第97話「皇女リアナと大公カロン、魔獣と遭遇する」

 ──リアナ皇女視点──





「大公さま。私には、わからないことがあるのです」


 砦に向かう馬車の中で、リアナ皇女は、ぽつり、とつぶやいた。

 大公カロンが穏やかにうなずいているのを見て、彼女は、


「新種の魔獣の事件について、大公さまは『帝都からの資金の流れを調べた』と、おっしゃいました」

「うむ」

「ということは……大公さまは、この事件に帝国の人間が関わっていると確信していらしたのですか? 他国からの攻撃ではなく、帝国内にいるものが関わっていると」


 大公カロンは答えない。

 彼はただ、窓の外を見て、ため息をついただけだった。


 初めてだった。

 快活で、剣の達人でもある、大公カロン。

 その彼が、悩んでいるように見えたのだ。


「予想はしていた。外れて欲しいと思っていたのだが」

「なぜ、帝国の者がそんなことを?」

「原因は過去にあると、私は思っている。勇者が立ち去ったあと、帝国は何度か、国の舵取かじとりをあやまった。それが今でも尾を引いているのだと」


 しばらくして、大公カロンは言った。


「私が幼いころ、帝国は罪なきものを追い出し、そのために重要なものを失いました。今の帝国がこうなってしまったのも、それが原因かと。もっとも、これ以上は兵が近くにいる場所では、申し上げられないのだが」

「過去のことが、今も国に影響を与えているのですか……?」

「リアナ殿下がお生まれになる、ずっと前のあやまちですな」

「なにがあったのですか……?」

「皇帝一族は、失ってはならぬ人を失った。だから、その代わりとなる力を求め続けている。ここで言えるのは……それだけ。どうかご容赦ようしゃを」


 大公カロンはそう言って、また、窓の外に視線を向けた。


「あとは魔獣調査が終わってからお話ししよう」

「終わったら、教えていただけるのですね?」

「約束しよう」

「でも……私では、うまく理解できないかもしれません。ソフィア姉さまにもお伝えして構いませんか?」

「もちろんですとも。それにしても正直者ですな。殿下は」

「先日、ソフィア姉さまと会い、叱っていただいたばかりですから」


 リアナは思わず頬を押さえた。

 ソフィアに怒られて、泣き出して、涙を拭いてもらったのを思い出したのだ。


「私はまだ、姉さまに怒られてばかりの未熟者です。聖剣の使い方さえ改善の余地があるのです。だから、わからないことは、わかる人を頼ることにしました」

「自らの未熟を認める……か。なかなかできないことですな。殿下」


 大公カロンは感心したように、リアナ皇女を見た。

 それから、独り言のように、


「あの頃の帝国にも、そのような謙虚けんきょさがあれば……あの方たちを失うことはなかっただろうに。どうして、我が祖父は……」


(──『我が祖父』。カロン大公さまの、おじいさま?)


 それは現皇帝の祖父であり、リアナとソフィアの曾祖父そうそふでもある。

 その世代のことを、リアナはほとんど知らない。


(ひいお祖父さまの世代に起きたことが、新種の魔獣に関係しているというのですか……?)


