第140話「ソフィア皇女の提案と、少女ドロシーの話を聞く」

 ──数日後、トール視点──





 その後、魔王ルキエはソフィア皇女に書状を送った。


 内容は交易所の拡大と、そこに作る魔王領の出張所について。

 それからもお互いの提案について、羽妖精を通じてのやりとりが続いた。

 徐々に話がまとまっていき──落ち着いたころ、ルキエは代理の者を通して、ソフィア皇女と話をすることを決めた。


 そうして、会談の日程が決まり──

 俺とメイベルとアグニスは、会談のために、国境地帯の交易所へとやってきたのだった。




「……緊張しますので」

「魔王陛下から任せられた、大切なお役目ですからね」

「ソフィア皇女には話が通ってるから、大丈夫だよ」


 数日後、俺たちは、交易所の隠し部屋にいた。


 今日は休憩所の『しゅわしゅわ風呂』にソフィア皇女がやってくる。

 そこで交易所についての話をすることになってるんだ。


 ソフィア皇女がここを会談の場所に指定したのは、おそらく、極秘に話を進めるためだろう。

 ここなら、ソフィア皇女が誰と会っていたのか、他の者にはわからない。

 話の内容を秘密にできるんだ。


「でも、アグニスが緊張するのもわかるな。今回はソフィア皇女の他にドロシーさんも来るみたいだから」


 ドロシーさんが同席するのは、ソフィア皇女の希望によるものだ。

 大公国の領主として、大公カロンの血縁者とも情報共有をしたいんだろうな。


「……あ、あのあの。トール・カナンさま」

「どしたのアグニス」

「そういう意味で緊張しているのでは……ないので」

「そうなの?」

「は、はい。この隠し部屋は……少し、狭いので……」


 アグニスは真っ赤な顔で、そう言った。


 ……そういえばそうだった。

 この部屋はあまり広くない。横幅は、俺とメイベルが並んで少し隙間ができるくらい。縦幅はそこそこあるけど、ソフィア皇女たちと向かい合うことを考えると、俺たちが使えるスペースはそれほど広くない。


