
獣人とリザードマンにお茶とお菓子を振る舞っている。楽しそうだ。
同じ人間である自分たちは、こんな苦労をしているのに……。
『──まぁいい。盗賊のふりをして近づき、彼女からも話を聞くとしよう』
隊長は素早く
盗賊に化けて、中央の建物に忍び込む。あの女性と亜人たちは拘束する。
そうしてあらいざらい情報を手に入れるのだ。
そう思って部隊長がハンドサインを出し、振り返ると──
ぴくぴく、ぴく。
「「…………」」
残りの部下2名が気絶していた。
『入ってくるなと言っただろうがあああああああっ!!』
『ただいまこちらは工事中ですぐうううううううっ!』
『ごきょうりょくぉぉおおおおおおねがいしますううううぅ!!』
(ぐああああああああああっ!?)
同時に、さっきとは比較にならないほど、強烈な殺気が押し寄せてくる。
(お、おかしい。中に入れば、殺気は感じないのではなかったのか!?)
交易所の中央では、やはり女性と亜人たちが話し込んでいる。
これほどの殺気の中で、どうして落ち着いていられるのだろう……?
(だ、だめだ。これ以上は無理だ。
作戦は失敗だった。
5名のうち2名はパニックを起こしたため拘束した。
あとの2名は、交易所内にあふれる殺気のせいで気絶している。
動けるのは部隊長だけ。これでは調査など不可能だ。
(脱出を…………ん? 私は、どこから入ってきたのだったか?)
仲間をかついで走り出した部隊長が、深紅の円錐に激突した。
衝撃で地面に倒れ込む。が、円錐はびくともしていない。
起き上がる部隊長は周囲を見回す。
(な、なぜだ!? 私は柵に向かって走り出したはずなのに……!?)
方向感覚が狂っていた。
すでに『感覚を鈍らせる魔術』の効果は切れている。
なのに、出口がどこなのかわからないのだ。
さらに──
シャーッ……シャーッ……。
(……なんだこの音は?)
耳を澄ますと、なにかが地面を滑るような音が聞こえる。
その音に、魔族の女性と亜人たちも気づいたようだ。まずい。
「──起きろ! 撤退だ! 作戦は中止。撤退する!!」
気絶した者の耳元で叫ぶ。彼らが薄く目を開ける。
なんとか意識を取り戻したようだ。よかった。
彼らが自分の足で立てるなら、撤退が楽になる。
「……一体なんなのだ。ここは」
交易所の地下に巨大な魔獣がいるとでも言うのだろうか。
そうでなければ、なにがこんな恐ろしい殺気を放つというのだ。
部隊長は周囲を見回す。
あるのは入り口を大きく開けた
交易所のあちこちに配置された、真っ赤な
よく見ると、交易所の中央には特殊な円錐形のものがある。先端に、角の生えた獣の彫像がついているものだ。やはり、この円錐形のものがなにか効果を発揮しているのだろうか。
交易所の中央からは女性と獣人、リザードマンが歩いて来る。
シャーッ、という音に気づいて、様子を見に来るようだ。
「……急いで逃げなければ……頼む、自力で歩いてくれ」
「……う、うぅ」
「……ひ、ひぃぃぃ」
部隊長は自分と仲間に、『感覚を鈍くする魔術』を使う。
殺気が少しだけ弱まる。部下たちが歩けるようになる。
あとは出口に向かうだけだ。
この土地には、殺気とは別に、人の方向感覚をおかしくさせるものがある。
なのに女性と獣人とリザードマンは、涼しい顔で移動している。にこやかに談笑している。
こっちがこんな思いをしてるのに、なんで笑ってるんだこの野郎。近くに来たら殴りつけてやる──そんなことを考えながら、部隊長は部下を連れて歩き出す。
近くにある
方向感覚は当てにならない。この天幕を頼りに歩くしかない。
天幕の向こうには柵がある。
あとはなにも考えずに、それを飛び越えればいいだけだ。
(作戦は失敗だが、情報を得ることはできた。この交易所には得体の知れないものがある。リカルド殿下にお伝えしなければ……)
そうして部隊長は柵へとたどり着く。
視界はぐらぐらと揺れている。
それでも助走をつけて、柵を跳び越えようとしたとき──
シャーッ!!
目の前を、笑顔の子どもの看板が通り過ぎた。
(──な、なにぃぃぃっ!?)
金属性の板だった。
笑顔で駆け出すような、子どもの姿が描かれていた。
それが、交易所の外周に沿って高速移動していた。
(は、はああああああっ!?)
