第38話「書状を公開する」

 ──トール視点──





 ルキエから、魔獣討伐が終わったという連絡を受けてから、しばらく後。

 俺とメイベル、それとアグニスが率いる部隊は、魔獣の巣があった場所の近くを移動していた。

 生き残った小蜘蛛と、帝国の兵士がいないかどうか探すためだ。


「トールさまは、後方の本陣にいらしてもよろしかったの、ですよ?」


 俺の隣で、鎧姿よろいすがたのアグニスが言った。

 いつものように、頭にはかぶとを被っている。

 兵士の前で素顔をさらすのは、まだ恥ずかしいみたいだ。


「お仕事は、アグニスたちがしますので」

「そういうわけにはいかないよ。俺だって、兵団の一員なんだから」

「でも……帝国の兵士と出会うかもしれないのです」


 メイベルが、心配そうに声をかけてくる。


「あの国の方と出会うのは……トールさまは、あまり気が進まないのではないかと」

「大丈夫。新型のローブも着てるから」


 俺はローブのフードを下ろしてみせた。

 日も暮れて涼しくなってきたから、『風の魔織布ましょくふローブ』から、別のローブに着替えたんだ。

 あちこちに木陰こかげもあるし、隠れるくらいはできるんだ。


「それに、錬金術れんきんじゅつの素材も見つかるかもしれないし」

「トールさまったら……」

「小蜘蛛の脚とかがあるといいんだけどな。あいつらの身体の強度が分かれば、聖剣を超える魔剣を作るときの参考になるかもしれないから」


 俺は『魔獣ガルガロッサ』との戦闘で、皇女が聖剣を振るうのを見た。

 聖剣は光の刃を伸ばして、伏兵の小蜘蛛こぐもたちを切り払っていた。

 そのせいで威力が減衰げんすいして、魔獣本体には大ダメージを与えられなかったんだ。


 つまり小蜘蛛の身体の強さがわかれば、聖剣の『光の刃』の威力もわかるはず。

 魔剣作りの参考になると思うんだ。


「トールさま」

「なんだよ。メイベル」

「ルキエさまは魔剣をいただくよりも、トールさまがご無事であることの方をよろこばれると思います」

「……アグニスも、同意見です」


 メイベルの隣で、こくこく、とうなずくアグニス。


「今回、帝国が勝手に魔獣に戦闘を仕掛けたことで、みんな帝国の者たちを警戒しております。そんな人たちとトールさまが出会って、なにかあったら……と」

「いざとなったら、アグニスが『健康増進ペンダント』で、敵を倒します、けど」

「私たちは、トールさまが傷つくのが嫌なのです」

「わかった。じゃあ、もう少ししたら後方に戻るよ」


 メイベルやアグニスを心配させるのも嫌だからね。


 でも……帝国の者たちを警戒しております、か。

 そっか。メイベルもアグニスも、俺はもう、帝国の人間じゃないって思ってくれてるんだな。

 トール・リーガスは帝国貴族の子どもではなくて、魔王領の人間だって。

 ……なんだか、すごくうれしい。



「帝国の兵士を発見しました!!」



 不意に、兵士さんの声が響いた。


「「トールさま。こちらへ!」」


 メイベルとアグニスが俺の手を引いて、木陰へと連れて行く。

 ……隠れる必要はないと思うんだけど。

 まぁ、ふたりを心配させるわけにはいかないか。


 俺は素直に、木のかげへと移動した。

 ついでにフードをおろして、服に魔力を注ぐ。

 今の俺が着ているのは『闇属性の魔織布』で作ったローブだ。こいつは魔力を注ぐと、光を吸収して真っ黒になる性質がある。

 時刻はちょうど夕暮れ時。

 これを着て、物陰ものかげに隠れれば、俺の姿は闇に溶け込んでしまうんだ。


「帝国の兵士の応対は、アグニスにお任せください」


 鎧姿のアグニスが、前に出た。


「不在の間は部隊を指揮するようにと、お父さまに言われておりますので」

「トールさまは、私がお守りします。絶対に」