 そういうわけで、俺たちは肩を寄せ合っているわけで……。


「……まぁ、しょうがないよね」

「……そうですね」

「……し、仕方ないので」


 俺とメイベルとアグニスは、顔を見合わせてうなずいた。


「ところでアグニス。休憩所の警備は大丈夫?」

「大丈夫なので。入り口にはミノタウロスさんの警備兵がいて。まわりには『三角コーン』と『コーンバー』を置いてあるので。対、人間用にセッティングしてあるので……」

「それなら安心ですね」


『三角コーン』には、俺の髪の毛を入れてある。

 その結果、人間という種族全体を威嚇いかくしてくれるようになってるんだ。

 だから『しゅわしゅわ』風呂がある休憩所に、無断で人が入って来ることはない。

 俺だって、玄関からじゃないと出入りできないくらいなんだから。


「アグニスさま……私、ふと思ったのですが」

「どうしたの、メイベル」

「トールさまにゆっくり休んでいただきたい場合、『三角コーン』と『コーンバー』で休憩所の入り口を塞ぐという手が……」

「はっ。め、名案なので」

「私は禁止されてしまいましたので、アグニスさまの手で……」

「わかったので。会談が終わったらやってみるので……」


「聞こえてるからね? 変なことしないでね?」


 まったく。

 メイベルは『三角コーン』と『コーンバー』の変な使い方を思いついちゃったからなぁ。

 あとで『トール・カナンは通じない』ように調整した方がいいんだろうか。



 ──がちゃり。



 そんなことを考えていると、お風呂場の扉が開く音がした。

 ソフィア皇女たちが来たようだ。




「いらっしゃいますか? トール・カナンさま。アグニスさま。メイベルさま」




 お風呂場から、ソフィア皇女の声がした。


「はい。おりますので」


 俺たちを代表して、アグニスが答えた。

 今回はアグニスがルキエの言葉を伝えることになっている。

 ルキエからは、そういう命令が下っている。

 書状には『アグニスを含めて、3人でソフィア皇女に会うように』と書いてあった。アグニスにはライゼンガ将軍の娘として、色々な経験を積ませようとしているみたいだ。


「ソフィア・ドルガリアです。今日は私とドロシーさまのふたりでお邪魔いたしますね」

「……失礼いたします」


 ソフィア皇女と、ドロシーさんは言った。


 ゆったりしたソフィア皇女の声と対象的に、ドロシーさんは緊張した口調だった。

 彼女は国境地帯に来たばかりだし、無理もないか。


「私、アグニス・フレイザッドが、魔王陛下のお言葉をお伝えいたします。まずはソフィア・ドルガリア殿下とドロシー・リースタンさまのご来訪を歓迎いたします」


 アグニスが歓迎の言葉を述べた。


「それで殿下。魔王陛下からの書状は、お読みいただきましたでしょうか」

「はい。交易所の拡大にご了承をいただいたこと、確認しております。魔王陛下はその上で、交易所に、外交的な出張所を設置することをお望みなのですね?」

「はい。互いの交流と、外交を目的としたものなので」


 魔王領が求めているのは、交易所に自国の出張所を置くことだ。


 そこでは交易所の問題を解決したり、国境地帯の人の話を聞いて魔王領に伝えたり、外交上の手続きを行う場所になる。

 ちなみに、文官を常駐させることになるらしい。

 担当はエルテさんかな。宰相ケルヴさんの姪だし、文官としても優秀だから。


「これらのご提案について、私──ソフィア・ドルガリアに異存はありません」


 ソフィア皇女は言った。


「ただ、アイザック部隊長や『オマワリサン部隊』とも相談しなければいけません。持ち帰って検討することになりますが、よろしいでしょうか?」

「構いませんので。それと魔王ルキエ・エヴァーガルド陛下は、ソフィア殿下とふたたびの会談を望んでいらっしゃいます」

「お受けいたしましょう」


 即決だった。

 ソフィア皇女は迷いなく、答えを返した。


「前回お目にかかった際は、巨大ムカデの襲撃により、会談が途中で終わってしまいました。この機会に改めて、魔王陛下とお目に掛かることについては、まったく異存はございません」

「──お待ちください。殿下」


 不意に、ドロシーさんが声を上げた。


「魔王さまは強大な力を持つお方と聞いております。お会いするならば、せめてカロンさまをお招きして、護衛をお願いするべきかと……」

「あら、ドロシーさま。私は今、身ひとつで、魔王領の皆さまとお話をしていますよ?」

「それはそうですが……」

「今の私が身にまとっているのは湯浴み着一枚だけですが……よろしければ、これを脱ぎ捨てて、魔王領の皆さまの前に参りましょう。その姿で、魔王領の皆さまが私に害を成すことはないと証明いたします」

「わ、わかりました。わかりましたから脱がないでくださいませ!」


 ソフィア皇女の決意に満ちた声と、ドロシーさんの慌てた声。

 それから、ドロシーさんはため息をついて、


「失言をお許しください。殿下が魔王領の方々を信頼なさっていることは、そのお姿を見ればよくわかります。それに比べてわたくしは……服を脱ぐこともできずにいるのですから」


 ……ドロシーさんは服を着てるのか。

 まぁ、それもそうか。

 彼女はソフィア皇女の護衛だからな。

 湯浴み着を来てお風呂に入るってわけにはいかないか。


 残念だ。

 自信作なんだけどなー。この『貴人用・しゅわしゅわ風呂』って。


「服のことは気にする必要はありません。ドロシーさまをこの場所にお連れしたのは、私なのですから」


 ソフィア皇女は言った。


「それに、どのみち湯気と謎の光で私たちの身体は隠されております。着ていようと着ていまいと、関係ございませんよ」

「承知いたしました。それにしても……湯気と光を操るお風呂とは……すさまじい技術ですね。これは錬金術師さまが作られたのですよね。密談をする際に、ソフィア皇女の肌を見ることがないように、と」


