第134話 閑話:試食会3




 その日から、わたしたちの離宮には料理人たちがちょくちょく出入りするようになった。


 レシピを書き写したり、試作品を持ってきたりする。


 わたしの予想以上に、料理人たちはやる気だ。


 いい傾向だと思いつつ、一人の料理人にその理由を尋ねる。


 すると、レシピの存在が大きいことがわかった。


 今まで、あんな風にわかりやすく作り方の要件をまとめたものはなかったらしい。




 言われてみれば、わたしもレシピを書いたのは今回が初めてだ。


 実家でも、わたしはこっそり厨房に出入りしていた。


 どうせ食べるなら、美味しいものがいい。


 厨房に出入りし、料理の仕方を見学する。


 わたしの記憶にある前世の常識にはそぐわない点をいくつか見つけた。


 それを料理人に直してもらう。


 すると、料理がぐっと美味しくなった。


 今考えれば、家の料理人はずいぶんと頭が柔軟だ。


 主の娘とはいえ、子供のたわごとに耳を貸してくれたのだから。


 だがそのかいあって、我が家の料理はかなり美味しくなっている。


 わたしは食べ慣れてそれが普通になっていたが、ラインハルトやマルクスは家に来た時に驚いていた。


 これがランスローの料理なのかと聞かれて、適当に言葉を濁す。


 わたしが勝手に改良した料理ですなんて、正直に話したら面倒なことになると思った。


 自分のレシビを公表したり広めたりするつもりはわたしにはない。


 わたしはこっそり、自分が美味しいものを食べられればそれで満足だ。


 当然、実家で出す料理はレシピを書き起こしてなどいない。


 レシピを書くのは、自分以外の誰かに自分が作るのと同じ料理を作って欲しい時だ。


 そういう意図がなければ、レシピを書き起すなんて面倒なことは誰もしないだろう。


 多くの料理人がレシピを見たことがないのは当然かもしれない。


 誰も、自分が苦労して得た料理のコツを他人に簡単に明かそうとは思わないだろう。


 わたしだって、挙式の後に出す料理でなければレシピなんて書かなかった。


 美味しい料理を広め、みんなに食べさせてあげたいなんて慈愛に満ちた考えはわたしにはない。


 美味しいものが食べたければ、食べたい人が努力すればいいのだ。


 わたしの料理は普通とは少し違っていたり、手間がかかっている部分もある。


 だが、やっていることに特別なことは何もなかった。


 誰でも思いつくだろう。


 それにこんなに料理人が食いつくとは、わたしも思わなかった。




(料理人たちと仲良くなれるのはいいんだけどね。またあれこれ言われてそうだよね)




 わたしは心の中で苦笑する。


 今度は、料理人たちを懐柔して毒を盛るつもりだとか言われてそうだ。




(わたしはなんて言われても実害はないけど、料理人たちが困ることにならなければいいな)




 わたしはそれ心配する。


 だが、そんな他人の心配をする余裕は直ぐになくなった。


 とうとう、悪阻が始まる。


 厄介なことに吐き悪阻だ。


 それほど重いものではないが、これが今後酷くなるのか、この程度で長く続くのかはわたしを含めて誰にもわからない。


 わたしの場合、匂いに過敏になっているようだ。


 食べ物はもちろんだが、香水の匂いとかも苦手だ。




(気持ちが悪い)




 常にムカムカとした吐き気と戦っている。


 せっかく料理人たちが試作品を持ってきてくれても、ほとんど口に出来なかった。


 そんなわたしを料理人もラインハルトも心配してくれる。


 だがその心配も重かった。


 放っておいて欲しい。


 心配されると、頑張らなければいけない気持ちになった。




 とりあえず、料理は冷めると匂いが減ることに気づいたので、温かい料理は口にしなくなる。


 当たり前だが、温かい方が料理は美味しい。


 冷製スープとかを気遣って作ってくれるが、それほどレパートリーはない。


 ラインハルトをわたしにつき合わせるのは可哀想な気がした。


 結果、悪阻が収まるまで食事の時間を分けることにする。


 一人で食べるのも寂しいだろうと思って、ルイスを呼んでもらうことにした。


 わたしの代わりに、ラインハルトの食事に付き合ってもらう。


 その間、わたしは居間や自室で休んでいた。


 二人が食べ終わり、部屋を換気した後にわたしが一人で食事を取る。


 正直、とてもつまらなかった。


 冷めた料理はどれも味が落ちる。


 だが温かいと、匂いが辛い。


 ジレンマに陥った。




 しかし、料理はまだましだ。


 自分で対策が取れる。


 困ったのは香水の匂いだ。


 自分のはつけなければいい。


 だが、他人の匂いはどうしようもなかった。


 ラインハルトには帰宅後、風呂に直行してもらっている。


 入浴し、服や髪についた匂いを落としてもらった。


 そうしないと、様々な人と接触し、様々な匂いがついたラインハルトに近づけない。


 残り香でさえ、そうなのだ。


 挙式で大勢の人が集まる場なんて、恐怖でしかない。


 気持ち悪くならないわけがなかった。




「挙式で倒れたら、どうなります?」




 十分に距離を取った状態で、わたしはルイスに聞いた。


 近づかなければ、匂いも気にならない。


 ルイスは今、ラインハルトの入浴待ちだ。


 この後、夕食に付き合ってくれることになっている。




「そうですね……」




 ルイスは考えこんだ。




「王子の妃に相応しくない、虚弱な令嬢と言われるかもしれません」




 ルイスはたぶん、考えられる噂の中で一番マシなものを教えてくれる。




「なるほど」




 わたしは頷いた。




「じゅあ、その場で倒れるのと、気持ちが悪くてその場から逃げるように退場するのはどっちがましかしら?」




 わたしはさらに質問を続ける。




「どっちもアウトですね」




 ルイスは即答した。




(ですよね~)




 心の中で相槌を打つ。




「でも、どちらかと言えば、倒れた方がマシですかね。挙式後には懐妊も発表されますから、同情されるでしょう」




 ルイスの言葉に、わたしはふむふむと頷いた。




「じゃあどうしようもなかったら、倒れることにします」




 わたしは決める。




「いえ、倒れずにすむ対策を考えてください」




 ルイスは苦笑した。


 尤もだ。




「それについてはちょっと考えていることがあるの。実現可能かはわからないんだけど……」




 わたしは相談したくて、ルイスを見る。




「聞きましょう」




 ルイスは頷いた。












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