 メイベルはメイド服のスカートを揺らして、宣言した。


 帝国の兵士は、まだ俺たちの場所までは来ていない。

 遠くから、アグニスの部下たちの声がする。



「──なにもしない。安全のため、保護したいだけだ」

「──あとでちゃんと、帝国の兵団へと送り届ける」

「──だから、安心してついてきて欲しい」



 やがて、木々の向こうから革の鎧を着た兵士が姿を現す。

 中年の男性だ。背中には剣を背負っている。

 兵士は、アグニスの部下──火炎巨人イフリート眷属けんぞくの男性に囲まれている。樹に手をついて、呼吸を整えている。緊張しているようだ。


 時刻は夕暮れ。

 俺の位置からは逆光になり、兵士の顔がよく見えない。


「……た、助けてくれ。私は功をあせり、『魔獣ガルガロッサ』の群れに攻撃をしかけて……逃げて……道に迷ってしまったのだ」


 帝国の兵士は言った。

 そういえば、さっきルキエからの連絡にあった。

 帝国の『一部の兵士』が、戦闘前に魔獣の群れに攻撃をしかけてしまった、って。

 その後、彼らは帝国の陣地へと逃げだして──そのせいで、帝国の兵団が『魔獣ガルガロッサ』の群れと戦うことになってしまったらしい。

 ──もっとも、ルキエもそんなのは信じてなかったし、俺も同感なんだけど。


「武装解除には応じる。危険なものを持っていないか、調べてくれ。だから……私を帝国の兵団に……」

「ご苦労をされたよう……ですね」


 アグニスが帝国の兵に声をかけた。


「火炎将軍ライゼンガ・フレイザッドの娘、アグニス、です。あなたの身柄は魔王陛下の許可を得てから、ちゃんと、帝国の兵団へと返してさしあげます。ご安心を」

「おぉ! あなたさまが、アグニスさまでしたか」


 帝国の兵士が前に出た。

 その顔が、はっきりと見えた。見覚えがあった。


 あいつはリーガス公爵家の衛兵隊長で、バルガ・リーガス公爵の腹心の部下だ。

 俺が追放されるとき、俺の罪と無能さを並べ立てた男でもある。

 ……なんであいつがここに。


「……トールさま?」

「嫌な予感がする。メイベル……これをアグニスさんに渡して」

「アグニスさまに……って、これは、クッションですか?」

「うん。どこからどう見てもクッションだね」


 俺は『超小型簡易倉庫』から出したクッションを、メイベルに渡した。


「帝国の兵士は疲れているようだからね。それに、あとで『誇り高き帝国兵を地面に座らせた』なんて文句を言われても困るだろ。だから……あの岩の上に置いてあげるといいよ。ちょうどいい椅子になると思う」

「は、はい。了解しました」


 メイベルはクッションを手に、アグニスの方へ走り出す。

 彼女が事情を説明すると、ライゼンガ軍の兵士さんが、岩の上にクッションを置いた。

 帝国の兵士は──疲れていたのか、素直にその上に腰を下ろした。


「……トールさまは、あの兵士の方を知っているのですか?」

「うん。俺の実家だったリーガス公爵家の衛兵隊長だ」

「──え!?」


 メイベルが目を見開いて、こっちを見た。


「もしかして、仲がよろしかったのですか?」

「ううん、ぜんぜん」


 俺は首を横に振った。


「むしろ帝国から追放されるとき、俺に戦闘スキルがないことをののしってた。『貴族の風上にも置けない』って言われたよ」

「攻撃魔術の使用許可をお願いいたします」

「待って」


 飛び出そうとするメイベルの手をつかんで止める。


「それより、あいつの目的が気になるんだ。公爵家の衛兵隊長が俺の父──バルガ・リーガスから離れて、こんなところにいるのはおかしいよね?」

「確かに……そうですね」

「『魔獣ガルガロッサ』から逃げてたって言うけど、帝国の兵士がそんな統制が取れない行動を取るはずがないんだよ。あの国は軍事大国だ。必ず、部隊に何人いるかチェックしてるはずなんだ」


