第65話「魔王と皇女の会談(準備編)」

 ──『ノーザの町』町長の屋敷やしきにて──






「──以上の理由により、軍事訓練の場所を変更するように命じます。魔術で民の移動を妨害するようなことは許しません。訓練をするなら場所を選びなさい。アイザック・ミューラ」


 町長の屋敷の大広間で、ソフィア皇女と部隊長アイザックは向かい合っていた。

 アイザックは、東の岩山から戻ってきたばかりだ。

 それを待ち構えていたかのように、ソフィアはアイザックをこの部屋に呼び出したのだった。


 部屋にいるのはソフィアとアイザック。それに、入り口近くには兵士が控えている。魔王領とのやりとりを担当してくれた伝令兵だ。

 テーブルの上には、魔王領と交わした書状が置かれている。

 ソフィアはそのうちの1枚を手に取って、


「魔王領からの書状には、この件についての抗議も書かれておりました。『帝国からは、軍事訓練を見にくるように言われたが、魔王領は民に危険を及ぼすような行動には賛成できない』と」


 ソフィアは羊皮紙を読み上げ、アイザックの方を見た。


「あなたにも、兵士を預かる者としての考えがあるのでしょう。けれど、国境付近の民のためにも、訓練の場所について考え直して欲しいのです」

「殿下」

「なんでしょう?」

「どうして急に、体調が回復されたのか、うかがってもよろしいでしょうか」

「私がこの地に来たから。この地には、私のするべきことがあったからです」


 ソフィア皇女は部隊長アイザックをまっすぐに見据みすえて、宣言した。


「その役目を果たすために、私の身体は一時的に回復したのでしょう」

「役目を果たすため、ですか?」

「町の民は、魔王領との関係が悪化することを不安に思っているようでした。そして魔王領は、私たちとの会談を求めております。民と隣国の声を聞き、その架け橋となるのが、私の役目だと思っております。そのために、勇者の言葉で言う『ポンコツ』の身体も、少しだけ回復したのでしょう」

「『ポンコツ』などと……」

「言葉を飾っても仕方がありませんよ。アイザック・ミューラ」


 ソフィア皇女はやわらかい笑みを浮かべた。


「ですが、いかに『ポンコツ』であっても、私は皇女なのです。ならば、少しでも国と民の役に立ちたいと思うのは当然でしょう?」

「殿下……」

「私は、魔王ルキエ・エヴァーガルドとの会談を望んでおります。そのために身勝手ながら、書状のやりとりをいたしました。すでに、先方と話はついております」


 じっとアイザックの目を見ながら、ソフィアは告げる。


「協力していただけないでしょうか。アイザック・ミューラ」

「仮に小官が、協力しないと申し上げたら?」

賛同さんどうしてくれる兵士のみを連れて、会談の場に向かいます」


 ソフィア皇女は言った。

 その声が聞こえたのだろう。広間の入り口を守る兵たちが、感嘆かんたんの声をあげた。

 それを聞いて、アイザックはため息をついた。


 ソフィア皇女は兵たちを掌握しょうあくしているわけではない。

 だが、彼女の勇気に賛同する兵士も、少なからず存在する。

 無理にソフィアを止めようとすれば、彼女を支持する兵士たちは、アイザックの敵に回るかもしれない。

 副官マリエラというライバルがいる状態で、それは避けたい。

 彼のその心理を理解した上で、ソフィアは彼に協力を要請しているのだろう。


「協力しても構いません。ですが、小官からもひとつ、お願いをしたいのですが」


 十数秒の沈黙のあと、アイザック・ミューラは答えた。


「私にできることでしたら」


 ソフィアは迷いなく、うなずいた。

 アイザックは続ける。


「この『ノーザの町』の東の岩山、その北東に森がございます。その奥に、休眠中の魔獣まじゅうがいることをご存じですか」

「妹のリアナから聞いております。本来は『魔獣ガルガロッサ』の後に、討伐とうばつする予定だったとか」

「町の者の話によれば、それほど強くはない魔獣だそうです。数年間、休眠状態にあり、ナワバリから出てくることもないため、放置されていたようです。魔王領からも調査したいという依頼が来ております」

