第6話 第一章 4 出発



 翌日、シエルがパーティーから帰って来ると、大騒ぎになった。


 馬車が着いたので出迎えると、シエルは怒っている。


 不機嫌と顔に書いてあった。




「姉さん、どういうこと?」




 馬車を降りると共に詰め寄られた。


 いつにない剣幕に、思わず後ずさる。


 両手を胸の辺りで開いて、シエルの身体を止めるように手のひらをそちらに向けた。




「何のことでしょう?」




 問い返す。


 本当に意味がわからなかった。




「姉さんがお妃様レースに出るって噂になっている」




 シエルは憮然と顔をしかめる。




「!!」




 わたしは驚いた。


 何故、そんな噂が出ているのかわからない。


 確かに、わたしはお妃様レースに出ることを決めた。


 しかし、それはシエルが出かけている間に話し合ったことだ。


 噂になるのが早すぎる。




「とりあえず、立ち話でする話ではないから中に入らないか?」




 父が取り成すように、シエルに言った。


 その言葉に、固まっていたわたしはハッと正気に戻る。


 同時に、シエルの後ろでなんとも微妙な顔をしているアークにも気づいた。


 シエルの従者として付いて行ってくれたアークは小奇麗な格好をしているので、三割り増しいつもより格好良く見える。


 わたしはアークにも話さなければと思った。




「シエルもアークもわたしの部屋に来て。そこで話をしましょう」




 わたしはアークも誘う。




「アークも?」




 それに反応したのは、本人ではなくシエルの方だった。




「ええ」




 わたしは頷く。


 父も含めて、4人でわたしの部屋に向かった。


 そこで招待状を見せながら、父と話したことをそのまま伝える。


 わたしの目的が、お妃様レースではなく、シエルを祖父に会わせることにあることを伝えた。




「そういうわけで、お妃様レースには参加するけれど、何故、それが噂として広まっているのかはわからないわ。決めたのは昨日の午後で、噂になるのは早すぎる」




 わたしが首を傾げると、シエルが少し考える顔をした。




「それ、噂の出所はお祖父様かもしれない」




 ぼそりと呟く。


 噂は大公の孫である男爵令嬢がお妃様レースに参加するというものだったらしい。


 いき遅れているとか滅多に社交界に顔を出さないとか、明らかにわたしを指し示しているが、具体的に名前は出てこなかったそうだ。


 だが、聞く人が聞けばわたしだとわかる。


 そのため、シエルはいろいろ聞かれたそうだ。




「迷惑をかけたみたいね。ごめんなさい」




 わたしが謝ると、シエルは苦笑する。




「どうして姉さんが謝るの? 姉さんは悪くないでしょう?」




 小さく首を傾げてわたしを見る姿が、どこをどう見ても天使だ。


 思わず抱きつきたくなるが、ぐっと我慢する。


 貴族はあまりスキンシップを取らない。


 べたべたしないのが普通のようだ。


 だがわたしはシエルが可愛かったので、べたべたと触って、可愛がって育ててしまった。


 ぎゅーっと抱きしめるのは普通だったし、ほっぺにちゅうもたくさんしてきた。


 だがシエルが年頃になると、さすがに父に注意される。


 それ以来、触り過ぎないように気をつけていた。




(姉さん、貴方のためなら何でもしてあげるからね)




 さすがに口に出したら引かれるので、心の中でだけ呟く。




「とにかく、そういうことなのでシエルも一緒に王都へ行きましょう。そして、アークにも出来れば従者として付いて来て欲しいの」




 わたしはアークを見る。


 正直、自分を好きだと言ってくれた相手にお妃様レースの従者を頼むのは非常に心苦しい。


 だが、アークを残して行くのも違う気がした。


 それはそれで傷つける気がする。


 どちらも正解ではないなら、側にいて欲しいというわたしのわがままを今回は通すことにした。




「ええ。ぜひ」




 アークは頷く。


 そこに迷いがなかったことに、わたしはほっとした。


 そしてそんなわたしをシエルが何か言いたそうに見ている。


 だが、その時は口を開かなかった。














 シエルがやって来たのは夜だった。


 来ると思っていたので、わたしは驚きもせずに部屋に通す。


 だが、本来なら兄弟でも夜中に一人で異性に部屋に行くことはタブーだ。


 特別ねと念を押す。


 わかっているとシエルは頷いた。


 椅子に座って、わたしたちは向かい合う。


 シエルは何て切り出すか困った顔をした。




「アークに告白でもされた?」




 回りくどい言い方は止めたらしい。


 ずばっと聞いてきた。




「知っていたの?」




 わたしは問い返す。




「知っていた」




 シエルは正直に認めた。




「いつから?」




 尋ねると、シエルは苦く笑う。




「3年くらい前かな」




 そう言われて、さすがに驚いた。




「そんなに前から……」




 少なからず衝撃を受ける。


 シエルは困った顔をした。




「アークって、実はかなりモテるんだよ。貴族の従者として姉さんが教育したから動きが洗練されているし、働き者だし、背が高くて見た目も悪くないしね。でも告白されても、誰とも付き合わない。片っ端から断るから、誰か好きな人がいると思って問い詰めたら、姉さんだって白状した」




