第9話 第二章 3 世界の中心にいた人



 道すがら、アルフレットトはわたしの従兄弟で、子供たちはその息子だとセバスに教えられた。


 わかりやすくいうと、直系の跡継ぎになる。


 祖父は大公ではあるが当主の座は息子に譲っているらしい。


 その次の当主が従兄弟で、子供たちはその次になる。


 大公家が安泰らしいことはよくわかった。


 そんな話をしている間に部屋に着く。


 ノックをしてからセバスはドアを開けた。


 先にわたしだけを案内してきたことを祖父に伝える。




 案内されたのは書斎だったらしい。


 たくさんの本が本棚に並んでおり、手前にテーブルとソファが、その奥に机があった。


 祖父は机で仕事をしている。


 テーブルにはお茶の用意が整えられてあった。


 セバスはついでにちょっとした騒動があったことを話す。


 話を聞いた祖父は後で子供たちを呼ぶように言った。




(ルークが叱られないといいな)




 私は少し心配する。


 だが口を挟むのが余計な真似であることは十分わかっていた。


 そんなことを考えていると、祖父の視線がわたしに向けられる。


 わたしはごくりと息を飲んだ。




「マリアンヌです。初めまして」




 挨拶する。




「うむ」




 一言だけ、祖父は頷いた。


 ソファに座るように、顎で指し示される。


 わたしは素直にソファに座った。


 祖父は椅子から立ち上がり、わたしと向かい合うようにソファに移動する。




「それでは、シエル様を迎えに行ってまいります」




 セバスはそう言うと、部屋を出て行った。


 書斎にはわたしと祖父だけが残される。


 本来いるはずの、給仕のための使用人さえいなかった。


 祖父が人払いしたのだろう。




「あの……」




 あまりの気まずさに、わたしは話すことも決まっていないうちから口を開いてしまった。




「今回はお招きいただき、ありがとうございます。馬車や支度金など心遣いいただき、助かりました。今後も弟のことを可愛がっていただけましたら、幸いです」




 頭を下げる。




「弟のことだけか?」




 頭を上げる前に、そう問われた。




「はい?」




 わたしは首を傾げる。




「可愛がるのは弟だけでいいのかと聞いている」




 祖父の言葉に、何を聞かれているのか理解した。




「十分です」




 わたしは頷く。




「わたしはどちらかと言えば父似なので、お祖父様はあまりいい気分にはならないでしょう。ですが弟は母に良く似ています。弟を可愛がっていただけたら、わたしは十分です」




 華々しいエピソードはシエルのような主役の人にこそ相応しい。


 可愛い弟が幸せなら、わたしも満足だ。




「卑屈だな」




 祖父は渋い顔をする。




「そうですね」




 わたしは頷いた。


 卑屈と言われたら、否定は出来ない。


 わたしは自分を端役と言い訳して、逃げているだけなのかもしれない。


 だがわたしだって別に幸せを諦めているわけではない。


 わたしもわたしなりに幸せにはなりたかった。


 だがその幸せに、太公である祖父の力はたぶん必要ない。


 わたしのささやかな幸せは、自給自足の生活で、自分の食い扶持を自分で賄うことだ。


 誰にも頼らず、自分の力で生きていきたい。


 だがそれを説明しても理解はしてもらえないだろう。




「でもわたしにはお祖父様にお力添えしていただくようなことは何もないのです。それが必要なのは、男爵家を継ぐ弟です。ですから、お力添えは弟によろしくお願いします」




 自分に必要ではないことだけを伝えた。




「祖父として、孫にしてやれることは何もないというのか?」




 祖父は拗ねた顔をする。




(ああ、そっちか)