 口に出して訊ねることはできなかった。

 向かいの席に座った大公カロンが、考え込んでいるように見えたからだ。


 だが、その直後──



 ガガッ、ガッ。



 馬が警戒するような声を発し、馬車が揺れた。


「馬車を停めよ!」


 不意に、大公カロンが叫んだ。

 そのまま彼は剣を手に、外へ飛び出す。

 リアナは慌てて聖剣を手に、後を追う。


「馬の様子がおかしい。妙におびえて……警戒しているようだ。前に、似たような状況で魔獣が近づいていたことがある。確認するとしよう」


 リアナが外に出ると、大公カロンは馬車につないだ馬を撫でていた。

 馬は鼻息荒く、小刻みに地面を蹴っている。

 馬車をつないでいなければ、今にも逃げ出しそうだ。


「この者たちは、人間にはわからぬ気配や殺気を感じたのかもしれぬ。ノナよ、隊列を停止し、迎撃態勢を取るのだ」


 大公カロンが副官ノナに指示を出す。

 副官ノナは大公に一礼して、


「承知いたしました。すぐに偵察ていさつの兵を出します」

「頼む。私は高台から先を見てみる」


 そう言って、大公カロンは街道脇にある岩場へと駆け出した。

 速い。

 片腕が不自由なはずなのに、急な岩場を楽々と登っていく。


 リアナは思わず、それを追いかけていた。

 彼女の特技は木登りだ。

 ソフィアがまだ王宮にいた頃、彼女のために木の実を取りに行ったことがある。

 それに比べれば、小高い岩場などなんでもない。


 そうして、小高い岩場の上に立つと──



「────あれは……サソリ?」



 街道をまっすぐに向かってくる、黒いサソリが見えた。



『シャギャ! シャギャアアアアアア──!!』



 魔獣は絶叫しながら、リアナたちに近づいてくる。


 見たこともない種類の魔獣だった。

 大きさは5メートル前後。

 巨大な2本のハサミがあり、尻尾には大きな針がついている。

 しかも、手負いだ。脚の一部が焼け焦げ、怒りの声を上げている。

 眼球は赤く、じっと、リアナたちがいる方向を見つめている。


「あれはまさか……新種の魔獣か?」


 大公カロンは目を細め、じっと新種の魔獣──巨大サソリを見つめている。


「奴はすでに誰かと戦ってきたようだな。脚が焦げているのは、魔術を受けた跡か。だが、動きはスムーズだ。ということは、すでに傷はえているのか? おそろしい生命力だな」

「大公さま。あれは!?」

「ああ。間違いなくこっちに来る。すぐに迎撃の準備をしなければ」

「違います! あの巨大サソリの後ろに……不思議なものが」




 ごろごろごろごろごろごろ────っ!




「ボールです! 大公さま。巨大なサソリの後ろから可愛いボールが来ます!」

「見えた。が、可愛いか?」

「可愛く思えます。きゅっ、として、くい、っとする動きが……」


 あれも、新種の魔獣だろうか。

 わからない。可愛い魔獣など、リアナは今まで見たことがない。

 もしかしたら、見た目の可愛さで人間を油断させて、攻撃する魔獣がいるのかもしれない。

 だとすれば倒さなければ。



「シャギャギャギャ……」


 ごろごろごろごろごろごろ────っ!



 けれど、速い。速すぎる。

 巨大サソリの後ろを走っていたボールは、急加速。

 あっという間に巨大サソリを追い抜き──飼い主を見つけた子犬のように、一直線にリアナに向かって来る。

 それを見たリアナは、岩場を駆け下りた。


 すでにボールは、はっきりとその姿が見える距離まで近づいている。


 白い球体だった。

 目も鼻も口もない。ただのなめらかな球体。

 それが意志を持つかのように回転しながら走っている。


「──リアナ殿下!」

「「「殿下をお守りしろ──っ!!」」」


 大公カロンと兵士たちの声がする。

 だが、リアナは動かない。

 直感だった。

 ぎゅいん、と回転して、くるっ、と方向転換して、シュパーンと近づいてくるボールに、とある人の姿が浮かんだのだ。


「魔術兵! あのボールを攻撃せよ!!」


 大公カロンの声が響く。

 白いボールは近づいてくる。

 あと十数秒という距離にきたとき、ボールが止まり、上下に割れた。


 その隙間から、白い布がはみ出していた。


(あれは!?)


