第9話「幕間:帝国領での出来事」
──トールが魔王領に向かったあと、帝国の
「執事どの。宮廷より、魔法剣の修理についての問い合わせが来ています」
トールが魔王領に送り出されてから数日後。
リーガス公爵家に仕える執事は、部下からの報告を受けていた。
執事と衛兵隊長はリーガス公爵の腹心だ。
公爵と共にトールを魔王領へのいけにえとして送り出すときにも協力している。
最近は公爵も機嫌がいい。
執事である彼も満足しているところだったのだが──
「魔法剣の修理だと? そんな依頼があったか?」
「お忘れですか? 皇女殿下が使われるという、魔法剣の修理ですよ。勇者時代のものを
「ああ、思い出した。確か役所を通して、修理依頼を出していたな」
やっと思い当たって、公爵家の執事はうなずいた。
帝国では、
だからなるべく貴族は直接関わらず、役所を通して依頼をするようになっている。
皇女が使うという魔法剣も、同じ手続きで修理に出していたのだ。
「わかった。私が確認しておく」
そう言って黒服の公爵家執事は、急いで役所へと向かったのだった。
「なに? 修理ができないだと」
「はい。
役所の所長は答えた。
「だが、書類には『修理は8割まで完了している』と書いてあるぞ」
「それは……」
所長は、きまずそうに顔を
「実は……魔法剣を、うちの職員がこっそりと『錬金術』スキルで直していたのです」
「なに?」
「うちの部署は、年々予算が減らされていますからね。現場でやれることは、予算を使わずにやるようにしているのです。もちろん、上の方の許可はいただいております」
「わかった。ではその職員を呼べ」
「もうここには、おりません」
「そのような者を手放すとは愚かな!! 貴様はそれでも人事を預かる者か!?」
「い、いえ……私が手放したわけでは……」
「うるさい! 誰なのだ、その職員とは!!」
「トール・カナンどのです」
所長は、ぽつり、とつぶやいた。
「いえ、カナンは母方の姓でしたね。
「……」
「あの方はたいしたものですよ。アイテムをひとつひとつチェックして、必要な修理をほどこしていたのですから」
「な、なんだと? そんな報告は受けていないぞ!?」
「あの方の名を出すなとおっしゃっていたのは、公爵家の方だと記憶しておりますが?」
むしろ不思議そうに、役所の所長は首をかしげた。
「『トール・リーガスの名前が表に出ないように。仕事内容や成果が、公爵さまや他の貴族の目に付かぬように』──と、公爵家から命令を受けていたので、あの方の仕事ぶりについては報告も記録もできなかったのです」
「……ぐぬぬ」
「トールさまは公爵家に戻られたのでしょう? でしたら、直していただければ……」
「う、うるさい! 貴族の事情に口を出すな!!」
「──ひっ!?」
黒服の執事は、だん、と地面を踏みならし、叫んだ。
その
「トール・リーガスのことは言うな! あの者のことは、公爵家でもタブーとなっている。いいか。二度とその名を口にするなよ!!」
「わ、わかりました。では、魔法剣は……?」
「こちらで錬金術師の工房に依頼する。それでよかろう!」
「ですから、錬金術師では直せないと、一度戻ってきているのですよ」
「それはきっと、低レベルな工房に依頼したからに違いない」
公爵家執事は魔法剣を手に取った。
銀色に光る両刃の剣だ。だが、刃の一部が欠けている。場所は剣の
だが、記録によると、
(それをトール・リーガスがここまで
だったら、他の錬金術師に直せないはずがない。
きっとトール・リーガスは、質の悪い錬金術師に依頼したのだろう。目的はもちろん、自分が修復してみせて、公爵の関心を買うためだ。おろかなことをする。
そんなことをしたところで、彼の運命は決まっていたというのに。
そこまで考えて、公爵家執事はうなずいた。
自分の額に冷や汗が伝っていることには、気づかないふりをした。
リーガス公爵と衛兵隊長、執事である自分がその無能をあざ笑い、帝国より追放したトール・リーガスは、無能でなければいけないからだ。
もしも彼が有能で、特別な力を持っているとしたら──
(公爵さまと自分たちが、間違っていることになるではないか!!)
