第116話「魔王陛下に復命する」

 大公カロンとの会談を終えて、俺とアグニスは国境地帯の森に戻った。

 メイベルは、森で俺たちの帰りを待っていてくれた。

 ライゼンガ将軍や、部下の兵士さんたちも一緒だ。


「お帰りをお待ちしていました。トールさま」

「ただいま。メイベル」


 メイベルの顔を見ると、自宅に戻ってきたような気分になる。

 やっぱりもう、魔王領が俺の故郷になってるみたいだ。


 でも、のんびりしてはいられない。

 俺はメイベルに伝えなきゃいけないことがあるんだ。


「……メイベル、ちょっといい?」


 俺はメイベルの耳元に「大事な話がある」ってささやいた。

 メイベルは、なにかを察したような顔で、俺を見た。

 それから、優しい表情で、首を横に振り、


「お気持ちはうれしいです。けれど、まずは魔王陛下に復命ふくめいされるべきかと思います」


 ──そんなことを言った。


 ……メイベルって、たまに鋭いところがあるからな。

 俺がなんの話をしようとしてるのか、察したのかもしれない。


 それに、メイベルの言うことは正しい。

 俺とアグニスは、魔王領からの正式の使者として、大公カロンと会っている。

 まずは魔王ルキエと宰相ケルヴさんに復命──つまり、報告をするべきだろう。


「ごめん。メイベル、ちょっと急ぎすぎてた」

「いいえ。トールさまが私のことを考えてくださっていることは、わかりますから」

「魔王陛下と宰相閣下に報告したあと、時間をくれるかな?」

「私の時間はトールさまのものですよ?」


 メイベルはそう言って、笑った。


 それから俺たちは森を抜け、ライゼンガ領に戻った。

 将軍は魔王ルキエと宰相ケルヴさんに帰還の報告に行き、アグニスは自室へ。


 俺はメイベルに手伝ってもらって、部屋で身支度を整えた。

 そして十数分後、屋敷の人から『謁見の準備が整いました』との連絡が来て──



 俺は魔王ルキエと宰相ケルヴさんの前で『ボイスレコーダー』を再生することになったのだった。








 そして──『ボイスレコーダー』の再生が終わった。


「──これが『ノーザの町』で聞いた話のすべてです」

「「…………」」


 しばらく、沈黙が続いた。


 魔王スタイルのルキエはため息をつき、ケルヴさんは、考え込むように額を押さえている。

 やがて──


「かつての帝国で、そのようなことがあったとは……」


 ルキエは、ぽつり、とつぶやいた。


「人間の世界のことはわからぬものじゃ。初代魔王さまの時代……帝国の建国に関わった3つの国があり、うち2つは自ら併合を望み……歴史の中に消えていったとは」

「……人間の世界をまとめるために、ですね」


 宰相ケルヴさんが、ルキエの言葉を引き継いだ。


「そのために2つの国──ティリク王国とミスラ公国の君主は、自らの地位を捨てて、故国をドルガリア帝国の一部とした、ですか。なかなかできることではありません。魔王領の宰相として、敬意を表します」

「余も、彼らの覚悟は尊敬に値すると考える」


 ルキエは南側──帝国がある方向の窓に目を向け、遠くを見ながら、


「そうして人間は、魔王軍に対抗するため、ひとつにまとまった。じゃが、人間が勝利した後は内紛が起こり、『勇者召喚』の術を使うミスラ侯爵家こうしゃくけと、『魔獣使い』のティリク侯爵家も滅びた……か」