 リアナはボールに向かって走り出す。

 あのハンカチには見覚えがあった。

 数日前、叱られて泣き出したリアナの涙をぬぐってくれたものだ。


「魔術兵! 攻撃を──」

「お待ちください!」


 リアナは叫んだ。


「あれは敵ではありません! 私の姉、ソフィア・ドルガリアからの使者です!!」


 リアナはボールの元へとたどり着く。

 味方だと分かれば、可愛くて仕方がない。

 そう思って手を伸ばすと、ボールは中央から、ぱかり、と、大きく開いた。


 中には、荷物を入れるスペースがあった。

 入っていたのはやはり、姉ソフィアのハンカチだ。

 その隣には羊皮紙ようひしがある。文字が書かれている。姉の筆跡ではない。これは──


「ソフィア殿下の使者とはどういうことかな? リアナ殿下」


 やってきた大公カロンが、リアナの肩越しにボールをのぞき込む。


「魔獣……ではないな。これはゴーレムか?」

「中にはソフィア姉さまのハンカチがありました。ということは、これは姉さまのご友人が作られたものに間違いありません」

「ソフィア殿下のご友人?」


 大公カロンが目を見開く。


「い、いや……殿下のお言葉を疑うわけではないが……こんなものを作れる人間がいるのだろうか?」

「いるのです」

「……いるのか」

「それに、こんなことを書かれるのは、あの方だけですから」


 思わず、笑みがこぼれてしまう。

 羊皮紙に書かれているのは、必要最小限のことだけだ。


「『巨大サソリの魔獣は、帝国の砦の者が召喚した。奴は魔獣に大公とリアナ殿下を足止めするように指示した。それが暴走して南に向かった。すぐに追いかけるが、逃げられるようなら逃げて』──」

「そういうことか……予想通りではあるな。だが、その後の文章がよくわからん」


 大公は困った顔で、頭を掻いた。


「妙な擬音ぎおんが書いてあるだけですな。これは……暗号?」

「似たようなものです。これは、私とソフィア姉さまにしかわかりません」


 けれど、リアナには言葉の意味がはっきりとわかる。

 ソフィアのところで聞かされたのと、そっくりな言葉だからだ。


「……わかります。私には、あなたの言葉がわかります。錬金術師さま」


 リアナは羊皮紙を抱きしめた。

 あの方は、なんてすごいんだろう。

 リアナが伝えたほんの少しの言葉だけで、聖剣の正しい使い方を理解してしまった。

 そうして、魔獣を倒すための情報を、こうして伝えてくれたのだ。


「あなたも、ありがとうございました。可愛いボールさん」


 ごろごろ、ごろ。


 球体に戻ったボールが、リアナの足に身体をこすりつけた。

 これを、あの方の分身だと思おう。

 無様な姿は見せられない。そう決意して、リアナは謎のボールを手に取った。


「ノナさん。この可愛いボールさんを、安全なところに」


 それから、リアナは羊皮紙をカロンに手渡す。


「これには魔獣の能力についても書かれています。ご一読の上、兵士たちにもお伝えください」

「魔術は効きにくく、再生能力もある。皮膚も硬いか──やっかいな魔獣だな」

「どうされますか? 大公さま」

「無論。戦って倒すしかないでしょうな」


 大公カロンは片刃剣を手に、不敵な笑みを浮かべた。


「あれは……おそらくは我が帝国の歪みによって召喚されたもの。皇帝一族に連なる者として、放置することはできぬ。あれが民を傷つけたら……悔やんでも悔やみ切れないですからな」

「私も、聖剣の担い手としての義務を果たしたく思います」


 リアナは聖剣を握りしめた。

『魔獣ガルガロッサ』と戦った時とは違う。今のリアナには、敵がよく見えている。


 隣には大公カロンがいる。

 リアナのために使いを送ってくれた人は、もうすぐここにやってくる。

 だから、新種の魔獣など、怖くなかった。


「ソフィア姉さまの使いの方がいらっしゃる前に、あの魔獣を倒しましょう」

「うむ。ではノナよ! 魔術兵を率いて攻撃せよ!」


 大公カロンは、副官ノナに指示を出す。


「あの魔獣には魔術が効きにくい。だが、動きを止めることはできよう。敵がひるんだ隙に、私とリアナ殿下、剣士たちで斬り込む! 脚の数本くらいは切り落としてみせよう」

「わたくしとしては、接近戦はお勧めしたくないのですが……」

「無理はせぬよ。目的は魔獣にダメージを与え、動けなくすることだ」

「……承知いたしました」


 副官ノナは一礼して、引き下がる。


「リアナ殿下」

「は、はい。ノナさま」

「これが終わりましたら、再び『ノーザの町』へ、殿下をご案内したく存じます。姉君とお会いになることをご想像ください。どうか、お怪我をされませんように」

「……わかっております」


 リアナはうなずいた。


「私はもう一度姉さまと会って、約束したいことがあるのですから」


 そうして短い打ち合わせの後、戦闘が始まったのだった。









「大公国の強さを見せよ! 魔術兵! 一斉攻撃!!」

「「「『アイシクル・ランス』!!」」」


 大公の魔術兵たちが、一斉に『水属性』の魔術を放つ。

 巨大サソリ『魔獣ノーゼリアス』に火炎系は効きにくい。まずは氷の魔術で相手の動きを封じるべき。

 あの羊皮紙には、そんなことが書いてあった。


「……あれを書いたのは、一体何者なのでしょうか」


 副官ノナがつぶやいた。

 あれを書いた者は、よほどあの魔獣に詳しいのだろう。

 まさか、あれを倒してしまったとでもいうのだろうか……?