「存じております。帝国側が、その依頼を拒否していることも」

「闇属性への耐性を持つ魔獣です。魔王が、闇属性耐性への対策を見つけ出しては面倒なので、拒否しているのでしょう」


 そこまで言って、アイザックは頭を下げた。


「ソフィア殿下には、その魔獣の討伐とうばつにご協力いただきたい」

「承知しました」

「……殿下」

「闇属性への耐性を持つのであれば、逆に私の『光属性の攻撃魔術』が有効かもしれません。本来リアナが倒すべき魔獣だったのなら、姉の私が処理するのは当然でしょう」


 ソフィアはうなずきながら、ドレスに包まれた胸を押さえた。


「ただし、討伐を行うなら早いうちにしてください。幸運にも回復したこの身体ですが、いつまで保つかはわかりません。魔王との会談のあと、すぐに動きましょう。あなたの部下には魔獣の現状について調査を命じます。アイザック・ミューラ」

「殿下……本気でおっしゃっているのですか?」

「あなたが魔獣を討伐したいのは、民のためですよね?」

「もちろんです。いえ、多少の功名心こうみょうしんはありますが」

「民のためになるのであれば、それもよいでしょう。私は、民のために軍事訓練の場所を変えろと言ったのです。その私が、民のための魔獣討伐を拒むわけにはいかないでしょう?」


 ソフィアの手は、かすかに震えていた。

 怖いのだろう。当然だ。

 つい先日まで部屋から出ることもできなかった姫君が、魔獣討伐を手伝うように言われたのだから。


 それでも、ソフィアはアイザックの要請ようせいに応えたのだ。

 その勇気に兵士たちは声をもらす。「なんという勇気か」「勇者の再来を見た気分です」「姫さまは本当に、この北の地で覚醒されたのかもしれない」──と。

 彼らの声を聞いて、アイザックは観念したようなため息をついた。


「わかりました。殿下と、魔王との会談に協力いたします」

「本当ですか。アイザック・ミューラ」

「自分は皇帝陛下の忠実な臣下です。部隊長としての地位よりも、陛下への忠誠心が勝ります。皇女殿下の・・・・・命令には・・・・逆らえません・・・・・・

「……わかっていますよ。あなたの言いたいことは」


 ソフィアは真剣な顔で、うなずいた。


「これは私のわがまま。独断・・。私は皇帝陛下の娘であるという権力を利用して、あなたに無理を言っているのです。やむなく・・・・私に・・従いなさい・・・・・。アイザック・ミューラ」

「承知いたしました。殿下」


 アイザックは立ち上がり、床に膝をついた。 


「このアイザック・ミューラ。皇帝陛下の臣下として、殿下の命令に従いましょう」

「お願いします。国境地帯の平和のためにも」


 それからソフィアは、他の兵に聞こえないように、声をひそめて、


「私の失敗は私のものです。ですが、私が得た成果は、あなたの功績こうせきとなさい」

「……そういうことを、堂々と言うべきではないのですがね」


 アイザックは、また、ため息をついた。


「ともかく、アイザック・ミューラは──この地にいる間は殿下に従います。殿下と魔王との会談がうまく行くよう、協力いたしましょう」

「ありがとうございます。アイザック・ミューラ」


 ソフィアは、皇女としての正式な礼をして、それから、


「ところで、マリエラはどうしました? 彼女にも頼みがあるのですが」

「まだ戻っておりません。ですが殿下──」

「彼女はザグランの腹心だということはわかっております。心して、話をするつもりですよ」


 おだやかな笑みを浮かべて、ソフィア皇女は言った。


「ですが忠告には感謝いたします。ありがとう。アイザック・ミューラ」

「……マリエラが戻り次第。殿下の元に向かうように伝えましょう」


 深々と頭を下げて、部隊長アイザックは言った。

 そして、困ったように頭をいて、


(病弱なだけの姫君だと思っていたが、なかなか食えない方だな。いや、勇者とは、こういうものかもしれないが……)