 俺は帝国の兵団が意図的に、『魔獣ガルガロッサ』をおびき寄せたんだと思ってる。

 あの衛兵隊長がそのひとりだとすると、兵団の幹部が放置するなんてありえないんだ。

 なにか目的でもない限り。


「武器を預けろ、ですか。仕方ありませんな」


 アグニスの配下に言われて、衛兵隊長が腰から剣を外した。

 それから彼は、懐から丸めた書状を取り出す。


「アグニス・フレイザッドさまにお願いがございます」

「……はい?」

「こちらを、わが主君、トール・リーガスさまにお渡しいただけないでしょうか」


我が主君・・・・トール・リーガス』……?

 いや、俺はあんたに主君と呼ばれる覚えはないんだけど。


「バルガ・リーガスさまは辺境伯の悪だくみによって、トール・リーガスさまに間違った行いをしようとしてしまったのです。それをお詫びする文書と、新たなる提案について書かれております」

「あなたは……トールさまの父君の!?」

「配下であり、トール・リーガスさまの腹心ふくしんの部下でございます」


 いやいや、俺に腹心の部下はいないぞ。少なくとも帝国には。


「メイベル、ちょっと耳を貸して」

「……はい。トールさま」


 俺はメイベルの耳元で、作戦を伝えた。

 それからメイベルは、兵士の方に進み出て、


「お話し中、申し訳ございません。トールさまの部下、メイベル・リフレインと申します」

「──な!?」


 リーガス家の衛兵隊長が目を見開く。

 まさかここで、俺の関係者と出会うとは思わなかったんだろう。


「そ、それはそれは。では、私と同じくトール・リーガスさまにお仕えする方ということですね」

「同じかどうかはわかりません。ですが、あなたは、さきほどトールさまの腹心の部下であるとおっしゃいましたね」

「い、いかにも」

「でしたら、トールさまがお好きなものについて教えていただけますか?」

「……え?」

「トールさまのご趣味は? トールさまの、お好きな色は? 好きな食べ物はなにか、ご存じなのですか?」

「な、なにを……?」

「トールさまに信頼されているのであれば、それくらいはご存じでしょう? 私はトールさまによりよくお仕えするためにも、お答えいただけないでしょうか?」

「アグニスも……興味、あります」


 鎧姿のアグニスが、前に出た。


「腹心の部下なら……トールさまが好みの女性がどんな方か、ご存じですよね?」

「う……あぁ」


 衛兵隊長がうろたえる。

 そりゃそうだ。俺はあの男と、ほとんど話をしたこともない。

 あいつも剣士だ。戦うスキルを持たない俺には、まったく関心を持ってなかった。

 あいつは俺が、どんな人間なのかも、まったく知らないはずだ。


「主人の秘密を、無断で口にするわけには参りませんな」


 衛兵隊長は横を向いた。

 メイベルは少し考えてから、


「そうですか。では、トールさまの許可があればよろしいのですね」


 ──俺の方を向いて、一礼した。


「許可をお願いいたします。トールさま」

「いいよ。俺について話すといい。公爵家の衛兵隊長さん」


 潮時しおどきだった。

 俺は『闇の魔織布ましょくふローブ』を脱いで、木陰の外に出た。


「──な!? トール・リーガスどの……」

「公爵家に俺の腹心がいたとは知らなかったよ。ぜひ、あなたから俺がどう見えたのか話して欲しい」

「い、いや……その」

「ん?」

「トールどのは誤解されている。リーガス家は今は公爵家ではなく、伯爵家だ」

「……そうなのか?」


 ああ、そういえば、リーガス公爵家は皇帝から罰が下されるんだっけ。

 それで公爵家が伯爵家になったのか。そっか。


「う、うむ。お互い、それだけの時が流れたのです。私の知っているトールさまと、今のトールさまは違うかもしれません。うかつなことを言って、無礼があってはいけませんからね」