「第2射、放て──っ!!」

「「「おおおおおおっ!!」」」


 再びの『アイシクル・ランス』が『魔獣ノーゼリアス』に着弾する。

 狙いは脚と、その関節だ。少しでも動きを封じれば、接近戦部隊が楽になる。

 だが──



「……効いているが。ダメージを与えた様子はないな」

「……情けない。大公国の精鋭ともあろうものが」

「……あきらめるな! 少しでも大公さまと殿下の負担を減らすのだ!!」



 続けざまの第3射。

 それが着弾したと同時に、副官ノナと魔術兵たちは、叫ぶ。




「「「今です! 大公さま。殿下!!」」」





「賭けをするのはどうかな? リアナ殿下」


 大公カロンは言った。

 戦闘前とは思えない言葉に、リアナは思わず首をかしげる。


「賭け、ですか? 大公さま」

「うむ。どちらが『魔獣ノーゼリアス』に大ダメージを与えるかという賭けだな」


 剣を手に、大公カロンとリアナ殿下は走り出す。

『魔獣ノーゼリアス』の脚とハサミには、氷魔術がこびりついている。

 敵の動きは鈍くなっている。攻撃の好機だ。


 リアナ皇女は聖剣を握りしめる。

 目の前に巨大な魔獣がいるのに、怖くない。

 ソフィアのハンカチと、あの羊皮紙を目にしてから──恐怖がどこかに消えてしまったようだった。


「賭けの報酬ほうしゅうは……どのようなものでしょうか」

「皇帝一族の秘密について」


 大公カロンは無造作に片手剣を提げながら、告げる。


「殿下があの魔獣に止めを刺したら、私の知っていることすべてをお教えしよう。仮に私が止めを刺したら、基本的な事実のみを伝える。あまり、私も話したくないことですからな」

「わかりました。ただ……」

「ただ?」

「教えていただいたことを、私の信頼する方にお伝えしてもいいですか?」

「ソフィア殿下か? 構わぬが」

「姉さまと、私と姉さまが信頼するお方です」

「……帝国の者には遠慮して欲しいのだが」

「異国の方です。私が伝えなくとも、姉さまが伝えるでしょう」

「リアナ殿下とソフィア殿下が信頼するお方なら構うまい。まぁ、それも賭けに勝ったら、ということにしようか!」


 大公カロンが走る速度を上げる。

 彼がこんな賭けを持ち出した理由が、リアナにはわかる。

 おそらく、彼女の緊張を緩めようとしてくれたのだろう。


 リアナには実戦経験が少ない。

 先の戦いでは『魔獣ガルガロッサ』に殺されかけてもいる。

 その恐怖が彼女の動きを鈍くするかもしれないと、大公カロンは心配してくれたのだ。

 だから気が紛れるように、小さな『賭け』を持ちかけてくれたのだろう。


「ありがとうございます。大公さま」


 ふと、リアナは思う。

 もしかしたら大公カロンと、あの方・・・は気が合うかもしれない、と。


 剣と錬金術──分野の違いはあるけれど、どちらもひとつの道を究めようとしている。

 そして、ふたりとも、とても優しい。


(あのおふたりを、会わせてみたいです)


