第369話 外伝2部 第五章 4 従者





 マリアンヌはマルクスに会いに行くことにした。


 子供達は留守番している。護衛がハワードの屋敷に滞在中のため、屋敷から連れ出せなかった。


 普段なら気にせず連れ出すが、さすがに今回は用心する。


 マリアンヌは一人で身軽なのをいいことに、マルクスの家に向かった。


 しかし、メアリがついてくる。




「一緒に行くの?」




 マリアンヌはメアリに尋ねた。


 顔なじみが集まるところに一人だけ知らない人間が混じるのは気まずいだろう。


 逆の立場なら、マリアンヌは遠慮したい。


 だが、メアリは引かなかった。




「マリアンヌ様の側を離れないことが、わたしの仕事ですから」




 そんなことを言う。


 メアリは護衛も兼ねていた。




「まあ、いいけど」




 マリアンヌは苦笑する。だがそれ以上は何も言わなかった。黙々と歩いていく。


 10分ほどで、こじんまりとした家が見えてきた。王子が住んでいるとは思えない簡素な家だ。


 メアリはまさかと思う。




「あの家ですか?」




 マリアンヌに尋ねた。




「そうよ」




 マリアンヌは頷く。




「小さな家でしょう? そこに、従者を一人だけ雇って住んでいるのよ」




 説明した。




「一人……ですか?」




 マリアンヌは困惑する。


 どう考えても人手が足りなかった。




「たくさんの人に囲まれる生活に疲れたんじゃない?」




 マリアンヌは苦く笑う。


 そういうことなのだと、マリアンヌは思っていた。




「……」




 メアリは黙り込む。


 王宮の侍女だったメアリはマルクスにもお茶を淹れたことがある。顔は知っていた。


 確かに物静かで、人が多いのは好まないかもしれない。




「でも、不便じゃないですか?」




 余計なお世話だが、メアリは心配した。




「その辺はアークが器用だからね」




 マリアンヌは微笑む。


 アークというのが従者の名前であることをメアリはなんとなく理解した。


 そんな話をしている間に、家の前に着く。


 マリアンヌは自分で呼び鈴を鳴らそうとした。


 その手を、メアリが掴んで止める。黙って、首を横に振った。


 それは自分の仕事だと、無言で主張する。


 マリアンヌは大人しく手を引いた。


 メアリは呼び鈴を鳴らす。




「はい」




 アークの返事が聞こえた。


 狭い家なので、音も声も良く通る。


 程なく、ドアが開いた。


 マリアンヌの後ろにメアリは戻る。




「いらっしゃいませ」




 マリアンヌを見て、アークは微笑んだ。




「驚かないのね」




 マリアンヌはがっかりする。


 例年なら、この時期、マリアンヌはランスローにいない。少しくらいは驚いた顔をされると思っていた。




「いらしていることは聞いていました」




 アークは笑う。訪ねてくることを予想していた顔をした。




「アルフレットね」




 マリアンヌは呟く。情報源は考えなくてもわかった。


 アルフレットはランスロー家にほぼ住んでいる。打ち合わせには関係ないから参加しないが、事情は当然把握していた。


 それを主であるマルクスに報告しないわけがない。




 アークはマリアンヌを中に招いた。


 その後ろにいるメアリと目が合う。




「ところで、どなたですか?」




 メアリのことを聞いた。




「わたしの侍女よ」




 マリアンヌは答える。


 アークは一瞬、驚いた顔をした。


 王宮で暮らすマリアンヌに侍女がついていないはずがない。だが、ランスローに滞在する時のマリアンヌは王族に嫁いでも皇太子妃になっても、昔と何も変わらなかった。侍女に世話されるマリアンヌをアークは想像しがたい。


 思わず、メアリをじっと見てしまう。


 不躾な眼差しに、メアリは顔をしかめた。美少女から美人に成長したメアリの不機嫌な顔はちょっと迫力がある。


 アークは目を逸らし、照れた顔をした。




「何、赤くなっているの?」




 マリアンヌはアークをからかう。




「でも、メアリは駄目よ」




 釘を刺した。




(だって、中身は男の子だから)




 見た目は美女でも、中身は男性だ。アークが惑わされ、悩むようなことになったら困る。


 それに、例えメアリが本当に女性だったとしても、マリアンヌに手放すつもりはない。アークとどうこうなるのは無理だろう。




「そんなこと考えていません」




 アークは首を横に振った。












 何もかも、全て一人でやるアークにメアリは感心した。


 てきぱきとお茶の用意を整えて行く。手際も良かった。慣れているのがわかる。手伝いを申し出るタイミングを逃し、メアリはただマリアンヌの近くに立っていることしか出来なかった。


 マルクスとマリアンヌがお茶を飲みながら談笑を始めると、メアリとアークは邪魔にならない位置まで離れる。


 ちらりとメアリは横に立つアークを見た。


 長身ですらっとしている。




「本当に一人で全てこなしているのですか?」




 メアリはぼそっとアークに尋ねた。




「はい」




 少し緊張した面持ちで、アークは頷く。メアリが美人で、固くなっていた。


 王宮は侍女のレベルも違うのだと思う。




「凄いですね」




 メアリはただ感心した。




「マルクス様は人の出入りが多いのを好まないので」




 アークは答える。


 真っ直ぐ、マルクスを見つめた。


 その眼差しはとても優しい。




「マルクス様には昔からお仕えなんですか?」




 何気なく、メアリは聞いた。深い意味はない。




「いえ。ランスローにいらしてからです。私はこちらの出身なので」




 アークの眼差しが一瞬、マリアンヌに向けられた。




「マリアンヌ様に紹介されて、マルクス様のところで働くようになりました」




 それを聞いて、メアリはなるほどと納得する。マリアンヌの親しげな様子に、合点が言った。




「私は詳しいことは知りませんが、今回の訪問、マリアンヌ様やお子様達に危険が及ぶことはあるのでしょうか?」




 アークはこそっと小声で尋ねる。


 差し出がましいことを聞いている自覚はあった。




「……わかりません」




 少し迷って、メアリは答える。


 行ってみなければ、向こうの状況はわからなかった。




「マリアンヌ様とお子様達をよろしくお願いします」




 アークは頼む。




「護衛は騎士の仕事です」




 メアリはやんわりと断った。護衛は侍女の仕事ではない。


 引き受けるわけにはいかなかった。


 護衛する力を実は持っていることは、未だに隠している。




「そうですね」




 アークは納得した。あっさり、引く。


 メアリの言い分が正しいのはわかっていた。


 だがそれはそれで、メアリはもやっとする。




「でも、まあ。わたしに出来ることはします」




 そんな約束をした。


 アークはちらりとメアリを見る。




「メアリさんは優しいですね」




 囁いた。




「そんなことないです」




 誉められて、メアリは何とも気まずい顔をする。それが本来の仕事であることを言えないのが、心苦しかった。

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