第176話 第五部 第三章 6 小さな幸せ
自分の存在がわたしを危険にさらすことになるかもしれないことに、シエルはショックを受けていた。
とても傷ついた顔をする。
そんなシエルを見て、ローキャスターは申し訳ない顔をした。
ちらりとわたしを見る。
わたしは小さく頷いた。
話してもらえて良かったと思っている。
もし本当に裏で糸を引いているのが第二王妃だとしたら、シエルの存在が気持ちを逆なでしていることは十分に考えられた。
シエルはあまりに母に似ている。
母を知る人は母を思い出さずにはいられないだろう。
結婚式後、なりふり構わなくなった理由も納得できた。
シエルはわたしの結婚式で初めて、公の場に顔を出した。
社交界にデビューはしているが、それはあくまで田舎の集まりの話だ。
王都の集まりに出たことはない。
母に似た姿を、結婚式で初めて目にした人は少なくないだろう。
第二王妃もその一人かもしれない。
「……」
シエルは黙り込んだ。
「余計なことを口にしました。すいません」
ローキャスターは謝る。
「いいえ」
わたしは首を横に振った。
「話を聞かせてくれてありがとう」
礼を言う。
「デザインの方もよろしく」
そう付け加えた。
ローキャスターは驚いた顔をする。
「あのデザインは本気なのですか?」
聞きにくそうに、尋ねた。
自分を招くための口実だと思ったらしい。
「本気です」
わたしは頷いた。
「そうですか。検討します」
ローキャスターは約束する。
庭を一周して、わたし達は室内に戻った。
わたしはシエルの手を握ったまま、離さない。
シエルはそんなわたしに困った顔をした。
ローキャスターはわたしのデザイン画を持って、帰って行く。
見送りはアントンに任せて、わたしはシエルと二階の部屋に向かった。
「メアリ、お茶を入れてくれる?」
ソファに座りながら、わたしは頼む。
「はい」
メアリはお茶を淹れるため、部屋を出て行った。
「姉さん」
シエルがわたしを呼ぶ。
ずっと何か言いたそうにしていた。
「予定を切り上げて帰るとかはなしよ」
言われる前に、わたしが言う。
シエルが何を言い出すかわかっていた。
想像するのは難しくない。
わたしに迷惑をかけないよう、帰ると言い出すことだろう。
だが、わたしはそれを認めるつもりはなかった。
標的はわたしだけとは限らない。
シエルも狙われる可能性があった。
離れていたら、守ることが出来ない。
側にいてくれる方がわたしが安心だ。
「でも、僕はいない方が……」
言いかけた口をわたしは指で摘んだ。
強制的に口を塞ぐ。
「シエルがいない方がいいことなんて、わたしにはないわ。お願いだから、側にいて。わたしがいないところでシエルに何かあったら、わたしは自分を許せない。妊婦に心労をかけたくないなら、大人しくわたしの側にいてちょうだい」
わたしは頼んだ。
「姉さん……」
シエルは困った顔をする。
そこにメアリがお茶を運んできた。
茶葉のいい香りが漂う。
悪阻の時はこの香りも微妙だったが、今は平気だ。
体調も落ち着いている。
「とりあえず、お茶にしましょう」
わたしは微笑んだ。
のんびりお茶を飲みながら、わたしはいろいろ考えてえていた。
ちらりとシエルを見ると、沈んだ顔をしている。
弟にこんな顔をさせるなんて――と、胸が痛んだ。
それと同時に、重苦しい気持ちになる。
シエルが狙われる可能性もあることは、わたしに今まで以上の恐怖を与えた。
自分が狙われるよりずっと怖い。
このままにはしておけないと思った。
ため息を誤魔化しながら、お茶を飲む。
こんな時でもお茶は美味しかった。
なんともほっこりとした気分になる。
お茶菓子のクッキーも美味だ。
(美味しいお菓子があって、美味しいお茶があって。それだけでわたしはけっこう幸せになれるんだけど、それじゃ駄目なのかな?)