 わたしは内心、苦笑した。


 孫に何もしてやれていないことに対する罪悪感のようなものを感じているのかもしれない。


 そういうのは想定していなかったので、正直、ちょっと困った。




「それじゃあ少しだけ、わたしと母の話をしてくださいませんか?」




 祖父に頼む。




「そんなことか? まあ、いい」




 祖父は頷いた。




「さっき、従兄弟とその子供たちに会いました」




 わたしは話を切り出す。


 予想外の言葉から始まって、祖父は戸惑う顔をした。




「詳しい事情をわたしは知りません。ただ、子供たちと父親がまったく別の方向に向かって歩いて行くのを見て、母の言葉を思い出したんです」




 わたしが小さい頃、母は時々実家の話をしてくれた。


 とても広いお屋敷。


 よく手入れされた迷路のようになったお庭。


 たくさんの使用人。


 そして、同じ家に住んでいるのに滅多に顔を会わせることのない家族。


 母はいつも寂しかったそうだ。


 どんなに大勢の人が周りにいても、誰も自分を必要としてくれない。


 誰もが優しくしてくれたし、誰でもちやほやしてくれた。


 だが自分が欲しいものをくれた人は誰一人、いなかった。


 父だけが、そんな母の寂しさに気づいてくれたらしい。


 その瞬間、母は父と結婚することを決めたそうだ。


 誰も賛成してくれなくていい。


 父に迷惑がられているのもわかっていた。


 それでも、母は諦めなかった。


 自分の幸せは父と共にしかないと思ったらしい。


 だが、後悔が全くなかったわけではない。


 寂しかったけれど、家族に愛されていることは知っていた。


 その家族と縁を切るのはさすがに辛かったそうだ。


 いつか、許して貰えたら。


 自分の子供を会わせることが出来たなら。


 淡い期待を抱いていた。


 だがそれは叶うことなく終わってしまう。


 それだけが心残りだと、亡くなる間際まで言っていた。




「ごめんなさいと、いつかお祖父様に会うことが出来たら伝えて欲しいと言われていました。伝えることが出来て、良かったです」




 わたしの話を黙ってじっと聞いていた祖父が涙を一つ、こぼす。


 深いため息を漏らした。




「悪いのは私だ。つまらない意地を張り、こんなに時間が過ぎてしまった」




 後悔を口にする。


 だが、母が望んだのは後悔してくれることではないだろう。




「たぶん、誰も悪くないんです」




 わたしは独り言のように呟いた。




「誰も悪くないのに、上手くいかないことが世の中にはあるのです。母はお祖父様に後悔して欲しかったわけではないと思います。ただ、愛していることを知っておいて欲しかっただけだと思うから落ち込まないでください。そもそも母は勝手な人ですから。振り回されるのはいつも周りで、いい迷惑です」




 思い出すと、少し腹が立つ。


 母は周りを振り回す天才だった。


 私が自分は端役だと思うのは、母を見て育ったのも大きい。


 母はまさに主役の人だ。


 世界の中心にいる。


 周りをみんな自分のペースに巻き込んでしまうのだ。


 迷惑を被るのはいつもわたしと父だ。


 思い出というのは美談になりがちだが、母との思い出は強烈過ぎて、美談にならない。


 ふっと笑うと、ドアがノックされた。


 セバスがシエルを連れてくる。


 ソファで向かい合うわたしと祖父を見て、戸惑う顔をした。




「弟のシエルです」




 わたしから紹介する。


 シエルは自己紹介した。


 わたしの隣に座る。


 給仕のメイドもやって来て、お茶を淹れてくれた。


 お茶を飲みながら、なんとなく母の話になる。


 共通の話題がそれしかないので、当然と言えば当然だ。


 だが半年で亡くなった母のことをシエルはほとんど覚えていない。


 わたしと祖父の話を聞きたがった。


 どんな人だったのかと問われて、わたしは『世界の中心にいる人』と答える。




「世界の中心がね、自分なの。とにかく思いつきで行動する人で、天気がいいからピクニックに行こうと唐突に言い出したり、雪が降ったから遊ぼうと子供みたいにはしゃいだり。家族で何かをするのが大好きな人だった。なんたかんだ言ってみんな巻き込まれちゃうの。でもそこにいるだけでみんなが楽しくなるような人で、不思議と嫌われないのよ。ずるいわよね。家族はとても大変なのに」




 わたしの言葉に祖父もシエルも笑った。


 わたしは母のようになりたかったことを思い出す。


 だが、慣れないとも諦めた。


 母は誰もが愛さずにはいられない特別な人だった。


 たぶん誰も、あんな風にはなれない。


 そしてもう一つ、わたしには思い出したことがあった。




「お祖父様。一つだけ、叶えて欲しいお願いがあります。とても余計なことで、わたしが口を挟むことではないこともわかっているのですが、聞いてもらえますか?」




 真っ直ぐ祖父を見た。




「聞くだけ聞こう」




 祖父は頷く。


 言質を取らせないのが貴族らしい。


 わたしはルークとユーリの母親がもし亡くなっていていないなら、そしてアルフレットが再婚を考えているなら、子供たちのためにそれを止めて欲しいと頼んだ。




「姉さん?」




 話が見えないシエルは困惑した顔でわたしを見る。


 わたしは小さく笑った。




「お母様が亡くなった時、わたしがシエルを育てようと思ったのは、シエルのためというよりわたしのためなの」




 打ち明ける。




「あの時、わたしが14とか16でお嫁に行くことになったら、お父様はシエルのために再婚を考えたでしょう。それがわかっていたから、わたしは嫁にいくのを止めた。母の代わりには誰もなれないのに、母として家に入ってくる女が許せなかったの。そしてその人との間に子供が生まれたら、わたしが嫁いだ後にシエルが辛い思いをすることがあるかもしれない。そう考えると、嫌で、嫌で。それなら、シエルが成人するまで自分が育てようと思ったのよ」




 ルークとユーリを見ていると、あの時のわたしと同じに見えた。


 あの時のわたしは12歳だったが、二人はもっと幼い。


 母の死も母の代わりに別の女が父の妻になることも受け入れられないのは当然だ。




「ルークとユーリが本当はどう思っているのかわからないけど、わたしには新しいお母さんが来るのを嫌がっているように見えました。だから二人の気持ちをちゃんと確かめて、二人が嫌なら止めてください。アルフレットは子供たちの気持ちを確認しないと思うから」




 わたしの言葉に、祖父は二人の気持ちを尊重することを約束してくれる。


 それ聞いて、わたしはほっとした。




「相変わらず、姉さんは人のことばっかり」




 隣で、シエルが呆れる。




「これはわたしのためよ。だって、子供たちが辛い思いをしているかもしれないと思ったら、わたしが落ち着かないもの。子供たちが幸せなら、私も心穏やかに過ごせるわ」




 満足な顔をするわたしを見て、シエルは困ったように笑った。












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