第84話「魔王ルキエの書状を読む」

 ──トール視点──




「リースタン大公……祖父の次に剣聖だった人か……」


 工房のお風呂に浸かりながら、俺はそんなことをつぶやいた。

『しゅわしゅわ風呂』は気持ちいい。

 ぬるめのお湯に、時間をかけて入ると特にいい。

 身体の疲れがほどけて、頭がすっきりしていくようだ。


 ちなみに『安全システム』はオフにしてある。

 うちのお風呂には、ときどき羽妖精ピクシーたちが入るからだ。


 飛び回る10人のピクシーの身体を『謎の光』で隠すようにしたら、お風呂に入っている間、視界がチカチカして落ち着かなかった (メイベルとアグニスの感想)。

 しかも、羽妖精の移動に合わせて光と湯気を発生させるものだから、魔力の消耗が激しい。

 だから、その場に合わせてオンオフができるようにしたんだ。


 もちろん交易所のお風呂は、常時『安全システム』ありにしてある。

 あれからソフィア皇女が何度も来て、お風呂に入っていっているそうだ。


 おかげで『ノーザの町』の人たちも、競って交易所への参加申請をするようになった。

 交易所は安全だと、ソフィア皇女が保証したようなものだからね。


「交易所は順調だけど……元剣聖がこっちに来たらどうなるかな……?」


 ソフィア皇女は、大公が魔獣の調査に来るかもしれないと言っていた。

 大公の名前はカロン・リースタン。

 俺の祖父の次に剣聖だった人で、バルガ・リーガスの師匠でもある。


 もっとも、俺は大公カロンと会ったことがない。

 物心ついた頃には、父親はすでに大公の弟子を辞めていたし、祖父も酒浸りだった。戦闘スキルを持たない俺が、元剣聖の大公に会う機会はなかった。

 だから大公カロンについて知っているのは、うわさくらいだ。


「とにかく、警戒はしておこう」


 もしも大公がうちの父親のような人なら、『ノーザの町』と魔王領の関係を悪化させる可能性もある。

 俺の知ってる帝国貴族って、強さがすべての人ばっかりだったからな。

 どういう人なのか、会って確かめてみたい気もするけど──


「それよりも、召喚魔術を使った連中を、さっさと捕まえた方がいいかな」


 大公が来るとしたら、その目的は新種の魔獣の調査だ。

 だったら、先に魔獣召喚の犯人を捕まえて、帝都に送ってしまえばいい。

 そうすれば、大公がこっちに来る理由はなくなる。

 いや、元剣聖の剣技というのも見てみたいんだけど。でもなぁ、聖剣の姫君だったリアナ殿下にも、あんまりいい印象は無かったし。


 ……難しいな。



「……トールさま。少し、よろしいですか?」




 脱衣所から、メイベルの声がした。


「入浴中に失礼いたします……魔王陛下から、急ぎの書状が届いております」

「ルキエさまから?」

「は、はい。どうしましょう」

「わかった。すぐにあがるよ」

「いえ、それには及ばないと、書状には書いてあります」

「……そうなの?」

「はい。『トールのことじゃから、アイテムの実験をしているかもしれぬ。あるいは作業を終えて、のんびり休んでいるかもしれぬ。改まる必要も、かしこまる必要もない。トールはそのまま、書状の内容を聞くがよい』と」

