第535話 外伝7部 第一章 4 嘘と真




 その発表はパーティの後半に行われた。


 ラインハルトを適当に追い払って、マリアンヌは女性達との社交に勤しむ。


 苦手だからと、いつまでも逃げるわけにはいかなかった。


 すると突然、トルスト侯爵夫妻がみんなの注目を集める。




「実は今日、皆様に発表があります」




 トルスト侯爵は嬉しそうに声を張り上げた。




「私と妻の間に生まれた次男が、もう直ぐ7歳の誕生日を迎えます。誕生日当日にはお披露目のパーティを予定しておりますが、その前に皆様にご紹介させていただきます」




 そう言うと、2人は自分達の間に男の子を呼び込んだ。


 その子は長男が手を引いて連れてくる。


 侯爵に良く似た男の子だった。長男はどちらかといえば夫人に似ているが、次男は侯爵をそのまま小さくした感じだ。間違いなく、侯爵の子供だとわかる。




 他の領主夫人達と話をしていたマリアンヌは酷く驚いた。


 だが、驚いたのはマリアンヌだけではない。




「まあ」




 他の領主夫人達からも驚きの声が上がった。




(わたしだけが知らなかったわけではないのね)




 マリアンヌは少しほっとする。




 この国では医療はまだまだ進んでいない。乳児の死亡率はそれなりに高く、子供の致死率も決して低くなかった。無事に成長する子供は半数を切ることがある。もちろん、貴族の子供の方が確率的には高かった。だが、確実ではない。だから、貴族の子供はある程度大きくならないとお披露目を行わない。7歳の誕生日を盛大に祝い、その時、周りに紹介するのが普通だ。それまでは家族や親戚など、ごく親しい人しか子供の存在を知らないことが多い。今日、招待された領主達もその子の存在は知らなかったようだ。




(案外、夫婦仲はいいのかもしれない)




 次男を間に挟み、微笑み合うトルスト侯爵夫妻を見て、マリアンヌはそう思った。


 侯爵夫妻の関係は事務的なものだと思っていたので、戸惑う。長男が15歳くらいのはずなので、7歳というとだいぶ年が離れていた。長男が生まれると没交渉になる貴族の夫婦は少なくない。跡継ぎが生まれた後も性交渉を続ける必要がないからだ。だが少なくとも、夫妻はそうではなかったらしい。




(もしかして、わたしが知る前提条件が間違っているのかもしれない)




 ふと、そう思った。




「皆様はご存知でした?」




 マリアンヌは思わず、領主夫人達に尋ねる。




「いいえ、何も」




 ほとんどの女性は否定する。


 だが一人だけ、微妙な顔をした人がいた。




「わたしもご子息のことは知りませんでしたが、トルスト侯爵夫妻の関係は噂で聞くようなものとは違うのではないかと思っていました」




 打ち明けるように、こそっと話す。




「どうしてですの?」




 マリアンヌは尋ねた。




「実は以前から、夫妻は仲がいいと感じていたので」




 彼女は答える。


 彼女によれば、夫妻が互いを気遣っている姿は度々、見かけるらしい。


 それは事務的な感じとは程遠く、もしかしたら2人は本当に互いを思い合っているのかもしれないと察していたようだ。




「でもわたしも噂はいろいろ聞いていたので、何が本当なのかよくわからなくて」




 言葉を濁す。


 その気持ちはマリアンヌにもよくわかった。


 ラインハルトを好きだったのではないかと、突っ込みたい気持ちで一杯だ。




「噂はあくまで噂なのかもしれないですわね」




 マリアンヌは苦く笑った。












 パーティは和やかに、それでいて盛り上がって終わった。


 人々の関心はお披露目された次男に集中する。


 当の本人は紹介が終わると、遅い時間だからと早々に引っ込んでしまった。長男が連れて行く。どうやら、兄弟の仲はかなりいいようだ。微笑ましい。


 それから程なくしてパーティはお開きになり、他の領主夫妻は帰って行った。宿泊するラインハルト一行だけが残る。


 マリアンヌはメリーアンを寝かしつけるため、一旦、その場を離れた。


 ぐっすりとメリーアンが寝たのを確認してから部屋を出ると、夫人が待っている。




「わたしと話したいのではないかと思って」




 そう言って、微笑んだ。


 その笑みはとても晴れ晴れとしていて美しかった。もともと、彼女は綺麗な人だ。ラインハルト絡みで醜聞があったが、それ以外では普通に評判もいい。貴族としてランクわけしたら、自分より確実に上だとマリアンヌは思っていた。




