第64話「幕間:帝国領、国境近くでの出来事(3)」

 ──「ノーザの町」の東にある岩山で──






「ソフィア殿下が、魔王と会談をすることになっただと!?」


 駆けつけた兵士からの報告に、アイザック・ミューラは叫び声をあげた。

 起きていることが、信じられなかった。


 彼らが東の岩山に『謎の剣』を調べに来て、まだ3日目だ。

 この短い間に事態が急変するとは、まったく予想していなかったのだ。


「なぜソフィア殿下が、そのような決断を!?」

「アイザックさまとマリエラさまがご不在の場合、町に残った部隊の最高責任者はソフィア殿下となります」


 ひざをついた姿勢のまま、伝令兵が答える。


「ですから、殿下がそのようなご決断をされれば、我々は従うしか……」

「書状など、我らが戻るまで放っておけばよいだろう!?」


 アイザックが目を見開き、叫ぶ。


「どうして余計なことをした! 誰が魔王領からの書状をソフィア殿下に届けたのだ!?」

「……誰でもありません」

「なに?」

「殿下は町の城門まで歩かれ、ご自身の手で伝令兵から書状を受け取られたのです」

「馬鹿な……そんなことが」

「気品あふれる、堂々としたお姿でした。そしてソフィア殿下は、民と兵士に宣言されたのです。『魔王領との平和を望む。そのために魔王と会う』と──」


 伝令兵の言葉を、アイザックは呆然と聞いていた。

 兵士が語るソフィア皇女は、アイザックが知る彼女とは別人のようだった。


 アイザックは彼女のことを、病弱で、自分の意志を持たない少女だと考えていた。

 ソフィアとリアナの姉妹をよく知る軍務大臣ザグランも、そのようなことを言っていたはずだ。


(まさか! あの方は、真の力を隠していたのか……!?)


 普段は無能をよそおい、いざという時に真の力を発揮する。

「まるで、伝説に聞く勇者のようだ」──と、口の中でつぶやいたアイザックの身体が震え出す。


 もっとも弱いと思われていた皇女が、自分とマリエラを出し抜いた。

 その事実に、アイザックは驚きと恐怖と──わずかな感動を覚えていたのだ。


「剣の調査は中止とする!! すぐに引き上げの準備をせよ!」


 アイザックは岩山のまわりにいる兵士たちに向かって、叫んだ。

 岩山の頂上付近にはまだ、くさりで繋がれた大剣が刺さっている。

 だが、もうそんなものに構ってはいられない。


 アイザックは歯がみする。

 副官マリエラへの対抗心にこだわるべきではなかった。

 あんな剣など、放っておけばよかったのだ。


(いや、町を離れてわずか3日……いや、実質2日半でここまで事態が急変するなど、誰が予想できたというのだ!? しかも、ソフィア殿下が魔王と会談するなんてことが……)


 ソフィア皇女を単独で、魔王と会わせるわけにはいかない。

 彼女になにかあったらアイザックの責任になる。

 なにより、ソフィア皇女が魔王とどんな話をするか、まったく予想がつかない。

 アイザックが立ち会い、場合によってはソフィア皇女の発言を止める必要がある。


「町に戻り、魔王との会談の準備をしなければならない。殿下が正式に、魔王との会談要請に応じられた以上……取り消すことはできぬ。帝国が魔王から逃げたと思われたら威信いしんに関わる……まったく。どうしてこんなことに」


 アイザックはこぶしを握りしめ、叫ぶ。


「だが、勇者とは危機をチャンスとするものだ。我々は、会談の場で帝国の力を見せつけるとしよう。精鋭せいえいの兵士を選んで、殿下の護衛とするのだ! その上で帝国の力を示せるようなものを、周囲に設置する。それでよかろう」