 ドロシーさんがため息をつく気配。


「そこまで殿下に気を遣ってくださっている方々が……殿下に害をなすわけがありませんね。わたくしの先ほどの発言は、本当に的外れなものでした。非礼をお詫びいたします」

「いいえ。帝国の方々が魔王領に不案内なのは、仕方ないことなので」

「ドロシーさまも納得してくださったようです。そろそろ、皆さまのお顔を拝見に参りましょう」


 ちゃぷん、と、ソフィア皇女が湯船から立ち上がる音がした。

 こっちに来るみたいだ。

 彼女は、顔を合わせて話をするのが好きだからな。


「失礼いたします。トール・カナンさま」


 隠し部屋の扉が開いた。

 濡れた髪のソフィア皇女が、ゆっくりと入って来る。

 もちろん、身体は湯気と謎光線で隠されてる。


 一方のドロシーさんは、メイド服姿──らしい。

 やっぱり湯気と光で隠れてるから、よく見えないけど。

 髪型はいつものポニーテール。お風呂場なのに、手袋と靴下を身につけてる。


「改めて、先ほどの失言をお詫び申しあげます」


 隠し扉をくぐった直後、ドロシーさんは俺たちに向かって頭を下げた。

 驚いた。

 ドロシーさんは隠し扉をくぐったあと、俺たちの姿を確認していない。

 でも、まっすぐに俺たちの方に頭を下げてる。

 声から、俺たちの位置を確認したらしい。


 ……すごいな。さすが大公カロンの血縁者だ。


「念のために申し上げますが、わたくしがここでの会話を外に漏らすことはございません。わたくしがここにおりますのは、皇女殿下の護衛のため。それと──」

「ドロシーさまに、私の腹心となっていただくためです」


 ドロシーさんの言葉を、ソフィア皇女が引き継いだ。


「私になにかあった場合……例えば、私が『ノーザの町』にいられなくなったとき、業務を引き継ぐ人がいなければ困りますから」

「わかりました」


 アグニスがうなずいた。


「殿下がそうおっしゃるなら、アグニスもドロシーさまを殿下の腹心として扱いますので」

「ありがとうございます。それでは、詳しいお話をいたしましょう」


 ソフィア皇女は俺の方を見て、


「これらのお話を、魔王陛下にお伝えください。記録もご自由になさってくださいね」


 ──にっこりと笑って、そんなことを言った。




 それから、ソフィア皇女とアグニスの、顔を合わせての会談が始まった。

 俺とメイベルが見ている前で、細かいことが決まっていく。


 魔王ルキエとソフィア皇女の会談の希望日程。

 交易所の拡大を開始する日取り。

 それを『ノーザの町』や、周辺の町に知らせる手順。


 魔王領の出張所の建物と、その大きさ。

 出張所の担当者になる予定のエルテさんと、『ノーザの町』の担当者の顔合わせについて。

 魔王領が出張所に与えようとしている権限と、その制限。

 魔王領側に『ノーザの町』の出張所を作るかどうかについて。


 アグニスは魔王ルキエから預かってきた書類を見ながら、ソフィア皇女と話を進めていく。

 ここでの会話は『ボイスレコーダー』に記録している。

 後でルキエに聞いてもらってから、正式な回答をする予定になっているんだ。




「──以上が、魔王陛下のお考えになりますので」


 そう言って、アグニスは話を締めくくった。

 アグニスが話す間、ソフィア皇女は時折うなずいたり、質問を返したりしていた。

 それにアグニスは的確に答えていく。


 今回、アグニスは、完璧に連絡役を果たしたいと言っていた。

 だから、俺たち3人で練習したんだ。


 ルキエの言葉を『ボイスレコーダー』に吹き込んでもらって、それをアグニスが復唱し続けた。おかげでアグニスは、ルキエの言葉を完全に暗記した。ソフィア皇女から来そうな質問についても、答えられるようになったんだ。


 アグニス、がんばってたからね。

 ちゃんと成果が出て良かった。


「承知いたしました。すべてのお言葉に、納得できます」


 話を聞き終えたあと、ソフィア皇女は言った。


「私──ソフィア・ドルガリア個人としては、これらの条件で問題ございません。ですが、先に申し上げました通り、アイザック部隊長と話す必要がございます。話がまとまり次第、正式な回答をいたしますね」


 そう言ってソフィア皇女は、深々と一礼した。

 アグニスは安心したようなため息をついてる。俺もメイベルも一安心だ。

 あとはソフィア皇女の回答を、魔王城に送れば──


「というわけで……これで落ち着いて、トール・カナンさまと個人的なお話ができますね」


 ぱん、と、ソフィア皇女が手を叩いた。


 ……個人的な話?