 心の中でつぶやいて、ソフィア皇女を見た。


(問題は魔王との会談だ。会談の場で、護衛は武器をひとつだけ持っていくこととなっているが……構うものか。剣と短剣……隠せるだけの武器は持っていくとしよう。軍務大臣になるまで、小官は死ぬわけにはいかぬのだからな)


 ソフィア皇女は静かに、魔王領からの書状を確認していた。

 表情は冷静に見えたが──だが、アイザックは、その手がかすかに震えているのに気づいた。


(……会談の場には、魔王領を威圧いあつするために騎兵も連れて行こう。重装の騎兵を見れば、魔王領も殿下に危害を加える気にはならぬだろうよ。まったく、殿下も面倒をかけてくれる。小官は勇者のようになりたいのであって、勇者のサポート役をしたいわけではないのだが……)


「どうしましたか? アイザック・ミューラ」

「いえ……なにも。準備がありますので、失礼します」


 アイザックは内心を隠すように──ソフィア皇女から視線をそらしながら、部屋を出ていった。


 こうして、部隊長アイザック・ミューラは、ソフィア皇女への協力を約束し──

 アイザックが率いる部隊は、会談の準備をはじめたのだった。





 ──同じころ、ライゼンガ将軍の屋敷では──





「会談の条件は、これで決まりのようじゃな」


 ソフィア皇女から送られてきた書状を前に、魔王ルキエは言った。

 ここは、ライゼンガ将軍の屋敷にある広間。

 会談を明日に控えて、魔王ルキエ、宰相さいしょうケルヴ、将軍のライゼンガは最後の打ち合わせをしていたのだった。


「会談の場所は、国境でもある森の近く。会談の場には、余と皇女がそれぞれ護衛ごえいを2人ずつ連れて行く。そこに帝国民であり、魔王領の客人でもあるトールが立ち会う」

「陛下の護衛はこのケルヴがつとめさせていただきます」

「このライゼンガも、一命をかけて陛下をお守りする所存しょぞん


 宰相ケルヴと、ライゼンガ将軍は深々と頭を下げた。

 それから、ケルヴは書状を見ながら、


「これによると、護衛の者は武器をひとつだけ所持することとなっております。ですが、大剣や大槌おおづちでは、相手を威圧いあつすることにもなりかねません。そのため、ライゼンガ将軍には長剣のみをお持ちいただきます」