「……正直、複雑な気分です」


 ルキエとケルヴさんは、静かなため息をついた。

 大公カロンの話は、2人にとっても予想外だったみたいだ。


 2人の気持ちは、なんとなくわかる。


 魔王領は『人間をなめるな』『人間に学べ』というスローガンを掲げている。

 それは人間が魔族や亜人にとって脅威きょういであり、尊敬できるライバルでもあると思っているからだ。

 でも、人間の帝国は内紛を繰り返して、彼ら自身の切り札さえも失ってしまっていたんだ。

 ルキエとケルヴさんが呆然とするのも無理はない。


 だけど、今はもっと重要なことがあるんだ。


「魔王陛下と宰相閣下にお願いがあります」


 話が途切れたタイミングで、俺は言った。

 一段高い椅子に座る魔王ルキエと、その隣にいる宰相ケルヴさんに向かって、告げる。


「まずは、俺が意見を述べることを、お許しいただけますでしょうか」

「うむ。許す」

「陛下のお心に従います。トールどのからもおっしゃりたいこともあるでしょう。どうぞ」


 ルキエはあっさりと、宰相ケルヴさんはゆっくりとうなずく。


「俺にとって今、一番大切なのは、メイベルとその祖母のことです」


 ゆっくりと深呼吸してから、俺は言った。


「ドルガリア帝国が建国されたときの事情も、内乱があったことも、勇者召喚や魔獣使いのことも──錬金術師としては興味がありますけど──今は、どうでもいいです。まずは、メイベルのことについて話をさせてください」

「うむ……そうじゃな」

「え? トールどのが『勇者召喚』と『魔獣使い』を後回し……?」


 うなずくルキエと、目を見開くケルヴさん。

 そんなふたりを見つめたまま、俺は続ける。


「宰相閣下は、メイベルの祖母の事情についてはご存じですか?」

「もちろん、存じております」

「では魔王陛下と宰相閣下に、メイベルの祖母について、俺の推測をお伝えします」


 俺がそう言うと、ルキエが玉座の上で拳を握りしめた。

 ケルヴさんも緊張した表情だ。

 ふたりとも『ボイスレコーダー』の内容を聞いてるからな。

 俺が考えるようなことは、もう、わかっているんだろう。


「メイベルの祖母は、ミスラ侯爵家の生き残りの可能性があります」


 俺は言った。


「メイベルはその子孫ですから、同じくミスラ侯爵家の血を引いているかもしれません。でも、重要なのは血筋そのものじゃないんです。それをどうやって秘密にするかと、メイベルの身を守ることだと、俺は考えています」


 メイベルの祖母が魔王領に来たのは、『ティリクの内乱』が起きた時期と重なる。


 彼女は人間の男性ふたりと一緒にいた。

 彼らはメイベルの祖母を命がけで守っていた。

 傷つき、息絶えるまで、彼女のことを心配していたそうだ。


 魔王領の人たちは、そのふたりが彼女の家族だと思っていたようだけど……もしかしたら彼らは、ミスラ侯爵家に仕える者たちだったのかもしれない。

 だとすれば、メイベルの祖母を命がけで守っていた理由にも納得が行く。


 そして、メイベルが代々受け継いでいる『水霊石のペンダント』は、ミスラ侯爵家の秘宝だ。


 つまり、メイベルの祖母はミスラ侯爵家の生き残りで、メイベルはその子孫だという可能性がきわめて高い……ということになる。

 