「……さすがルキエさま」

「そ、それが陛下のご意志である以上、私も……それに沿うべきかと思うのです。ですから、あの……トールさま……」

「わかるけど。やっぱり、ここで書状の内容を聞くわけにはいかないかな」

「……そ、そうなのですか?」

「俺はルキエさまの錬金術師だからね。礼儀は守らないと」

「……わかりました。トールさまが、そうおっしゃるなら」

「すぐにあがるよ。メイベルは、そのままリビングで待ってて」

「え」

「なんでびっくりしてるの?」

「……い、いえ、わかりました。このままお待ちしておりますね……」


 足音が遠ざかっていった。

 俺も急いでリビングに行こう。








「……お待ちしておりました。トールさま」


 水着姿のメイベルが言った。

 着ているのは、水の魔織布で作ったワンピースタイプだ。色は水色で、肌の白いメイベルにはよく似合ってる。

 銀色の髪は首の後ろでまとめて、リボンで留めてある。

 まるでこれから水場に向かうような格好だ。いつもとちょっと違うけど、かわいい。


「でも、その姿は?」

「なにもおっしゃらないでください……」


 メイベルは真っ赤になって、顔を逸らした。

 その表情を見て、なんとなくわかった。


 たぶん、メイベルはあのまま、お風呂に入ってくるつもりだったんだろう。

 ルキエからの書状には「トールはそのまま書状の内容を聞くがよい」と書いてあったからね。

 浴槽に浸かってる俺に、書状を読み聞かせてくれようとしてたんだ。

 だから、濡れてもいいように水着を着ているのか。


 ……言ってくれればよかったのに。


「そ、それでは、書状をお読みいたします」

「……うん。お願い」

「『わ、我が忠実なる部下たる錬金術師、トール・カナンに告げる』」


 震える胸を押さえて、メイベルは言った。


「『余の元に、ソフィア・ドルガリア皇女より書状が参った。帝都よりリアナ皇女が、魔獣調査のためにこちらに来るとのことじゃ』」

「リアナ皇女が?」

「『ソフィア皇女が妹御に手紙を出したところ、そのような返事が来たそうじゃ』」

「確かに……リアナ皇女なら魔王領に来たこともあるし、『魔獣ガルガロッサ』の討伐経験もある。魔獣調査の担当としては適切だ……なるほど」

「『それに、帝国の大物が同行するという。帝国の領土の一部を任されている者で、先代の剣聖とのことじゃ。名前は』……お待ちください。少し文字が乱れていて──」

「……ちょっと見せて、メイベル」


 俺はメイベルの隣に移動する。

 白い腕で書状を掲げるメイベルは、こくこく、とうなずいてる。

 むきだしの白いうなじがまぶしい。それはともかく──


「やっぱりだ。大公カロン・リースタン……あの人が来るのか」

「あ、あのあの。トールさま」

「ごめん。メイベル、動かないで。えっと」


 ルキエの筆跡は、少し乱れてる。彼女も元剣聖が来ることに動揺したみたいだ。

 無理もない。

 剣聖とは、かつては異世界勇者に与えられていた称号なんだから。


 異世界から召喚された勇者に、当時の王や皇帝は、様々な称号を与えた。

 その中で、最も勇者が気に入っていたのが剣聖の称号だ。

 あれは異世界でも人気のある称号だったらしい。

 当時の魔王の元に攻め込んで来たのも、異世界勇者の剣聖だ。


 勇者たちが立ち去ったあと、剣聖の称号は、帝国で最も強い者に与えられるようになった。

 その剣聖だった者が来るんだから、ルキエが警戒するのも当たり前だ。


「だからルキエさまの文字が、少し崩れてるのか。ペンに力が入りすぎたんだな。無理もないか。剣聖の称号を持つ勇者は、魔族と亜人をひたすら攻撃してたからな……」

「……あの、トールさま」

「うん?」

「続きを、読み上げてもよろしいですか……?」

「……あれ?」


 気づくと、俺はメイベルに身体をくっつけて、書状をのぞき込んでいた。

 うなじが真っ赤になって、首筋に汗が伝ってる。


「ご、ごめん。つい……」

「い、いえ。だ、だいじょぶです。ちょっとびっくりしただけで……」

「ちゃんと聞くよ。続きをお願い」


 俺は元の位置に戻って、椅子に座り直した。

 水着姿のメイベルは胸を押さえて、深呼吸して、それから──


「『大公カロン・リースタンと、聖剣の乙女リアナ・ドルガリアが、新種の魔獣の調査に来る。おそらく、調査は帝国側で行われるじゃろう。魔王領に来ることはないとは思うが、警戒はしておくべきと考える。魔物を召喚した者も、まだ見つかっておらぬのじゃからな』」