思わず浮かんだ考えを振り払うように、公爵家執事は
「いいか、この魔法剣のことは忘れろ」
公爵家執事は、トール・リーガスの上司だった者に向かって、告げた。
「この魔法剣の修理は公爵家の権限で、帝都で最も優れた錬金術師工房に依頼する。お前はこの剣のことを忘れろ。いいな。我が身がかわいいなら、二度とトール・リーガスのことは口にするな!!」
そうして、公爵家執事は、外へと飛び出していったのだった。
翌日。
公爵家執事は魔法剣を手に、錬金術師の工房を訪ねていた。
彼は工房主である錬金術師を呼び出し、その目の前に魔法剣を置いた。
その間、錬金術師と、工房にいる者たちはすべて、深々と頭を下げていた。
当然だ。帝国はすべての者が『最強』を目指している。
ろくに戦う力もない錬金術師など、リーガス公爵家の名のもとにひれ伏すべき。
そう思いながら、執事は錬金術師に魔法剣を手渡したのだったが──
「……修理できない、だと?」
「申し訳ございません。これは我々の手に余ります」
──工房主である錬金術師は、あっさりと首を横に振った。
「そんな馬鹿なことがあるものか! ここは王都で一番大きな工房だろうが!!」
「魔法剣の修理というのは難しいものなのです。ご覧下さい」
錬金術師の男性は、テーブルに敷いた布の上に、銀色の長剣を置いた。
柄に複雑な模様が描かれた長剣は、ほのかに光っているように見えた。
錬金術師は刀身を指さして、
「ここに亀裂があるでしょう? いや、
「それを直せといっているのだ!」
「魔法剣というのは、そう簡単なものではないのです」
「普通の剣なら、
「……う、うむ」
「だから、
「わかっているならやればいいんだろう!?」
「その技術を持つ錬金術師は、帝国にはおりません」
「……いない?」
「勇者の時代には存在しました。けれど、今はもういません。錬金術師は鍛冶屋の下働きのようになり、魔法剣修復の技術も失われました。人材を育てなければ、勇者時代の貴重なアイテムも失われていくばかりだと……若いころ、仲間とよく話をしたものです」
遠い目をして、錬金術師は言った。
それから、魔法剣に視線を移して、
「いえ、この魔法剣の
「……う」
黒服の執事は口ごもる。
その彼には目もくれず、錬金術師は指先で魔法剣の刃の背をなでている。
うっとりしたような顔だった。
「この
そう言って、錬金術師は顔を上げた。
「お願いです。これを直した人を紹介していただけませんか? ぜひ、教えを
「う、うるさい!」
執事は叫んだ。
紹介などできるわけがない。トールは魔王領に去ったあとだ。
仕事を頼むことも、呼び戻すこともできないのだ。
公爵も「あれはもう死んだも同じ」と言っている。
魔王領で魔族や亜人に殺されるか、あるいは、帝国が魔王領とトラブルを起こしたときに
「もういい。直せ。刃が欠けているだけなのだろう?」
「ですから、同じように
「リーガス公爵さまは、見た目が直っていればそれでいい、とおっしゃっている!」
事実だった。
執事が公爵から「貴様に任せたはずだ。きれいに直せばそれでいい」と言われている。
それにこの魔法剣は、儀式のために必要なものだ。
皇女殿下が使うのは確かだが、魔獣討伐を行うわけではない。
見た目が整っていれば、それでいいはずだった。
「表面的に直すならできるだろう?」
「魔法剣として完全にする必要はないと?」
「そうだ」
「しかし一部だけ別の素材を合成すれば、強度に問題が──」
「これは儀式用に使われるものだ。勇者時代の魔法剣の力を引き出せるものは少ない。剣に負担がかかることはないはずだ」
執事はじっと、老齢の錬金術師を見据えていた。
「それとも貴様は、公爵家の依頼を断るのか?」
「……そこまでおっしゃるのなら、お受けしましょう」
錬金術師は、再び、長いため息をついた。
「ですが、
「一筆?」
「こちらの責任になっては困りますからね」
「……わ、わかった」
仕方がなかった。
この魔法剣は、今月中に修復する必要があるのだから。
そう自分に言い聞かせながら、
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