そんなことを思う。
「ねえ、メアリ」
わたしはメアリに呼びかけた。
「……」
メアリは眉をしかめる。
嫌な予感がするようだ。
返事をしない。
そんなわたしとメアリを、シエルが戸惑った顔で見た。
「メアリ」
もう一度、わたしは呼ぶ。
「なんでしょう?」
メアリは渋々返事をした。
「第二王妃様をお茶に招くことは出来ないかしら?」
小さく首を傾げて尋ねたわたしに、メアリは心底に嫌な顔をする。
「?!」
シエルはひどく驚いた。
頭が痛いというように、額に手を当てる。
「姉さん」
ため息混じりにわたしを呼んだ。
だがそれをわたしは手で制する。
何も言わせなかった。
「そういうことはアントンに聞いてください」
メアリは答えるのを拒否する。
執事に振った。
そんなメアリにわたしは口を尖らせる。
「じゃあ、アントンを呼んで」
命じた。
メアリ呼ばれて、アントンが来る。
わたしは第二王妃をお茶に招待したいと話した。
「……」
アントンはなんとも微妙な顔をする。
「それは何故でしょう?」
理由を聞いた。
アントンはわたしが第二王妃を疑っているのを知らない。
理由を聞かれるとは思わなかったので、戸惑った。
「話をしてみたいからよ」
わたしは答える。
それは本当だ。
第二王妃と話をしてみたい。
考えていることを知りたいし、分かり合える部分を探してみたかった。
出来ることなら、仲良くしたい。
「それは……」
アントンは迷う顔をした。
「お勧めできません」
首を横に振る。
「どうして?」
わたしは尋ねた。
「おそらく、王妃様はマリアンヌ様を快く思っていないでしょう」
アントンは答える。
(知っている)
わたしは心の中で答えた。
何も知らないはずなのに、核心を突いているアントンの言葉に苦笑を漏れる。
「わたしが嫌われているのはそんなにわかりやすいのかしら?」
問うた。
アントンは違うと首を横に振る。
「第二王妃様は誰のこともお嫌いです」
その言葉に、周り中に喧嘩を売る姿を想像してしまった。
「それは生き難いでしょうね」
わたしは同情する。
「……」
アントンはきょとんとした。
「王妃様のことをそんな風におっしゃっる方は初めてです」
驚く。
「人とケンカするのって、エネルギーがいるのよ。わたしはそれが面倒だから、仲良くしちゃおうってタイプ」
わたしはからからと笑った。
「そんな風に考えていたの?」
シエルは驚いた顔をする。
「そうよ」
わたしは微笑んだ。
「わたしはいい人なんかじゃないって、何度も言っているでしょう? ケンカするより、仲良くした方が楽だからできるだけ仲良くしたいなと思っているの。好きではない相手のことで煩わされたくないのよ」
わたしの本音にアントンも笑った。
「王妃様もそのように考えられる人だったら、もっといろいろ違っていたのでしょうね」
気の毒そうに言う。
「その言い方だと、まるで人生が終わったように聞こえるわ。生きている限り、人生は続くのに。これから変えていけばいいじゃない」
わたしは簡単に言った。
だがもちろん、簡単なことだなんて思っていない。
性格はなかなか変えられないものだ。
だが、変えることが不可能なわけでもない。
「マリアンヌ様は清々しいくらい前向きですね」
アントンの言葉に、わたしはふふっと笑いをこぼした。
「わたしね、自分のことは信じることにしているの。他の誰もわたしを信じてくれなくても、わたしだけはわたしを信じるって決めているのよ」
だから簡単に諦めたりしないし、投げ出さない。
やってみたら出来るかもしれないなら、チャレンジするべきだ。
「マリアンヌ様らしいですね」
アントンは頷く。
それから、真面目な顔をした。
「第二王妃様をお茶にご招待するなら、十分な根回しが必要です。まずはラインハルト様とご相談ください」
尤もなことを言う。
「わかったわ」
わたしは頷いた。
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