「じゃあ、それはいいや」

「……どうしてあなたが、こんな場所に」


 衛兵隊長はじっと、俺をにらんでいた。

 俺がここにいるのが信じられないような、そんな顔をしている。


「別にいいだろ。俺は聖剣と魔獣を見に来ただけなんだから」

「そうではない! どうしてあなたが、兵士たちに守られて……こんな前線まで……どうしてそこまで、魔王領の者たちに信頼されている!? どうしてそんなことが!!」

「──やっぱり、あんたとは話が通じないな」


 この人は、バルガ・リーガスの腹心の部下だ。

 だから、あいつに本当に性格が似てる。話が通じないのはたぶん、そのせいだ。


「では、書状を渡していただこう」

「……ぐぬ」

「俺への書状なら、今、この場で渡しても構わないはずでは?」


 衛兵隊長は俺をにらみ付けていたけれど……握っていた書状を、こちらに渡した。


「リーガス伯爵さまからの書状です。お一人のときに、心して読まれるように」

「アグニスさま、メイベル。この書状の封を解いて、中身を読んでみて。みんなにその内容がわかるように」

「……な!?」


 俺は書状を受け取ると、衛兵隊長から離れた。

 そのままアグニスに書状を手渡して、メイベルと一緒に読むようにお願いする。


 バルガ・リーガスからの書状だ。

 魔王領をおとしいれるための、変な作戦について書かれている可能性だってある。ぶっちゃけると、たぶん、ろくなもんじゃない。

 この場でアグニスたちに読んでもらえば、俺がそれに関わっていないって証明になるはずだ。


「ま、待ちなさい! 貴族のご子息ともあろうものが、魔族や亜人の前で、伯爵からの書状を公開するなど、ありえません! 貴族であるならば、自室で姿勢を正して、そこに伯爵さまがいらっしゃるかのように読むべきだと──」


 衛兵隊長が叫んでるけど、関係ない。

 というかバルガ・リーガスが目の前にいるのを想像したら、書状を破りたくなるんだが?


