第32話「不思議な寝具と眠る」
──その日の夜、魔王ルキエの部屋で──
「もらってきました、ルキエさま。トールさまの魔力が入った『枕カバー』です!」
「でかしたメイベル!」
部屋に飛び込んできたメイベルに、ルキエは満面の笑顔を見せた。
ここは、魔王ルキエの自室。
魔王城の最上階にあり、執務室とリビング、寝室に分かれている。
この階は、基本的には男子禁制だ。
廊下には戦闘能力を持つメイドが巡回していて、出入りするものをチェックしている。
このフロアに入れる男子は、ルキエの夫となる者だけだろう。
もちろん、女の子のメイベルがやってくるのはまったく問題がない。
彼女がルキエの幼なじみだということも、城の人間は知っている。
仕事で疲れたルキエが「久しぶりにメイベルと語り合いたい」と言えば、一応は通ってしまうのだ。
もちろんそのメイベルが、奇妙に長い枕カバーを持ってきたところで、なんの問題もない。
「『枕カバー』が魔力を
「それまで余とメイベルは、トールの手を握っていられるわけじゃな」
「トールさまご本人とリンクしているのは、触覚だけだそうです」
「つまり、余とメイベルが話したことは聞こえないわけじゃな」
「気を
「まぁ、トールじゃからな」
「それではさっそく……」
「あわてるでない。まずは寝間着に着替えてからじゃ」
枕カバーを手に寝室にダッシュしかけたメイベルを、ルキエは止めた。
「『抱きまくらはトール』と一緒にいられるのは、1時間しかないのじゃぞ。まずは身支度をして、顔を洗って、それから一緒に……その、ベッドに入るべきであろう」
「そ、そうですね。すいません。慌ててしまいました」
「自室にいるトールも、もう寝る準備はしているのじゃろう?」
「はい。寝間着に着替えて、ベッドに入るところでした」
「そうか。あやつのことじゃから、寝ないで研究を続けるのかと思っておったが」
「陛下と手をつないで眠ると約束されましたからね。トールさまは、約束は守られるお方です」
「……そうじゃな」
ルキエは、思わず寝間着を抱きしめた。
昼間のことを思い出して、不意に、顔が真っ赤になる。
トールの事情を聞いてしまったこと。
それを本人に話しているうちに、泣き出してしまったこと。
つい『今日はトールの手を握って眠りたい』と言ってしまったこと。
──思い出すと恥ずかしくなる。
けれど、トールは全部受け止めてくれた。
その上ルキエのわがままを聞いてくれた。
『形態変化』能力を持つ『抱きまくら』まで作ってくれたのだ。
「本当に
『主君が自分の手を握って眠りたいと言った』なんて理由で、超絶マジックアイテムを作ってしまう錬金術師など、トール以外にはいるはずがない。
たとえ勇者の世界でも、そんな理由でアイテムを作る者はいないだろう。
そんな錬金術師はトールだけ。
トールがいるのは、魔王領のお城だけ。
そんなことを考えると、うれしくなってしまう。
さっきとは違う理由で、泣きたくなる。
(……本当に困ったやつじゃな。トールは)
「陛下。寝間着を抱きしめていないで、そろそろ着替えていただかないと」
「……う。わ、わかっておる」
「お手伝いしましょうか?」
「メイベルとの成長の違いを思い知らされるから嫌じゃ」
すでに寝間着姿になったメイベルに背を向けて、ルキエは部屋着を脱ぎ捨てる。
それをメイベルが片付ける音を聞きながら、素早く寝間着に。
今日の仕事はすべて終わらせた。
夕食も済んだ。お風呂にも入った。
あとは2人──いや、3人で眠るだけだ。
「……トールと手をつないで眠る。感覚共有があるから、手をつないだ感触はトールにも伝わる。余の願いを叶えた上に、このフロアに男子を入れないという魔王城のルールも守る。あり得ないことをなしとげておるな。トールは……」