「実は私から、ドロシーさまに関わるお願いがあるのです」

「で、殿下!?」

「これは私のわがままです、ドロシーさま」


 ドロシーさんを見つめながら、ソフィア皇女は言った。


「腹心の方の方のお悩みを、放ってはおくわけにはまいりません。あなたのお悩みについて、トール・カナンさまにご相談してもよいですか?」

「……殿下」


 ドロシーさんはしばらく悩んでいるようだった。

 でも、彼女は覚悟を決めたように顔を上げて、こくん、とうなずいた。


「殿下をわずらわせるわけには参りません。わたくしが自分で、お伝えいたします」


 そう言って、ドロシーさんは俺を見た。

 メイド服のまま、深々と一礼して、一言。


「実は……わたくしは大公さまより、特別な命令を受けているのです」

「特別な命令? それを俺が聞いてもいいんですか?」

「構いません。大公さまは、魔王領の方には伝えてもいいとおっしゃっていましたわ。それで……」


 ドロシーさんは、少し考えてから、


「皆さまは、『魔獣召喚まじゅうしょうかん』の実行犯、ゲラルト・ツェンガーのことは覚えていらっしゃいますか?」

「西にある砦の指揮官ですね?」

「あの者は帝国に連行され、帝都の地下牢に幽閉されているのですが……あの者は新種の魔獣の他にも、妙なものの召喚に成功していたようなのです」


 ……え?


「砦の指揮官が、魔獣以外のものを?」

「帝都での尋問の結果、初めて分かったことですわ」

「でも、奴の尋問じんもんは砦を落としてすぐに、大公カロンとライゼンガ将軍がやりましたよね? どうして今さら新しい情報が……?」

「奴の言葉によれば、『最初に尋問されたときは、魔王領が恐ろしくて話せなかった』そうですわ」


 ドロシーさんは肩をすくめた。


「カロンさまに聞いた話ですけれども、奴は真っ青な顔で震えながら『これ以上、なにか召喚していたことを知られたら……メテオを落とされるような気がした』と、話していたそうです」

「……なるほど」


 そういえば巨大サソリの魔獣を倒したときに『メテオモドキ』を使ったっけ。

 あれを見た砦の指揮官は、必要以上に怯えちゃったみたいだ。


「奴が呼びだしたものって、なんなのですか?」

「『謎の箱』──ゲラルト・ツィンガーは、そう言っていたそうです」

「……『謎の箱』?」

「中身が一切わからない、金属製の箱らしいですわ。大きさは1メートル前後。頑丈なもので、開くことも中を覗くこともできなかったとか。鍵穴はなく、こじあけようにも板を差し込む隙間もないそうですわ」

「そんなものがあったんですか……」


 めちゃくちゃ気になる。

 金属製の箱なら、間違いなく人工物だ。


 勇者世界のものか……あるいは新種の魔獣がいた世界のものだろう。

 後者だとすると、『魔獣ガルガロッサ』たちがいる世界には文明が存在することになる。

 この世界や勇者世界と同じかどうかはわからないけれど、そういう箱を作り出せる文明なら、かなり高度なものだと考えられる。

 ……気になるな。


「でも、砦を調査したとき、それらしいものはありませんでした」

「巨大サソリの魔獣が暴れたとき、部下の一部が持ち去ったそうです」

「だから所在不明なんですね?」

「はい。ただ、大公さまはその部下が、ティリクの残党ではないかと考えているそうです。ゲラルト・ツェンガーは、金で多くの魔術使いを雇っていました。その中に、ティリクの残党が混ざっていて……召喚魔術の術式や、召喚したものを奪うつもりだったのではないかと」


