第8話「魔王ルキエと宰相ケルヴ、錬金術師トールについて語る」

 ──魔王城、玉座ぎょくざの間──





「メイベルが魔術を使えるようになったじゃと!?」


 魔王ルキエは声をあげた。


「しかも、トール・リーガスが作ったマジックアイテムによるものじゃと!? それは本当なのか!? ケルヴよ!!」

「はい。この目で確認いたしました」

「……信じられぬ」


 宰相さいしょうケルヴの答えに魔王ルキエは目を見開く。


「メイベルの魔力の不調については、魔王領のさまざまな治癒術師ちゆじゅつしに診せた。じゃが、治すことはできなかった。それをあの錬金術師れんきんじゅつしは、1日足らずで治してしまったというのか!?」

「……トール・リーガスどのは、おそるべき能力の持ち主です」


 宰相ケルヴの声は、かすかに震えていた。


 彼はメイベルが『温水水流桶フットバス』を使うところを見た。

 その直後に彼女が発動させた魔術を、正面から受けた。

 奇跡を見たと思った。

 それほど、衝撃的しょうげきてきな光景だった。


「そもそも、メイベルが魔術を使えない理由は、体内の魔力がうまく循環じゅんかんしていないことが原因でした」


 宰相さいしょうケルヴは話し始めた。


「メイベルを診た治癒術師たちは、彼女の祖母が人間であることがその原因ではないかと言っていましたが……確信はなかったですし、治療法もわからないままでした」

「それは余も聞いておる」


 魔王ルキエはため息をついた。


「そのせいで、メイベルはエルフの村になじめなかったのじゃからな」

「そうですね。エルフは強い魔力を持つ種族です。人間を祖母に持つメイベルは、なんらかの理由で魔力循環がうまくいかず、とどこおっていた。そして、両足にたまった水の魔力が、身体を冷やしていたのでしょう」

「トール・リーガスは、それをどうやって治したのじゃ?」

「3種の魔力を用いて、メイベルの魔力循環を改善したと思われます」


 宰相ケルヴは、指を3本立ててみせた。


「『温水水流桶フットバス』には火の魔石と、風の魔石が使われていました」

「それは聞いた。火の魔石で水を温め、風の魔石で流水と泡を作り出したのじゃろう?」

「はい。つまりトールどのは、水に『火の魔力』と『風の魔力』を溶け込ませたとも言えるのです」

「水に『火の魔力』と『風の魔力』を溶け込ませた……」


 言葉の意味を理解して、魔王ルキエがおどろきに目を見開く。


「まさか、ふたつの魔力を水に溶け込ませることで、メイベルが火と風の魔力を吸収しやすいようにしたとでもいうのか!?」

「それ以外に考えられません」


 宰相ケルヴはうなずいた。


「メイベルは『水属性』を持つエルフです。水に溶け込んだ魔力ならば、吸収しやすいのは道理。そうすることで『熱』を意味する火の魔力と、『循環じゅんかん』を意味する風の魔力を大量に取り込んだメイベルは──」

身体中からだじゅうに熱を循環させることになり、冷え性が治った上に、体内魔力の循環が良くなった……」


 魔王ルキエはがっくりと、玉座に座り込んだ。


『火の魔力』は文字通り熱と炎を意味する。

 その魔力を取り込めば、身体がぽかぽかしてくるのは当然だ。

 そして『風の魔力』は大地をめぐる空気の流れ──つまり、循環じゅんかんを意味する。

 火と風の魔力、その両方を同時に取り込むことで、メイベルの冷え性と体内魔力の循環は改善したのだろう。


 メイベルは魔王ルキエの大切な部下だ。

 彼女の体調が良くなったのなら、魔王ルキエもうれしい。

 だが……問題はそこではなかった。


「トール・リーガス……おそるべき男だ。あの錬金術師は、そこまで考えていたというのか」

「はい。この世界の錬金術師の中でも、5本の指に入ることはまちがいありません」

「じゃが、あやつは勇者の世界のアイテムをコピーしただけなのじゃろう?」

「……そうなのですけど」


 宰相ケルヴは腕組みをして、


「勇者についての口伝では、そんなものの情報はないのです。『健康グッズ』でバフをかけるとか状態異常を回復するとか、ありえないのです」

「代々の宰相が受け継ぐ口伝の中には『健康グッズ』も『フットバス』もないのか?」

「そうですね。『強化魔術』や『回復魔術』の記録はあるのですが……」


 柱に頭を押しつけて、がっくりとうなだれる宰相ケルヴ。


「対象の魔力循環を改善するアイテムなんて聞いたことないです。しかも、それはほかほかのお湯を使う桶だなんて……なんなんでしょうか。あの錬金術師は。私、歴史を語り継ぐ宰相として自信をなくしそうです……」

「余もわからぬ……なんなのだ。あやつは」


 魔王ルキエはつぶやく。

 それから、少し考えてから、


「まぁいい。『温水水流桶フットバス』は、メイベルに渡してやるがいい」

「よろしいのですか?」

「メイベルは余の大事な部下じゃ。あやつを幸せにするものを取り上げるわけにはいくまい」

「しかし、メイベルさまはトールどのに、かなり心を許している様子」

「……は?」


 宰相ケルヴの言葉に、魔王は一瞬、絶句する。


「エルフの直感、とでも言うのでしょうか。メイベルはトールどののことを、どうやら本気で気に入ってしまったようですな。さっき部屋の前を通りかかったのですが、仲良く話をしている声が聞こえてきました」

「……な、なんと」

「メイベルが、あれほど人に心を開くのはめずらしいことです」

「…………」

「ですが、これは好都合でもあります」


 黙り込む魔王には気づかず、宰相ケルヴは続ける。


「メイベルが望むなら、将来的にトールどのと結婚させるのもいいでしょう。そうすれば、トールどのを魔王領にとどめる理由になります。いや、むしろメイベルを言いくるめて、政略結婚へと導くという手も──」

「ならぬ!」


 不意に、魔王ルキエの身体から、濃密のうみつな『闇の魔力』があふれだした。

 それを見た宰相ケルヴが青ざめる。


 彼は理解している。仮面で顔を隠した魔王、ルキエ・エヴァーガルドの力を。

 魔王とは魔族最強、この魔王領を統べる支配者なのだと。


「余の大切な部下──いや、幼なじみのメイベルを、人間などにたぶらかされてなるものか! 和平を結んでいるとはいえ、我ら魔王領は人間の下についたわけではないのだからな!」

「魔王さま。落ち着いてください!」

「いや、もはや黙ってはおられぬ。余みずからが出る!」


 魔王ルキエは腕を振り上げ、宣言した。


「錬金術師トール・リーガスがどれほどの者か、余が見極めてくれる!!」


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