「わ、わかりました」

「読ませていただきますね。トールさま」


 メイベルとアグニスは、ゆっくりと書状を読んでいく。

 その内容は──



──────────────────



 我が息子、トールよ。

 父は辺境伯の言葉にだまされて、大いなる過ちを犯してしまった。

 今はそれを、悔やむばかりだ。

 つぐないとして、お前にいくつか提案をしたい。


 まずは近況を伝えて欲しい。お前が魔王領でどのような生活をしているのか。

 お世話になっている将軍閣下は、どのようなお方なのか。どれくらいの兵を率いるほどのお方なのかを。

 やりなおすためには、親子としての情報交換が必要だと思うのだ。


 月に一度、新月の日に、魔王領との境界の森に、使いを出す。

 その者に書状を渡してくれれば、安全に帝国へ届けることができよう。

 時が満ちれば、お前を帝国に戻すことも叶うはず。


 その時は魔王領から、親しい者を連れてくるがいい。

 アグニス・フレイザッドどのなど、いかがだろうか。


 すでに帝国の高官の方々には、話をつけてある。

 お主が望むなら、アグニス・フレイザッドどのと共に、帝都を案内したい、とな。

 それが叶えば、お前を再び、リーガス伯爵家へと迎え入れよう。


 これが父、バルガ・リーガスの思いである。

 どうか、答えてくれるように。



──────────────────



「ど、ど、どうですか。バルガ・リーガスさまの思い、おわかりになりましたよ」

「……ああ、わかったよ」


 この書状が、かなりタチの悪いトラップだってことが。

 言葉はかざっているけれど、言ってることはこうだ。


『魔王領の情報を伝えろ』

『帝国にもっとも近い場所に領土を持つ、ライゼンガ将軍の兵力を調べて、教えろ』

『新月の日に書状を受け取りに行く』

『お前が帝国に帰るときは、アグニスを連れて来い (たぶん、人質にするということだろう)』

『その功績により、お前を伯爵家に戻してやる」


 ──以上だ。


 しかも、これはおそらくバルガ・リーガスが考えた文章じゃない。

 筆跡はあの男のものだけど、言い回しや文脈は別人のものだ。

 もしかしたら……帝国の上層部が、この手紙を書かせたのかもしれないな。


「……トールさま」

「……この手紙の内容は……」


 メイベルとアグニスは、不安そうな顔をしてる。

 書状に書かれていることの意味がわかったんだろう。

 ふたりとも、俺の事情は知ってるからね。

 今さらバルガ・リーガスが俺を迎え入れるなんて言っても、信じるわけがない。


「い、いかがでしょうか。トール・リーガスさま」


 衛兵隊長の声が震えてる。

 俺が、みんなの前で書状を公開するとは思ってなかったんだろう。

 あいつは膝の上で、手を合わせてる。

 俺が期待通りの答えを返すことを、祈っているようだ。


「よ、よろしければ、私が帝国に戻ったあと、お返事をバルガ・リーガスさまにお伝えいたします。ここでお目にかかれたのも運命でしょう。ご回答を」

「わかった」


 俺は衛兵隊長に背を向けた。

 メイベルとアグニス、それにライゼンガ将軍配下の兵に向かって、叫ぶ。


「魔王領の兵の方々に告げる!」


 リーガス家のやり方には、もう、うんざりだ。

 帝国だってそうだ。この手紙には、おそらくは帝国の上層部の意志が関係している。

 でなければ、魔獣討伐に都合よく、リーガス伯爵家の衛兵隊長が来るわけがない。

 だったら、いい機会だ。

 実家が俺を捨てたように、俺はみんなの前で、家を捨てよう。


「我が父、バルガ・リーガスが送ってきた書状には、無礼きわまりない真意しんいが隠されていました。言葉をかざってはいるが、内容は魔王領の情報を流し、アグニスさまを帝国へ連れて来いというものでした。こんな手紙、見たくなかった……」

「……トールさま」

「……お気持ち、お察しします、ので」


 メイベルもアグニスも、泣きそうな顔をしてる。

 あんな書状を読んだんだ。無理もないよな。悪いことした。ごめん。


「こんな手紙を送りつけてくる者を、俺は父だとは思わない。公爵家だろうと伯爵家だろうと、大切な人を傷つけ、悲しませるような家の名前は、今日限り捨てる。これからは、亡き母の姓を名乗って生きていこうと思います」


