第175話 第五部 第三章 5 悪影響



 わたしとシエルは顔を見合わせた。


 母の名前が出て、驚く。


 意味がわからなかった。




「何故、母の名前が出てくるんですか?」




 わたしは尋ねる。


 王妃と母に関係があるとは思えなかった。




「……」




 ローキャスターは困った顔をする。


 言い難いようだ。


 その気持ちはわからないわけではない。


 場所を変えた方がいいかもしれないと思った。


 わたしは何気なく庭に目を向ける。


 花が咲き誇っていた。


 わたしが手入れをしているわけではないが、見事だといつも思う。




「庭の花がちょうど見ごろです。少し、庭を歩きませんか?」




 わたしは誘った。


 ローキャスターは一瞬、戸惑った顔をする。


 だが、直ぐに意図に気づいた。




「そうですね」




 頷く。


 わたし達は庭に出た。


 シエルがわたしをエスコートする。


 メアリとローキャスターの従者は少し離れたところに立っていた。


 2人に声が届かないところまで、わたし達は歩く。


 だが、姿は見えるようにしていた。


 メアリの視線を感じる。


 わたしは振り返って、メアリがそこにいることを確かめた。


 目が合う。


 わたしは小さく頷いた。


 ローキャスターを見る。




「先ほどの続き、いいですか?」




 囁いた。


 ローキャスターはこくりと頷く。




「マリアンヌ様は母君のことをどこまでご存知ですか?」




 問われた。




「正直に答えれば、何も」




 わたしは静かに首を横に振る。




「母は実家のことも王都のことも何も話さない人でした」




 もしかしたら、故意に隠していたわけではないのかもしれない。


 話すタイミングがなかっただけのような気もした。


 母はいつも楽しそうに、庭の花や道端から見える畑の作物の話しをしてくれた。


 少なくとも、王都を恋しがったり寂しがったりする様子をわたしに見せたことはない。


 母はランスローでの暮らしを気に入っているようにわたしには見えた。


 だがそれがあくまでもわたしの主観だ。


 母の本当の気持ちは母にしかわからない。


 わたしには想像するしかなかった。




(シエルが言ったように、わたしに人の心が読めるというチートな能力があったらよかったのに)




 そんなことを思って、苦く笑う。




「そうですか」




 ローキャスターはただ頷いた。




「フローレンス様は王都の華と呼ばれるほど綺麗な方でした」




 社交界にデビューする前から、母がいかにあちこちでもてはやされたのかをローキャスターは教えてくれる。


 母と同世代で、母のことを知らない人はいないそうだ。


 それくらい、パーティでは引っ張りだこになっていたらしい。




(大公家の娘で、あれくらい美人なら当然かも)




 わたしは納得した。




「そんなに有名だったとは知りませんでした」




 驚く。


 母は社交界にデビューして程なく家を出たと聞いていた。


 あまりパーティには参加しなかったようなことを言っていたように記憶している。


 有名だったなんて思いもしなかった。


 母のことをほとんど覚えていないシエルはどこか他人事のようにその話を聞いている。




「そんな話、わたしにする人はだれもいませんでした」




 わたしは独り言のように呟いた。




「それは……」




 ローキャスターは苦笑する。


 何を言いたいのかわかった。




「わたしを見て、母を思い出す人はいませんものね」




 言い難いであろうことを、わたしは自ら口にする。


 わたしが母に似ていないことはよく知っていた。


 ローキャスターは肯定するように頷く。




「フローレンス様は大変お綺麗な方でした。ですが、高嶺の花で近づく者は少なかったと思います。何より、王家に嫁ぐことが決まっているという噂がありました」




 説明を続けた。




「でも実際は家出して、辺境地の男爵家に嫁ぎました」




 わたしは苦く笑う。




「それは誰もが驚きました」




 ローキャスターは苦笑した。




「でも、噂だけではなく本当に現・国王に嫁ぐことが決まっていたことはご存知ですか?」




 わたしに問う。




「ええ。わたしの嫁入り道具のほとんどは母が嫁ぐために誂えたのです」




 わたしの言葉にローキャスターは目を見開いた。




「そうなんですね」




 感慨深い顔をする。


 奇妙な縁を感じたようだ。




「フローレンス様が家を出られたので、王家に嫁ぐ話は立ち消えになりました。代わりに国王に嫁ぐことになったのが今の第二王妃様になります」




 小声で囁く。




「つまり、母の身代わりってことですか?」




 わたしは問うた。




「王妃様はそうお考えのようです」




 ローキャスターは頷く。




「それは、母を恨んでいそうですね」




 わたしは困った顔をした。




「そんな単純な話ではないのかもしれません」




 ローキャスターは小さく首を横に振る。


 第二王妃は母に対し、かなり複雑な感情があるようだ。


 嫉妬や羨望や憧憬など、一言ではとても言い表せない思いを燻らせているらしい。




「それでも、国王に嫁いで王子を産んだことでその感情はだいぶ和らいでいたように思えます。王妃様はただただ、ご自身のお子様を次の国王にするためだけに頑張っておいででした」




 それを聞いて、わたしはなんとも言えない気持ちになった。




「マルクス様を国王にすることが、王妃様のたった一つの希望だったのですね」




 ため息がこぼれる。


 それを打ち砕いたのが自分だと思うと、心が痛んだ。


 そんなわたしにローキャスターは複雑な顔をする。




「私が言うのもなんですが、マリアンヌ様が悪いわけではありません」




 苦く笑った。


 自分がやったことを省みて、気まずそうにする。


 わたしも苦く笑うしかなかった。




「もともと、マルクス様は第二王子です。生まれた時から、王位継承は微妙な立場でした。第三王子が生まれてからは、国王様は露骨にラインハルト様を贔屓していましたし、誰もが次の国王は第三王子だろうと思っています。ですが、王妃様は諦められなかったのだと思います。……私達も」




 ローキャスターの言葉はいろいろ重かった。




 わたしはラインハルトに国王になって欲しいわけではない。


 自分が王妃になりたいとも思っていなかった。


 だが、それをここで口にしてはいけないのはわかる。


 わたしが望む望まないに関わらず、ラインハルトが国王になることはすでに規定路線だ。


 わたしの感情はそこに関係ない。


 それは誰もがわかっていた。




「わたしがお母様の娘でなければ、王妃様も少しは心穏やかでいられたのかしら?」




 わたしの呟きにローキャスターは首を傾げる。




「それはどうでしょう。同じかもしれません」




 答えた。


 誰であろうと、第三王子の妃となりその子を産む女は第二王妃にとっては敵だ。




「ただ、マリアンヌ様がフローレンス様の娘であることは王妃様の感情に悪影響を与えていることは確かだと思います。それに……」




 ローキャスターはシエルを見る。


 シエルはビクッとした。


 何を言われるのか、聞かなくてもわかるのだろう。


 わたしはシエルの手を握った。


 シエルはわたしを見る。


 小さく笑った。


 手を握り返してくれる。




「シエル様は似すぎています」




 ローキャスターは渋い顔をした。




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