 そのためにも『魔獣ノーゼリアス』を倒さなければ。


 そんなことを考えながら、リアナは魔獣に向かって突撃する。




『シュゴオオオオオォオオオアアアアアアア!』




「新種の魔獣よ。解体し、お主が何者かを突き止めさせてもらう!!」


 先に魔獣の足元にたどりついたのは、大公カロンだった。

 彼は黒い片刃剣を抜きながら、走る。

 そして──


「まずは脚の一本でももらうとしようか。魔獣よ!」


 大公カロンが片刃剣を一閃いっせんする。

 振り下ろした──と思った瞬間、硬い音がして──刃が魔獣の脚を通り抜けた。

 次の瞬間、


『グゥアアアアアアアアア!!』


『魔獣ノーゼリアス』の脚が切断され、落ちた。


「──すごい」


 リアナには、カロンの剣を目で追うことができなかった。

 わかったのは、黒い片刃剣が『魔獣ノーゼリアス』の関節を断ち切ったということだけだ。

 魔獣の身体は、硬い皮膚におおわれている。

 だから大公カロンは魔獣の脚の可動部分──皮膚の隙間に刃を滑り込ませたのだ。

 それも、氷の魔術がこびりついている部分を避けて。


『シャギャ! シャギャアアア!!』


『魔獣ノーゼリアス』が、大公に向かってハサミを振る。


「的確な反撃だ。魔獣にしては賢いな」


 巨大なハサミが届く前に、大公カロンは片刃剣を振った。



 ガギンッ。



 黒い刃が、『魔獣ノーゼリアス』のハサミの根元に食い込む。

 切り払う。

 魔獣の血が飛び散る。

 だが──


「──両断できぬ。硬いな。貴様」


 大公カロンの剣は、ハサミの根元の肉を半分、断ち切っただけだった。


 それでも、魔獣の動きは鈍くなった。

 脚と、ハサミの根元を切られたことで、身体のバランスを失ったのだ。


「これが……元剣聖、大公カロンさまの剣技……」


 リアナは呆然とつぶやいた。


 大公カロンは目にも止まらぬ速度で剣を振り、刃を魔獣の皮膚の隙間に滑り込ませた。

 しかも、右腕だけで。

 その速さと正確さ──まさに神業だ。


「今だ! 魔獣の腹を狙え!!」

「「「大公さまに続け──っ!!」」」


 大公国の剣士たちが、魔獣に向かって突進する。

 魔獣の動きが、完全に止まる。


「今だ! リアナ殿下。聖剣を!」

「はい!!」


 作戦はシンプルだ。

 大公カロンが斬り込み、魔獣の脚を斬る。機動力を奪う。

 動きが鈍くなったところで、兵士たちが攻撃を加える。

 魔獣の動きを封じてから、リアナが聖剣で大ダメージを与える。

 その後は魔術攻撃と近接攻撃を繰り返し、魔獣の生命力を削り取る。


 要は魔獣に出血を与えて、徐々に弱らせるという作戦だ。

 その傷口を作るのが大公カロンと、リアナの役目だ。


(……けれど、私に大公さまほどの剣の腕はありません)


 大公カロンは『魔獣ノーゼリアス』の攻撃を巧みに避けて、奴の脚を切り落としていた。

 リアナに、そんなことはできない。

 彼女の役目は、聖剣で魔獣に強力な一撃を与えること。

 今の彼女にできるのは、それだけだった。


(ならば私は……私の役目を果たします!)


 リアナは──両手に握った、聖剣の重みを感じ取る。


 錬金術師トール・カナンの予想通りなら、その中枢には魔法銀ミスリルが使われている。

 言われてみると実感できる。

 刀身に魔力が『ジュワーッ』と、しみ通っていくのがわかる。

 まるで剣と自分が、魔力を通じて一体化したようだ。


 可愛いボールが運んできた羊皮紙には、リアナにしかわからないメッセージが記されていた。

 だからあれがトール・カナンの手紙だと確信できた。

 あとは、彼のアドバイスの通りにするだけだ。


(『シュバッ』『シュルッ』『ズズン』『ズバン』──では、駄目なのですね)


 トール・カナンは、もっといいやり方を教えてくれた。

 信じよう。

 そして──姉に会ったら、あの方の絶対の味方になると約束しよう。

 だってあの方は錬金術師で、姉ソフィアにとって──大切な──



「──ん? リアナ殿下!? 『光の刃』が……!?」



「──聖剣の刃が……ふくれ上がっていく!?」

「──話に聞いていたのとは違う! なんだ、あの巨大な刃は!!」

「──リアナ殿下は勇者として覚醒されたのか!?」



 大公カロンと兵士たちの声は、リアナの意識の外にある。

 リアナはただ、聖剣にだけ集中していた。



『ジュワーッ』と流した魔力が、刀身に充ち満ちていくのを感じ取る。


『シューッ』と魔力を浸透させて、落ち着かせる。掌握しょうあくする。


『ズキュン』と発生させた『光の刃』の長さは、通常と変わらない。

 ただし厚みと太さが違う。以前の『光の刃』が細身の剣とすれば、今の刃はなたおのだ。


『ギュルン』と魔力を練り上げながら、リアナは「危ないですから離れて下さい!」──と、叫ぶ。



(これが正解なのですね。錬金術師トール・カナンさま)



