第2話 プロローグ 2 ランスロー男爵家


 お妃様レース開催の話は、電話もネットもないアナログな世界とは思えないありえない速さで広まった。


 それは国境ギリギリの辺境地にさえ届く。


 夕食の席で、ランスロー男爵は噂のことを口にした。




「第三王子が100名も候補者を集めてお妃様レースを開催するそうだ」




 28歳になる娘・マリアンヌを見る。


 貴族としては完全にいき遅れた娘は別に器量が悪いわけではない。


 美人で人形のようだった妻と比べれば劣るが、大きな瞳にこじんまりと纏まった顔。


 長い黒髪は癖がなくさらさらで、よく手入れがされている。


 美人ではないかもしれないが、十分に可愛らしかった。


 その上、性格は穏やかだ。


 頑固で譲らないところもあるが、それは家族のためとか生活のためとか、彼女が必要だと感じたことに対してだけだ。


 それ以外にはおおらかで寛容に出来ている。


 貴族の令嬢らしい我侭なところや身勝手なところはなかった。


 我が子ながら、いい娘に育ったと自負している、


 不思議なことに赤ん坊の頃から、娘は駄々を捏ねることもない手がかからない子だった。


 勉強も良くで来て、賢い。


 だからこそ、弟が生まれるまでは娘に婿を迎えて跡継ぎにするつもりでいた。


 だが諦めかけていた頃に男の子が生まれる。


 男の子がいる場合、女の子は跡継ぎにはなれない。


 非常に残念だが、ランスロー家の跡継ぎは賢い娘ではなくなってしまった。


 男爵は娘をじっと見る。


 年齢的には適齢期をかなり過ぎたが、結婚を諦めるには惜しいと思っていた。


 賢く性格もいい娘だからこそ、幸せになってもらいたい。


 親として、当然の願いを捨てられなかった。








 父の視線を感じていたが、わたしは気にせず食事を続けた。


 名指しで何か言われるまで、無視を決め込むつもりている。


 父が何を言いたいのかはよくわかっていた。


 100名も集まるのだから、参加資格があると言いたいのだろう。


 この国の貴族の結婚適齢期は16歳だ。


 女の子はさらに早く、14歳で嫁に行くのも珍しくない。


 だがわたしは28歳だ。


 完全にいき遅れている。


 本来なら、第三王子がお妃候補を探していても、28歳のわたしには全く関係がない。


 わたしが候補に選ばれることは万に一つもないからだ。


 確か第三王子は19歳くらいだったと思う。


 貴族として適齢期を過ぎているが、まだまだ若い。


 当然、お妃候補は14歳くらいから19歳くらいまでの間で探すはずだ。


 しかし、候補者が100名となると状況が変わる。


 対象年齢がぐっと広がるのは確かで、28歳でも声がかかる可能性があった。


 父はそれをチャンスだと捉えているのだろう。


 だがそれは余計なお世話だ。


 わたしは自分がその他大勢の一人であることをよく知っている。


 主役になることのない、端役だ。


 そしてそんな端役の人生に、実は満足している。


 わたしが望むのは唯一つ、平穏無事な生活だ。


 立身出世も、成り上がりも、下剋上も、わたしは興味がない。


 その他大勢のわたしはその他大勢なりの幸せを見つければいいのだ。


 一発逆転、片田舎の男爵令嬢が国王のお妃様に……なんていうのは主役級の人がやればいいことである。


 お妃様レースに参加するつもりは、わたしにはさらさらなかった。


 だが、弟のシエルが父の話に食いつく。




「それは、姉さんも参加することになるのですか?」




 余計なことを聞いた。




(シエル。しーっ)




 わたしは心の中で、弟の口を指で押さえて塞ぎたくなる。


 黙っていて欲しかった。


 シエルは母に良く似た美しい少年だ。


 生まれて半年で母を亡くし、わたしが育てた。


 育て方が良かったのか、生まれつき天使だったのか、優しい子に成長する。


 その上、わたしがみっちり勉強を教えたので賢く育った。


 跡継ぎに相応しい青年になりつつある。


 だがまだまだ、貴族の腹芸には疎いようだ。


 父の策略に乗せられる。




「そうなんだよ、シエル」




 父は嬉々として話を続けた。




「今回は100名も候補者を募るので、独身の貴族女性には洩れなく声がかかるそうだ。近日中に我が家にも招待状が届くだろう」




 にこやかにわたしを見る。


 わたしは内心、いらっとした。


 出ませんよ――と断ろうと思ったら、わたしより先にシエルが口を開く。




「そんなの、嫌です」




 泣きそうな顔で叫んだ。


 わたしだけでなく、父も驚く。


 そんな反応が返ってくるとは思わなかったようだ。




「シエル?」




 困惑した顔で弟の名前を呼ぶ。




「王都までは馬車で三日もかかります。そんな遠いところに姉さんが嫁ぐなんて、僕は反対です。姉さんはずっと僕の近くにいてください」




 潤んだ目でシエルはわたしを見つめた。


 ただでさえ美少年なのに、泣き顔でさらにキラキラ度がアップしている。


 控え目に言っても天使だとしか思えなかった。


 わたしは思わず、にんまりしてしまう。




「大丈夫よ、シエル。姉さんは王妃になんてなりません。ていうか、なれません。招待状が来てもお断りするから大丈夫です。そもそも、その招待状も本当に来るかどうか怪しいですしね」




 弟を慰めた。




「どういう意味だい?」




 父はわたしに聞く。




「お父様。100名の候補者の中には平民の娘も入るっていう話はご存知ですか?」




 わたしは父に聞き返した。




「そんな話、どこで聞いたんだ?」




 父は困惑する。




「お妃様レースの話は昨日から農村でも持ちきりです。豪商の娘が参加できるよう、高い参加費が設定されているそうですよ。んなお金、家にはないですよね?」




 わたしはにこやかに聞いた。


 実は貴族なら参加費は不要だそうだが、父はそこまで知らないだろう。


 適当にお茶を濁して話を終えようとした。


 しかし、父は引かない。




「貴族は参加費はいらないそうだ」




 それは知っていたらしい。




「でも、例えば参加費を払う豪商の娘が30人いて、貴族の独身女性が80人いたとしたら、わたしなら豪商の娘の30人を全員入れて、独身貴族の10人を年齢が上から切っていきます。わたしはたぶん、切られると思います」




 妙に自信を持って、わたしは言い切った。


 その他大勢のわたしならその可能性は高いと思っている。




「姉さんが王都に嫁ぐのは嫌だけど、そんな風に切られるのもなんか嫌だ」




 シエルは複雑な顔をした。


 そんな弟がわたしは可愛くてならない。




「例え話よ」




 シエルに微笑んだ。




「万が一、招待状が届いても大丈夫。お断りしますから。わたしはシエルが結婚したらこの家を出て、畑の側の家で自給自足の生活を送ると決めているのですから。そのための準備はもう万端ですしね。いつシエルが結婚しても大丈夫ですよ」




 その言葉に、シエルは表情を曇らせる。




「姉さんが家を出るなら、結婚なんてしませんよ。僕はずっと姉さんと一緒に暮らします」




 そんなことを言ってくれた。




(ああ。本当にわたしの弟は天使)




 嬉しくて、わたしはにこにこ微笑む。


 そんなわたしたちを見て、父はため息をついた。


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