第580話 過去編 第一章 閑話: 娘(前編)





 結婚して1年ほど経って生まれた娘は少し変わっていた。




 赤ん坊の頃から、言葉を理解していたように見える。


 赤ちゃんなので、もちろん本人は話したりはしない。あーあー、うーうー、唸っているだけだ。


 だがこちらが語りかける言葉に明らかに反応していた。うんうん、いやいや、で自分の意思を伝えようとする。


 それにあまり泣かなかった。ぐずることも少ない。手のかからない子供だ。初めて子供を持つ自分や妻はそんなものかとたいして気にしなかったが、周囲はちょっとざわつく。何か障害があるのではないかと心配する声もあった。


 そう言われると、親としては不安になる。何度か医者に診てもらった。だが医者はどこにも異常はないと太鼓判を押す。




 しかし、成長するにつれマリアンヌは他の子とどんどん違っていった。ただし、それは悪い方向にではない。良い方向にだ。




 マリアンヌは何でも普通より早くできた。


 言葉を話すのも、寝返りを打つのも、立ち上がって歩き出すのも、普通よりずっと早い。そしてたいていのことは上手に出来た。


 躾で困ったことは一度もない。親の言葉をよく理解し、従った。


 あまりにいい子で、むしろ心配になる。


 それが贅沢な悩みであることはよくわかっているが、神童という噂が立てば立つほど、父親としては不安になった。


 娘に優秀になって欲しいなんて、望んでいない。私の望みは、ただ娘が幸せになることだ。


 余計なしがらみは、マリアンヌを縛り付けるだけのような気がする。




「マリアンヌは大丈夫だろうか?」




 先日のことを思い出し、私はため息を吐いた。




 伯爵家のホームパーティに家族で招待された。家族でというのはそこにマリアンヌも含まれる。噂の神童を一目みたいと言われたら、連れて行くしかなかった。


 そこでマリアンヌはちょっとしたことをやらかす。


 マリアンヌにとっては予定通りだが、親としてはかなり心臓に悪かった。




「何の話ですか?」




 妻が不思議そうに私を見る。


 妻は大公家の娘で、王都の華と呼ばれる美人だった。それが何故かわたしを気に入り、家出同然で押しかけてくる。


 正直、困った。田舎の男爵家の当主としてはあまり分不相応だ。だが、家出という醜聞を起こしては、もう家にも帰れないだろう。結局、受け入れることになった。


 美しい妻に不満はない。だがお嬢様育ちの彼女は天真爛漫で、あまり後先を考えなかった。思いつきで突飛な行動に出ることも多く、けっこう振り回されている。




「マリアンヌはまだ5歳だ。なのに、しっかりしすぎている」




 私は答えた。




「それの何が問題なのですか?」




 妻は首を傾げる。




「あの子はランスローの跡取りになるのかもしれないのですよ。しっかりしていて悪いことなんて、何もないのではありませんか?」




 純真な目で真っ直ぐに見つめられ、何も言えなくなった。




 最初の子が女の子だったので、周囲には次は男の子をと期待された。結婚して直ぐに子供が出来てので、2人目も直ぐに生まれると誰もが暢気に考える。しかしマリアンヌが5歳になっても、妻には懐妊の兆しがなかった。このまま子供はマリアンヌただ1人となる可能性が出てくる。


 見えないプレッシャーが妻にはかかっているはずだ。それを和らげているのがマリアンヌの存在だろう。


 すでに神童として有名になっている娘にランスローを継がせても反対はあまり出ないと思う。マリアンヌなら……という雰囲気が一族にはあった。それを妻は敏感に感じ取っているらしい。




「確かに」




 私は頷いた。




「だが、自分は両親には似ていないが、誰に似ているのだろう? と冷静に聞いてくる5歳児と言うのはどうなんだ?」




 苦笑が漏れる。




「あら? そんなことが?」




 くすくすと妻は笑った。




 私はその日のことを思い出す。


 マリアンヌは書斎にやって来た。私の横に来て、膝に乗せて欲しいと強請る。


 抱き上げて座らせると、聞きたいことがあると切り出した。


 自分は誰に似ているのかと、問われる。


 娘の耳によからぬ噂が入っていることを、私は理解した。


 私にも妻にも似ていないマリアンヌは顔立ちがはっきりしてきた2~3歳くらいからいろいろ言われるようになった。私の子ではないとか、そもそも2人の子ではなく取り替えられた子ではないかとかいろいろだ。マリアンヌが神童だという噂が流れ始めて、そういう出自に関する噂は消えかかっていたが、完全に無くなったわけではない。




「マリアンヌ、何を聞いたのかはわからないが、お前は間違いなく私達2人の子だよ」




 幼い娘を慰めるつもりでそう言う。だが、返ってきたのは予想外の言葉だった。








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