 ──ティリク侯爵家こうしゃくけ

 ミスラ侯爵家と並ぶ、勇者召喚に関わった貴族の家だ。


 確かティリク侯爵家は魔獣使いの家柄だったはず。

 その生き残りが『魔獣召喚』に介入して、召喚された魔獣を操ろうとしていたなら、話が通る。

 いや、むしろその者たちが魔獣を暴走させた可能性もあるな。


 そうして砦が落ちたときに裏切って──『謎の箱』を持って逃げた。

 一人で金属製の箱を持ち去るのは無理だから、複数の人が入りこんでいたんだろうな。


「……そんなことが、あったのですね」


 ふと、メイベルがつぶやいた。

 じっと目を閉じて、銀色の・・・カバーがついた・・・・・・・ペンダントを握りしめている。

 ティリク侯爵家は、メイベルの祖母と関わりがあるかもしれない。

 そんな名前が出てきたなら、気になるのは当然だよな。


「異世界から召喚された箱が、この世界のどこかにあるのか」


 そして、その持ち主はティリク侯爵家の残党かもしれない。

 仮にそうなら、その人は……メイベルの祖母が何者だったのかを知っている可能性もある。

 ミスラ侯爵家とティリク侯爵家は親しかったらしいから、そういう情報も残っているかもしれない。


「ただし、ティリクの件については推測です。証拠はありません。ですから……魔王領の皆さまにはお伝えしなかったのです」


 ドロシーさんは言った。


「それに、わたくしの使命のために、みなさまをわずらわせたくないですもの。調査はわたくしたち『レディ・オマワリサン部隊』が行います。情報が分かり次第、お伝えいたしますわ」

「わかりました。よろしくお願いします。ドロシーさん」

「ソフィア殿下も、お気遣いいただき、ありがとうございました」

「……い、いえ、ドロシーさま」


 あれ?

 ソフィア皇女が、気まずそうに視線を逸らしてる。

 なんだろう。困ったみたいに、額を押さえてるけど……。


「ドロシーさま。誠に申し上げにくいのですが……」

「はい。殿下」

「私がトール・カナンさまにご相談したかったのは、ドロシーさまの個人的なお悩みの方なのです」

「え?」

「先日、申し上げましたよ? 『あなたが常に手袋をつけている理由を存じております』と。その件についてお話するつもりだったのですが……」

「…………あ」


 ドロシーさんが、ぽかん、と、口を開けた。

 大きな目が、点になってる。予想外の展開だったらしい。


 ……えっと。

 もしかしてドロシーさんには、秘密がふたつあったってこと?


 ひとつは今話してくれた、大公カロンからの命令で──

 でも、ソフィア皇女が話そうとしていたのは、もうひとつの個人的な悩みの方で──


 ドロシーさんはうっかり、大公カロンから受けた特別な命令について話してしまった、ってことかー。


「あ、あああああああ! わ、忘れておりました!! 交易所の拡大と、外交出張所の設置と……大公国と魔王領の変化に関わる話を聞いて……ソフィア殿下のお話も、外交に関わるものだと……」


 うっかりさんだった。

 でも、やっぱり悪い人じゃなさそうだ。


「……どういたしましょうか、ドロシーさま」


 ソフィア皇女は濡れた髪をいじりながら、問いかける。


「もしも、秘密にされたいのであれば、お話はこれで終わりにいたしますが……」

「こ、ここまで話してしまったのです。言ってスッキリいたしますわ!」


 ドロシーさんは俺の前に膝をついた。


「本当は、一流の方を、わたくしごとでわずらわせるのは心苦しいのですが……」

「いえいえ、俺は錬金術師ですから、依頼があれば受けますよ?」

「……よろしいのですか?」

「もちろん、俺にできる範囲になりますけど。例えば、例の箱を持ち去ったティリクの残党を今すぐ見つけ出たりはできません。時間がかかります」

「……わかりました」


 ドロシーさんはため息をついた。

 そうして彼女は、ソフィア皇女の方を振り返る。

 覚悟を決めたように、俺を見て、それから、メイベルとアグニスを見て──


 しゅるん、と、身につけていた手袋を外した。


「それでは……お願いします、錬金術師さま。わたくしの手に、触れてみていただけませんか?」

「手に?」

「で、できれば優しく。少し、触れる程度でお願いしますわ」


 ドロシーさんは俺に手を差し出したまま、目を閉じる。

 言われるまま、手の甲に指先で、ちょん、と触れてみると──


「──ひゃぅんっ!」


 ……え?