 ボールが運んできた羊皮紙の最後には、こんなことが書かれていた。



『「ジュワーッ」「シューッ」「ズキュン」「ギュルン」「ズバババーン」です』



 ──と。


 それは、リアナとソフィアだけにわかる、秘密のメッセージだ。

『ノーザの町』を訪ねたときも、彼は同じように、リアナにアドバイスをくれた。


 あれは、リアナにとって初めての経験だった。

 まるで、彼の言葉が、自分の中にしみ通っていくような──そんな感覚だった。

 そして今も、彼の言葉はリアナの中に、深く深くしみ通っている。




『シュ、シュギャギャギャギャギャ──ッ!』




 聖剣の光に怯えたのか、『魔獣ノーゼリアス』が悲鳴をあげる。

 けれど、逃がさない。


 リアナの役目は『魔獣ノーゼリアス』に大きな傷を与え、出血を強いること。

 そのやり方は、もうわかっていた。


 だからリアナは聖剣を振り上げ、叫ぶ。




「魔獣よ! 喰らいなさい! 『聖剣の光刃フォトン・ブレードズバババ────ン!!』」




 長さ十数メートルの『聖剣の光刃』が、『魔獣ノーゼリアス』の頭に食い込む。切り裂く!

 剣も魔術も弾く皮膚が抵抗する──1秒足らずで屈服する。

 光の刃は魔獣の身体を覆う皮膚を貫通し、その頭部を両断していく。

 さらに胴体を。光の余波が、脚を。


『────シャギャ……ァ』


 膨大な光の魔力に灼かれた魔獣が、最後の悲鳴をあげる。

 光の刃は魔獣を貫き、すでに地面を灼き始めている。

 全長5メートルを超える魔獣は、まっぷたつに切り裂かれた。

 リアナがもっと『魔獣ノーゼリアス』に近づいていたら、、『聖剣の光刃』は、そのまま魔獣の尻尾までを断ち割っていただろう。


 その手応えにため息をつき、リアナは叫ぶ。


「微力ながら魔獣に傷を負わせました! 皆さま、とどめを刺してください!!」

「──いや、殿下。もう魔獣は死んでいるのだが」

「え?」


 リアナは光の刃を消してから、魔獣を見た。

 巨大サソリ『魔獣ノーゼリアス』は、毒々しい血を噴き出しながら、地面に倒れ伏している。

 もう、ピクリとも動かない。


「…………こ、これを……私が?」

「出血どころではない。致命傷ちめいしょうだ。すごいではないか、リアナ殿下──」

「……い、いえ。あの」

「まさに、帝国の歴史に残る威力だ。素晴らしいですぞ、殿下」

「わ、私の力ではないのです。これは……その」

「さきほどの羊皮紙が関係しているのかな?」


 さすが大公カロン。鋭い。

 けれど、トール・カナンのことは話せない。


(私は決めたのです。あの方の絶対の味方になると。聖剣の力をあの方と、あの方が大切にしている方々に対して振るうことはないと)


 その彼に、迷惑をかけるわけにはいかなかった。


「あれは……大切な方が、私に気合いを入れるために書いてくださったのです」

「『ジュワーッ』『シューッ』『ズキュン』『ギュルン』『ズバババーン』か。あれは殿下を元気づけるおまじないのようなものだったのだな」


 リアナの言葉に、大公カロンは納得したようにうなずいた。


「あれで殿下の魔力が活性化するとは、なるほど……殿下はよほど、その方に想いを寄せていらっしゃるのですな」

「……え」

「ご安心を。仮に手紙の主が殿下の思い人であったとしたら、この大公カロンが力になりましょう。どのような手段を使っても、殿下とその方が結ばれるように力を貸しますぞ」

「大公さま!? そ、そういうことではないのですよ!」

「うむ。殿下も年頃だからな。年寄りの大公には言えぬこともありましょう」

「ち、違うのです! 違う……はずです」


 真っ赤な顔でかぶりを振るリアナ。

 大公カロンの言葉は、リアナにとって予想外すぎた。


 彼女は小さい頃から聖剣の姫君として剣を振ってきた。

 考えるのは剣のことと姉のことと、国のことだけ。

 リアナは『聖剣の姫君』だから国外に出されることはない。だから、国内の貴族の誰かと政略結婚するのだろうと、ぼんやりと考えてはいたけれど、誰かを好きになったことはない。