「準備ができましたか? 陛下。それでは一緒に」
「まぁ待て、落ち着けメイベル」
振り返るとそこには、わくわくしながら『枕カバー』を手にしたメイベル。
『抱きまくら』本体は、すでにルキエのベッドの上にある。
あとはカバーをかぶせれば、『抱きまくら』はトールになる。
「……
いまさら、恥ずかしくなってきた。
もちろんルキエは今まで、男の子と一緒に寝たことはない。
男の子と手を繋いだのも、実は今日が初めてだ。
その日のうちに同じ相手とベッドを共にするのはどうなのだろう。
いや、相手は『抱きまくら』だ。トール本人ではない。
ないのだけど……そもそもこれはルキエが言い出したことなのだけど。
そのときが来てみると恥ずかしくて──くすぐったくて──
──でも、まったくやめる気にはならないのだった。
メイベルは目を輝かせて『枕カバー』を手にしてるし、ルキエの合図で『抱きまくら』にカバーをセットする気まんまんだし。
ここで止めたらメイベルに負けるような気がする。
ルキエも、そんななまっちょろい覚悟で魔王はやっていないのだ。
「よいぞ。メイベル」
だから、ルキエは宣言する。
「トールの魔力入り『枕カバー』を『抱きまくら』にセットするがよい!」
「お心のままに。陛下!」
さっ。
さささっ。
メイベルは『抱きまくら』に、『枕カバー』をセットした。
抱きまくらがトールになった。
寝間着姿で、目を閉じて、眠っているようだ。
ゆるやかに胸が上下している。
もちろん『抱きまくら』は呼吸していない。
だが、生きているように見せるために、こうなっているのだろう。
さすがはトール……と思いながら、ルキエは思わず、彼の顔を見つめてしまう。
安らかに眠り、じっと呼吸を続けているトール。
その姿が自室にあるというだけで、なんだか安心してしまうのだ。
「陛下。毛布をかけてよろしいですか?」
「う、うむ」
そんなルキエの隣で、メイベルは『抱きまくらトール』に毛布をかける。
部屋の灯りを消して、ベッドサイドのランプだけにして──あとはルキエの覚悟待ち。
『抱きまくらトール』が目を閉じていてよかった。
寝間着姿を見られるのは、まだちょっと恥ずかしい。
そんなことを思いながら、ルキエはメイベルにうなずきかえす。
ルキエはトールの左側。
メイベルは、右側。
ふたりは毛布をぺろりとめくり、『抱きまくらトール』の左右に、身体を滑り込ませる。
そうして手探りで──トールの手に触れた。
最後にメイベルがベッドサイドの灯りを落とせば、寝室を照らすのは、月明かりだけだ。
そんな中、やっとトールの左手を探り当てたルキエは──
「……メイベル」
「は、はい。陛下」
「……男の子の手って、どうやって握ればいいのじゃろう」
「あれ? お茶会のときに陛下から握られたのでは……?」
「……夢中じゃったから、どんなふうにしたのか覚えておらぬ」
「私に聞かれても……私だって、そんな経験ないですから……」
「普通に握ればよいのか? それとも、指をからめれば……?」
「お、お好きなように」
「メイベルはどっちじゃ?」
「陛下と同じで……」
「そ、そうか」
「そうです……」
闇の中、ふたりの声がかすかに響く。
待てば待つほど『抱きまくらトール』の持続時間は減っていく。
覚悟を決めたルキエは、細い指でトールの指に触れて、探って──指をからめた。
「メイベル。トールと手を繋いだか?」
「は、はい」
「どんなふうに繋いだのじゃ?」
「たぶん。陛下と同じだと……思います」
「そ、そうか」
「……はいぃ」
しばらく、沈黙が落ちた。
ルキエは今回の計画の、
ルキエが望んだのは、トールの手を握りながら眠ること。
けれど──
(こ、こんな状態で眠れるものか──っ!)
