第66話「会談に参加する(1)」
──トール視点──
その日、俺たちは会談の予定地に向けて出発した。
場所は国境の向こう、魔王領と帝国との境界地域だ。
メンバーは魔王ルキエ、宰相のケルヴさん、ライゼンガ将軍。ミノタウロスの兵士さんたち。
それに、俺とメイベルも一緒だ。
ルキエとソフィア皇女が会談するのは、帝国の軍事訓練についての話し合うため。
それに加えて、ルキエは『ノーザの町』との交易と、国境地帯での共同の魔獣調査についても提案するつもりでいる。
どちらも今後の魔王領と、国境の平穏のためには必要なものだ。
彼女の希望が叶うようにサポートすることが、俺の役目だと思ってる。
そのために、俺は帝国から送り込まれた人質という立場を、最大限に利用するつもりでいる。
それとソフィア皇女を助けたい……というのもある。
彼女は「自分は秘密を守ります」と言って、乳母の形見の指輪を預けてくれた。
指輪に価値はない、と本人は言っていたそうだけど──
あの指輪の素材はミスリルで、水属性の強化がかかっていた。
相当な貴重品だ。
だから俺は彼女を信じて、『フットバス』を使わせることにしたんだ。
ソフィア皇女が魔王領の味方なら、助けたい。
できれば彼女の体調が良くなるように『フットバス』を定期的に使えるような環境を作りたい。
彼女が『ノーザの町』を動かす立場になれば、ルキエたちの助けにもなるはずだ。
「全体、停止せよ! 兵たちはここまでだ。我らが戻るまで、待機しているように!」
森を抜けたところで、ライゼンガ将軍が声をあげた。
ミノタウロスの兵士さんたちが立ち止まる。
兵士さんたちが来られるのはここまでだ。
会談の場に行けるのは、ルキエとケルヴさんと、ライゼンガ将軍。
それと、立会人に指定された俺だけだ。
「それじゃ、行ってくるよ。メイベル」
「はい。トールさま」
メイベルは心配そうに俺を見てる。
ふと、なにかに気づいたように手を伸ばして──俺の服を整え始める。
急いで野営地を出たから、色々と着崩れてたみたいだ。服の
「ありがとう、メイベル。助かったよ」
これから帝国の皇女と会うんだもんな。服装くらいはちゃんとしてないと。
昨日も遅くまで
そのせいで、服にまで気が回らなかったんだ。
「お帰りをお待ちしています」
メイベルはじっと俺を見て、言った。
「ずっとお待ちしています。ですから……」
「すぐに戻ってくるよ」
「も、もちろんです。それはわかってます。でも、今の私はトールさまの婚約者で……それを意識したら、なんだか、不安になってしまって……」
メイベルはエルフ耳の先っぽまで真っ赤にしてる。
そう言われると……俺も照れくさい。
昨日、
これは一時的なもので、だから
俺もメイベルも、びっくりした。
でも、宰相閣下の命令で、ルキエも許可しているなら、断れない。
それに俺は宰相ケルヴさんの事は信頼してる。
だから『一時的』ということで、俺はメイベルと婚約することになったんだけど──
「ですから。帝国の人たちから見て、婚約者だとわかるようにしておきたいのです。あ、あんまりあっさりトールさまを見送ってしまうと、疑われるかもしれませんから」
「……そっか」
「は、はい。そうなのです」
メイベルは緊張した顔で、こくこく、とうなずいた。
……でも、婚約者といわれても、どうすればいいのか俺にはよくわからない。
貴族の結婚って、だいたい政略結婚だったし。
ずっと帝国では不要物として扱われていた俺は、誰かと結婚することなんてないと思ってた。
でも、ひとつだけ決めていたことがある。
それは──もしも自分にそういう人ができたら、無茶苦茶大切にしよう、って。
帝国は貴族としての地位や力関係で結婚の相手が決まる。
その帝国が大っ嫌いな俺は、そういうものとは無関係でいよう。地位も力関係もなく、とにかく大切にしようって決めていた。
だから、一時的とはいえ、メイベルが婚約者になったのなら──
「絶対に無事に帰ってくるから、心配しないでいいよ」