「……だよね」

「……まだ、犯人は見つかっていないのですよね」


 召喚用の魔法陣は発見した。

 だけど、その召喚魔術を使った魔術師たちは、まだ見つかっていない。

 調査部隊が遺留品のローブを『魔力探知機』に入れて、国境周辺を移動したけれど、反応はなかった。


 となると、術者は帝国領の国境地帯にいる可能性が高い。

 まだ術者が、魔獣を国境近くで召喚しようと考えてるとしたら、だけど。


「『ゆえに、余はソフィア皇女に、共同で国境付近の再調査を行うことを提案した』」


 メイベルが書状の続きを読み上げる。


「『ソフィア皇女は、快く引き受けてくれた。部下のアイザック・オマワリサン・ミューラと相談する、とのことじゃ。おそらくは、うまく行くじゃろう』」

「大公がこっちに来る前に、ということだね」

「はい。陛下は、そのように書かれています」

「確かに。その方がいいかも」

「帝国の部隊長は、受けいれてくださるでしょうか?」

「受け入れると思うよ。アイザックさんとしても、上の人間が来る前に結果を出したいだろうから。大公に直接犯人を突き出せれば、本人の功績にもなるからね」

「すごいです。陛下もトールさまも、そこまで考えていらっしゃるのですね……」

「それで、俺はなにをすればいいかな?」

「『念のため、『UVカットパラソル』を、5本作って欲しいのじゃ』だそうです」

「なるほど。リアナ皇女は光の聖剣を使うからね」

「聖剣の光って、UVカットできるものですか?」

「できるよ。というか、できるようにする」

「陛下としては、それを帝国領に入る兵士さんに持ってもらうつもりのようです」

「リアナ皇女が敵に回ったときの対策だね。でも、大公については?」

「特に書かれてはいません。その方の情報は、魔王領にはないですから……」

「俺が知ってることを、ルキエさまに伝えておくよ。たいしたことは知らないけど──」


 帝国にいたころ、噂くらいは聞いた。

 同年代の貴族で、大公に稽古をつけてもらった人もいたからだ。

 その人たちが大公の剣技を見たことを自慢していたっけ。確か──


「大公カロン・リースタンは、気配で敵を斬るって言われてる」

「気配で、ですか?」

「ああ。脅威きょういとなる者の気配を肌で察知できるらしいよ。それが間合いに入った瞬間に斬ることができるらしい。昔は両手持ちの大剣を使っていたけれど、今は片刃の片手剣を使ってる。その分、速度は上がってるんじゃないかな」

「本当に強いお方なんですね」

「たぶんね。うちの父親なんて、比べものにならないくらいに」


 大公はうちの父親よりも──それどころか、リアナ皇女よりも強い。

 接近戦なら帝国最強クラスだろう。

 戦うことはない……と、思いたい。

 だけど、万一のときの対策は、考えておかないと。


 ルキエを守るためにできることは──って、そういえば、魔剣を作るのが延び延びになってた。

 この機会に試作品プロトタイプを作ろう。

 接近戦──あるいは、中距離戦になっても、大丈夫なものを。

 使う機会はなくても、手元に置いておくことで、ルキエが安心できるように。


「書状にはもう少し、続きがあります」


 メイベルは深呼吸して、続ける。


「『トールはUVカットパラソルの製作の他に、ソフィア皇女と会っておくがよい。妹御と大公が来ることで動揺しているかもしれぬ。支えになってやれ。それとトール、お主が大公のことで、頭を悩ませることはないのじゃよ』」

「え……?」

「『先々代の剣聖はお主の祖父じゃと聞いておる。大公もお主のことを知っておるやもしれぬ。じゃが、お主はもう、家のしがらみからは自由になったのじゃ。お主は魔王領の錬金術師で、余の大切な部下じゃ。大公がどのような人物かは、余が見極めよう。お主が悩む必要はないのじゃよ』──だそうです」


 書状を読み終えたメイベルは、やさしい笑みを浮かべた。


「陛下は本当に……トールさまを大切に思ってらっしゃるのですね」

「……うん。感謝してる」


 家の事情まで考えて、気を遣ってくれてるんだから。

 こんな上司、帝国には絶対にいない。

 それにルキエは、ソフィア皇女のことも考えてくれてる。

 彼女との関係を大切に思ってくれてるんだ。

 やっぱりすごいな。ルキエは。


「俺は……家のことなんて、もうどうでもよくなってるんだけどな」

「……そうなのですか?」

「メイベルが側にいてくれるし、アグニスやライゼンガ将軍、宰相のケルヴさんみたいに、尊敬できる人もいる。大公がどんな人かはわからないけれど、俺にとって優先するのは、魔王領の人たちだよ」