「ええ。いろいろ聞きたいわ」




 マリアンヌは頷く。


 2人は夫人の私室に向かった。そこにはソファはあるがベッドはない。




「寝室はもしかして、ご夫婦一緒なのかしら?」




 わたしの問いに、彼女は少し頬を赤らめた。




「ええ。そうよ」




 頷く。




「知らなかったわ。仲良しなのね」




 マリアンヌの言葉をどういう意味に取ったのか、夫人はただ笑った。




「座ってくださいませ。ちょっとした昔話をお聞かせしますわ」




 そう言われて、マリアンヌはソファに座る。実は興味津々だ。




 彼女は自分と夫のことを話し始める。


 彼女達の結婚は当然のように政略結婚だった。マリアンヌは知らなかったが、お妃様レースが終わってラインハルトの婚約が発表されて直ぐ、彼女は強制的にトルスト侯爵家に嫁いだらしい。それは彼女にとってはもちろん本意ではなかった。最初は子供が出来れば自分はお役ごめんだろうくらいに考えていたらしい。だが、それが簡単なことではなかった。




「半年経っても1年経っても、わたしは身篭れなかった。夫とはちゃんと子作りに励んでいたのに。どうやら、子供が出来難い体質だったみたいで……」




 夫人は言葉を濁す。




(この世界には不妊なんてないと思ったのに、違ったのか)




 周りが隠すだけなのかもしれないと、マリアンヌは気づいた。




「2年経っても子供が出来ないと、義理の両親がいろいろと煩くなってきたの。政略結婚なのでさすがに離縁の話は出なかったけど、夫に愛人を持つように周りが勧めてきたわ」




 彼女は眉をしかめる。




「でもその頃には、わたしと夫の間には愛情が芽生えていたの。わたしもあの人も心情的にそれを受けいれられなかった。結局、長男が生まれるまで、夫は周りを勧める愛人を全て断り、わたしだけを愛してくれた」




 幸せそうに、彼女は微笑んだ。そんな穏やかな顔、マリアンヌは初めて見る。




「じゃあ、愛人を囲っているという噂は嘘なの?」




 マリアンヌは尋ねた。




「いいえ。それは本当よ」




 彼女は否定する。


 だが、真相はマリアンヌが思っていたものとはだいぶ違った。


 長男を出産後、愛人を持つように夫に勧めたのは夫人らしい。彼女は、息子に何かあった時のことを心配した。乳児は無事に成長するとは限らない。だが、自分が直ぐに次の子を産めないのは明らかだ。そこで、自分付きの侍女の中で、家系的に兄弟が多い子を選び、子供を産んでくれるように頼んだらしい。子を産め産めとしつこくプレッシャーを掛けられ続ける夫人を見てきた侍女はその頼みを引き受けたそうだ。そして彼女は娘を2人産む。子供が3人生まれたことで、夫人にかかるプレッシャーはようやくなくなった。子供の母親である侍女の希望で、娘達は街中で育てることになったらしい。


 侯爵が愛人宅に週に一度か二度泊るのは、その娘達のためのようだ。




「不思議なことにね、もう子供を産まなくていいと言われたら、次の子を身篭ったの。その子は女の子で、身体が弱くてお披露目する前に亡くなってしまったのだけれど」




 少し辛そうな顔をする。


 マリアンヌはかける言葉が無かった。




「その次の子が今日紹介した男の子よ」




 夫人は続ける。




「実はその下にもう一人、男の子がいるの」




 嬉しそうに語った。




「今、3歳なの」




 打ち明ける顔は本当に幸せそうに見える。


 それを良かったと思う反面、マリアンヌには腑に落ちないことがあった。


 何とも微妙な顔で夫人を見る。




「一つ、聞いてもいいかしら?」




 問いかけた。




「どうぞ」




 夫人は微笑む。




「わたし、ラインハルト様関係でだいぶあなたに嫌がらせされた気がするんだけど。そんなに幸せなら、なんでわたしはそんな目にあったのかしら?」




 マリアンヌは真顔で問いかけた。




「それは妬ましかったから」




 夫人ははっきり言う。




「ラインハルト様と結婚して、直ぐに妊娠して、次々と子供を生んで。……憎まない理由が何もないでしょう?」




 途中からはラインハルトの件というより、子供の件で妬まれていたのだとマリアンヌは知った。




「そっちなのね」




 ため息を吐く。




「でも、幸せならよかった」




 心からそう思った。





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