第269話 第七部 第二章 3 週末
わたしは朝からクロウと厨房にいた。
今日は昼過ぎ、献立表を作るために料理人たちが集まることになっている。
彼らに試食して貰う米料理を相談していた。
朝食後、真っ直ぐ厨房に向かうとラインハルトもついてきた。
厨房の隅に椅子を置き、座る。
わたしとクロウの様子を見守っていた。
その隣にはメアリもいる。
メアリは基本、離宮ではわたしの側を離れない。
いるのが普通になっていて、最近は気にならなくなった。
だが、厨房に王子様がいるのは違和感がありまくる。
それはクロウも同じようだ。
「マリアンヌ様」
何か言いたげに、わたしを見る。
ラインハルトが気になって、仕事に集中出来ないようだ。
わかっていると言うようにわたしは頷く。
「ラインハルト様」
声を掛けた。
「厨房でお待ちになるのもあれですから、お部屋に戻ったらいかがですか?」
控えめに、戻ってくださいと伝える。
「いいえ。ここにいます」
立ち去る気がないラインハルトに断られた。
その程度で帰るなら、最初からついて来ないだろう。
「試食で出すメニューを考えるだけで、ラインハルト様が心配しなければいけないようなとんでもないことはしでかしませんよ」
わたしは約束する。
「別に心配だからここにいるわけではありません」
ラインハルトは首を横に振った。
「では、何のためですか?」
わたしは首を傾げる。
「普段は仕事があるので、マリアンヌが何をしているのか見ることは出来ません。マリアンヌが普段、料理人たちとどんなことをしているのか知りたいのです」
この機会に、わたしがクロウと話したり相談したりしている様子を確認したいようだ。
(それを普通は心配というのではないかしら?)
喉までこみ上げてきた言葉は口にしないで飲み込む。
議論しても無駄なのはよくわかっていた。
ラインハルトの意思は固い。
わたしはちらりとクロウを見た。
視線に気づいたクロウはただ笑う。
仕方ないという顔をした。
「わかりました。では、そこでお茶でも飲んでいてください」
メアリにお茶の用意を頼む。
メアリはラインハルトのためにお茶を準備した。
わたしとクロウは今日のメニューを考える。
うーんとわたしは唸った。
渋い顔をする。
「作りたい料理も食べたい料理もいろいろあるの。でも、普及させることを前提として考えると、なかなか難しいわね」
ぼやいた。
「何が難しいのですか?」
クロウに質問される。
「例えば、カツ丼というメニューがあるの。豚肉をカツにしてそれを煮込んだタマネギと一緒に卵でとじるんだけど、味付けに醤油を使うの。肉醤があるからそれで代用できるけど、離宮でわたしたちが食べる分は作れても一般に広めるのは無理でしょう? 肉醤が手に入らないから、味付けが出来ない。塩で味をつけてもいいのかもしれないけど、塩味のカツ丼なんて、わたし的にはカツ丼ではないのよね。だから、今日の昼食にカツ丼を出すことは出来ても、試食メニューには向かない」
材料が足りないことを伝えた。
わたしの記憶にあるメニューのほとんどには出汁や醤油や味噌が使われている。
出汁は手に入るものは揃えた。
醤油はシエルがアークから預かってきた肉醤がまだ残っている。
だから、わたしが自分たちの口に入る分だけ作ることは可能だ。
しかし、他の料理人にわけるほど肉醤は手元にない。
「調味料の問題ですか」
クロウは納得した。
何回か肉醤を作った料理を作ってもらっているので、味の違いは感じているらしい。
簡単に手に入る材料で代用するのが難しいことはわかっているようだ。
「ドリアを作ったり、チャーハンを作ったり、雑炊を作ったりすることも考えたけど、それは材料の入手は簡単だけど、高くなる単価に見合うものにはならない気がする」
わたしはため息を吐く。
米は流通コストが掛かっているので、価格が高い。
その高い材料を使って作る料理には、その材料費以上の価値が必要だとわたしは考えていた。
例えば、ドリアはマカロニの代わりに米が入っているグラタンだが、ここではマカロニの方が遙かに安い。
それなら、普通にマカロニが入ったグラタンを作ればいい話だろう。
わたしはお米が食べたい日本人だから、マカロニよりドリアの方がいい。
だが、小麦が主食のこの国の人にとって、マカロニを米に替える意味はほぼないと思った。
チャーハンは手軽で簡単だが、その分、見た感じが安っぽくなる気がする。
材料費分の価値があるとは思えなかった。
そういう説明をわかりやすい言葉に言い換えて、クロウにする。
「美味しければいいという訳ではないのですね」
クロウは難しい顔をした。
価格と価値が釣り合わないと困ることを納得する。
「そうね。高い材料費を払っても、この料理を振る舞ってみんなに自慢したいって思ってもらえるようなものでなければ米の普及は難しい気がする」
わたしはやれやれという顔をした。
簡単に引き受けてしまったが、思ったより難しい。
決して安くはないものを広めるのは至難の業だ。
わたしは自分がその他大勢に過ぎないことを忘れていたらしい。
なかなかハードルは高かった。
クロウと2人で悩んでいると、ラインハルトが口を開く。
「試食は料理人の意見を聞くために行うのでしょう? それなら、マリアンヌの思う料理を作り、食べて貰ってからそれをどうアレンジすればいいのか相談すればいいのではないですか?」
助け船を出してくれた。
「最初から完璧である必要は無いと思いますよ」
そう言われて、はっとした。
その他大勢のわたしの力では足りないところを、みんなに助けて貰うための試食だ。
完璧でなくて良い。
「そうですね。そのための試食ですものね」
わたしは頷いた。
もしかしたら、わたしには思いつかないアイデアが飛び出す可能性だってある。
わたしの目的は米の普及であって、前世の料理の再現ではない。
美味しければ、それがわたしの知る料理からかけ離れていたとしても問題はないのだ。
そんな基本的なことをわたしは忘れていたらしい。
王族になったって、わたしはその他大勢の一人だ。
自分の力が足りないところは助けて貰ったっていい。
「とりあえず、作ってみることにします」
わたしは頷いた。
迷いが晴れて、すっきりする。
そんなわたしをラインハルトは満足そうに見た。
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