 もちろん、これはただの推測だ。

 でも、それでも構わない。

 重要なのは、メイベルを守ること。彼女を魔王領で幸せにすることなんだから。


「メイベルがミスラ侯爵家の子孫だという、決定的な証拠はありません」


 俺は説明を続ける。


「ただ、ミスラ侯爵家の秘宝である『水霊石のペンダント』は『勇者召喚』のキーアイテムでもあるんです。帝国がその存在を知ったら──」

「おそらくは、欲しがるじゃろうな」


 魔王スタイルのルキエは、納得したようにうなずく。


「帝国は勇者のような『切り札』を求めておる。そんな彼らがメイベルの事情を知れば『水霊石のペンダント』を……事によってはメイベル自身を欲しがるじゃろう」

「はい。ですから俺はメイベルを守る手立てを、全力で考えるつもりです」


 メイベルに手は出させない。

 彼女を、かつての俺のような目に遭わせるわけにはいかないんだ。


 帝国にとっては、すべてが道具だ。

 戦闘スキルを持たない俺は、魔王領への人質という『道具』だった。

 身体の弱いソフィア皇女が国境地帯に送られてきたのも、魔王領を押さえるための『道具』として……だと思う。帝国って、そういう国だから。


 俺の祖父ヴォイド・リーガスだってそうだ。

 祖父は剣聖でありながら、『ティリクの内乱』に関わらないように、南方へと送られていた。

 不自然なくらい、都合のいいタイミングで。

 まるで、内乱が起きることが前もってわかっていたかのように。


 帝国ではそういうことが当たり前に起きている。

 あの国にとって重要なのは『力』や『強さ』であって、『人』じゃないんだ。


 だから──


「俺はメイベルに、自分と同じ思いはさせたくないんです」


 彼女を帝国に渡したくない。

 俺のように、道具として扱われるような目には遭わせない。


「メイベルの祖母が国を追われて、孫のメイベルが帝国に利用されるなんて最悪です。なので俺は全力でメイベルを守ります。それをお伝えしておきたかったのです」

「……トールの全力で、か」

「はい。俺の『創造錬金術』スキルのすべてを使って」

「……なにが起きるのじゃ?」

「わかりません。ただ、あんまり派手なことはしないつもりです」

「……う、うむ」

「宰相閣下も、ご納得いただけますか?」


 俺は宰相ケルヴさんを見た。

 ケルヴさんは……頭を抱えてる。

 なにかに迷っているかのように、俺を、壁を、柱を見つめている。


 ……動揺するのも無理ないよな。

 大公カロンがもたらした情報は重大すぎる。

 勇者の口伝や歴史を伝える宰相のひとりとして、思うところがあるんだろう。


「……トールどの」


 ケルヴさんは両手で顔をおおって──その指の隙間から、俺を見た。


「トールどのはどのような手段で、メイベルを守るおつもりなのですか?」

「『水霊石のペンダント』に、鑑定を妨害するカバーをつけようと考えています」

「カバーを?」

「具体的には、金属性のカバーをつけて、中の石が見えないようにします。その金属に鑑定を妨害する機能を付与します。『水霊石』の存在を隠すことができれば、メイベルが狙われる可能性も減りますから」

「なるほど。それなら安心だ」

「あと、ビームもつけます」

「……は?」

「敵意を持つ者がペンダントに触れたら、ビームが出るようにしたいんです」

「ビ、ビーム!? ビームとはなんですか!?」

「勇者世界の熱光線、あるいは破壊光線です」

「ね、ねつこうせん? はかいこうせん!?」

「鉄をも溶かし、岩をも断ち切ってしまう光線です。それを発射できる能力を、ペンダントのカバーに付与します。そうすればメイベルの身を守りやすくなりますから」

「ビームとは安全に扱えるものなのですか!? い、いえ、そもそもどうやって作るつもりですか!?」

「それはこれから考えます」

「…………」


 あれ? ケルヴさんが硬直してる。

 目を見開いて、椅子の肘掛けを握りしめて──まるで石化したみたいだ。


「……あまり性急に事を進めようとするでない。トールよ」


 不意に、魔王ルキエがつぶやいた。


「それに、お主ひとりがすべてを背負う必要はないのじゃ。メイベルを守りたいのは、余も同じなのじゃから」

「……ルキエさま」

「余も、友としてメイベルを守りたいのじゃ。また、王としても、余には民を保護する義務がある。帝国が彼女に手を出すことは、決して許さぬ。政治的な意味でも、メイベルを帝国に渡すことはできぬ」