承知しょうちした。しかし、帝国側が約束を守りますかな?」


 ライゼンガ将軍は首をかしげた。


「余はソフィア皇女を、信頼に足る者と考えておる」


 ルキエは仮面を被ったまま、ライゼンガとケルヴの方を見て、うなずいた。


羽妖精ピクシーたちの話を聞いて、それは確信しておる。心配はしておらぬよ」

「護衛である我は、殿下の身を案じております。それに、陛下が丸腰では、残された者たちも不安に思いましょう」

「それはわかる。じゃが、やはりこれ以上の武器を持っていくわけにはいかぬ」


 仮面を被ったまま、ルキエはうなずいた。


「ゆえに……念のためトールの『超小型簡易倉庫』を持って行くこととしよう」

「「……あ」」


 ケルヴとライゼンガが絶句ぜっくした。


 武器は護衛それぞれにひとつずつという条件がついている。

 しかし、アイテムボックスを持ち込むなという条件はないのだ。


「『勇者を見たら、アイテムが100個は出てくると思え』ということわざがありましたな」


 宰相ケルヴはため息をついた。


「勇者の見た目にごまかされるな……という意味のものですが、まさか我々が『アイテムボックス』を使うようになるとは思いませんでした。なんでしょう……この罪悪感は」

「あくまで念のためじゃ。使う機会はないじゃろう」

「私も、それを望みます」「承知いたしました。陛下」


 ルキエの言葉に、ケルヴとライゼンガはうなずいた。

 3人はそれからまた、書状を見て、


「次に、魔術への防御についてじゃが」

「会談の間はこのケルヴが『対魔術障壁たいまじゅつしょうへき』の準備をしておきましょう」

「問題は、『光属性の攻撃魔術』を使われた場合ですな。強力なものであれば、魔術障壁を突破されてしまいますからな」

「ソフィア皇女がそのようなことをするとは思えぬが」


 ルキエはふたりの顔を見回してから、


「じゃが、ケルヴとライゼンガが懸念するのもわかる。念のため『UVカットパラソル』を持って行くこととしよう」

「「…………」」


 再び、ケルヴとライゼンガが沈黙した。

『UVカットパラソル』は、光属性の攻撃魔術を90パーセントカットする。

 それにケルヴの『対魔術障壁』が加われば、完全に防御できてしまうのだった。


「さすがトールどののアイテムですな!」

「……私の心配がまったく無意味になっていきます。なんなのでしょう。あの方は」

「そう申すなケルヴよ。まだ懸念はある」

「と、言いますと?」

「会談の間、兵士を待機させておく場所についてじゃ」


 ルキエは地図を指さした。

 森の前の平原に会談場所の位置が示され、そこから離れた場所に、横線が引かれている。

 線は、会談場所の南北に1本ずつ。


「これが、魔王領と帝国それぞれの、兵を配置する場所じゃ」


 地図を示しながら、ルキエは言った。


「護衛の他にも兵を連れてくることは許されておる」

「会談相手が攻撃して来たとき、助け出すためですね。当然の措置そちかと思います」

「ただ、おたがいの兵士が相手に攻撃できぬように、離れたところで待機することになっておるようじゃな」

「確かに、兵士の待機位置は、会談から離れておりますね」

「矢や魔術が届かないようにじゃろうな」


 兵士の待機場所は、会談場所から百メートル以上、離れたところに位置している。

 矢や魔術の射程距離の、はるかに外だ。


 これは兵士同士の争いを避けるためだ。

 兵士の──特に帝国兵の中には、魔王領に魔術を撃ち込んで、会談をだいなしにしようと企む者がいるかもしれない。

 そういう者がいても大丈夫なように、会談場所から兵までの距離を空けているのだろう。


「問題は、魔術の射程距離なのじゃよ」

「帝国には強力な魔術使いがいるのですか?」

「逆じゃ。トールの作った『レーザーポインター』によって、こっちの魔術の射程が数倍になっておるのじゃよ」

「…………あ」


 三度みたび、宰相ケルヴは絶句ぜっくした。

 その隣で、ルキエとライゼンガは話を続ける。


「帝国の方も、こちらの魔術の射程が長いことは知っておる。じゃから兵との距離を空けておるのじゃろうが……まだ近いな。これではこちらの魔術が、帝国兵に届いてしまうぞ」

「ですが陛下。『レーザーポインター』は人間相手には使えぬのでは?」

「直接狙うことはできぬ。じゃが、手前の地面に炎を放つことはできる。騎兵の馬を凍り付かせることもできる。抑止力としては十分なのじゃ」

「なるほど!」

「公平を期すならば、帝国側に『レーザーポインター』について詳しく伝えるべきなのじゃが……ソフィア皇女はともかく、帝国に我らの力を知られたくはない」

「そもそも『レーザーポインター』の射程距離から出るためには、かなり離れなければいけませんからな」

「そこまで兵士が離れたら、ソフィア皇女も不安じゃろう」

「声が届くかどうか、といった距離ですからな」

「うむ。じゃから、『レーザーポインター』の射程については秘密にしておくしかないのじゃが……勇気を出して会談を望んだソフィア皇女に対して、そのやり方が正しいのかどうか……おや、妙にテーブルが揺れておるな。こらケルヴ、どうしてテーブルに頭をくっつけておるのじゃ?」

「……失礼いたしました。陛下」


 宰相ケルヴは額を押さえながら、顔を上げた。


「予想外すぎて、少し自分を見失っておりました」

「予想外?」

「帝国に対して、こちらが有利すぎる状況になるとは、思っていなかったのです。『簡易倉庫』でアイテムは自由に持ち込める、『UVカットパラソル』で光の魔術は無効化。その上、魔術が一方的に相手に届くとは……まるで、我々こそが、勇者になったようで」