メイベルの目がうるんでいるように見えたから、俺は彼女にうなずきかける。
「帝国側がなにを言って来ても、俺の居場所はここだから。俺が帝国に戻ることはないから。俺はメイベルがいる魔王領に、骨をうずめるつもりだからね。それだけは心配しなくていいよ」
「ト、トールさま……」
「というわけで、これを持っていて」
俺はメイベルに、銀色の指輪を渡した。
「ト、トールさま!? これは!?」
「ふ、深い意味はないよ? 幸運のお守りだよ」
「幸運のお守り、ですか?」
「うん。『通販カタログ』の隅っこの方にあった『スペシャル開運リング』だ。運が良くなるなら、メイベルにあげなきゃって思って、作ったんだ。もっとも、まだ完成品じゃないんだけどね」
『通販カタログ』に書いてあったその能力は──
──────────────────
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「そ、そんなすごいものがあるんですか……!?」
「うん。でも、これは形を真似ただけだけどね」
残念ながら、リングにつける石と模様は、写真には写ってなかった。
『詳しくは
気──つまり、魔力によって
そんなアイテムに祝福を与えられる存在もいるのか。
……一体何者なんだろう。
「開運の石と模様は、これから俺が研究して、この世界オリジナルのものを作るつもりだよ。もちろん、今は石もないただのリングだけど」
「……トールさま」
「いつかちゃんと完成させるから。それまでメイベルが持っていてくれるかな」
「あの、トールさま」
「うん」
「指のサイズ……ぴったりです」
メイベルは『開運リング』を、薬指につけてみせた。
「どうして、私の指のサイズがわかったんですか?」
「こないだ『生命力』を感じさせてもらうために手を繋いだだろ? そのときに、ついでにチェックしてたんだ」
「……すごいです。トールさま」
メイベルは目を閉じて、指輪を着けた方の手の平を、反対側の手で包み込んだ。
それからふと、気づいたように、
「あれ? この前手を
「うん。さっき渡してきた」
「それで陛下、すごくやる気になられているのですね」
「いや、仮面を被ってるからわからないけど」
「わかります。幼なじみですから」
「そうなの?」
「そうなんです」
「そっか」
「はい」
気づくと、俺とメイベルは顔を見合わせて、笑っていた。
うん。魔王領にはメイベルも、ルキエもいる。アグニスも、
みんなを置いて帝国に戻ろうなんて、思うわけないんだ。
「そうそう、忘れるところだった。これも」
俺は『超小型簡易倉庫』から、もうふたつ、アイテムを取り出した。
ひとつは『UVカットパラソル』だ。
「会談の間は、このパラソルをさしてて。そうすると俺にも、メイベルの居場所がわかるから」
「は、はい。トールさま。それで……この小さなアイテムはなんですか?」
「それは緊急用だよ。兵士さんもいるし、森の出口にはフクロウたちもいるから、必要はないと思うけどね」
「いらっしゃいますね。白いフクロウさんや、黒いフクロウさんたち」
メイベルは木の上を見上げて、笑った。
「でも、緊急用のアイテムならトールさまがお持ちになった方が……って、トールさまなら、ご自分用のものはお持ちですよね?」
「さすがメイベル。鋭いね」
「はい。私はトールさまのメイドで、婚約者ですから」
メイベルは指輪に触れながら、きっぱりと宣言した。
やがて、会談の時間が近づき、宰相ケルヴさんが呼びに来た。
俺はルキエ、ケルヴさん、ライゼンガ将軍と合流して、会談の場所へと歩き出す。
帝国の側の人たちも、すでにこっちに向かって来ている。
先頭には、真っ白なドレスを来た少女がいる。
俺が振り返ると、森の入り口の木に停まったフクロウたちがうなずく。ということは、あれがソフィア皇女で間違いない。
少し遅れてついてきてるのは、全身に
そりゃ、防具の制限はなかったけど、ソフィア皇女が丸腰なのに、護衛の人が全身防御ってのはどうなんだろう。
ソフィア皇女たちの後方に控えた帝国兵たちも、全員が重武装だ。