 苦々しい口調で、ルキエは言った。

 彼女の言葉を聞いていると、俺も少しだけ安心する。


 ルキエはメイベルの幼なじみだ。俺と同じくらい、メイベルを大事にしてる。

 それに、魔王としても、メイベルを帝国に渡したくはないだろう。


 メイベルの持つ『水霊石のペンダント』は『勇者召喚』のキーアイテムだ。

 あれが帝国の手に渡ったら『勇者召喚』の儀式が繰り返される可能性がある。


 もちろん、『勇者召喚』の儀式を行っても、勇者は来ない。

 けれど、今回行われた『触媒しょくばいつきの勇者召喚』のこともある。

 あれと正式な『勇者召喚』が組み合わされたら、新たな召喚が実現するかもしれない。

 勇者でも新種の魔獣でもない、第3の存在が現れるかもしれないんだ。


 それを防ぐためにも、メイベルは守らなきゃいけない。

 ルキエの言う『政治的な意味』とは、そういうことなんだろう。


「ゆえに、余もメイベルを守る手段を考えるつもりじゃ」

「ありがとうございます。陛下」

「お主が礼を言うのはおかしいぞ。トール」


 ルキエは困ったような口調で、


「お主も余も同じじゃ。それぞれが手を尽くして、大切な者を守ろうとしておるだけなのじゃから」

「それでもです。ありがとうございます。陛下」

「そうか」

「そうです」


 俺とルキエは視線を合わせて、うなずいた。


「このお礼は必ずします。陛下」

「よいと言っておるのに」

「これは陛下直属の錬金術師としてのけじめですから」

「そうか。ならば、受けよう。もっとも、今回の件が落ち着いてからじゃな」

「わかりました」

「それで……メイベルに、この話を伝えるのは──」

「俺が話をしようと思います」


 この話を聞いてきたのは俺だ。

 大公から話を聞くことになったのも、俺がソフィア皇女と親しくしているからだ。

 だからメイベルに、彼女の祖母の事情を伝えるのは、俺の役目なんだ。


「メイベルにもさっき『話がある』と伝えてあります。彼女のことですから、だいたいのことは察していると思います」

「……そうか」


 ルキエはうなずいて、『ボイスレコーダー』を差し出した。

 俺は彼女の前で膝をつき、それを受け取る。


「話が終わったら、お返しします」

「うむ。後で報告もするのじゃぞ?」

「承知いたしました」

「では、行くがよい。メイベルが待っておる」


 ルキエは言った。

 俺は彼女に向かって、貴族としての正式の礼を返す。


 政治的なことは、ルキエに任せておけば大丈夫だろう。

 物理的に──それと、精神的に彼女を守るのは、俺の役目だ。


 そんなことを考えながら、俺はメイベルの元へ向かったのだった。






 ──ルキエ視点──




「……ケルヴよ。以前、お主が提案したことを覚えておるか?」


 トールが立ち去ったあとの広間で、ルキエはぽつり、とつぶやいた。


「トールが魔王領に来てすぐのことじゃ。お主が余に、提案したことがあったじゃろう?」

「…………!? は、はい!」


 硬直していた宰相ケルヴが、頭を振って顔を上げる。

 それから、彼は魔王ルキエの前で膝をついて、


「申し訳ありません。陛下。意識が飛んでおりました」

「無理もない。とがめはせぬよ」


 ルキエは苦笑した。


 トールが持ち帰った情報は重大なものだった。

 宰相ケルヴが呆然とするのも当然だ。


 200年前、ドルガリア帝国が建国されたときの事情。

 失われたミスラ侯爵家と、ティリク侯爵家。

 40数年前に起こった内乱と、メイベルの祖母の正体。


 それらの情報が一気に流れ込んできたのだ。落ち着かないのも無理はない。

 ルキエだって動揺しているのだから。


 以前、自分が却下した提案を──改めて口に出そうと思うくらいには。

 

「改めて言うが、以前にお主が提案したことを覚えておるか?」

「トールどのが魔王領に来てすぐのこと……とおっしゃいますと……」


 宰相ケルヴは目を見開き、ルキエを見た。


「もしや、トールどのとメイベルを政略結婚させる話でしょうか?」

「そうじゃ」


 トールが『フットバス』を作った後のことだ。

 彼が作るアイテムの威力におどろいたケルヴは、トールをメイベルと政略結婚させることを提案した。


 目的は、トールを魔王領に縛り付けておくため。

 妻であるメイベルと、やがて生まれるであろう子どもを人質とするためだった。


 ケルヴらしくない提案だった。

 もちろん、ルキエは却下した。

 部下の妻と子を人質にするなど、魔王領のやり方ではないからだった。


「あの提案についてはお忘れください。当時の私は、トールどのを信じ切れずにいたのです」


 宰相ケルヴは額を叩いてみせた。


「私はもう、トールどのが魔王領の味方であり、信じられるお方であるとわかっております。もちろん今でも、おそるべきびっくりどっきり錬金術師だとは思っておりますが」

「……そうか」


 魔王スタイルのルキエは、椅子の肘掛けを握りしめた。

 なにかをこらえるように息を止め、それから、長いため息をついて、


「じゃが余はお主の……あのときの提案を、採用しようと思う」


 ──そんなことを、告げた。


「いや、お主のせいにするのは違うな。余は魔王として、自分の意志で、トールとメイベルを結婚させようと思うのじゃ」

「お、お待ちください。陛下!」


 宰相ケルヴは慌てた声で叫ぶ。


「そのような必要はございません。申し上げたではないですか、トールどのは魔王領の味方で、信頼に足るお方だと! なのに、どうして今さらメイベルと結婚させようなどと!? トールどのに人質など必要ございません!!」