「軍事訓練はどうされるのですか、アイザックさま」

「西の平原での訓練は中止だ。魔族どもが会談を申し入れてきたのは、その件についての抗議こうぎの意味もあるのだろう。それがわかっていて、続けるわけにはいかぬ」


 アイザックはため息をついた。


「まさか、ソフィア殿下が動かれるとはな。小官しょうかんはあの方を、甘く見過ぎていたようだ」


 それに、魔王領の動きも気になる。

 わずかな間に、魔王領の者たちはソフィア殿下に書状を送ったのだ。

 それも絶妙なタイミングで。


 早くても遅くても、書状はアイザックの手に渡っていただろう。ソフィアが魔王領からの書状を読むこともなかったはずだ。


 アイザックなら魔王領からの会談要請に『ソフィア殿下が嫌がっているため、お断りする』と、応えていただろう。

 あるいは『皇帝陛下の許可が下りるまでお待ちを』かもしれない。

 そのまま何食わぬ顔で、軍事訓練を続けていたはずだ。


「とにかく、町に戻って対応を考えなければ」


 アイザックは大急ぎで撤収てっしゅうを進めるよう、兵士たちに指示を出す。

 だが、一部に、それに応じない者がいた。


「あと少し。あと少しで鎖が──」

「……マリエラは、まだあの剣にこだわっているのか」


 アイザックは岩山の方を見た。

 山のふもとに副官マリエラが、頂上付近には、彼女に従う兵士たちがいた。

 彼女たちは早朝から『謎の剣』を抜く作業を始めていたのだ。


「マリエラどの! 剣の調査は中止とする。聞こえなかったのか!?」

「お待ち下さい。今……おのくさりを切ります!」

「……わかった。我々は先に撤収てっしゅうする」


 アイザックはすぐに決断を下した。


 あの剣がマリエラとザグランの手に渡るのは悔しいが、仕方がない。

 彼がそう思ったとき──


「鎖が──れました!」


 マリエラの声に、アイザックは思わず振り返る。


 岩山には無数の穴が空いている。

 剣を固定する鎖を外すために『地属性の魔術』で掘った跡だ。

 それでも、鎖の根元には達することができなかった。


 だからマリエラたちは昨夜から、斧で鎖を斬ろうとしていた。

 兵士たちに魔術で強化された斧を与えて、数時間かけて。

 それがやっと、成功したところだった。


「これほど強固な鎖によって固定されているとは、やはりこれは貴重な剣に違いな──」



 ばきいっ!!