帝国が誇る
その突破力はすさまじく、南の戦場でも次々に敵陣を突破してるって聞いたことがあるけど、会談に連れてくることないのにな。この距離なら『レーザーポインター』で馬が狙えるから、
「止まられよ! 魔王領の方々!!」
ソフィア皇女の背後にいる戦士が叫んだ。
俺たちとソフィア皇女の距離は、十メートルと少し。
会談というには、まだ少し離れすぎている。
「これ以上近づく必要はない。ここからでも声は届く。この状態で会談を行うがいいだろう!」
「アイザック!? さすがにそれは……」
「殿下の安全のためです。ご
全身鎧の戦士が言った。
「会談に協力するとは申し上げました。が、あくまでも殿下の身の安全が優先です」
やっぱり、帝国の方では魔王領を警戒しているらしい。
ソフィア殿下が近くでルキエと話すことを望んでいても、護衛はそれを許すつもりはない、ということか。
「魔王陛下。帝国の方と話をしたいのですが、許可をいただけますか?」
俺は言った。
この距離じゃ話がしにくくてしょうがない。
しょうがない。魔王陛下の錬金術師として、俺がなんとかしよう。
「……よいのか、トールよ」
「安全対策はしてます。大丈夫ですよ」
俺が言うと、ルキエはうなずいてくれた。
俺は腰の袋に入れた『超小型簡易倉庫』を確認する。
準備したアイテムはOK。『UVカットパラソル』は、初めから持ってるから問題なし。
よし……いいかな。
「元帝国貴族、トール・カナンと申します。会談の立会人として申し上げたいことがあります」
「トール・カナンさま!?」
ソフィア皇女が声をあげた。
「ど、どうぞ。こちらにいらしてください」
「失礼いたします」
俺はルキエたちの元を離れて、ソフィア皇女に向かって歩き出す。
護衛の戦士たちが皇女を守るように前に出る。
帝国にいるときは、こういうごつい戦士たちが怖かった。
でも……今はなんとも思わない。魔王領に来て、俺も変わったのかな。
「お目通りを許可いただき、感謝いたします。トール・カナンと申します。帝国より魔王領に送り込まれた者として、会談の立会人を命ぜられました。光栄なことと感謝しております」
俺は貴族の作法の通り、ソフィア皇女の前に膝をついた。
「……あなたが、トール・カナンさまなのですね」
「はい。ソフィア殿下」
「元
アイザックと呼ばれた戦士が、俺の方を見た。
「貴公に立会人を命じたのは、魔王領の者たちが意味不明なことを言ったとき、通訳をさせるためだ。意見を聞くためではないのだが?」
「控えなさい。アイザック・ミューラ!」
「殿下!?」
「魔王領のことを最もよく知る方の言葉です。聞く価値があります」
ソフィア皇女は桜色の髪を揺らして、告げた。
「うかがいましょう。トール・カナンさま。あなたのご意見とは?」
「魔王領の方々が、殿下を害するようなことはありません。魔王陛下をはじめとする高官は会談に同意し、帝国の皆さまと会談することを望んでおります」
俺は言った。
はっきりと、ソフィア皇女の目を見ながら。
「もしも、この言葉にわずかな誤りでもあるようでしたら、どうか殿下。光の魔術を俺に向けて放ってください。殿下に偽りを述べた罪、それを持ってつぐないたいと思います」
「その言葉……胸に響いておりますよ」
ソフィア皇女は、白いドレスに包まれた胸を押さえた。
「それほどの覚悟があるのであれば、私はあなたを信じましょう。もう少し、魔王どのまでの距離を詰めて──」
「殿下が害されたあとで、貴公が責任を取ってどうなるというのだ?」
戦士アイザックは言った。
「伯爵家の子息の命など、殿下の命の代わりになるものか! 殿下に万一のことがあったら、我々は……」
「不思議ですね。勇者をあがめる方々が、これほど魔族と亜人を恐れているとは」
俺は言った。
こっちだって10年以上、帝国に住んでいたんだ。
帝国の貴族や、高位の兵士がどういう言葉に反応して、どういうものに引っかかるのかはわかってる。