 なのに──


(あの方を……私が? そんなことはありえません。だって……)


 姉のソフィアは、あの方を好いている。


 今ならわかる。どうして『流れ者の錬金術師』の話をしたとき、姉があんなに怒ったのか。

 リアナに対してお説教しながら、哀しそうな顔をしていたのか。


 それが錬金術師トール・カナンへの想いによるものだと、なぜか今は、はっきりとわかってしまう。

 どうしてわかるのか──それはリアナには、わからないのだけど。


(……こ、混乱してきました。私は一体……どうすれば)


 とにかく、トール・カナンにお礼を言わなければいけない。

 被害ゼロで『魔獣ノーゼリアス』を倒せたのは彼のおかげなのだから。

 でも……少し時間をおきたい。


 どきどきする胸を押さえながら、リアナは思う。

 大公が変なことを言うからだ。今、彼と顔を合わせたら──きっと意識をしてしまうから──



「おぉ、『ノーザの町』の旗印だ。姉君の部隊が来たようだぞ。殿下」

「──ふぇっ!?」



 変な声が出た。

 街道の北を見れば、遠くに『ノーザの町』を表す旗が見える。


(……なんてことでしょう)


 心の準備をする前に、ソフィアの部隊が来てしまった。

 あの中にはたぶん、トール・カナンもいるはず。


 どうすればいい? 

 歓迎の意味を込めて、空に『聖剣の光刃フォトン・ブレード』をズバババーンと放つべきだろうか。

 そうしたらきっと、魔力切れになる。顔を合わせなくても許されるはず。いや、それは無茶だ。大公カロンに怒られるし、ソフィアの部隊にも不審に思われる。だったら、どうすれば……。


 そうしているうちに、ソフィアの部隊はどんどん近づいてくる。

 リアナの心臓は、ばくばく、と、激しく鼓動こどうする。

 戦いの後だという言い訳をして、その場に座り込んでしまいたくなる。


(い、いまは、だめです。ほんとうに……だめ)


 リアナは思わず両手で顔を覆ってしまう。

 不意に湧き出した感情。それをどう扱えばいいのかわからない。


 自分はまだまだ未熟──そんなことを思いながら、リアナは近づいてくる旗印から目が離せない。部隊の中に、トール・カナンの姿を探している自分に気づいてしまう。目を逸らすことができない。


「殿下。聖剣はしまっておいた方がよいのではないかな?」


 不意に、大公カロンが言った。


「確かに『ノーザの町』の部隊の中には、ミノタウロスたち……魔王領の者が一緒にいるようだ。だが、彼らは魔獣について知らせてくれた、味方だよ。警戒するのも、聖剣を握りしめるのも失礼ではないかな?」

「い、いえ、これは、心の支えで……」

「よくわからないが……心配はいらぬよ。ノナ、聖剣をお預かりしなさい」

「はい。殿下、こちらに」


 副官ノナが伸ばした手に、リアナは思わず聖剣を渡してしまう。

 戦闘が終わるといつもそうしてきた。反射的に同じようにしてしまった。


 聖剣がなくなると──また、リアナは不安になる。

 姉に会うために『ノーザの町』に向かったときと同じだ。

 まるで、裸で立っているような、そんな気分。

 魔獣を倒したことで『聖剣の姫君』としての自信はついたけれど、今度は別の問題が立ちはだかっている。今度はどう乗り越えたらいいのかわからない。


 だってこれは、姉のソフィアには絶対に相談できないことなのだから。


「では、姉君の部隊を出迎えるとしようか。殿下」

「……はいぃ」


 乙女心のわからない大公に促され、リアナは歩き出す。

 そうして彼女は──『ノーザの町』の部隊と向き合うことになったのだった。

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