 俺はメイベルやアグニス──将軍の兵士たちに向かって、宣言した。


「今日から俺の名前はトール・カナンです。リーガスの家名は二度と名乗らない。俺は帝国から魔王領に来た、ただの錬金術師トール・カナン。そう呼んでください」


 今後、トール・リーガス宛ての手紙は、魔王城の人たちに開封してもらおう。

 仮にトール・カナン宛てに手紙が来たら、それは公式に、俺がリーガス家の人間でないと認めたことになる。俺と実家との縁は、完全に切れる。


 どうせ、帝国の公式記録には、俺は『人質でいけにえ』と書かれてる。

 その人間が、どんな家名を名乗ったところで、文句を言われる筋合いはない。

 供物台に載せられた供物に、名前は必要ないからだ。


 魔王領の方でも、俺が名前を変えたところで、特に問題はないはず。

 帝国の使者で客人というあつかいがどうなるかわからないけど──それはルキエに相談しよう。

 また迷惑をかけることになるかもしれない。その分、彼女にはしっかりと仕えて恩返ししないと。

 俺は魔王陛下直属の、錬金術師なんだから。


「お気持ちはよくわかりました。これからは、トール・カナンさまとお呼びいたします」


 メイベルが、俺の前に膝をついた。


「……私と陛下だけの秘密のお名前が、みんなのものになってしまったのは残念ですけど……」

「ごめんねメイベル」

「でも、好きなお名前をいつでも呼べるようになったのはうれしいです! このメイベル・リフレインは、トール・カナンさまの部下として、これまで以上にお仕えいたします」

「アグニス・フレイザッドも同じです!」


 アグニスが俺の手を取った。


「家名など関係ございません。トールさまは……アグニスの恩人で……ずっと、お仕えしたい方、なので。これからもよろしくお願いいたします。トール・カナンさま」


「「「おおおおおおおおおっ!!」」」


 兵士たちから歓声が上がった。



「──お気持ちはわかりますぞ。トール・カナンさま!」

「──帝国からどんな書状が来ようと、我らの信頼はゆらぎはしません!」

「──目の前で書状を公開してくださったのだ。その信頼に応えねば、炎の巨人イフリートの名がすたる!!」



 よかった。

 兵士の人たちも、俺の新しい名前を受け入れてくれたみたいだ。


「ま、まさか、魔王領の者たちの前で、父君からの書状を公開するとは……信じられない!!」


 不意に、衛兵隊長が叫んだ。


「その上、家名を捨てるですと! 貴族としてのたしなみも、帝国貴族としての誇りも忘れてしまったのか! あなたは!!」

「そんなもの欲しくないし、いらない」


 俺は言った。


「俺は魔王領のトール・カナンだ。帰ったらあんたの主人に伝えろ。トール・リーガスはもういない。あんたが息子を不要と決めたように、俺もあんたを不要だと決めたと」

「……ぐぬぬ!」

「それと、あんたには聞きたいことがある」


 口調を改めて、俺は訊ねる。


「この書状のことは、帝国の姫君はご存じなのか? それに、どうしてあんたは帝国の兵団から抜け出して、ここに来ることが可能だったんだ? ぜひ教えてくれ。魔王領の首脳部も興味があると思うから」

「……な!?」


 衛兵隊長が左右を見回す。

 気づいたようだ。

 さっきから、大勢の足音が近づいていることに。


「……あり得ない。仮にも帝国の民が……貴族からの書状を公開するなど。そこまでの信頼があるなんて。てっきり自室に持ち帰るはずだと……計画が……だいなしに。ああ! 私はこれで失礼する!」


 衛兵隊長は剣をつかんで、立ち上がろうとする。

 だけど、動けない。

 彼が座っているのは、岩の上に置かれた、クッションだ。そこから立ち上がれずにいる。


「な、なんだこれは……わ、私が、立ち上がれないだと!?」


 あいつは脚をばたばたさせる。

 けれど、身体はクッションに包まれたまま、動かない。


『抱きまくら』を参考に作った『トラップクッション』はうまく作動してる。

 魔獣まじゅうを生け捕りにするために作ったんだけど、人間にも使えるみたいだ。



──────────────────



『トラップクッション』(レア度:★★★☆)

(属性:地)


 地属性の『魔織布ましょくふ』と、地属性を付加した『スララ豆のから』によって作られたクッション。

 大きめのサイズで、ふわりと体を包み込むようになっている。


 通常状態では、ただの『座り心地のいいクッション』である。

 だが、人体や魔獣からの魔力を感知すると、中の『豆のから』が寄り集まって硬くなり、人や魔獣の身体をふわりと包み込んだ状態のまま、形状けいじょうが固定化される。

 そのため、身体が抜けなくなる。


 これを岩などの上に置くと、座った人間の魔力により、座面の裏側も岩をふわりと包み込んだ状態で固定される。

 そのため、クッションは岩からも抜けなくなる。

 結果、座った人間と岩が、クッションを間に挟んだ状態でくっついてしまう。


 地属性が付加されているので、とても丈夫。

 抜け出すためには、刃物でクッションを破壊するしかない。


 物理破壊耐性:★★☆ (火炎耐性かえんたいせいを持つ)