 今、すごく可愛い声がしたような。


 見ると、ドロシーさんが真っ赤な顔で手を押さえてる。

 さっきまでのキリリとした表情とはうってかわって、くすぐられすぎて、涙をこらえている子どもみたいな表情だ。


「じ、実はですね……わたくしは……肌がすごく敏感なのです」


 胸を押さえて呼吸を整えて、それから、ドロシーさんは言った。


「わたくしは生まれつき皮膚感覚が鋭くて、人の気配や、魔獣の気配を察するのが得意でした。カロンさまから、攻撃を避けるのが上手いとほめられたくらいで……」


 ドロシーさんは説明を続ける。


 幼いころのドロシーさんが、鋭い皮膚感覚ひふかんかくを利用して、戦闘技術を磨いてきたこと。


 ──相手の攻撃の気配を察知したり。

 ──相手の動きを、先読みしたり。

 ──隠れている獣や魔獣の存在を察知したり。


 そうやって自分の能力を磨いて、徐々に感覚を鋭くしていったそうだ。


「わたくしは子どものころ、皮膚感覚で攻撃を避ける異世界勇者にあこがれていたのですわ」

「聞いたことがあります。胸と腰をおおうだけの、水着のような鎧を着ていた勇者ですね? 魔獣の攻撃を寸前でかわして、カウンター攻撃を入れるのが得意だったと聞いていますが」

「そうです。わたくしは力があまり強くないので……そういう戦い方にあこがれていたのですわ」

「確かにかっこいいですけど、あれは異世界勇者だからできたことでは……」

「子どもの頃のわたくしには、それがわからなかったのです。そのため、無茶な修行をしたりもしました」

「どんな修行ですか?」

「屋敷を抜け出して、近くの林に行き……人気がないのを確認してから全身の肌で直接、風や魔力を感じて……って、秘密です! 秘密ですわ!」


 ……すごく興味があるんだけど。

 でも、ドロシーさんは真っ赤になって、顔をおおってる。


「魔力に敏感な種族──羽妖精ピクシーの例もございます。わたくしにも、似たようなことができるのではないかと思ったのです。そうして、思いつきで修行を繰り返した結果──」


 ドロシーさんはため息をついて、


「……わたくしは、すごく、くすぐったがりになってしまったのです。皮膚感覚が敏感なせいで、人に触れられたり……息を吹きかけられただけでも、ざわざわしてしまうくらいに……」