なんだこれは。
さっきまでは、こんなものはなかった。
調査部隊は普通に、柵を乗り越えてきたはずだ。
なのに今は、子どもの姿をした看板が、柵の内側を高速で周回している。
しかも、1枚ではない。2枚か3枚か4枚──いや、動きが速すぎてわからない。
まるで、子どもがさわやかな笑顔を浮かべて、交易所を走り回っているようだ。
(こ、これは……交易所の安全装置なのか!?)
魔王領を甘く見過ぎた。
警備の兵が少なかったのは、兵士以外の者が交易所を守っていたからだったのだ。
侵入者を威圧する、謎の殺気。
侵入者の方向感覚を狂わせる、謎のシステム。
侵入者の脱出を
それだけの防御機構があるなら、警備兵などいらない。
この交易所は複数の魔術とマジックアイテムで、厳重に守られていたのだ。
(ここを調査するには……少数では無理だ。100名以上の兵力がなければ……)
だが、そんなことをしたら戦争になる。
これだけの能力を持つ者を敵に回すなど、ありえない。
そもそも100名の兵を送り込んだところで、ここを制圧できるかわからない。殺気で気絶させられて、方向感覚を狂わされるだけかもしれないのだ。
(と、とにかく脱出しなければ)
部隊長は覚悟を決める。
(ソフィア殿下の方に向かった第2部隊は成果を上げているはず。我々だけが失敗したら……見下されてしまう。彼らの下に立つのはプライドが許さぬ!)
部隊長は深呼吸する。タイミングを測る。
作戦は決まった。
次の『子どもの看板』が通り過ぎたら、柵を跳び越える。
その後、外から部下を引っ張り寄せる。それだけだ。
(──今だ!)
彼は走り出す。目眩のせいで足がふらつく。
柵にまっすぐ向かっているはずが、コースが斜めになっている。
だが、構わない。そのまま勢いをつけて、ジャンプする。
ぴたっ。
その直後、部隊長の目の前で、看板が停止した。
描かれている子どもが、彼を見た。
そして──
ごすぅっ!!
──勢いよく飛び出してきた看板が、部隊長を吹き飛ばした。
「……こ、こんな。馬鹿な……」
ありえない。
自分たちは皇帝一族に選ばれた精鋭で、隠密行動のプロだ。
作戦に失敗するなどありえない。
「……殿下に……どう報告すれば……」
交易所に入ったら得体の知れない恐怖に怯えて、見通しの利く場所で道に迷って、高速で周回する子どもの看板に吹き飛ばされました……そんな話を誰が信じるだろうか。
リカルド皇子を連れてきて……直に体験してもらうしか…………。
そんなことを考えながら、部隊長は気を失ったのだった。
──数分前。文官エルテ視点──
「……『飛び出しキッド』が動いていますね」
「……ということは、侵入者でしょうか」
「……自分が様子を見に行ってくるのだ!」
文官エルテと、リザードマンと獣人の少年は顔を見合わせた。
リザードマンと獣人は『『
彼らはライゼンガ将軍の命令で、エルテの護衛を担当することになっていた。
彼らが『三角コーン』の恐ろしさを、その身をもって知る者だからだ。
「交易所全体を監視するには、もっと兵士が必要なようですね」
エルテはため息をついた。
彼女はつい先日、交易所に派遣されてきたばかりだ。
役目は、改築工事を視察して、宰相府に報告書を送ること。
そのために、ここに滞在することになったのだった。
「少人数では、どうしても目の届かないところがあります。錬金術師さまが、この場所に『三角コーン』を持ち込まれたのは正解だったようですね……」
「エルテどの、複雑な表情をされておりますな」
「『五行防衛陣』と『飛び出しキッド』は恐ろしいのだ……」
「とにかく、様子を見に行くといたしましょう」
『折れぬ突撃槍』の2人が先頭に立ち、エルテたちは歩き出す。
今の交易所には『三角コーン』による『五行防衛陣』が敷かれている。
お休みの間、交易所を守るための措置だった。
「しかも、今の『五行防衛陣』は『
『三角コーン』の中には人間の髪がそれぞれ一本、入れてある。
人間という種族が近づいたら、その魔力に反応して『三角コーン』は巨大な存在感を発生させる。
しかも、『五行防衛陣』の効果で、
その威力は数倍。熟練の兵士でさえ気絶してしまうほどらしい。
「でも、私たちはなんともないのですね……」
エルテたちも陣地の中にいるのだが、恐怖はまったく感じない。
というか、さっきまでのんきにティータイムを楽しんでいた。