 説明してくれる。




「薄々気づいていたけど認めるとは思わなかったから、正直、驚いた。でも、一人で生きていくならオレが一緒でもいいんじゃないかと言われて、何も言えなくなったんだよね」






 ため息をつく。




「正直、姉さんがアークと付き合うのは複雑な気持ちになるけど、アークなら幸せにしてくれるとも思う。結婚しても近くに住むことになると思うし、他の誰かと結婚するよりはいいかなもしれない。ただ、簡単なことではないし、問題はたくさんあるけど」




 いつになく饒舌に、シエルは語った。


 気まずさを勢いで誤魔化しているのかもしれない。




「……姉さんはどうしたいの?」




 最後に、そう聞いた。


 わたしは困る。




「正直、よくわからない」




 素直に答えた。




「アークのことは好きよ。たくさん頼りにしてきたし、今でも頼っている。今回だって、ついて来てくれるのは心強い。でもそれが恋愛感情かと聞かれると困る。アークを恋愛相手として見たことなんて一度もないもの。別にドキドキとかワクワクがなくても結婚は出来るし、夫婦にもなれる。貴族の結婚なんて、感情より打算だしね。でもそれでいいのかなと迷う。何より、それはアークを不幸にするのではないかしら?」




 アークのことはシエルと同じように可愛いし、大切に思っている。


 だから不幸にはしたくなかった。




「じゃあ、どうするの?」




 シエルは尋ねる。




「……」




 わたしは返事が出来なかった。




「ずるいことを言っていい?」




 上目遣いにシエルを見る。




「いいよ」




 シエルは笑った。




「保留にしたい。断るのはもったいない気もするし、断って気まずくなるのは嫌。でも、OKも出来ない。だから、時間が欲しい。アークと結婚して夫婦になれるのか、ちゃんと考えてみる」




 正直な気持ちを話す。


 自分でもずるいことはよくわかっていた。


 しかし、簡単に決断できることでもない。




「いいんじゃない。姉さんは少しくらいずるくなったほうがいい。いつも僕のために自分が犠牲になろうとするけど、そんなの望んでいないから。お妃様レースに出るのも、僕を王都に連れて行くのためなんでしょう? 無理してそんなことしなくていいんだよ」




 シエルに心配な顔をされた。


 優しい子に育ったと、嬉しくなる。




「お祖父様にはわたしも一度お会いしたかったから、いいのよ。お母様から頼まれている伝言があるの。たぶんお祖父様は父親似の私のことはあまりお好きではないでしょうけど、伝えたいから」




 わたしの言葉にシエルは微妙な顔をした。




「ほら、また。今度はお母様のため? 誰かのためではなく、姉さんは姉さんのために生きてよ」




 叱られる。




「そうね。頑張ってみる」




 わたしは頷いた。












 さらに翌日、わたしは畑で会ったアークを呼び止めた。


 シエルに語ったことをそのまま話す。


 お妃様レースが終わって戻ってくるままで、返事を保留にさせて欲しいと頼んだ。




「わかりました。でもその間、オレは口説いていいんですか?」




 質問される。




「口説くってどんな風に?」




 わたしは確認した。




「こんな感じに」




 アークはぐいっと距離を詰める。




(近い、近いっ)




 急に近づかれて、わたしはびっくりした。


 心の中で悲鳴を上げる。


 後ずさった。


 そんな私にアークは苦笑している。




「口説いてもいいけど、一日一回までにしよう。あまりぐいぐい来られると、逃げたくなると思う」




 考えてみたら、生まれ変わってから28年間、わたしは恋愛をしていない。


 前世だってオタク道に慢心しすぎてたいした経験はなかった。


 恋に発展する可能性は自覚している分だけでも数回、捨て去っている。




(あれ? わたし、恋愛は意外と初心者なんじゃない?)




 今さら、気づいて衝撃を受けた。




「わかりました。一日、一回にします」




 アークは何故か嬉しそうな顔をする。


 約束してくれた。












 それから数日。


 わたしたち三人は出発の準備を整えた。


 祖父からの支度金には従者の分も入っていて、アークという働き手を半月近く失うジェームズおじいさんに渡す。


 人手が足りないときはその金でなんとかしてくれるように頼んだ。


 幸い、今は忙しい時期ではない。


 ジェームズおじいさんも快く送り出してくれた。


 こうして、わたしたちは祖父が迎えによこした馬車に乗って、王都に向かった。


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