「……そうだったんですか」

「首筋やてのひら、手首、足首などが特に敏感となっています。ですから、こうして手袋をつけて、襟元えりもとが隠れる服を着ているのです」

「もしかして……ご自分を三流と言っているのは、そのせいですか?」

「……こんな弱点があっては、一流になんてなれませんもの」


 そう言ってドロシーさんは、がっくりと肩を落とした。


 ……そういえば、ドロシーさんのような症状を、本で読んだことがある。

 帝国の役所にあった本だ。あまり読まれたことがないようで、ホコリをかぶってたけど。


 その中に、ぽつり、と書いてあった。

 勇者のようになりたくて、修行をしすぎて──筋力や感覚が暴走してしまう症状だ。

 確か『勇者症候群ブレイブ・オーバーワーク』という名前がついていたはず。


 ドロシーさんの症状も、その一種かもしれない。

 大公国も帝国の一部だから、強さ至上主義の影響は受けてるだろうし。


「わかりました」


 俺はうなずいた。


「錬金術で、ドロシーさんの症状をなんとかできるかどうか、調べてみます」

「……本当に、ついでの時でよろしいですのよ?」


 ドロシーさんは言った。

 真っ赤な顔で、手の平を押さえてる。

 本当に、すごいくすぐったがりなんだね……。


「わたくしが錬金術師さまにお支払いできる報酬など、たいしてありませんもの」

「はい。ドロシーさま。それは私が立て替えます。例えば私が──」

「だったら個人的に『謎の箱』の情報をもらえませんか?」


 召喚魔術で呼び出された『箱』なら、すごく興味がある。


 ドロシーさんは魔王領向けに情報をくれると言っているけど、できればもっと詳しい情報が欲しい。素材や形、見た目。どんな魔力を持っているのか。


 どうして召喚魔術が『箱』を呼びだしたのか。

 もしかしたら中には生き物か、あるいはそれに近いものが入っているのかもしれない。

 ぜひとも調べてみたいんだ。


「箱の手がかりがわかったら教えてください。それを報酬ってことにしましょう」

「そんなものでよろしいんですの?」

「そうですね。あとは、見つかったら最初に触らせてくれるとうれしいです」

「それは……お礼になりませんわ」


 でも、ドロシーさんは首を横に振った。


「元々、カロンさまは魔王領と『例の箱』の情報を共有するつもりでしたもの。わたくしが差し上げるお礼にはなりません。もっと他にございませんか?」


 真面目だった。

 ドロシーさんからの報酬か……。


「それでは一度だけ、個人的に俺たちの味方になってもらえませんか?」


 しばらく考えてから、俺は言った。


「ドロシーさんの症状が治ったあとでいいです。帝国や大公国といった立場を忘れて、1度だけ、個人的に俺たちの味方をして欲しいんです」

「……そんなものでよろしいのですか?」

「はい。今回、俺は個人的にドロシーさんのために、症状回復のためのマジックアイテムを作ります。そしたらドロシーさんも、1度、個人的に俺たちの味方になってください。それでおあいこにしましょう」

「わかりました……錬金術師さまが、それでよろしいなら」


 よし。話はついた。

 帰ったらさっそく『通販カタログ』を見て、使えそうなものがないか調べよう。


「……そうですか。それで満足されてしまわれたのですか」


 ……あれ?

 ソフィア皇女が横を向いて、ほっぺたをふくらませてる。


「トール・カナンさまが、箱の情報等で満足されることは予想していました。だから、先にドロシーさまの敏感肌について相談しようと思っていたのですが……順番が逆になってしまったのが敗因でした……」

「どうかしましたか。ソフィア殿下?」

「なんでもございませんよ。トール・カナンさま」


 ソフィア皇女は、すぅ、と深呼吸。

 それから、ひだまりのような笑顔になる。


 本当になんでもないみたいだ。

 ……たぶん、だけど。


「それでは、ドロシーさまの件をよろしくお願いいたします。会談についても、私の考えを魔王陛下にお伝えください」

「わかりました」

「『謎の箱』についての調査は進めておきます。ただ……」

「……帝国の動きが気になりますね」

「やはり、トール・カナンさまも私と同じお考えですか」


 ソフィア皇女は勢いよくうなずいた。


 そりゃそうだ。

 砦の指揮官ゲラルト・ツェンガーは帝都・・で『例の箱』のことを白状している。

 当然、その情報は帝国の上層部にも伝わっているはずだ。

 あいつらが放っておくわけがない。


「『ノーザの町』の周辺は、すでに大公国の領地です。こちらには大公さまの後ろ盾がありますから、帝国の者たちも、無茶はしないと思いますが……」

「わたくしも十分に気をつけますわ。殿下や魔王領の方々に、ご心配をおかけしないように」


 ソフィア皇女はうなずき、ドロシーさんはスカートをつまんで一礼した。


 そうして、交易所での会談は終わった。




 ソフィア皇女は一旦、お風呂場を出て休憩所へ向かった。

 そこで水分補給をしてから、もう一度『しゅわしゅわ風呂』を堪能たんのうするそうだ。本当に気に入ったんだね。


 ドロシーさんは、ソフィア皇女の後に『しゅわしゅわ風呂』を使うらしい。

 それで敏感肌が良くなればいいんだけど。



 それから俺たちはふたりと別れて、魔王領へ向かった。

 国境の森で待っていてくれたミノタウロスさんたちと合流して、ライゼンガ将軍の屋敷へ。


 伝えることがたくさんある。

 ライゼンガ将軍とも、メイベルとも。

 とりあえず、ドロシーさんたちが手がかりを掴んだら、すぐに動けるように準備しよう。

 もちろん、彼女の体質改善アイテムを作ってから。

 彼女が万全じゃないと、調査に支障が出るかもしれないからね。


 情報が入り次第、例の箱とティリクの残党をなんとかする方法を考える。

 せっかく魔王領が発展しようとしてるんだ。

 昔のゴタゴタで、騒ぎを起こして欲しくない。

 俺だって──メイベルだって落ち着かないんだからさ。


 そんなことを思いながら、俺たちは将軍の屋敷に戻ったのだった。





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