繋いだ手はぬくぬく。
心臓ばくばく。
相手はトールの姿をしているだけの『抱きまくら』。
なのにルキエの身体はどんどん熱くなっていく。
握っているのは手だけなのに、まるで炎を抱きしめているよう。
こんな状態で眠れるのは、
「……メ、メイベル。眠ったか……?」
「……む、無理です」
「じゃよなぁ」
「はい……」
「では、なにか話をしてくれるか?」
「わ、わかりました。では、トールさまの──」
「いや、トールを意識しすぎて眠れないのに、トールの話をしてどうするのじゃ?」
「……この状態で他のことなんて思いつかないです……」
「メイベルはだらしないのぅ」
「では、陛下。なにか他のお話をお願いします」
「う、うむ。そうじゃな」
「はい」
「…………」
「…………」
「……」
「……」
「トールのことじゃけど」
「はい。トールさまのことですね」
あきらめた。
「トールを犠牲にしようとした公爵と辺境伯は、帝国の名において処分されるようじゃ」
「そうなのですか?」
「帝国からの書状には『少なくとも上位貴族のままにはしておかぬ』といったことが書いてあった」
「ライゼンガ将軍が怒ってくださったからでしょうか」
「そうじゃな」
天井を見つめながら、ルキエはうなずいた。
「それによってトールが魔王領の重要人物であることが、帝国に伝わったのじゃ。だからトールは、帝国がうかつに触れられない存在になったのじゃろう。帝国は、この魔王領を大人しくさせるための人質として、あやつを送ってきたのじゃからな」
「魔王領の重要人物であるトールさまを犠牲にしようとした父君は、魔王領に害をなそうとした。そのことによって魔王領を刺激し、ひいては帝国に害をなそうとしたということになった、というわけですね」
「そういうことじゃ」
ルキエはうなずいて、メイベルの方を向いた。
『抱きまくらトール』の横顔が目に入った。
月明かりに照らされたほっぺたが見えた。耳たぶにほくろがある。
ふーっと息を吹きかけたら、どんな反応をするじゃろうか──なんてことを考えて、慌ててルキエは視線を逸らす。
「と、とにかく……今回の交渉の結果、トールが魔王領の重要人物であることが、帝国にわかってしまった。それによって帝国の方でも、トールを『魔王領に送り込んだ客人』としてあつかわざるを得なくなったということじゃ」
「帝国の方でも、トールさまを大切にしなければいけなくなったのですね……」
「皮肉なことじゃがな」
「今さらトールさまが大切なお方だと気づくくらいなら……最初から大事にしてさしあげればいいのに……」
「同感じゃ」
「トールさまのあつかいが良くなり──害をなそうとした公爵は処分された……」
メイベルが、ぽつり、とつぶやいた。
「でも、私は……トールさまのお父君を許せません」
「余もそうじゃ。交渉の場にいたのがライゼンガでなくて余じゃったら……いや、そのときは仮面を被っていたじゃろうからな。魔王として、辺境伯とやらに手を下すことはできなかったじゃろうが……」
「トールさまも、陛下のお立場はわかってらっしゃいます」
「うむ……そうじゃな。余はあやつを信じておるよ」
「でも、トールさまはこれからも、『トール・リーガス』さま、なんですよね」
「あやつにひどいことをした父親の家名を、これからも使うことになるのじゃよなぁ」
ルキエは天井をながめながら、考える。
公式の呼び名を変えるわけにはいかない。
魔王領にとって、トールはあくまでも帝国からの使者──リーガスという貴族の家の息子なのだから。
「でも、余とメイベルと──3人でいるときは、別の名で呼ぶのもいいかもしれぬ」
「……トールさまは家を離れてお仕事をしていたとき、母方の家名を名乗られていたそうです」
「どんな家名じゃ?」
「トール・カナン、です」
「……トール・カナン、トール・カナン……うむ、いい響きじゃな」
ルキエは『抱きまくトール』の方に向き直る。
繋いでいた手をほどいて、トールのてのひらに文字を書いてみる。
『トール・カナン』──『トール・カナン』……うん。悪くない。
彼を犠牲にしようとした父親の家名よりも、ずっといい。
「明日、トールに話してみよう。3人でいるときだけ、その名で呼んでよいかどうか」
「……」
「メイベル?」
「は、はい! すいません。そうですね。お話してみましょう」
「そうじゃな……ふわぁ」
やっと、眠気がやってきた。
ルキエは再び『抱きまくらトール』と手をつないで、目を閉じる。
大分落ち着いてきた──というか、この状態でいることが、自然なように思えてきた。
いつも……とはいかないだろうけれど、たまにはこうやって眠るのもいいかもしれない。
安らいだ気持ちで、いい夢が見られる。そんな気がした。
「そろそろ休むとするのじゃ。おやすみ、メイベル」
「はい……おやすみなさい。陛下」
そうして、ルキエとメイベルは眠りについた。
翌朝、目を覚ますと、『抱きまくらトール』は、円筒形の抱きまくらに戻っていた。
ルキエとメイベルは左右から、抱きまくらに、ぎゅ、と抱きついて──というか、しがみついていた。トール特性の抱きまくらの抱き心地はやっぱり最高で、『枕カバー』なしで、このまま使うのもいいかもしれない──と、ルキエは思い始めた。
そうしてメイベルと別れて、身支度を調え、魔王としての仕事を開始。
午後になって、トールの部屋を訪ねたところ──
「入ってもよいか。トール」
「はい、ルキエさま」
ルキエがトールの部屋に入ると、彼は錬金術の作業をしていた。
テーブルの上に何枚ものシーツを広げて、なにか実験をしているようだ。
実験内容は気になるけれど、今はその前に試したいことがある。
昨日、メイベルと決めたトールの呼び名だ。
メイベルは部屋で作業の手伝いをしている。もう彼女から呼ばれたかもしれないけれど──
「今日も元気であるか? トール・カナンよ」
「ありがとうございます。元気ですよ。それで、新しい素材を作ったんですけど──」
(……あれ?)