静かで、書類仕事もはかどったくらいだ。
「『三角コーン』は人間にしか反応しません。魔族である私や、獣人やリザードマンであるあなた方には、影響はないのです。そんなに恐がらなくても大丈夫ですよ」
「で、ですが……エルテさま」
「『三角コーン』はおそろしいものなのだ」
『折れぬ突撃槍』のふたりは、身体を縮めて震えている。
数日前に『三角コーン』の陣内で道に迷ったのが、よほど怖かったらしい。
「大丈夫です」
そんなふたりに、エルテは笑いかける。
「そのために錬金術師さまは、私たちに『健康増進ペンダント』を渡してくださったのですから」
エルテは胸元につけたペンダントに触れた。
青竜・朱雀・白虎・玄武・麒麟の姿が施された、金属性のペンダントだ。
これには装着者の魔力を変換し、パワーアップさせる効果がある。
そしてこのペンダントは『五行防衛陣』の中で、もうひとつの効果を発揮する。
「これを身につけている間は、方向感覚が狂うことはない、錬金術師さまはそうおっしゃっていました」
「は、はい。『五行防衛陣』を恐がる我々のために作って下さったのです」
「錬金術師さま、いい人なのだ。でも、説明はよくわからなかったのだ。このペンダントがあれば……正しい東西南北を常に身につけていることになるから、方向感覚は狂わないい……やっぱり、わからないのだ」
「私も理論はわかっておりません。ですが、錬金術師さまの作るものは確かです」
そう言ってエルテは笑った。
このペンダントをくれたとき、トールはちゃんと説明してくれた。
ペンダントには東西南北を表す『神獣』というものが刻まれている。
つまりこのペンダントを身につけている者は、正しい東西南北と、その中心点を持ち歩くことになる。
まわりがどんなに回転しても、中心点は動かない。
だからペンダントの装着者は『五行防衛陣』の中でも方向感覚が狂うことはない。
──そんな説明だった。
念のため、叔父の宰相ケルヴにも相談してみた。
書状を出したらすぐに回答が来た。
『トールどのは信頼できます。ただ、理論を理解しようとすると頭が痛くなりますよ。物理的に』
「……叔父さまがあの方を信頼されているのはわかります」
もちろん、エルテもトールを信頼している。
彼女だってトールが作った『部分隠し用ヘアーピース』を使っているのだから。
おかげでエルテの角は小さくなっている。遠目には人間に見えると、皆が言ってくれている。
これなら、人間たちと仲良くなることもできるだろう。
だが、トールが来てから、叔父のケルヴは常に頭を痛めている。
宰相室の壁や柱も傷んできている。それだけが心配だった。
「いました。侵入者です」
エルテは交易所を囲む柵を指さした。
その手前に、旅人のような服を着た者たちが倒れていた。
「ただの旅行者のようなのだ」
「どういうことでしょうか。エルテさま」
「柵の外側をごらんください。
エルテは柵の外を見ながら、告げた。
「この者たちは、旅人に化けた帝国兵とみるべきでしょう。『三角コーン』の殺気でパニックを起こした仲間を黙らせて、自分たちは侵入したのでしょうね」
「では、縛り上げて連行しましょう」
「エルテどのは、安全なところにいて欲しいのだ!」
『折れぬ突撃槍』のふたりが、侵入者を拘束する。
抵抗はなかった。
侵入者たちは全員、気絶している。外傷はない。
一人だけ『飛び出しキッド』の直撃を受けた者がいる。彼には手当てが必要だろう。
「これが『五行防衛陣・威嚇・飛び出し型』の力なのですね……」
エルテは呆然とつぶやいた。
彼女の見ている前で、交易所の外周を走っていた『飛び出しキッド』が止まる。
それらは自動的に倒れて、平たい板になり、天幕の中に移動する。
侵入者が現れれば、再び動き出すはずだ。
『五行防衛陣・威嚇・飛び出し型』は五行の力で侵入者を惑わし、『三角コーン』の力で
錬金術師トールは言っていた。
『五行の力を組み込んだ「三角コーン」の陣内では、魔力が高速で循環してますよね? となると、その魔力の流れに「飛び出しキッド」を乗せれば、魔力に沿って高速移動を始めますよね? そうすれば「飛び出しキッド」は侵入者を防いでくれるんじゃないでしょうか』
──と。
すごく、いい笑顔で。
エルテには、言ってることの半分もわからなかったけれど。
彼の説明を理解できる者は数少ない。
