第8話 第二章 2 大公家
田舎町を出て三日。
私たちの乗った馬車は王都に到着した。
「やっと着いた~」
思わず、両手を高く突き上げて、伸びをしてしまう。
身体中あちこち痛かった。
ただ馬車に乗っているだけなのだが、なかなかハードだ。
新幹線や飛行機での快適な移動の記憶があるわたしにとって、馬車で三日は苦行にしか思えない。
だが、途中で目にした車窓からの風景はなかなか興味深かった。
どの道も周りの畑は豊かに実っていて、人々に困窮の様子は見られない。
裕福ではないにしても、食べ物に困っている感じはなかった。
国が平和で豊かなのがわかる。
長い間、他国と戦争をしていないことがいいのだろう。
わたしがこの世界に生まれて、驚いたことはいくつかある。
その中で一番衝撃を受けたのは、戦争をしている国が一つもないことだ。
世界には国がいくつもある。
それらの国は連合としてまとまり、共存するシステムが作り上げられていた。
今のところそのシステムは良好に機能していて、助け合うことが出来ている。
このままずっと平和な世が続いて欲しいと、わたしは心から願っていた。
アルス王国は広大な領地を持つ大国なので、発言力が強い。
次期国王が誰になるかは、世界平和のためにも大切な問題だ。
せっかくお妃様レースに出るのだから、次期国王になる三人の王子の顔を拝んでおこうとわたしは密かに思っていた。
賢くて良識のある人に次の王になって欲しい。
そんなことを考えていたら、背後から声をかけられた。
「お待ちしておりました。マリアンヌ様。シエル様」
出迎えに来た執事らしき人の声にわたしはすっと気を引き締める。
そちらを見た。
執事服が良く似合う、有能そうなおじいさんがにこやかな笑みを浮かべている。
だが、目は笑っていなかった。
こちらを値踏みしているのがわかる。
(まあ、それも当然か)
わたしは心の中で頷いた。
傷ついたりもしない。
執事として、警戒するのは当然だろう。
むしろ、仕事熱心だなと感心した。
「出迎えてくれて、ありがとう。貴方のことは何とお呼びすればいいですか?」
わたしは尋ねる。
呼び方がわからないと不便だなと思った。
この屋敷には数日、私たちは滞在することになっている。
「セバス、とお呼びください」
執事はそう名乗った。
「では、セバス。早速ですが、部屋へ案内してくれませんか? 荷物を運んだり、旅装束を解いたりしたいのです。その後、お祖父様の都合の良い時間に、お会いできたら嬉しいです」
わたしは必要な要件を事務的に伝えた。
「かしこまりました」
セバスは小さく手を叩き、メイドや使用人を呼ぶ。
わらわらと出てきた人数が多くて、驚いた。
こんなに必要かと思ったが、大公家の屋敷は見えている部分だけでも我が家の何倍も広い。
中庭も広大だ。
敷地もかなり広いようなので、他にも建物があるのかもしれない。
荷物は全て太公家の使用人が運んでくれたので、従者のアークもわたしたちと一緒に部屋へと案内される。
わたしとシエルには客間らしき部屋を二部屋、続きで用意してあった。
一階にあり、中庭に面している。
庭へは部屋から直接出られるようになっていた。
近くには客が連れてきた従者用の部屋があり、アークはそこで寝起きすることになる。
それぞれの部屋にはすでに荷物が運び込まれていた。
「それでは、主の都合がつきましたら呼びに参りますのでしばしお部屋でお待ちください」
セバスはそう言って、去って行く。
わたしたちはそれぞれの部屋で一休みすることにした。
長旅で、疲れが溜まっている。
わたしはベッドに横になった。
(このまま寝ちゃいそう)
瞼が重い。
だが眠りに落ちる前に、声が聞こえた。
庭で誰かが泣いている。
どうやら、子供の声のようだ。
「……」
気になって、わたしは起き上がる。
弟を育てたわたしはどうも子供には弱い。
弟の小さな頃のことを思い出してしまう。
わたしは庭に出て、声の主を探した。
木の陰に蹲っている男の子を見つける。
「どうしたの?」
声をかけた。
しゃがんで目線を合わせる。
男の子は顔を上げた。
緑の綺麗な目と目が合う。
顔立ちはどこかシエルに似ていた。
5~6歳くらいだろう。
着ている服は明らかに貴族のお坊ちゃんだ。
大公家の子供に違いない。
「何故、泣いているの?」
わたしは問いかけた。
「……」
男の子は警戒しているのか、何も話してはくれない。
わたしは気にせず、男の子の様子を確認した。
どこか怪我をしているかもしれないと心配したが、怪我をしている気配はない。
「答えたくないことは答えなくていいけど、ここにいるとみんなが心配するから、お家に帰らない?」
わたしは呼びかけた。
手を差し出す。
男の子はふるっと首を横に振った。
「誰も心配なんてしないもん」
口を尖らせる。
拗ねているようだ。
(可愛い)
ぎゅっと抱きしめたくなるくらい愛しかったが、さすがに我慢する。
見知らぬ子供を抱きしめるのは犯罪だと自覚していた。
「そうかな? きっとお父様もお母様も心配しているよ」
わたしは説得を試みる。
だが、男の子はさらに大きく首を横に振った。
「お母様はいない。お父様は……、忙しいから……」
口ごもる。
事情があるのは確かなようだ。
(母親は離婚したか亡くなっているかで、父親は仕事が忙しいってことかな?)