軽く流された。
おかしい。呼び名を変えたのだから、なにか反応があっても良さそうなものだけど。
「トールよ」
「はい。ルキエさま」
「余は今、お主を母方の姓で呼んだのじゃが。トール・カナンで良かったか?」
「そうですね。トール・カナンで間違いないです」
「……急に呼び名を変えたのじゃが、なにか違和感はないのか?」
「それなんですけどねー、昨日、変な夢を見まして」
「変な夢?」
「俺の両手に、誰かがずっと『トール・カナン』って文字を書き続けている夢です」
両手?
ルキエはメイベルを見た。
メイベルは、真っ赤な顔で横を向いている。
つまり、彼女もルキエと同じことをしていたらしい。
「その夢を見てから、トール・カナンって呼ばれるのが当たり前みたいに思えてきたんです。どのみち、父の家名は好きじゃなかったし、ルキエさまとメイベルならいいですよ。トール・カナンって呼んでください」
「そ、そうか」
「うん。でも、いい夢でした」
トールはなんだかいい笑顔で、うなずいた。
それから、複雑そうな表情でルキエを見て、
「……もしかして、ルキエさまとメイベルが、『抱きまくら』の両手に『トール・カナン』って、書いてたんですか?」
「……うぅ」
「いえ、それは別にいいんです。ふたりには、そっちの名前で呼んで欲しいですから。ただ、錬金術師として、ふたりが、『抱きまくら』の俺を、どんなふうに使ってたのか教えて欲しいんです。改善点とか、あるかもしれないですから」
「「……」」
ルキエとメイベルの目が点になった。
トールの言うことは一理ある。
彼は錬金術師だ。自分が作ったものがどんな効果をもたらしたか、知りたがるのは当然だ。使った感想を聞いて、ブラッシュアップして作り直すのが楽しい、って言ってたから。
「すまぬ。余は『抱きまくらトール』のてのひらに、ずっと『トール・カナン』という文字を書いておった。おそらくはメイベルもそうじゃろう」
「やっぱり」
「で、でも、それだけじゃぞ? 他に変なことはしておらんぞ!」
「わかってます。信じてますから」
「……よかった」
ルキエは『抱きまくらトール』に、トールの名前を書いただけ。
それくらいのことは堂々と言える。
……それ以上のことをしなくてよかった──そんなふうに思いながら、メイベルの方を見ると──
(──ちょっと待て、メイベル)
メイベルは恥ずかしそうに、両手で胸を押さえていた。
メイド服に包まれた大きな胸。それとトールの右腕に、視線を往復させている。
自分の知らない『抱きまくらトール』の右側で、一体なにがあったのか──
「他に、なにか気づいたことはありますか?」
トールが聞いてくる。
その声に、メイベルの身体が、びくん、と震える。
ふたりの様子を見て、ルキエは──
「乙女の秘密じゃ!」
──思わず、声をあげていた。
「そういうことにしておけ、
「た、確かに」
「メイベルも、ほら、色々あるようじゃし。な。とにかく『抱きまくら』はトールらしくなっておった。余も満足した。それでいいことにしようではないか!」
「わ、わかりました!」
こうしてルキエは、メイベルの秘密を守ることに成功したのだけど──
昨夜、ベッドの反対側でメイベルがなにをしていたかは、あとでじっくり聞き出すことにしたのだった。
できるだけ、魔王らしく。
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