「違う。これは、メイベルを・・・・・守るため・・・・の措置じゃよ・・・・・・


 ルキエは言った。


 宰相ケルヴが息をのむ。

 彼も帝国の政治を預かる宰相だ。ルキエの言葉の意味がわかったのだろう。


 そんな彼にうなずきながら、ルキエは固い声で、


「トールは魔王領の味方じゃ。そのことは帝国のソフィア皇女やリアナ皇女、大公カロンも知っておる。トールが恐るべき錬金術師で、魔獣を一撃でほふるアイテムの製作者であるということもな」

「……は、はい」

「そのトールの妻になれば、メイベルに悪さをしようとする者はいなくなるじゃろう」


 ルキエの言葉が、広間に響いていく。

 感情のない声だった。

 まるで『魔王』というシステムが、心とは違う言葉を語っているように。


「ケルヴにたずねる。錬金術師トールの妻に、手を出せる者がおると思うか?」

「……いないと考えます。さきほどの、トールどのの剣幕を見れば、あの方を敵に回すことの怖さはわかりますから」

「その通りじゃ」

「ビームが飛んでくるのですからね」

「うむ。そしてふたりが結婚をすれば、トールがメイベルの保護者となったことを、皆が知ることになるじゃろう。メイベルに手出しすることの危険性もな」


 ルキエは続ける。


「錬金術師トールを敵に回せば、『お掃除ロボット』がどこまでも追いかけてくる。『レーザーポインター』での超長距離魔術が飛んでくる。最終的には『ビーム』を喰らって、『メテオモドキ』で吹き飛ばされるのじゃ。『水霊石のペンダント』を手に入れるリスクとしては、割に合わぬじゃろう?」

「……おっしゃる通りです」

「これが、トールとメイベルを結婚させる理由じゃ」


 言うべきことを言って……魔王ルキエは、長いため息をついた。


「メイベルに手を出す者がいなくなれば、情報が漏れる可能性は減る。仮に情報が明るみに出た場合でも、彼女を守ることができるじゃろう。そのための、結婚じゃよ」

「お考えは、理解いたしました」


 話を聞き終えた宰相ケルヴは、少し考えてから、


「ですが陛下。メイベルを守るというだけならば、彼女を陛下直属にすればよいのではないでしょうか?」

「うむ。それも考えた」

「メイベルが陛下直属のメイドとなれば、彼女が陛下のお気に入りであると、公式に宣言することになります。メイベルを守る手としては十分かと考えますが」

「じゃが、突然の配置替えは皆の不審を招くじゃろう?」

「メイベルが陛下の幼なじみであることは、城の者は存じております」

「それでもじゃよ。公式に出世させるには、それなりの理由がいるのじゃ」


 ルキエは宰相ケルヴから視線を逸らした。


「ならばトールとメイベルを結婚させ、その祝いとしてメイベルを出世させる方が自然じゃ。トールは余の直属の錬金術師じゃからな。主君がその結婚を祝って、妻に褒美を与えるのは悪くない」


 メイベルと帝国の『ミスラ侯爵家』の関わりを知っているのは、トールとルキエとケルヴだけだ。

 だが、メイベルの祖母が帝国の者であることは皆が知っている。

 だから、トールが大公と会談した直後にメイベルを出世させれば──ほんのわずかな可能性だけれど──関連を疑う者が現れるかもしれない。


 情報はどこから漏れるかわからない。注意するに越したことはないのだ。


「トールとメイベルが結婚するだけならば、それは自然な流れであろう?」

「そうですね……二人が仲良しなのは、皆が知っておりますから」

「そ……そうじゃ。ならば、こういう流れはどうじゃろう?」


 王としての言葉が、自然に口から流れ出て行く。

 さっきから自分が何度も、仮面の目元を押さえていることに、ルキエは気づかない。

 背筋を伸ばし、言葉は堂々と。

 しかし肘掛けを握る手は、小刻みに震えている。


「『魔獣召喚』の事件が落ち着いたこのタイミングで、余からトールに褒美を授けると持ちかける。トールがそれに対して『メイベルとの結婚を許して欲しい』と、答える。それを余が認める。そういうシナリオにすれば、この上なく自然じゃろう」


 仮面で表情を隠しながら、ルキエは長い時間をかけて──口元に笑みを浮かべてみせた。


「どうじゃ、ケルヴよ。元々の提案者として、どう思う?」

「はい。陛下」


 宰相ケルヴはルキエの前で膝をついたまま、一礼する。

 それから──



「陛下のご提案ですが、反対させていただきます」



 魔王領の宰相ケルヴは、きっぱりと、宣言した。


 大きな声ではなかった。

 けれどルキエは──まるで殴られたかのように身を震わせて、ケルヴを見た。


「な、なんじゃと!? 反対する……じゃと!?」

「おそれながら、陛下のご提案は、下策げさくであると考えます」


 彼女の動揺は気づかず、ケルヴは淡々と言葉を続ける。


「このタイミングでトールどのとメイベルを結婚させるのは無理です。不可能です。正直に申し上げれば、陛下のお考えとは思えません。これは、やってはいけないことだと思うのです」

「な、な、なんじゃと!?」


 ばん、と、ルキエは肘掛けを叩いた。


「なにを言うかケルヴよ! これは元々、お主が持ちかけた提案ではないか!!」

「承知しております」

「ならばなぜ反対する!? この策が、メイベルを守るのに有効だとは思わぬのか!?」

「……陛下は、大切なことをお忘れではありませんか?」

「大切なこと?」


 ルキエは思わず、胸を押さえた。

 そして──痛いくらいに鼓動が激しくなっていることに気づいた。

 気づかないふりをしていた。

 トールとメイベルを結婚させるという策を思いついてから、ずっと。


 以前、ケルヴから同じ話を持ちかけられたときのことを思い出す。

 あの時、反対したのは──人質を取るという手段を嫌ったから──だけではない。

 トールとメイベルが結婚してしまえば、ルキエを含めた3人のお茶会のかたちが変わってしまう。

 それがとても寂しく思えたからだ。


 だからふたりの結婚話が流れたとき、安心した。

 思えば、それが、ルキエが自分の想いに気づいた最初のできごとだったのかもしれない。


 もちろん、ルキエは魔王だ。

 感情を表に出さないことには慣れている。

 抱いた感情を、自分に対しても隠すことができるほどに。


 その上、ルキエは『認識阻害』の仮面とローブを身につけている。

 顔色や表情で、感情を読み取られることはないはずだったが──


(余は……ケルヴを見くびっていたのかもしれぬな)


 ルキエは、覚悟を決めた。

 どんな言葉でも逃げずに受け入れよう。

 たとえそれが、乙女心をあばくような言葉であったとしても──


「正直、おどろきました。このタイミングでトールどのとメイベルを結婚させようなどと……陛下の言葉とも思えません」


 宰相ケルヴは、ルキエをまっすぐ見据えながら、告げる。

 そして、ルキエに投げかけられた言葉は──




「陛下も『ボイスレコーダー』で確認されたはずです。帝国のソフィア皇女が『信頼している方』──トールどのの側室になる覚悟でいることを。そのような提案があった直後に、メイベルをトールどのを結婚させるなど、できるわけがないではありませんか」



 ──しばらく、沈黙があった。


 ルキエは目を見開き、呼吸も忘れて、目の前の宰相ケルヴを見ていた。

 数十秒後、出てきた言葉は、


「……え?」

「メイベルの生まれのことで動揺されているのはわかります。ですが、彼女を守ろうとするあまり、友好関係にあるソフィア皇女のことをお忘れになるとは、陛下らしくありませんな」


 呆然とするルキエに向かって、宰相ケルヴは説明を続ける。



 ──ソフィア皇女が言っていた『魔王陛下が信頼し、私も信頼している方』とは、トールのことを指している。

 ──そのことは、トールもおそらく理解している。


 ──ソフィア皇女は『正室であることにはこだわらない』と言ってきている。

 ──それはトールの立場を考えてのことだろう。正室──つまり、正妻が帝国の皇女では、魔王領の民の中に、トールを帝国側の人間だと誤解する者が現れるかもしれないからだ。


 ──つまり、ソフィア皇女は側室にするしかない。

 ──それがわかっている状況で、メイベルをトールの正室──正妻にすることはできない。


 なぜなら──



「メイベルを正室にしてしまったら、魔王領はソフィア皇女のことを、メイベルより格下だと思っているということになります。少なくとも、帝国にそのようなメッセージを送ることになってしまうのですよ、陛下!」

「……あ」


 ルキエは思わず、口を押さえた。

 さらにケルヴは続ける。


「メイベルを側室にするのも、時期が悪すぎます。ソフィア皇女、大公カロンとの友好関係を考えるならば、もう少し時間をおくべきでしょう。ゆえに、私は反対させていただいたのです」

「……そ、そうじゃな。ケルヴの言う通りじゃ」


 がくん、と、椅子に座り込みルキエ。


 ありえない見落としだった。

 普段だったら、気づいていた。

 見落としてしまったのは──メイベルの生まれのことで、動揺していたからだ。


(……いや、違う。余は……)


 メイベルを守るために、トールと結婚させることを思いついた。

 自分は魔王だから、個人的な感情は無視しなければいけないと考えた。


 だから、トールとメイベルの結婚の邪魔になる情報から、無意識に目を逸らしていた。

 そのせいで、結婚を否定する理由が合理的なものなのか──自分の感情によるものなのか、わからなくなってしまっていたのだ。


 宰相ケルヴの言う通り、ソフィア皇女が『トールの側室になりたい』と言っているのに、それを差し置いてメイベルを正妻にすることはできない。

 そんなことは少し考えれば、わかることだったのだ。


「……余は、なんという、おろかなミスを」

「い、いえ。そこまでではありません。陛下。私の言い方もきつかったかもしれません。お詫び申し上げます」

「いや、諫言かんげんを感謝するぞ。ケルヴ」

「ありがとうございます。陛下」


 宰相ケルヴは、深々と頭を下げた。


「陛下が諫言を容れてくださる主君であることを、このケルヴ、誇りに思います」

「こちらこそじゃ、ケルヴよ。お主の言葉がなければ、余はとてつもないミスをするところであった……」

「そ、そこまで?」

「いや、とにかく、トールとメイベルを結婚させるのは難しいということじゃな」


 呼吸を整えてから、魔王ルキエは言った。


「メイベルをトールの正妻にはできぬ。また、ソフィア皇女との外交関係も考えねばならぬ。となると……婚約が無難であろうな」

「よきお考えかと存じます」

「そうか」

「婚約によってトールどのとメイベルの結びつきを深めることになります。それはメイベルを守ることにも繋がりましょう。また、それにソフィア皇女がどう反応するかで、彼女がどこまで本気なのかを探ることもできるかと」

「そうじゃな。ソフィア皇女の提案に対して、魔王領はメイベルをトールの婚約者とすることで、バランスを取った、ということにするとしよう」

「ソフィア皇女との友好関係を維持しながらも、トールどのを帝国には渡さぬ、という意志表示にもなります。よいお考えかと」

「では、後ほど余から、トールとメイベルに話をしておこう」


 そう言って、魔王ルキエは椅子に身体を預けた。

 すごく疲れたような気がした。


 メイベルの事を心配して、トールの気持ちを考えて、先走って、空回りして──

 結局、無難なところに落ち着いた。

 無駄に気をもんで、気疲れした。

 そんな自分がおかしくて──面白くて、心地よい。

 なんだか、不思議な気分だったのだ。


「方針はこれで決まりじゃな」


 ルキエは姿勢を正して、宰相ケルヴに告げた。


「トールとメイベルに話をするのは、明日がよいじゃろう。メイベルにも、気持ちを落ち着かせる時間が必要じゃろうからな」

「承知いたしました。トールどのにはそのようにお伝えします」

「頼む。それと、メイベルの祖母の件についてじゃが」

「極秘といたします。このことを知るのは陛下と私、トールどのとメイベル、それと──」

「ライゼンガとアグニスには伝えるべきじゃろうな」

「そのあたりでとどめておくのがよろしいかと」

情報漏洩じょうほうろうえいを避けるためにも、それがいいじゃろう」


 実際のところ、メイベルの生まれの件で、これからどんな影響が出るかはわからない。

 ルキエが望むのは、なにも起こらないことだ。

 これをきっかけにトールとメイベルが婚約する。それだけでいい。

 帝国の秘密情報を、魔王領が武器にすることはしない。

 少なくとも、ルキエの代では。


「……余の代では……か」

「……? なにかおっしゃいましたか? 陛下」

「いや、独り言じゃ。気にせずともよい」

「お疲れのようですね。では、私はこれで失礼いたします」


 一礼して退出する宰相ケルヴ。

 扉の前まで進んだ彼は、ふと、ため息をついて、


「しかし……これでトールどのは、より一層、魔王領の重要人物になりましたね」

「そうじゃな」


 びっくりどっきり錬金術師。

 魔王の直属。

 ソフィア皇女を側室とする (予定の)者。

 失われし『ミスラ侯爵家』の血を引くかもしれないメイベルの、婚約者となる者。


 トールの肩書きはどんどん増えていく。


 その本人は錬金術とものづくりにしか興味がない──ように見えて、大切な人は全力で守ろうとする。そのために全身全霊で力を振るうほどの情熱もある。

 トール・カナンとは、本当に困った人間なのだった。


「あれほど予測不能な人間はおらぬよ。本当に、まったく……あやつときたら」

「しかも側室になる女性が、帝国の皇女と、失われた公国の子孫であるメイベルなのですからね。今後なにが起こるのか……あの方の正室がどんなお方になるのか、まったく想像もつきません」

「…………え?」

「それでは、失礼いたします」


 ぱたん。


 宰相ケルヴは、広間から出ていった。

 後には、ぽかん、とした、魔王ルキエが取り残された。


(……トールの正室、じゃと?)


 ケルヴにとっては、特に意味のない言葉だったのだろう。

 けれど、ルキエの頭の中では、その言葉がぐるぐると回り始める。


 帝国のソフィア皇女は、トールの側室になることを望んでいる。

 トールは帝国の貴族だった者だ。妻がひとりとは限らない。

 だから、もう一人の側室として、メイベルと婚約することには問題ない。


 では、正室──正妻は?


 もちろん、それはソフィア皇女よりも地位が高い者でなければいけない。

 ソフィア皇女を慕う民や、オマワリサン部隊を納得させるためにも、そこは譲れない。

 ただし、魔王領の者でなければいけない。

 それはそうだ。トールを他国に奪われるわけにはいかないのだから。


 帝国の皇女よりも地位の高い、魔王領の人物。

 それに該当するのは──


「────っ!!」


 ぼっ。


 ルキエの顔が真っ赤になった。

 顔が熱い。熱くて熱くて、仮面をつけていられない。


(余は……なにを想像した!? こんなときになにを────っ!!)


 思わず仮面を外して、ルキエは両手で顔をおおう。

 人の気配に耳を澄ます。

 大丈夫。人払いはしてある。この広間には誰も近づかないはず。


(……落ち着くのじゃ。今は、そんな場合ではないのじゃ。ないのじゃから!)


 そうしてルキエは、深呼吸。

 高鳴る鼓動が落ち着くのを待って──結局、落ち着かなかったのであきらめて、席を立つ。

 仮面をつけなおした、私室に向かって歩き出す。


 するべきことは、決まっている。

 トールとメイベルの話が終わるのを待つ。

 明日、落ち着いてから、ふたりと話をする。トールとメイベルの婚約について。

 それまでは──


(余はこの状態で……1日過ごさねばならぬのか……)


 両手で胸を押さえる、魔王ルキエ。

 鼓動が高鳴る。トールに会いたくなる。

 でも、それは明日。今は我慢。だって自分は王なのだから。


 そんなことを自分に言い聞かせながら、私室に向かう魔王ルキエなのだった。





──────────────────



 いつも「創造錬金術」をお読みいただき、ありがとうございます!


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 書籍版の発売日は5月8日です。

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