その中にエルテは入っていない。それが最近、なぜか残念に思えてしまう。
(あの方の理論を多少なりとも理解できるのは、魔王陛下と、エルフのメイベルと、『ノーザの町』のソフィア皇女くらいでしょうね……)
もちろん『飛び出しキッド』には安全装置があるから、攻撃するのは人間相手だけだ。魔族のエルテが近づくと──普通に避けてくれるのだ。
「でも、人間の侵入者にとっては、悪夢のようなものでしょうね」
とにかく、交易所の安全は確保された。
ちょっとやり過ぎな気もするけれど……侵入者への警告にはなった。
今はそれでいいことにしよう──そう考えてうなずく、エルテだった。
「侵入者は魔王領で尋問して、その後、ソフィア皇女に引き渡すことになるでしょう。どうして交易所に侵入したのか、他に仲間がいるのか……素直に話してくれればいいのですが」
「エルテさま、ちょっと見ていただきたいのだ」
不意に『折れぬ突撃槍』の獣人が、エルテを呼んだ。
「侵入者の荷物に、妙な羊皮紙が入っていたのだ。見ていただきたいのだ」
「わかりました。貸して下さい」
エルテは羊皮紙を受け取り、目を通していく。
羊皮紙に書かれていたのは、名簿だった。
人数は20人前後。
一番上に書かれているのは『指揮官 ゲラルト・ツェンガー』の文字。
その下には、副官。さらには正規兵。一時雇用の兵士の名前が書かれている。
「これは……魔獣が現れた砦の……兵士たちの名簿でしょうか」
エルテは呆然とつぶやいた。
「となると、この侵入者たちは『例の箱』について調べるために来たのかもしれません。この交易所にも、なんらかの手がかりがあると考え、侵入を試みたのでしょう」
エルテは、魔王から聞いた話を思い出す。
交易所の管理を任されたエルテにも、『例の箱』についての説明があったのだ。
砦の指揮官ゲラルト・ツェンガーが、『謎の箱』を召喚したこと。
巨大サソリの魔獣が出たどさくさで、それが持ち去られたこと。
持ち去ったのは、一時雇用の兵士である可能性が高いこと。
ということは、つまり──
「このリストの『一時雇用の兵士』の中に『例の箱』を持ち去った者がいるということですね……」
もちろん、彼らが偽名を使っていた可能性はある。
それでも、これは重要な手がかりだ。
すぐにライゼンガ将軍に報告して、魔王陛下に書状を送ってもらわなければ。
「皆さまは侵入者を拘束し、出張所の部屋に閉じ込めておいてください。私はすぐに魔王陛下と将軍宛の書状を書きます。終わり次第、それをこの名簿とともに、ライゼンガ将軍に届けてください」
「「了解いたしました!」」
エルテは中央の建物に向かって走り出す。
このリストがあれば、魔王領が『例の箱』を手に入れることができるかもしれない。
そうすれば帝国へのアドバンテージになる。
侵入者の件も含めて、交渉材料になるだろう。
さらに──
「『例の箱』を手に入れたら、錬金術師さまは大喜びで開けようとするでしょうね」
間違いなくそうする。彼はそういう人だ。
そして、どれだけ時間がかかろうと、最終的には開けてしまう。絶対にやりとげる。
『例の箱』は未知数だ。中になにが入っているかはわからない。
でも開ける。
錬金術師トール・カナンとは、そういう人だからだ。
「……このリストを陛下や将軍に渡しても大丈夫なのでしょうか。魔王領が『例の箱』を手に入れてしまったら、大変なことになるのでは……」
貴重なリストを手にして、身体の震えが止まらないエルテなのだった。
──────────────────
【お知らせです】
いつも「創造錬金術師」をお読みいただき、ありがとうございます!
書籍版「創造錬金術師は自由を謳歌する」の2巻の発売日が決定しました!
9月10日発売です!
これも皆さまの応援のおかげです。本当に、ありがとうございます!
2巻ではリアナ皇女とソフィア皇女、それに羽妖精たちも登場します。
もちろん、今回も書き下ろしをエピソードを追加済みです。
表紙イラストも公開されていますので、各ネット書店さまで見てみてください!!
また、「創造錬金術師は自由を謳歌する」は、コミカライズ版も連載中です。
ただいま第2話−2まで公開中されています。
「ヤングエースUP」で読めますので、ぜひ、アクセスしてみてください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます