第80話「ライゼンガとアグニス、魔法陣の調査に向かう」

 ──数日後。ライゼンガ領の山岳地帯で──






 ライゼンガ将軍が率いる部隊は、魔法陣の探索を行っていた。

 場所は、『魔獣ガルガロッサ』が現れた、山岳地帯だ。


 調査にはアグニスも参加している。

 彼女は緊張した面持ちで、父ライゼンガの後をついて歩いている。

 アグニスにとっては、これが初めての仕事だった。


「……魔王陛下とトールさまのためにも、がんばるので」


 剣を手に、アグニスはつぶやいた。

 彼女はずっと、発火体質のせいで鎧を脱ぐことができなかった。

 屋敷からほとんど出ることもできず、軍事行動に参加することもなかった。

 そんな彼女にとってこの仕事は、初陣のようなものだったのだ。


「アグニスよ。魔法陣の反応は、まだ見つからぬか」

「はい。おとうさ……いえ、将軍さま!」


 反射的に『お父さま』と応えそうになり、アグニスは慌てて言い返す。

 今は作戦行動中だ。

 父ライゼンガがさみしそうな顔をしたとしても、公私の区別はつけなければいけないのだ。


「トール・カナンさまの『魔力探知機』には、まだ反応はありません。この付近に、魔法陣はないと思われます」


 アグニスは父と兵士たち、それと、同行している文官に向かって報告した。


「『魔力探知機』には『魔獣ガルガロッサ』の脚が入れてありますので。同じ魔力を見つけたら、この羽がピクピクするので、わかります。今はまだ、まったく反応がありません」

「うーむ。そうなるとさらに西の岩山も調べねばならぬな」


 この先にも、岩山は続いている。

 だが、そこは魔族や亜人の手がほとんど入っていない、未開発の地区だ。

 魔獣も出る上に、道も険しい。

 地図はあるが、それでも危険な場所だった。


「だが、魔法陣の探索は重要な任務だ。再び新種の魔獣が現れたら、重大な被害が出るかもしれぬ。このまま調査に向かうとしよう」

「しかし将軍閣下。そもそも『魔力探知機』などというものは、本当に信頼に値するものですかね?」


 不意に、声が上がった。

 調査に同行している文官の少女からだ。


「あまり、あの錬金術師が作ったアイテムを信じるのは危険かと思いますよ。将軍閣下」

「……エルテさま。言葉には気をつけて欲しいので」


 アグニスは声の主をじっと見つめた。

 目の前にいるのは灰色の髪を持つ、長身の少女だ。ローブをまとい、手には羊皮紙の束を持っている。背中にある大荷物は、山岳地帯についての資料だろう。


 少女の名前はエルテ。

 魔法陣の調査に同行するため、魔王城から派遣されてきた文官だ。


「アグニスさまがお気を悪くされたなら、お詫びいたします」


 文官エルテは素直に頭を下げた。


「ですが、これは自分の正直な感想です。カナンという錬金術師は魔王領に来たばかり。あまり彼を当てにしすぎるのは危険だと思うのですよ」

「だから、今回の調査にトール・カナンさまは同行できなかったの?」


 アグニスは問いかける。


「宰相のケルヴさまが、トール・カナンさまと、あのお方に忠実な羽妖精ピクシーたちは同行させない方がいいと進言されたというのは、そういう理由なの?」

「叔父さまはおっしゃいました。『魔法陣が完全な状態で残っていた場合、それを参考にトールどのが、びっくりどっきりアイテムを作る危険があります』と」

「……宰相ケルヴさまが、そんなことを?」

「魔王さまも、ケルヴ叔父さまのご意見を受け入れられたようですよ」


 宰相ケルヴは、魔王領の文官すべての長だ。

 魔王ルキエもその意志は無視できない。


 もしかしたらルキエは、自分がトールに『完全な魔法陣の図』を見せてびっくりさせたいのかもしれないが、それはアグニスにはわからないことだった。


「自分はケルヴ叔父さまを尊敬しております」


 エルテは灰色の髪を揺らして、魔王城がある北の方を見た。


「叔父さまは言っておりました。『トールどのがアイテムを作るたびに頭が痛くなる』と。それはきっと、あの錬金術師の作り出すアイテムが、人を惑わすものだからに違いありません!」

「それは違うので!」


 アグニスは叫んだ。


「トール・カナンさまは、人を幸せにしてくれる方なので! あのお方のおかげで、メイベルもアグニスも……羽妖精さんたちもできることが増えて……世界が広がったので」

「失礼ながら、錬金術師さまからメリットを得ている時点で、アグニスさまのご意見は中立ではないと判断いたします」

「……エルテさん」

「自分は、叔父である宰相ケルヴさまを信じております。あの方の愛する魔王領を守り、あの方の助けになるような立派な文官になりたいのです。ですから、ケルヴ叔父さまを悩ませる錬金術師さまのことは、好きにはなれないのですよ」


 文官エルテは、きっぱりと言い切った。

 そんな彼女を見ながら、アグニスは、


「エルテさんも、きっと、トール・カナンさまのことがわかる時が来るの」


 静かに、ため息をついた。


(怒って調査をだいなしにしたら、『魔力探知機』を作ってくださったトールさまの気持ちを無にしてしまうことになるので……)


 アグニスはそう考えながら、深呼吸。

 それから、父ライゼンガの方を見て、うなずく。

 割って入ろうとしていた彼は、ほっ、と胸をなでおろしていた。


「話は終わったようだな。では、調査を続けるとしよう」


 ライゼンガは、岩場の向こうを指さした。


「宰相ケルヴどのの指示は『魔獣ガルガロッサの出現地域でなにも見つからなければ、未開発地帯を調査する。3日間調査して、なにも見つからなければ、一旦帰還する』──これで間違いないな?」

「はい。将軍閣下。念のため未開発地帯の資料をお渡しいたします」


 文官エルテは、荷物の中から羊皮紙を取り出した。


「魔王城の文官棟に、周辺の地図が残っておりました。お使いください」

「これは助かる。感謝するぞ。文官どの」

「それから、こちらも参考にしてくださいませ」


 文官エルテは、荷物の中から数枚の皮を取りだした。


「数週間前、岩山のふもとで『マウンテンリザード』が討伐されております。この周辺の山から下りてきて、砦の兵士たちに発見されたのです。その魔獣の皮をお持ちしました。魔獣の防御力の参考として、お使いください」

「うむ。なかなかの準備の良さだ。まるでトールどの……おっと」


 トールの名前を出した瞬間、エルテの表情がこわばる。

 それを見たライゼンガは、咳払せきばらいして、


「と、とにかく、文官どののご配慮に感謝する」

「恐縮いたします」

「この素材はアグニスに持たせよう。なにかの役に立つかもしれぬからな」

「将軍のご判断にお任せいたします」


 一礼して身を引く文官エルテ。

 必要なものは用意し、礼儀正しく、ライゼンガの職分も侵さない。

 調査任務に同行する文官として、文句のつけようがなかった。


「それでは、先に進むとしよう。できれば今日のうちに、調査の目処をつけておきたいのだ」


 ライゼンガ将軍の合図で、調査部隊は移動をはじめた。







「お気を付け下さい、皆さま」


 2時間ほど進んだところで、文官エルテが声をあげた。

 その声に反応して、将軍と兵士たちが足を止める。


 山道だった。

 周囲は岩場で、歩きにくい斜面が続いている。

 文官エルテは周囲の景色と資料とを見比べて、


「資料によると、このあたりが『マウンテンリザード』の生息地とされております。先ほどお渡しした皮からもわかるように、防御力が高いのが特徴の魔獣です。身体が大きい割に動きが速く、物陰から人を襲う危険な奴です。まずは周囲の警戒を──」

「『マウンテンリザード』なら、その岩の後ろにいるので」


 アグニスが言った。




 ぴくぴく、ぴく。




 彼女が背負う『魔力探知機』の羽が、数十メートル先にある大きな岩を指し示していた。


「……え」

「「「ア、アグニスさま。それは!?」」」


 文官エルテと兵士たちが、おどろいたように声をあげる。


「エルテさんが立ち止まってすぐに、『魔力探知機』の中に、魔獣の皮を入れたので」


 アグニスは肩越しに『魔力探知機』を指さした。


「近くに『マウンテンリザード』がいたら、その魔力を見つけられるので!」


 アグニスの後ろに、『魔獣ガルガロッサ』の脚を持った女性兵がいる。

 彼女が『魔力探知機』の中身を入れ替えたのだろう。


 調査に出る前に、トールは『魔力探知機』を調整してくれた。

 魔力を探知する精度を変えられるようにしてくれたのだ。

 精度を上げれば、ソレーユやルネなど、個人ごとに違う魔力を探知することができる。

 精度を下げれば、個人の区別はつかないけれど、人間や魔獣などの、種族ごとの魔力を探知することができるのだ。


(魔獣のいる場所に向かうアグニスのために、トールさまは、そこまでしてくれたので……)


『魔力探知機』の、反応距離は数百メートルから1キロ。

 今は中に『マウンテンリザード』の皮が入っている。

 そこにわずかでも魔力があれば、似た魔力を持つ者を探し出せるのだ。


「アグニスは、トールさまを信頼しています。あの方のアイテムに力があることを証明するので」

「ならば、準備をするとしよう!」


 ライゼンガは兵士たちに指示を出す。


「文官エルテどのの話の通り、『マウンテンリザード』に矢は効かぬ。弓兵は『レーザーポインター』を用意せよ。魔術兵は詠唱を」

「「「承知しました!!」」」


 ライゼンガの合図で、弓兵は大きな筒レーザーポインターを構え、魔術兵は詠唱を始める。


 しばらくして、大岩の後ろで動きがあった。

 のそり、と、巨大な影が姿を現す。

 その体長は、3メートル弱。

 身体は黒光りする皮膚におおわれている。

 大きく開いた口には、無数の牙が並ぶ。人の指ほどの大きさの牙だ。皮の鎧くらいなら、簡単に噛み裂けるだろう。

 さらに、おそるべきはその尻尾。

 厚みのある皮膚におおわれ、さらに大量のトゲがついている。

 兵士たちにはわかった。あれが『マウンテンリザード』の打撃武器なのだと。

 巨大な尻尾を振り回し、獲物をひるませる。固い皮膚を盾として近づき、のしかかり、大きな牙で獲物をかみ千切る。

 兵たちは、文官エルテが見せてくれた資料を思い出す。

 かつてこの山地で『マウンテンリザード』と戦ったとき、兵士十名近くが犠牲になっている。

 突然の遭遇戦そうぐうせんだったからだ。

 尻尾を防ぐことができず、近づかれ、犠牲者を出した。

 そんな『マウンテンリザード』が今、4体も現れている。

 すでに魔獣は、こちらを視界に捕らえている。

 その固い皮膚を盾に、歩きにくい岩場で脚を動かし、思った以上の速度で近づいてきて──



『『『──グェ?』』



 ──自分たちの身体に赤い光点が当たっていることに気づいたのか、魔獣たちは声をあげた。




「今だ! 魔術を放て────っ!!」

「「「おおおおおおおおおっ!!」」」



 ドドドドドドガガガガガガッ!!



『レーザーポインター』の光に導かれた火炎魔術が、『マウンテンリザード』に殺到した。

 ファイアボール、ファイアアロー、フレイムボム。

 火炎魔術の連射は止まらない。

 魔術を放っているのは火炎巨人イフリート眷属けんぞくたち。

 彼らは息をするように、炎を操るのだ。


『レーザーポインター』の光によって、炎は一点に集中している。

『マウンテンリザード』の固い皮膚を焼き、穴を空けていく。


『────ギィアアアアアア!!』


 魔獣が絶叫した瞬間、『レーザーポインター』の光がその口に移動する。

 直後、火炎魔術が口の中に飛び込み──『マウンテンリザード』は体内を焼かれ、倒れた。

 それを見て、2匹目が逃げ出す。


 だが、『レーザーポインター』の射程は、魔獣の逃走を許さない。

 背後から猛烈な火炎を飛ばし、その身体を黒焦げにする。


『『ゴォアアアアアアアア!』』


 パニック状態になった3匹目と4匹目は、ライゼンガの部隊に向かって走り出す。

 その口に、目に、『レーザーポインター』の光が当たり、火炎が飛び込む。



『…………グガ……ァ』



 わずか数分間の戦闘だった。

『マウンテンリザード』たちは将軍の部隊に近づくこともできず、全滅したのだった。





「…………えー」

「エルテどの。『マウンテンリザード』は倒したが、他にもいると思われるか?」

「え? え、え? あ、はい。いえ……」


 文官エルテは、慌てて手元の資料を見た。


「『マウンテンリザード』は数が少ない魔獣です。大きな群れを作るとは思えませんので、他にはいないと思われます。はい」

「ならば、このまま調査を進めるとしよう。では、アグニスよ」

「はい。将軍閣下」

「『魔力探知機』の中身を、『魔獣ガルガロッサの脚』に入れ替えるがよい。それとだな……」


 ライゼンガは渋い顔で、


「無断で『魔力探知機』の中身を入れ替えてはならぬ。そのアイテムは魔法陣探索用のものだ。勝手なことをするでない」

「……申し訳ありません。将軍閣下」

「そういう時はエルテどのに相談しなさい。この土地に一番詳しいのは、文官のエルテどのなのだからな!」

「承知いたしました」


 アグニスは父ライゼンガに向かって、深々と頭を下げた。


「勝手なことをしてすいませんでした。エルテさま」

「え、あ……はい」

「すぐに、『魔力探知機』の中身を『魔獣ガルガロッサ』の脚に入れ替えますので」


 アグニスは後ろ手に『魔力探知機』の扉を開ける。

 控えていた女性兵士が『マウンテンリザード』の皮を取り出し、『魔獣ガルガロッサ』の脚に入れ替える。

 そうして、アグニスが『魔力探知機』に魔力を注ぐと──



 ぴくん。ぴくぴくん。



 再び、『魔力探知機』の羽が動いた。

 4枚の羽が、ぴくん、と斜め上方向を指し示した。

 その先には切り立った岩場があり、その頂上付近に、洞窟のような空間がある。


 岩場には、洞窟まで続く小道がある。

 その道は岩場をぐるりと迂回し、かなり遠回りになるルートのようだった。


「『魔力探知機』は、あの洞窟を指しているの。あの中に魔法陣が……?」

「可能性はありますね」


 資料を手に、文官エルテが言った。


「以前、この地を捜索した者の資料にあります。この岩場は魔王領側からは登りにくいが、帝国側からはなだらかで登りやすいと。魔獣の召喚を行ったのが帝国の関係者ならば、あの洞窟に魔法陣があっても不思議はありません」

「「「なるほど……」」」


 ライゼンガ将軍と、兵士たちはうなずいた。

 それを見て、文官エルテは満足そうに、


「遠回りになりますが、洞窟まで通じる小道があるようです。通れるかどうか見てみましょう」

「うむ。では兵士たちよ、エルテどのの指示に従い、洞窟へのルートを確認するがよい」

「お願いいたします。将軍閣下はどうされますか?」

「我は一部の兵とともに、ハシゴで岩壁を登ることとする」

「なるほど、ハシゴで……って、え?」

「アグニス。準備をしなさい」

「はい。将軍閣下」


 アグニスは『超小型簡易倉庫』から、『改良版チェーンロック・ハシゴ型』を取り出した。

 その端を握ったまま、岩壁に向かって投げ上げる。

 チェーンがほどよい高さまで届いたところで──


「発動。『陸地アースロック』」



 カシーン。チャリーン。ガキーン!



 ──アグニスが魔力を注ぐと、『補助チェーン』が展開された。

『補助チェーン』は岩壁に食い込み、チェーンのハシゴを固定する。

 アグニスはチェーンを軽く引いて、安定を確認する。問題なし。びくともしない。


 トールが作った『チェーンロック』には盗難防止用のシステムがついている。

 魔力を注ぐと『補助チェーン』が岩に食い込み、チェーン本体を固定する。

 チェーンそのものをハシゴ型にして、『補助チェーン』を展開すれば、どこでも使える縄ばしごになってくれるのだった。


「うまくいきました。将軍閣下。このハシゴなら安全に岩壁を登れますので」

「『ハシゴ型チェーンロック』は、あと何本ある?」

「トールさまは10本、準備して下さったので」

「洞窟のある場所までは……15メートルくらいか。十分だな。では、我らが登る。アグニスは下からチェーンを投げ上げてくれ」

「わかりました! 将軍閣下」

「エルテどのは山道を登ってこられるがよい。このチェーンもトールどのが作ったもの。我やアグニスはあの方を信じているゆえに、このチェーンに体重を預けることができる。だが、エルテどのにとっては不安であろうからな」

「…………」

「……エルテどの?」

「……は、はい」

「無理はしないでいただきたい。貴公になにかあったら、ケルヴどのが悲しむからな」

「…………ご配慮、ありがとうございます」

「では、行ってくる」


 ライゼンガたちは、チェーンのハシゴを上り始めた。

 アグニスは地上で、『チェーンロック・ハシゴ型』を手に身構えている。


 ライゼンガたちがハシゴのてっぺんまで上ると、アグニスは『健康増進ペンダント』でブーストした力で、チェーンを投げ上げる。それがほどよい高さに達するとライゼンガが触れて、魔力を流す。『補助チェーン』が展開されて、さらなる高みへとハシゴが伸びていく。


「……叔父さま。いつから魔王領は、自分の──エルテの知らない場所になってしまったのでしょうか」

「エルテさま! 岩壁に額をこすりつけたら怪我をするので!」

「大丈夫です……ちょっと自分を見失っただけですから……」


 そんなアグニスとエルテのところに、兵士たちがやってくる

 彼らは洞窟までのルートについて、報告に来たのだった。


「細い道ですが、洞窟まで続いているようです。ただ、道幅はひと一人が通れるくらいしかありません。見たところ足場は安定していて、崩れる心配はないようです」

「わかりました。自分が行きます」


 エルテは迷わず、宣言した。


「自分の役目は魔法陣を確認し、それを使ったのが誰なのか手がかりを見つけることにあります。この目で現場を確認して、魔王陛下とケルヴ叔父さまに報告しなければいけませんから」

「兵の皆は、エルテさまを守ってください。荷物は最小限に。残りはここでアグニスたちが預かりますので」


 アグニスも、テキパキと指示を出す。


「細い道で槍は使えません。長剣か、短剣を持っていくように。念のため、通常版の『チェーンロック』を持っていってください。壁に使えば、手すりがわりになるので、それから──」


 しばらく、細々とした準備が続く。

 アグニスは『超小型簡易倉庫』から出したアイテムを兵士に渡していく。


 小道は危険だが──洞窟に魔法陣を描いた者がいるなら、その者も小道を通った可能性がある。


「なにか手がかりが残っているかもしれません」──そう言って、エルテは兵士たちと共に出発していった。


 下の岩場には、アグニスと数名の兵士たちが残された。

 彼女たちの仕事は、ライゼンガやエルテたちのサポートだ。


「……ここにトール・カナンさまがいたら、この場で『洞窟までジャンプするアイテム』を作られたかもしれません……」


 ふと、アグニスはそんなことを考えた。


 今ごろトールはどうしているだろう。

 もしかしたら、お風呂用アイテムの研究をしているかもしれない。

 彼は、羽妖精がみんなで入れる『フットバス』のようなものを作りたいと言っていたから。


 ぜひ、アグニスも実験に参加したいと思う。

 羽妖精やメイベル……できればトールも一緒に入れるお風呂があったら、楽しそう。

 もしもその技術を利用して公衆浴場を作れば、みんなもトールのすごさを認めてくれるはず。

 エルテのように彼を警戒する人も、少なくなるかもしれない。


「トール・カナンさまも、みんなに理解してもらうために『錬金術あります』の看板を作られたので。きっといつか、みんなトール・カナンさまを大好きになるはず……」


 あんまりたくさんの人が、トールを大好きになってしまったら……困るけれど。

 でも、トールの理解者が増える方が、ずっといい。

 そんなことを考えながら、アグニスは『チェーンロック・ハシゴ型』を投げ上げる。


 すでにハシゴは3段目にさしかかっている。

 次の4段目で、洞窟のある岩場に届くだろう。

 真上に投げ上げるだけなので、『健康増進ペンダント』で強化したアグニスには簡単だ。

 難しいのは横位置で。ライゼンガたちに当たらないように、少しずらして投げ上げなければいけない。そこだけは注意しなければ。アグニスは気合いを入れる。


 難しいところだけれど、楽しい。

 アグニスにとっては、初めての仕事だ。

 みんなの役に立っていること。トールのマジックアイテムを使っていること。

 そのことがすごく楽しい。

 トールが錬金術に──彼のお仕事に夢中になる理由が、わかったような気がする。


「将軍閣下! 次のハシゴを投げ上げますので!」

「──おぉ。頼む!」


 ライゼンガの合図で、アグニスは4本目のハシゴを投げ上げる。

 これで上まで届くはずだ。

 文官のエルテさんはどうしたでしょう……アグニスがそんなことを考えたとき、




『キシャアアアアアッ!!』




 魔獣の鳴き声が響いた。

 アグニスは思わず顔を上げる。


 岩場の向こう、細い山道の上を、黒い鳥が飛んでいるのが見えた。

 サイズは数メートル。

 山道を進むエルテたちを狙っている。


「ダ、『ダークコンドル』がこんな場所に!? た、確かに目撃記録はあるけれど、これは丘陵地帯に住む魔獣のはず……!」


 エルテの声が聞こえた。


 まずい。

 護衛の兵士はいるけれど、足場が悪すぎる。

 細い山道を進むため、兵士たちは荷物を置いて行っている。

 手元にあるのは小さなアイテムだけだ。槍も『レーザーポインター』も持っていない。


 父ライゼンガは、上の岩場にたどりついたところだ。

 エルテの元までは時間がかかる。間に合わない。


 だからアグニスは、叫んだ。


「兵士さん! さっき渡したボタンを使って欲しいので!!」

「アグニスさま!? ボ、ボタンって!?」

「エルテさまは気にしないで! 兵士さん、お願い! 指を当てて、魔力を注げばいいので!!」


 エルテに向かって、アグニスは指示を出す。

 同時に彼女は、胸元に着けた『健康増進ペンダント』を──外した。


「手の空いている者は『レーザーポインター』で魔獣に狙いを! あと、アグニスに近づかないで欲しいので!!」


 アグニスの身体から、ぼぅ、と、炎が上がる。

 慣れ親しんだ熱を感じて、彼女は歯を食いしばる。

 アグニスが着ているのは『地の魔織布』で作った服だ。下着も同じ素材で出来ている。

『地の魔織布』は耐火性がある。しばらく発火したところで、燃えることはない。


 あとは『ダークコンドル』の動きが止まれば──



『オマワリサーン!』


 びくぅっ!!



『防犯ブザー』の音が鳴り響き、『ダークコンドル』が動きを止めた。


 念のため、さっき兵士に渡しておいたものだ。

『防犯ブザー』は小さくて軽い。持ち運びやすい。魔物と遭遇したとき、指を当てるだけで使える。山道では、最高の護身用アイテムだ。


「みんなは『レーザーポインター』を持って、魔獣に狙いをつけて! 急いで!!」


 アグニスは、周囲にいる兵士たちに指示を出す。

 即座に兵士が『レーザーポインター』の照準を合わせる。

 そして──


「火の魔力──開放。『ギガンティック・フレイム・バインド』!!」


 アグニスの指先から、炎の鞭が飛び出した。

 それは『レーザーポインター』の光に乗り、一直線に『ダークコンドル』へ。

 炎は鳥の魔獣に巻き付き、その身体を縛り──焼き尽くす。


『キシャ!? キシャアアアアアアア!!』


 アグニスの火炎魔術の特徴は、その威力だ。

『健康増進ペンダント』がなければ、炎が漏れ出てしまうほどの魔力だ。

 それを攻撃魔術として放てば、すさまじい威力を発揮する。


 それに今は『レーザーポインター』の命中率が加わっている。

 鳥の魔獣『ダークコンドル』は、あっというまに燃え尽きていく。


「トール・カナンさまのアイテムは、人を幸せにするものなので……。それを使っている場所で、仲間を傷つけさせるわけにはいかないので!」


 アグニスは胸を張って、叫んだ。


「背中はアグニスが守るので。エルテさんたちはお父さ──将軍閣下と合流して欲しいので!」


 その声に背中を押されたように、エルテたちが歩き出す。

 それを確認してから、アグニスは『健康増進ペンダント』を着け直した。

 さらに『地の魔織布』の服が、燃えていないか確認する。


「……問題なし。よかった……」


 しばらくして、エルテたちはライゼンガの元にたどりついた。

 怪我人はなし。脱落者もいない。

 地上で見守るアグニスに向かって、ライゼンガが「登ってきなさい」と指示を出す。


 アグニスは素早くハシゴを上った。

 洞窟の前には父ライゼンガと、配下の兵士たちが集まっていた。



「──トール・カナンどののチェーンのおかげで、楽に登れましたな!」

「──『レーザーポインター』で遠距離から敵を倒すのも、慣れてきたぞ」

「──オマワリサンが味方である限り、魔獣など楽勝で──」



 兵士たちは笑いながら、口々につぶやく。

 そんな彼らを、ライゼンガは、ぎろり、と、にらんで──



「油断してはいかん! 想定外のことは、いつでも起こりうるのだぞ!!」



 ──岩場に響く声で、一喝した。


「確かにトールどののマジックアイテムは強力だ。だが、本人も、まだ勇者には及ばないと申されておる! それは、通じない敵がいるかもしれないという意味だろう」


 ライゼンガは兵士たちを見据えながら、続ける。


「だから、油断してはならぬのだ。『レーザーポインター』の光を避ける敵が出るかもしれぬ。オマワリサンの警告を無視する者もいるかもしれぬ! 予想外のことはいつでも起こりうる……そう考えながら、油断せずに行動せよ。よいな!!」

「「「は、はい。将軍閣下!!」」」

「……なるほど。エルテどのがトールどののアイテムを使いたがらないのも、兵士たちを油断させないためだったのだな。さすが宰相ケルヴどのの姪御めいご。若いのに、たいした洞察力だ」


「…………え?」


 ちょうど洞窟の前までたどりついた文官エルテが、ぽかん、とした顔になる。

 彼女は肩で息をしながら、地面に座り込む。

 どうして周囲の兵士が感心したような声を上げているのかわからず、彼女は「え? え?」と、周囲を見回していた。


「無事で良かったです。エルテさま」

「……アグニスさま」


 アグニスの姿を見て、エルテは慌てて地面に膝をついた。

 それから、深々と頭を下げて、


「──お助けいただき、ありがとうございました!」

「エルテさまを助けたのはトール・カナンさまのアイテムなの。お礼は、あの方に」

「わかりました……この任務が終わったら、お礼にうかがいます」

「うん。だから岩に額をこすりつけるのはやめた方がいいの」

「…………はい」


 エルテは、しばらくしてから、顔を上げた。


「……感謝はいたします。ただ、なんというか、まだ混乱しているのです。羽が魔獣の位置を指し示して、光が魔術の射程を伸ばし……『オマワリサン』の声が魔獣の動きを止める。魔王領は……いつの間にこんなびっくりどっきりな場所になってしまったのでしょう……」

「勇者世界の技術とはそういうものなの」

「……勇者。あの最強を目指していた者たちですか……」

「魔族と亜人は、人間から学ばなければいけないの。最強の人間といえば、勇者。その勇者の世界のアイテムを作り出せるトール・カナンさまから、アグニスたちは学ばなければいけないと思うので」

「……自分にはまだ、わかりません」

「ゆっくりでいいと思うので」


 アグニスは笑顔で、エルテの手を取った。


「トール・カナンさまはアグニスにとって大切な人なので、あの方の理解者が増えて欲しいと、アグニスは思うの。だから、ゆっくりでいいから、あの方のことをわかってあげて欲しいので──」

「……私に理解できるでしょうか」


 文官エルテは、赤くなった額を押さえた。


「あぁ……ケルヴ叔父さま。あなたもこのように、頭を痛めていらっしゃたのでしょうか……」


 そんなことをつぶやきながら、アグニスとエルテは洞窟に向かって歩き出すのだった。

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