第532話 外伝7部 第一章 1 トルスト領





 最初の宿泊地は王都に一番近い領地だ。


 常であれば、ほぼ素通りするそこに今回はあえて立ち寄る。王都の近くに領地を持つのはほぼ有力貴族だ。顔を合わせておいて損は無い。


 マリアンヌは車窓から街の様子を眺めた。いつもは急いで通り過ぎるので、ゆっくり町並みを見ているような余裕はない。今回は馬車での移動も比較的のんびりなので、町の様子がよく見えた。




(なかなか栄えているわね)




 王都に次いで大きな都市だと、以前にルイスに説明されたことを思い出す。




「トルスト領の特産物ってなんだったかしら?」




 覚えていなくて、ルイスに聞いた。


 ルイスは呆れた顔でマリアンヌを見る。教えましたよね?とその顔は語っていた。


 確かに、覚えた記憶はある。だが、ずいぶん昔のことで忘れてしまった。トルスト侯爵とは仕事の関係で絡みはあるが、それはトルストの特産物に関係ない。


 そこからルイスの講義が始まった。


 楽しく聞いていると、意外にもメリーアンが興味津々という顔をしている。




(ドレスや宝石や花以外にも興味があったのね)




 マリアンヌは小さく笑った。


 正しく王族の姫様をやっているメリーアンは世の女性の大半と同じようにドレスや宝石などの流行に興味がある。マリアンヌより詳しいくらいだ。そしてそれ以外の話題はあまり出てこない。




「熱心ね。メリーアンがこういう話にも興味あるなんて思わなかったわ」




 マリアンヌは誉めるつもりでそう言った。だが、メリーアンは微妙な顔をする。




「母様、社交を舐めていません? 領地の特産物や状況を知らなければ、社交なんて出来ないじゃないですか。社交って突き詰めれば情報戦なのです。相手より自分がより詳しく知っていて初めて、有利に立てるのです」




 9歳の娘に説教された。




「……すみません」




 マリアンヌは謝る。娘の言葉が正論過ぎて、言い返すことが出来なかった。


 貴族の女性は噂好きだ。だが、ただの噂好きではない。噂は情報戦略の一つだ。噂には嘘もあるが真実だって混じっている。たくさんある噂の中から、真実を探り当てる勘を淑女は求められていた。


 娘が自分より社交が上手い理由を、マリアンヌは理解する。




(勝てないな)




 心の中で呟いた。












 領主の館に着いたのはお茶の時間の頃だった。


 屋敷は広く大きい。ほとんどの貴族が王都にも屋敷を持ち、社交の季節はそこでパーティやお茶会を開いた。だがその屋敷より当然、領地にある屋敷の方が大きく豪華だ。ちょっとした城みたいに見える。


 一休みしてからお茶にしようと言われて、まず部屋に案内された。


 ラインハルトとマリアンヌが夫婦で一部屋。メリーアンがその隣に一部屋、ルイスがさらに隣に一部屋あてがわれる。使用人達は街の方に宿が取ってあった。ラインハルトたちの世話は館の侍女達がすることになっている。


 必要な荷物の持ち込みだけ、メアリたちが行った。


 護衛だけを残して、他の使用人は街へ引き返す。




 マリアンヌは娘が気になって、メリーアンの部屋を訪ねた。


 コンコンコンとノックしてから、部屋に入る。




「一人で平気?」




 9歳の娘を一人にして大丈夫なのか、気になった。乳母も連れてくることを検討したのだが、高齢な彼女に長旅は無理そうだ。連れて行くのは断念する。代わりの乳母をつけようとしたら、メリーアンの方から断られた。使用人が世話をしくれるなら、支障はないと言われる。




「母様。わたしはもう子供ではないわ」




 メリーアンは首を横に振った。




「9歳女児は普通に子供よ」




 マリアンヌは苦笑する。




「それより、トルスト侯爵夫婦ってどういう人ですか?」




 メリーアンは質問した。興味がある。




「あ~……」




 マリアンヌは微妙な顔をした。




「侯爵は仕事で付き合いがあるからか、好意的な人よ。気が遣える穏やかで優しい人だと思う。先代から跡を継いだのは5年位前で、それ以降、領地の収入はアップしているので、なかなかやり手みたい」




 説明をメリーアンはうんうん頷きながら聞いている。


 そんな娘に、マリアンヌは笑みを漏らした。




「夫人の方は……、たぶん、わたしを嫌っているわ」




 苦く笑う。




「それって、父様を好きだから?」




 メリーアンは聞いた。




「気づいた?」




 マリアンヌは困った顔をする。




「けっこう露骨だったから」




 メリーアンは頷いた。


 出迎えたときから、夫人はラインハルトしか見ていなかった。ラインハルト一人に話しかける。


 そんな妻の様子に侯爵は呆れた顔をしていた。しかし、注意はしない。しても無駄なのは知っていた。


 2人の夫婦仲は上手くいっていない。


 完全な政略結婚で、とても事務的なものだ。


 2人の間には息子がいるが、息子が生まれた時点で夫人は自分の仕事は終えたと思っている。




「侯爵は街に館を持っていて、そこに愛人とその間に生まれた娘達を住まわせているの。週に一日か二日、そちらで過ごしているはずよ」




 9歳の娘に聞かせるのはどうかと思いつつ、マリアンヌは話した。社交するにあたって、それは重要な情報だろう。




「侯爵夫人はラインハルト様と年が同じで、婚約者候補だったらしいの。それで何度か顔を合わせて、実際、一度は婚約者に選ばれたそうよ。けれどラインハルト様が承諾しなくて、その話は流れたみたい。その代わりに紹介されたのが、トルスト侯爵だったと聞いているわ」




 マリアンヌは何とも気まずい顔をした。


 お妃様レースで妃となったマリアンヌは夫人に恨まれている。




「それで母様を嫌いって、ただの逆恨みですね」




 メリーアンは呆れた。




「そうね。でも、夫人は本当にラインハルト様が好きだったようなの。だから、簡単には割り切れないのかもしれない」




 マリアンヌは小さく肩を竦める。人の気持ちは理性ではどうにもならないことがあるのを知っていた。

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