第503話 閑話: 参加者
彼女は貴族としてはそこそこの地位に親がいた。
爵位は伯爵なので、それほどでもない。もっと上位の貴族なんて王都にはたくさんいた。だが、彼女の父には商才があった。自分の家の資産を食い潰すのではなく、自らの才覚で増やす。他の貴族に比べて、彼女の家はずっと豊かだ。
そんな家の一人娘として、彼女は大切に育てられる。少々、甘やかしすぎたと親は後悔しているらしいが、そんなことは彼女の知ったことではない。
彼女が社交界にデビューしたのは2年ほど前だ。そこでとても見目麗しい青年を目にする。それがいろんな意味で有名な双子の王子であることは直ぐにわかった。
皆が遠巻きに眺めている。
王子達にはいろんな噂があった。
執務面ではとても有能らしい。近年、何かと話題に上がることが多い学校制度は彼らが主導で行われていると聞いた。将来、国王となるべき器量が十分あることを自ら証明している。だが仕事が出来ると褒め称えられる一方で、社交での評判は最悪だ。
誰も寄せ付けず、誰とも親しく言葉を交わすことがない。それは女性に対してだけではなかった。同性に対しても同様だ。そんな2人を変わり者だと周りは評価する。さすが、変わり者の妃の息子達だと。
だが、彼女はそんな王子達に恋をした。
誰にも優しくないなら、ちょうどいい。誰にでも優しい相手なんて、彼女は嫌いだ。
父親に、王子と見合いをしたいと頼む。
だが、父はその願いを鼻で笑った。跡継ぎの娘を嫁に出すつもりははなからない。娘が我侭な分、できた婿をもらうつもりでいた。王子を婿になんてもらえるわけがないし、自分の娘が妃なんて上等なものになれないことを父親は知っている。
だから、見合いを申し込んだことはなかった。そもそも、伯爵家の娘が王子との結婚を望むなんて分不相応でもある。
今の皇太子妃はもともとは男爵令嬢だが、そこには特殊な事情があった。大公家の娘の子供でもあるのも大きい。大公家の養女として、王子とつり合う身分にすることが出来た。
彼女の父は娘にきちんとそれを説明した上で、見合いは申し込まないことを告げる。
彼女も一度はそれで納得した。申し込んだところで、王子がそれを受けないことは彼女も知っている。毎年、王子は見合いの話を全て断っていた。
だがその状況が去年、変わる。
お妃様レースの開催を前提に、突如、王子は申し込んだ全員と見合いをした。結局、見合いでは誰も選ばれなかった。しかし、申込をしたことがない者にはその舞台に上がることさえ許されなかった。
そのことに、彼女は忸怩たる思いを抱く。
そして、お妃様レースに並々ならぬ闘志を燃やした。
見合いの舞台には乗れなかったが、お妃様レースになら参加できる。
彼女は今日という日にかけていた。
彼女は縄梯子を見上げた。
(最悪だ)
心の中で毒づく。
10ほど並んだ三階の窓から、縄梯子がだらりと下りていた。彼女はそれが縄梯子という名前であることさえ知らない。だが、どうやって使うのかは登っているほかの令嬢を見て理解した。
縄梯子を前に、令嬢達の反応は二つに分かれる。
果敢に挑む者と、諦めてそこに立ち尽くす者。ほとんど令嬢はとりあえず、立ち尽くした。三階の窓を恨めしげに見上げる。
だが、いくら見上げたところで窓が近づいてくるわけがない。だが登らなければ、即、棄権となるわけでもなかった。救済処置はある。このミッションを飛ばして、レースを続行することは出来た。ただしその場合、順位は下がる。実際のタイムには関係なく、縄梯子を登って降りてきたものの後になるそうだ。つまり、縄梯子を登った令嬢が25人を越えていたら、登らなかった人間はその時点で予選敗退が決まる。登らなければ不利になるのは明らかだ。その説明を聞いて、悲鳴を上げながらも梯子にチャレンジする令嬢が増える。
彼女もそんな一人だ。だが、慣れない梯子は簡単には登れない。 三段ぐらい登ると、動けなくなった。
係りの人間に強制的に下ろされる。10秒以上立ち止まると、強制的に排除されるシステムになっていた。立ち往生されるのは困る。そして、チャンレジ出来るのも無制限ではなかった。三回、強制的に下ろされたらその時点でチャレンジ資格を失う。
結局、彼女は縄梯子をクリアできなかった。
ただし、棄権はしていないのでその後もレースには参加する。だが、それはただただ大変なだけだった。
平均台のような細い場所を歩かされたり、ハードルのようなものを飛ばされたり。普通ではないことをいろいろさせられる。
そうやって何とかゴールした彼女に待っていたのは、三十何位という、予選落ちの結果だった。
(一体、わたしは何のために……)
後悔か募る。
レースに参加する時、父親に止められたことを思い出した。
皇太子妃が考えるレースが、普通なわけがない。大変な思いをするだけだから止めておけと言われた。
父親の言うとおりだ。
落ち込んでいると、両親が迎えに来る。
「お父様、わたし……」
父親を見て彼女は泣きそうになった。
だから言っただろうと、呆れた顔をされることを覚悟する。
「頑張ったじゃないか」
だが、思いもかけない言葉をかけられた。
「正直、直ぐに諦めて棄権すると思ったよ」
父親はいつになく上機嫌だ。にこにこと笑っている。
「レースはどうだった? 楽しかったか?」
質問された。
「最悪でした。わたくし、自分が何も出来ないことを初めて知りました」
彼女はわがままだが、愚かではなかった。家庭教師に習ったことはちゃんと覚えている。読み書きも計算もばっちりで、実は予選の予選である筆記試験の成績だけみれば上位の方にいた。筆記試験の合格者は自分の順位を教えられている。だから彼女は自分が出来る子だと思い込んでいた。
実際、貴族の令嬢として彼女は悪くない。
しかし、その自信は今日、打ち砕かれた。自分が出来ることなんてほんの一部で、実際には出来ないことの方が多いと知る。
「そうか。それは良かった。さすがマリアンヌ様だな」
父親は笑った。それは好意的な笑みに見える。
そんな父親を彼女は不思議そうに見た。
「皇太子妃は変わっていると有名で、あまり評判がよろしい方ではないですよね?」
声を潜めて、尋ねる。不敬である自覚はあった。
「他人の評価は知らないが、少なくても、商売をする人間にとって、マリアンヌ様は素晴らしい方だ。あの方が嫁がれてから、王都での商売はずっとしやすくなったよ」
商才がある父は平民との付き合いが多い。父の商売相手は、ほとんど平民だ。プライドだけ大事にして実のない貴族達との付き合いより、平民達との付き合いを好んでいる。考え方が、貴族より商人に寄っていた。
「そんなマリアンヌ様でさえ、苦労するのが王家だ。お前にはとても務まるまい」
父親はゆっくりと首を横に振る。
彼女は初めて、父の本心を知る。王家に嫁ぐのは、お妃様レースなんてものよりずっと大変なことを知った。
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