 耐用年数:1年

 備考:布に穴を開けて取り出せば、中の豆殻まめがらを再利用できます。




────────────




「こ、こんな。馬鹿な! リーガス家の衛兵隊長である私が、腰が抜けたのか!? こ、こんな……無様な!!」


 クッションから抜け出そうと、じたばたする衛兵隊長。


「疲れているんだろう。ゆっくりしていくといい」

「……そ、そんな!?」


 本人は、身体に力が入らないせいだと思ってるみたいだ。

 このクッション、意外と使えるな。

『通販カタログ』のアイテムじゃないから、能力はかなり低いんだけど、それなりには役に立ちそうだ。


 本当は、書状の内容がまともだったら、衛兵隊長はそのまま解放するつもりだったけど……でも、さすがにこの書状はだめだ。

 ルキエと宰相ケルヴさんに会わせて、話を聞いてもらわないと。


 しばらくして、魔王領の兵団の本隊が現れる。

 戦闘地域での後始末が終わったのか、魔獣の巣のチェックに来たみたいだ。


「お待ちしておりました。魔王陛下」


 俺は地面に膝をついた。

 メイベルとアグニス、他の兵士たちも一斉に同じようにする。


 現れた魔王ルキエは、きょとん、とした顔だ。

 まぁ、岩に座ったままじたばたしてる帝国兵がいたら、びっくりするよね。ごめんね。


「皆の者。役目、ご苦労であった」


 ルキエは俺や兵士を見回して、告げた。


「魔獣の残党はいなかったようで一安心じゃな。それと、帝国の兵士が迷い込んでいないか探すようにも命じておったのじゃが……なんじゃ、これは」


 なんでまっすぐにこっちを見るんですか。

 一瞬で俺の仕業だって見抜いてませんか、陛下。


「帝国の兵士です」

「そうじゃな。なんで、じたばたしておるのじゃ?」

「クッションで岩にくっついているからです」

「どうしてクッションに……ああ、まぁいい。お主とは後でゆっくり話をしよう。この帝国兵についての事情も知りたいからの」


 そう言ってルキエは、宰相ケルヴさんとライゼンガ将軍の方を見て、


「この帝国兵はこちらで保護しよう。事情や役目など、詳しく話を聞いてやるがよい」

「承知いたしました。陛下」


 宰相ケルヴさんがうなずく。

 それから、帝国兵に聞こえないように、小声で、


「その後は、どうされますか?」

「帝国の兵を、魔王領が処分したと言われても困る。帝国の者たちは、行方不明の兵を探しにこちらに来ると言っておったからな。彼らが来たら、こやつを引き渡すのがいいじゃろう」

「承知いたしました」

「それまでは我らが、この者から話を聞くといたしましょう」


 宰相さんと将軍が、衛兵隊長の方に歩き出す。

 俺はアグニスに『トラップクッション』の解除方法を伝える。アグニスはうなずいて、将軍の方に歩き出す。これで衛兵隊長も解放されるだろう。


「魔獣討伐は終わりじゃ。皆の者、ご苦労じゃった」


 ルキエは兵士たちに向かって、そう言った。


「一旦、平地に戻り、今日はそこで野営とする。城から酒も持ってきてある。皆のもの、戦いのあとのうたげじゃ。存分に楽しんでくれ」

「「「おおおおおおおっ!!」」」


 その言葉に、兵士たちが歓声を上げる。

 それから俺たちは隊列を整え、野営地に向かって歩き出す。

 その途中──ふと、ルキエが俺を呼び止めて、


「トールには話がある。あとで、余の天幕まで来るがよい」

「はい。陛下」

「メイベルも同行せよ。帝国とはお互い、色々あったようじゃからな。話をするとしよう」


 ──そういうことに、なったのだった。


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