 俺は魔王陛下の錬金術師だからね。

 魔王領にとって必要なら、俺は大公カロンと会っても構わない。

 まぁ、一番いいのは、大公とリアナ皇女が来る前にすべてを終わらせることなんだけど。

 とりあえずその前に、ソフィア皇女とも会って、話をしよう。


「それじゃ俺はルキエさまに返事を書くよ」

「はい。トールさま。私は──」

「お風呂がまだ温かいから、入ってきたらどうかな」

「そ、そうですね」

「……水着のまま報告をさせちゃったからね」


 メイベルはずっと、水の魔織布ましょくふで作った水着を着てる。

 寒くはないと思うけど、せっかくお風呂を沸かしたんだから、入ってもらった方がいいな。


「わかりました。ところで、トールさま」

「なにかな?」

「髪の毛がまだ濡れていらっしゃいます。泡もついていますよ?」


 言われて髪に触れると……確かに。

 急いでお風呂から出たからだ。


「トールさまのことですから、陛下の書状が気になっていて、ちゃんと身体を拭いてないのではないですか?」

「そんなことないよ?」

「袖口が湿っていますよ?」

「よく見てるな」

「トールさまの健康管理は、私の役目ですから」


 腰に手を当てて胸を張るメイベル。


「そ、そこで提案があります」

「提案?」

「こ、これから帝国の皇女殿下と会うのですから、身だしなみをきちんとしておいた方がいいと思うのです。ですから……このメイベル・リフレインが、トールさまのお背中を流して差し上げます!」


 メイベルは声をあげた。

 いっぱいいっぱいな感じだった。


「トールさまの分の水着もございます。私がトールさまのお背中を流して、頭を洗って、おぐしを整えてさしあげたいのです……駄目、ですか?」

「えっと」

「……トールさま?」

「…………お願いします」


 降参だった。

 確かに、俺はぱぱっと身体を洗って出てくるだけだし。

 ソフィア皇女と会うなら、ちゃんときれいにしておいた方がいいよな。

 水着はあるし、念のため『しゅわしゅわ風呂安全システム』を起動しておけば問題なしだ。


「ありがとうございます。で、では、よろしくお願いいたします。トールさま」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いするよ」


 顔を見合わせてお辞儀をする俺とメイベル。

 なんだこれ。




「「…………じーっ」」




「あれ?」「あ……」


 気づくと、2人の羽妖精ピクシーが、俺とメイベルを見ていた。

 そういえば、火の管理をお願いしてたんだっけ。

 今日はアグニスが不在だから、火の羽妖精と風の羽妖精に、お風呂をわかすのを手伝ってもらってたんだ。

 あとで『しゅわしゅわ風呂』を使わせてあげる、という約束で。

 ふたりとも、湯沸かし場の方にいたんだっけ。


 ……ルキエからの書状に夢中で、すっかり忘れてた。


「メイベルさまは、錬金術師さまとお風呂に入るですか? 情熱的ですか?」

「水着かわいいです。私たちも欲しいのですー」

「…………うぅ」

「……えっと」


 曇りのない目で見られて、俺とメイベルはうつむく。

 いや、別に変なことは考えてなかったよ? 身体を洗ってもらうだけのつもりだったけど。

 ……なんだろう。これ。無茶苦茶恥ずかしい。


「あたしたちも錬金術師さまを洗いたいです! がんばるです!」

「いつものお礼にしゅわしゅわしますー」


 くいくい、と、俺の服をひっぱる羽妖精たち。

 俺とメイベルは、また、顔を見合わせて、笑って──


「……そ、そういうことなら」

「……ご一緒しましょう」


「「やったー」」





 そんなわけで、俺たちはお風呂場へ。

 俺はメイベルに背中を流してもらい、羽妖精さんに髪を洗ってもらった。

 ……自分で洗うよりは、さっぱりしたような気がする。すごく緊張したけど。




 その後、部屋に戻った俺は、ルキエへの返事を書いていた。

 すぐに『UVカットパラソル』を作って送ること。大公カロンについての情報。俺の父が大公の弟子だったこと。すぐに放り出されたこと。ソフィア皇女とは、これから面会の約束を取り付けること。


「……魔剣のことについては、書かない方がいいかな」


 大公のことは気にするな、って言われちゃったからな。

 それに、まだ完璧なものができるとは限らない。錬金術師としては、ちゃんと試作品を作って、稼働することを確認して、それから報告したいんだ。


 それに、これから作るアイテムは大公や皇女リアナ対策というより、召喚魔術の術者に対抗するためのものだ。


 魔獣を召喚した連中は、たぶん、国境地帯に潜伏している。

 再び、危険な魔獣を召喚するかもしれない。『魔獣ガルガロッサ』と『巨大ムカデ』には俺のマジックアイテムが通用したけど、次回もそうとは限らない。

 調査部隊が向かう前に、対策をしておくべきだろう。


 手軽に扱える武器があればいいんだけどな。

 できれば、魔王領でしか作れないものがいい。

 こちらにしかない素材を使ったものなら、帝国では再現できないはずだから。


 とりあえず、ルキエからの指示が優先だ。明日は『UVカットパラソル』を作ろう。

 その後でソフィア皇女と連絡を取って、会う約束をする。

 新しいマジックアイテムについて考えるのは、それからだ。

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