「……確かに」

「すべては、トールどのが作られたアイテムのおかげですが、あの方は、我ら魔王領をどうしたいのでしょうか……」

「トールどのは、我らを信じ、そして試しておるのだよ」


 不意にライゼンガが、真剣な表情で告げた。


「我らは勇者に近い力を手に入れた。だが、我らは勇者のように力をひけらかしたり、異種族を見下したりしてはおらぬ。トールは我らをそういう者だと信じてくれているから、アイテムを預けているのだろうよ」

「……将軍?」

「我らが力をどう使うか、トールどのは常に見ておる。その信頼に応えるためにも、我らは『人間に学ぶ』べきなのだ。今回の帝国皇女との会談は、その良い機会となろうよ」

「……そ、そういう考え方もあるのですね」

「なにかおかしな点でもあるのか? ケルヴどの」

「私はトールどのを『思いつきで動く、びっくりどっきり錬金術師』ではないかと、ときどき思っているのですが」

「なにをばかな。ははは」

「私はトールどのの器量きりょうを見誤っているのでしょうか……むむ」

「仮に『びっくりどっきり錬金術師』に見えるとしたら、それはトールどのが仕組んだことかもしれぬぞ。真に大きな器量を持つ者は、それを周囲にさとらせぬものなのだからな!」


 ははは、と笑うライゼンガと、複雑な表情のケルヴ。

 ふたりを見ながらルキエは──


(案外、ライゼンガの言葉は、本質を突いておるのかもしれぬな)


 ──そんなことを、考えていた。


 確かにトールは、勇者世界のアイテムを作るのが趣味の『びっくりどっきり錬金術師』に見える。

 けれど彼の中には、強さばかりを重視する帝国への怒りと、それに踏みつけられた者への共感がある。

 だから彼はソフィア皇女に『フットバス』を使わせたのだろう。

 そのトールを信じたからこそ、ルキエは羽妖精を通して、ソフィア皇女と接触することを許した。

 そうでなければ、わざわざ帝国の姫君を回復させるようなことはしなかった。


(その皇女が力におぼれるようなことがあれば、トールは彼女から手を引くじゃろう)

(そして……余も気をつけねばならぬな)


 トールのアイテムを乱用して、彼を失望させたくない。

 彼の──優しい笑顔を失いたくない。

 そんなことを考えて、気を引き締める魔王ルキエだった。


「とにかく、会談の場での安全については、問題なさそうじゃな」


 ルキエは言った。


「余はソフィアという皇女は、信ずるに足る者じゃと思っておる。彼女が羽妖精ピクシーたちに言った『平和を望む』という言葉に嘘はあるまい。じゃからこうして、余の書状に返事を寄越したのじゃからな」

「ソフィア皇女についてはそれでよいでしょう。だが、周囲の者はわかりませんよ」

「それはわかっておる。じゃが、余は今回の会談を、不快なものにはしたくない。わかってくれ、ケルヴよ」


 ルキエが望むのは、国境地帯の平和だ。

 そうしてトールのように、理解しあえる人間と話をすること。

 仮にソフィア皇女がそのような人間なら、魔王領と帝国の関係も変わる。

 それに、今はちょうど銀山を開発しているところだ。帝国との関係を改善して、交易が進むのなら言うことはない。

 そうして魔王領を豊かにしていくのが、ルキエの役目なのだから。


「それに、帝国に申請している魔物の調査のこともある。ソフィア皇女が味方となれば、共同で国境地域を調べることもできよう」

「陛下は、新種の魔獣のことを警戒しておいでなのですな?」

「先に戦った『魔獣ガルガロッサ』は、今まで見たこともない魔獣じゃった。新種の魔獣が現れるなど、ここ数十年なかったことじゃ。似たような者が国境地帯に棲息していないとも限らぬ。可能なら、帝国と協力して調べたいのじゃ」

