第285話 第七部 第四章 2 臨月
臨月が近づくと、わたしの周りはざわざわした。
わたしも落ち着かないが、わたし以上に周りが落ち着かない。
産婆さんはいつ産気づいても大丈夫なように、王宮にずっと待機していた。
万全の準備が整えられる。
出産は一大事だ。
新たな生命を産み落とすことが簡単なことであるはずがない。
わたしの前世でさえ、出産は危険が伴うことだった。
この世界の医術レベルでは危険はさらに跳ね上がる。
実際、わたし自身が産後の肥立ちが悪くて母を亡くしていた。
危険であることはよくわかっている。
そんなわたし以上にラインハルトは心配していた。
母子ともに命を落とす可能性もあることをばあやに聞かされる。
さらに不安を煽るように、とあることが数ヶ月前に判明していた。
わたしのお腹にいるのは一人ではないらしい。
双子の可能性が高かった。
もちろん、この世界にはエコー検査なんてない。
胎児の姿を視覚的に見ることは出来ないので、確実ではなかった。
だが数ヶ月前、お産婆さんが異変に気づく。
しばらく口にするの迷った末、お腹の中にいる胎児は一人ではない可能性を示唆した。
わたしの周りにはそういう事例がなかったので知らなかったが、この世界でも双子はごくごく稀に生まれてくるらしい。
だがほとんどの場合は未熟児で、この世界の医術では育つのは難しいそうだ。
そのため、ほとんどの人は双子が生まれてくることを知らない。
お産婆さんも長い経験の間に一度あっただけだそうだ。
その時はかろうじて一人は助かったが、もう一人はダメだったらしい。
それを聞いて、ラインハルトは青ざめた。
気持ちはわたしもよくわかる。
初産でただでさえ不安なのに、双子かもしれないと言われて動揺した。
だが、わたしが動揺した理由は出産に対する不安だけではない。
前世で漫画や小説をよく読んでいたわたしには頭に浮かぶダークなイメージがある。
双子は縁起が悪いからと、片方の子供が不遇な思いをするパターンだ。
その可能性を疑う。
ラインハルトに聞いた。
だが、王族に双子が生まれた前例はないらしい。
ラインハルトはわからないと困惑した。
仕方なく、後日国王に確認する。
双子が生まれた場合、どうなるのか聞いた。
だがやはり、明確な答えは返ってこない。
誰もわからないようだ。
わたしは不安になる。
結局、出産を目前に控えた現時点でも答えは出ていなかった。
無事に2人生まれてきた後に考えようということになったらしい。
(考えるって何?)
わたし的にその返答は不満だ。
不信感でいっぱいになる。
だがそれは出産を控えて、わたしが精神的に不安定になっているからかもしれない。
自分が冷静な判断が出来ているのかどうか、わからなくなっていた。
「はあ……」
わたしはため息をつく。
ここ数日、出産が近いということでわたしは何もさせてもらえなかった。
ただ椅子に座っている。
気が紛れることがなく、逆にしんどかった。
何かしたい。
だがそう訴えても、誰も話を聞いてくれなかった。
理由はわかっている。
万が一のことがあったら、責任問題になるからだろう。
自分のせいで誰かが迷惑を被るのはわたしも本意ではない。
結果、座って出来るという理由で刺繍をしていた。
メアリがそれに付き合ってくれる。
隣で一緒になって刺繍をしていた。
それはわたしよりずっと綺麗に出来上がっている。
「メアリって、器用よね」
わたしは感心した。
女性のたしなみ的なことは一通り、メアリは出来る。
中身が男性だとわかっているわたしでさえ、嫁に欲しくなるレベルだ。
「侍女として必要なスキルですから」
メアリは答える。
その答えに、わたしは複雑な気持ちになった。
メアリが女装して侍女として働いている理由をわたしは知らない。
メアリは説明しなかったし、わたしも聞かなかった。
人にはいろいろ事情がある。
安易に踏み込むことは出来なかった。
「メアリは……」
メアリとして生きることが幸せなのか、聞きかけて止める。
そんなこと、聞いても意味がないことに気づいた。
幸せでもそうでなくても、メアリはメアリとして生きなければならない。
それはたぶん、メアリ以外の誰かが決めたことだ。
「何ですか?」
メアリは尋ねる。
「何でもない」
わたしは答えなかった。
「早く産んで、楽になりたい」
話題を変えるように、ぼやく。
「そうですね」
メアリは頷いた。
この10ヶ月近く、メアリはほとんどわたしと一緒にいる。
お腹の中で胎児が育っていくのを見ていた。
感慨はひとしおらしい。
わたし以上に出産を心待ちにしていた。
「最初は男の子じゃないと困ると思ったけど、ここまでくるともう男の子でも女の子でも、元気ならそれでいいわ。無事に生まれてくれるだけでいい」
ため息混じりにわたしは呟く。
「大丈夫ですよ」
メアリは励ましてくれた。
優しく微笑む。
見た目は美少女に微笑まれて、悪い気がするわけない。
「メアリが側にいてくれた方が心強いわ」
わたしは笑った。
「それ、ラインハルト様が聞いたら悲しみますよ」
メアリは苦笑する。
「もちろん、本人の前では言わないわ」
わたしは首を横に振った。
「でも、隣で青ざめた顔をされると不安になるの」
わたしはやれやれと息を吐く。
ラインハルトはここ数日、ずっと落ち着かなかった。
心配しすぎて、顔色も悪い。
そんなラインハルトを見ていると、わたしの方が不安になった。
そのため、仕事を休んで側についているというラインハルトの申し出をわたしは断る。
むしろ、仕事して欲しかった。
そんなことをつらつらと考えていたら、腹部に痛みが走る。
陣痛が始まった。
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