第469話 外伝5部 第一章 5 緊張 2
昼間のお茶会から帰ってきた母はすでに疲れていた。
「はあ……」
深いため息をつく。軽く軽食を摘み、休む間もなくパーティのために着替えに行った。
その母をメイドたちが追いかける。
十数分後、母は華やかなドレスを着て戻ってきた。普段はあまり装飾品などを好まない人だが、今日はいろいろつけている。そういうものは自分には似合わないというのが母の口癖だが、エイドリアンはそうでもないと思っていた。
わりと似合っているし、十分に綺麗だ。王族っぽくも見える。
だがそういう母を見ても父は誉めない。それはとても不自然だ。
息子から見ても父は母を溺愛している。普段から何かと誉めるし、見ているこちらが居たたまれないくらいべたべたと触れることも多かった。
しかし着飾った母には妙に素っ気ない態度を取る。
子供心に、そういう父を不思議に思った。何故誉めないのか、尋ねたことがある。女性は誉めるものだと、エイドリアンはマナーの講師に教わっていた。
すると父は、母は着飾る必要なんてないと答える。そんなことをしなくても母は十分に魅力的だし、着飾った姿を他の男達に見せるのは腹立たしいと不機嫌な顔をした。
そんな父にエイドリアンは引く。恋や愛は聡明な父さえ愚かにするのだと怖くなった。
自分にも、そんな風に思う相手が出来るのだろうかと考えてしまう。
そういう相手に出会いたいような、出会いたくないような、複雑な気持ちになった。
「似合っていますよ」
着替えた母をエイドリアンは誉める。隣に並んだ。
いつの間にか、母の身長を追い越している。目線はもう自分の方が高かった。
母は嬉しそうな顔をする。
「エイドリアンはちゃんとしているのね」
逆に誉められた。
「社交が嫌いなわたしが言うのもなんだけど、アドリアンもオーレリアンもパーティに興味がなくて。せめてエイドリアンくらいはまともに社交に勤しんでくれたら嬉しいわ」
そんなことを言われる。
「母様が望むなら」
そう答えた。
何をしても兄達には適わないけれど、自分が役に立てるなら嬉しい。
そんな考えが顔に出ていたのかもしれない。
母の手が伸びて、頬に触れた。
「エイドリアンは優しい子ね。でも、無駄に気負う必要はないのよ。あなたが楽しく過ごしてくれれば、それが一番だわ」
優しい声が囁く。
「社交界デビュー、おめでとう」
にこりと母は笑った。
パーティ会場で、母は直ぐに貴族達に囲まれた。
次々に娘を紹介されている。
にこやかにそれに対応しているが、その笑顔は引きつっていた。
そんな母の側からすっと兄達は離れる。人ごみを避け、壁際の方へ向かった。そこにはテーブルが置かれ、料理が並んでいる。たいていのパーティでは料理はほとんど飾りのようなものらしい。置いてあっても、誰も手をつけないのが普通だ。みんな、他のことで忙しい。料理を摘む暇があるなら、人脈作りに勤しむのが貴族としての正解なのだろう。
だが兄達は料理を摘んでいた。その姿は仲睦まじい。アドリアンは自分が美味しかったものをオーレリアンにも食べさせようと、その口元に差し出した。
オーレリアンは苦笑しながらも、それを食べる。
2人の世界が出来上がっていた。周りはとても声を掛けづらい。
話しかけたい令嬢達が、遠巻きに2人を取り囲んでいた。
兄達は素知らぬ顔をしているが、たぶん気づいているだろう。知っていて、無視していた。
関わりを持つ気はないらしい。下手に縁を作ると厄介なことも知っていた。
(さて、どうしよう)
エイドリアンは考える。
兄達との所に行ってもいいし、母の隣で挨拶に来る令嬢たちと会話してもいい。
だが兄達の妻になりたい令嬢の相手を自分がするのは違う気がした。
くるりと会場を見回す。
パーティに慣れていなさそうな数人がグラスを片手にうろうろしているのが見えた。所在無げに、自分の居場所を探している。
(同じだな)
エイドリアンは親近感を覚えた。
自分もグラスを受け取り、彼らに声をかける。
「こんにちは。パーティは初めてですか? 私もです」
にこやかに微笑んだ。
「エイドリアン様」
驚いたように、名前を呼ばれる。
「よくご存知ですね」
エイドリアンは微笑んだ。もっと緊張するかと思ったのに、すらすら言葉が出てくる。自分が意外と肝が座っていることをエイドリアン自身、初めて知った。
「もちろんです。皇太子様のご子息を知らないわけがないですわ」
派手なリボンを髪に飾っている少女が答える。
「有名なのは兄達だけですよ」
エイドリアンは首を横に振った。そんな謙虚な姿に、そこにいた誰もが好感を持つ。
自然と人が集まってきた。
いつの間にか、エイドリアンを中心に輪が出来る。
初めての社交をエイドリアンは上手にこなしていた。
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