 マリエラが声をあげた瞬間、剣にからみついていた鎖が──剣そのものを締め付けて、砕いた。


「──え」


 剣を粉々にした鎖たちもまた、バラバラになってこわれていく。

 細かい破片となり、砂のようになり、岩の隙間へと流れ込んでいく。

 あとには砕けた剣の残骸ざんがいがあるだけだった。


 細かい破片になった刀身は、びて、朽ちかけている。

 まるで、その生命力をすべて失ってしまったかのように。


「なんということだ。剣が……自ら砕けた、だと!?」

「そんな……そんな……」


 アイザックとマリエラの声が、岩山の周囲に響いた。

 兵士たちも撤収作業てっしゅうさぎょうの手を止めて、目の前の光景を見つめている。


「──あのようなやり方で、剣を手に入れることは許さぬと? 剣は、自ら主を選ぶと!?」

「──オレは……魔王領のわなかと思っていたが」

「──いや、自ら砕ける剣など、魔王領にあるわけが……」


 ため息交じりに、兵たちはつぶやいた。

 彼らが見たのは、あまりにも神秘的な光景だった。


 岩に刺さり、鎖で拘束こうそくされた剣。

 それを鎖を斬ることで、手に入れようとした者。

 その行為そのものを拒むように──みずからを鎖によって破壊した、古き剣。

 それは勇者をあがめる帝国の者たちにとっては、不思議なくらい、心を奪われる光景だった。


「……ああ……ああ」


 副官マリエラは岩山に手をついて、がっくりとうなだれた。


「……我々は撤収てっしゅうする。マリエラどのは、後からついてくるがいい」


 部隊長アイザックはそう言って、彼女に背中を向けた。


 アイザックとマリエラは知らない。

 岩山に刺さっていたのは、ライゼンガ将軍の屋敷に転がっていた、ただの錆びた剣だということを。

 剣を固定していた鎖が、トールが作った『改良型チェーンロック』だということを。


 そして、その『改良型チェーンロック』には、固定したアイテムと、チェーンそのものを奪われないようにするためのセキュリティが施されていたことを──




──────────────────



『改良型チェーンロックのセキュリティシステム』



 重要なアイテムを奪われないための機能。

 魔力で発動する。


 発動後に『チェーンロック』が強引に外されたり、壊されたりした場合、『チェーンロック』が守るべきアイテムを締め付け、破壊する。

 その後は『チェーンロック』そのものもバラバラに壊れて、魔力や強化属性も失われる。ただの金属片になる。


『セキュリティシステム』は、発動した者が再び魔力を注ぐことで、解除される。




──────────────────



「ま、まさか。これは間違った抜き方だったというのですか? 選ばれし者以外を、この剣はこばむと……その身を砕いてまで、我々の者の手に渡ることを認めぬと……?」


 マリエラは岩山の下で、呆然ぼうぜんとつぶやいていた。

 その声を聞きながら、アイザックは荷物をまとめはじめる。


「手の空いている者は、あの剣の破片を回収しろ。帝都に戻った後で調査する。それと、部隊の行動記録の資料にもなるだろう」


 あの剣のことは、帝国の記録に記されることになるだろう。

 回収に失敗したマリエラが、剣を破壊してしまったことも。

 それはマリエラの──ひいては軍務大臣ザグランの失点になる。それはいい。


「だが、同時に小官しょうかんの失点でもある。こんな剣に関わったために、殿下と魔王との会談が行われることになったのだからな。本当はもっと軍事訓練を続けるつもりだった。最終的には、魔王領との国境近くで魔術と矢の発射訓練を行うつもりだったのだから……」


 敵の行動を制限して、孤立させることは戦略の基本だ。

 その後で会談を行えば、帝国側に有利な条件を引き出すこともできた。

 帝国の力を魔王たちに思い知らせることもできるはずだったのだ。


「……まだ終わりではない。小官にはこの失点を取り返すための策がある。なんとしても、会談の場で、帝国の強さを魔王領に見せつけなければ──」


 そうしてアイザックと兵士たちは、『ノーザの町』へと移動を開始したのだった。









 部隊が立ち去ったあと──副官マリエラは、地面に座り込んでいた。

 身体の力が、抜けてしまったようだった。


 彼女は『謎の剣』を、自らの手で破壊してしまったのだ。

 剣の調査のために、この地に天幕テントを張ったことは部隊の行動記録に残っている。

 マリエラの失態も、すでに記録されているだろう。


(……ソフィア皇女が余計なことをしなければ、調査にもっと時間をかけられたのに)


 あの皇女が、自分の邪魔をするとは思っていなかった。

 マリエラの上司であるザグランは言っていたはずだ。『ソフィア皇女は、いなくなってもいい皇族だ』と。『いずれ政略結婚に使われるだけの存在だ』と。


 そして、マリエラだけに伝えていた。


『彼女がいなくなれば、リアナ皇女が頼る相手はこのザグランだけになる……』


 ──そんなことを。


 マリエラはひとつひとつ、軍務大臣ザグランの言葉を思い出していた。

 彼女の上司は成功者だ。

 そして、マリエラはずっとザグランに仕えてきた。今まで、失敗などしたことがなかった。今回の失敗は、マリエラが自分で考えて動いたことにあるのだ。


「……申し訳ありませんでした。ザグランさま」


 マリエラは、ここにはいない上司に向かって、つぶやいた。


「ザグランさまはおっしゃいましたね。帝国に力を示すことに失敗した場合は、第二案を使えと。危険な策ではあるが、ソフィア殿下をよりよく利用できる……と」


 マリエラは自分の荷物から書簡しょかんを取り出した。

 軍務大臣ザグランから預かっていたものだ。第二案は、これに記されている。


 マリエラは封を解き、開く。

 慣れ親しんだ上司の文字を見て、彼女は安心したような笑みを浮かべる。


「『この北の地に住む、休眠中の魔獣を討伐とうばつせよ。討伐にはソフィア殿下を使え』──ですか。アイザック・ミューラも、この魔獣についての情報を集めていましたが……ザグランさまは、彼の行動などお見通しだったようですね」


 思わず、笑みがこぼれる。

 書簡には、マリエラがすべきことが記されている。

 注意書きもある。


『魔獣ガルガロッサのような新種の魔獣も現れている。まずは周辺を調査せよ』

『現地の協力者について記す。接触して、力を借りよ』

『この作戦ならば効率よく、帝国の力を示すことができるであろう』


 そして最後に『作戦が完了したなら、帝都への帰還きかんを許す』とあった。


「お任せください。ザグランさま」


 副官マリエラは帝都の方角に向かってひざまずいた。


「閣下の部下として、このマリエラは使命を果たしてごらんに入れます。帝国の威信いしんと、閣下の栄達のために──」


 そして副官マリエラは、部下に指示を伝えたのだった。

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