「いずれにせよ。ソフィア皇女との会談の結果次第ですね……」


 宰相ケルヴはうなずいた。

 そうして魔王ルキエたちは、明日の行動計画を決めた。


 護衛はケルヴとライゼンガが担当する。

 3人の背後を守る兵たちの選定も終わっている。

 会談の中でソフィア皇女に伝えたいことも決めた。

 最後に──


「陛下、トールどのについて提案がございます」


 不意に、宰相ケルヴが言った。


「トールどのが会談に同席する前に、彼をメイベルと婚約させるべきだと思います」

「──なに?」

「ケルヴどの。いきなりなにを!?」

「トールどのの身を守るためです。将軍」


 宰相ケルヴは説明を始めた。



 ──帝国側は、トールが錬金術師れんきんじゅつしであると知っている。

 ──魔王領の謎アイテムとトールとの関わりを疑っている。

 ──トール自身は家名を捨てたとはいえ、彼が帝国民であることには変わりない。

 ──ゆえに、帝国がなんらかの方法で、トールを帝国に戻そうとする可能性がある。



「ですが、彼が魔王領の者と婚約しているとなれば、帝国も引き抜きをためらうはずです。無理に帝国に引き戻せば、彼自身と、魔王領の民の恨みを買うわけですからね。ですから、この会談の間だけ、一時的に──ですから、一時的にです! 頭から火をかないでください。将軍!」

「どうしてメイベルなのだ? ケルヴどの。一時的ならばアグニスでもよかろう! うちの娘になんの不満があるのだ!? ああん!?」

「一時的な処置だからこそです! アグニスどのとの婚約となれば、ライゼンガ将軍は大々的に宣伝するでしょう!?」

「無論だ」

「この屋敷の者たちだけでなく、領地の者全員に自慢するでしょう!?」

「当然だ!!」

「だからです! あとで取り消す時に大変なことになるからです!」

「む、むぅ……」

「これが一時的なものである以上……アグニスどののような、あまり高貴な方・・・・であっては・・・・・困るのです・・・・・わかって・・・・いただけ・・・・ますか・・・?」


 宰相ケルヴの目が、ルキエを見た。

 それでルキエは、今の言葉が、自分にも向けられているものであることに気づいた。


「ケルヴの提案は正しい。トールを守るためでもあるのじゃ、やむを得まい」


 しばらくして、魔王ルキエはうなずいた。


「認めよう。ソフィア皇女との会談が終わるまでの間、メイベルをトールの婚約者とする」


 ルキエにも、ケルヴの提案が正しいことはわかる。

 彼女は魔王だ。民を率いる者としての教育を受けている。

 だからケルヴの提案が、帝国からトールを守るためのものだということも理解できる。

 一時的な婚約の相手として、メイベルがふさわしいことも。


 婚約の相手がルキエだったら、トールが今以上に重要人物になってしまう。

 彼の発言が政治的な意味を持ってしまうし、トールをさらってルキエを脅迫きょうはくしようとする者も現れるかもしれない。


 アグニスを婚約者にした場合は──ライゼンガが部下に話して回りそうだ。後で取り消すときに大騒ぎになるだろう。

 婚約を解消した後にトールの立場が悪くなる可能性もある。


 だから、魔王としてのルキエは、宰相ケルヴの提案に、完全に納得しているのだ。


(──なのに、どうしてこれほど、もやもやするのじゃろう)


 ルキエは長い、ため息をついた。


 会議はそのまま終了となった。

 ケルヴとライゼンガに会議の終了を告げて、ルキエは部屋を出た。

 彼女はそのまま、自室に向かう。


 婚約のことはケルヴが、トールとメイベルに伝えると言っていた。

 それまで、自分は会わない方がいいだろう。

 なにか余計なことまで言ってしまいそうな気がする。


「……なるほど。こんなときに『抱きまくら』が欲しくなるのじゃな」


 そういえばトールは、『抱きまくら』を改良したと言っていた。

 どんなものなのじゃろう……と考えながら、ルキエは──先日トールと魔力を交換した両手で、胸を押さえた。

 明日はソフィア皇女との会談がある。


 話のわかる皇女であればいい。そして、共に国境地帯で魔獣の調査をしておきたい。

 魔王領や国境が平和であれば──ルキエもトールものんびりと暮らせる。ルキエはトールが作るアイテムが、魔王領をどんなふうに変えていくか見ていたい。

 できればトールの側で、手を繋いで。

 そんなことを考えながら、魔王ルキエ・エヴァーガルドは目を閉じたのだった。

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