弱者の俺は、強者がどういうものかを観察しながら、帝国の中で生き延びてきたんだから。
「偉大なる異世界勇者が、今の
「アイザック・ミューラだ!」
「──アイザック・ミューラさまのお言葉を聞いたら、どう思うでしょうか?」
俺はソフィア皇女に目配せした。
彼女がうなずいたのを確認して、さらに続ける。
「仮に勇者の聖剣がこの場にあったとして、その剣はアイザック・ミューラさまを受け入れるでしょうか?」
「──な!?」
アイザック・ミューラの顔が引きつった。
「き、貴公は、我々があの剣を得ようとしたところを……!?」
「俺は魔王領では自由を与えられています。国境地帯を散歩することもありますよ」
「……むむ」
「勇者とは、『勇気ある者』のこと。ならば、魔王の前に立ち、平然と会談をする者こそを勇者と呼ぶのでは? 困難にあっても落ち着いて対処できる者こそが勇者であると、俺は考えています」
俺は深呼吸して、一言。
「それとも勇者とは異世界から来た者のことで、帝国に勇者はいないのでしょうか?」
「…………ぐぬぬ」
アイザック・ミューラが腰の剣に手を掛ける。
俺はポケットに入れておいた新アイテムに指を当てる。
でも、向こうは動かないはずだ。ここで剣を抜いたら、アイザック・ミューラという人間が、皇女の会談をだいなしにしたことになる。皇女の側近になるほどの者なら、そういうミスはしないはず。
そう思いながらも、俺はアイザック・ミューラから視線を外さない。
「トール・カナンさまのおっしゃる通りです」
不意に、ソフィア皇女が言った。
彼女はアイザック・ミューラを見据えて、静かに、
「帝国の
「……殿下」
「魔王領の方々をごらんなさい。あの方々の後方にいる兵士たちは十数人。護衛も、軽装の鎧を着ているだけです。数十名の重装騎兵を連れてきた私たちと比べれば、魔王領の方々の誠実さがわかるでしょう」
そう言ってため息をつく、ソフィア皇女。
「それに……私は言いましたよ。すべての失敗は私のもの。そして、すべての功績はあなたのものだと。それでは不満ですか、アイザック・ミューラ?」
「…………う」
「これ以上、先方を待たせては失礼となります。参りましょう」
ソフィア皇女が、俺に向かって手を差し出した。
「皇帝陛下の
「承知いたしました。殿下」
俺はソフィア皇女が差し出した手を取った。
思っていたよりも細くて、
それでも、ソフィア皇女は会談に応じてくれた。
こういう人も、帝国にいたんだ。
……ソフィア皇女が、帝国を支配してくれればいいのにな。トップは弱さを知る人にして、現場は力を重視する勇者志願者にする──そうすれば、帝国はもう少し上手く回るような気がする。
そんなことを考えながら、俺はソフィア皇女の手を引いて歩き出す。
護衛役はその後をついてくる。ふたりとも腰が引けてるけど。
そうして俺は、ルキエたちの元へとたどり着く。
「魔王ルキエ・エヴァーガルド陛下。ソフィア皇女をお連れしました」
「……う、うむ」
ルキエは複雑な感じでうなずいてる。
相変わらず『認識阻害』の仮面とローブを被ってるから、表情はわからない。
でも最近、なんとなく口調で、どんな顔をしてるのかわかるようになってきたんだ。
「ご苦労じゃった。余の──いや、我が客人トール・カナンよ。こちらに」
「はい。陛下」
俺はソフィア皇女に一礼して、ルキエたちの側に移動する。
こうして会談の準備は整った。
魔王ルキエとソフィア皇女の距離は、数メートル。
剣がとどかない、ぎりぎりの安全距離だ。
「魔王領の王、ルキエ・エヴァーガルドじゃ。帝国の皇女とこうして会談する機会をもらったこと、ありがたく思う」
「帝国皇女ソフィア・ドルガリアです。魔族と亜人の方々を治める偉大な王と出会えたこと、光栄に思います」
ルキエとソフィアは、それぞれに
こうして、魔王と帝国皇女の会談が開始された。
内容は──俺の予想とは違う展開になっていったのだけれど。
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