私は勝手に推測する。
貴族社会に詳しくないわたしは大公家の事情を知らなかった。
興味もないので、調べてもいない。
「じゃあ、心配してくれない悪いお父様を一緒に殴りに行こう」
わたしは提案を変えた。
とんでもないことを言っているのはわかっていたが、この場から動いてくれればそれでいい。
このまま放っておくことは出来なかった。
「殴る?」
男の子はとても驚いた。
「そう。グーで。アンパーンチって」
わたしは殴る真似をする。
アンパンマンを知らない子供がアンパンチを知るはずもない。
当然、不思議な顔をされた。
だが、ちょっと警戒を解いてくれる。
せっかく穏やかな空気が流れたのに、きんきんとした別の声が庭に響いた。
「お前、誰だ!!
叫び声にわたしも男の子もびっくりする。
振り返ると、少し大きな男の子がいた。
「兄さま」
泣いていた子が呟く。
「怪しいそうに見えるけど、怪しい者では……」
わたしが言い訳をしている間にも、お兄ちゃんは大声を張り上げた。
「セバス!! 怪しいやつがいる。ユーリを攫おうとしている!!」
とんでもないことを言い出す。
「いや、攫おうなんてしていません」
わたしは否定した。
だがもちろん、彼にわたしの言葉に耳を貸す気なんてない。
やれやれと思いながら、わたしはその場でセバスを待った。
ユーリという名前らしい男の子は事態におろおろしている。
泣きそうな目でわたしを見た。
ごめんなさいという顔をしている。
自分のせいでわたしに迷惑をかけることを自覚しているのだろう。
「大丈夫よ」
わたしは微笑んだ。
このくらいのこと、迷惑でも何でもない。
「ルークか? 何があった?」
だが、駆けつけてきたのはセバスではなかった。
20代の青年で、兄の方が『父様』と呼ぶ。
どことなく母やシエルに似ていた。
見るからに高そうな服を着ている。
そしてその後ろから少し遅れて、女性が顔を出した。
(ん? 仕事でなく、デート?)
わたしは内心、イラッとした。
太公家の庭は広く、デートをするにはぴったりだろう。
だが、子供を泣かせて自分は女性とデートなのかと腹が立った。
人様の家のことで、余計なお世話なのは十分承知しているが、説教したくなる。
思わず、青年を睨んでしまった。
視線を感じたのか、彼はこちらを見る。
目が合った。
ここでわたしが主役級の人なら、恋が始まるのかもしれない。
だがわたしは所詮、その他大勢だ。
恋が始まるどころか、不審な顔をされる。
わたしは自分が不審者にしか見えないことを唐突に思い出した。
セバスが来ると思ったから安心していたが、相手は見知らぬ青年だ。
説明しないと不味いことに気づく。
「今日から数日、こちらでお世話になりますマリアンヌです」
挨拶した。
「マリアンヌ? ああ……」
青年は聞き覚えがある顔をする。
話は通っていたようで、ほっとした。
そこにセバスが使用人たちと到着する。
「マリアンヌ様、アルフレット様。何故、ここに?」
わたしと青年を見て、驚いた。
彼はアルフレットという名前らしい。
「庭を散歩していたら、誘拐犯にされかけました」
わたしは端的に説明する。
泣き声が聞こえたことは話さなかった。
隠れて泣いていたのは、誰にも知られたくないからだろう。
わたしの言葉に、ルークと呼ばれた兄は慌てた。
セバスがルークを見る。
「違う、僕は……」
ルークは言い訳しようとした。
だが、言葉が出てこない。
泣きそうな顔をした。
気の毒になって、わたしは助け舟を出す。
「弟を守ろうとしただけなんでしょう? いいお兄ちゃんね。でも、相手の話も聞きましょうね」
諭すように言い聞かせると、それが気に入らなかったのか、ルークはそっぽを向いた。
どうやら、嫌われてしまったらしい。
「ルーク様」
叱るようなセバスの声が響いた。
「まあまあ」
わたしは取り成す。
みんながいる前で叱られたら、ルークの自尊心が傷つくだろう。
子供には子供のプライドがある。
やんちゃそうだがなかなか可愛い子なので仲良くなれないのは残念だが、どうせ顔を合わせるのは数日のことだ。
嫌われてしまっても、それほど支障はない。
騒ぎが収まり、アルフレットは女性のエスコートに戻ることにしたようだ。
二人で庭の奥の方へ歩いていく。
子供たちのことは乳母らしき女性が迎えに来た。
恰幅のいい優しそうな女性だが、母親というよりはおばあちゃんというお年だ。
わたしを見て、微笑む。
わたしは反射的に微笑み返した。
だが、知り合いではない。
父と子供たちが別々の方向に歩いて行くのを見て、私はなんとも寂しい気持ちになった。
昔聞いた母の言葉を思い出す。
無意識に胸の辺りをぎゅっと手で握り締めていた。
「マリアンヌ様?」
そんなわたしにセバスが声をかける。
「何でもありません」
わたしは返事した。
「お茶の用意が整いましたので、このまま主のところに案内してもよろしいですか?」
問われて、私は頷く。
祖父のところへ連れて行かれた。
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