第533話 外伝7部 第一章 2 ホームパーティ
トルスト侯爵夫人は張り切っていた。
「ラインハルト様。こちらのワイン、召し上がってください」
にこにこと笑顔でビンテージのワインを勧める。
ラインハルトはそれを断らなかった。これも仕事と割り切って、穏やかな笑みを浮かべている。
(目が全然笑っていないけど)
メリーアンは心の中で呟いた。
父の公務中の姿は見たことがある。だがメリーアンが目にする機会があるのは対外的な場での公務で、ギャラリーは他にもたくさんいた。
父は皇太子としての役目を承知していて、それに相応しい態度を取る。今ほど笑みは嘘っぽくなかった。
だがよく考えれば、そういう時はたいがい母が父の隣にいた。公務は妻同伴というものも多い。
しかし今、マリアンヌはラインハルトの隣にいない。トルスト侯爵たちと話をしていた。
トルスト領での夕食はホームパーティ形式だった。近隣の有力貴族の夫婦が4組ほど招待されている。
そこに侯爵夫妻の長男とラインハルトたちが加わり、15人ほどが集まっている。食事は立食で提供され、思い思いのところにみんなが集まっていた。
グループはいくつかに分かれている。
一つはラインハルトを独占しているトルスト侯爵夫人。
もう一つは他の領主夫人達が集まっている女性だけのグループ。
そして最後が領主達を集めて話をしているマリアンヌだ。
それを眺めているメリーアンの隣にはルイスがいて、どうやらルイスが本日のお目付け役らしい。
ちなみにトルスト侯爵の子息はマリアンヌのいる領主たちグループに混じっていた。嫡男として、務めを果たそうとしている。
領主達の話題は先日のお妃様レースの件だった。
他国の令嬢を妃として迎えることについて、そして今後の他国との関わりについて、真面目な議論が交わされている。
ワインを片手に持っているが、それに口をつけている気配はあまり感じられなかった。
穏やかに静かに話しているが、その内容はとても真面目で深い。
今回の母の目的がなんだったのか、メリーアンは察した。
母は働き者だとしみじみ思う。
父はそんな母の邪魔を夫人がしないように、そのグループから引き離すのが役目のようだ。
領主の館についてからこっち、夫人のマリアンヌへの態度は悪い。故意に無視したり素っ気なかったり、とても皇太子妃に対する態度ではなかった。だが、嫌味を言ったり悪口を言ったり、直接的な危害を加えたりはしない。だから注意はしにくかった。
それにメリーアンは憤慨したが、当の本人は全く気にしていない。
いつものことよとマリアンヌは笑っていた。
そんな母の態度がメリーアンとしては腑に落ちない。いらいらした。
だがマリアンヌは笑うだけで対策を取ろうとはしない。
むしろ、20年間ずっと自分のことを振り返ってくれない相手を好きでい続けることに尊敬さえ覚えるなんて言い出した。
母のそういうところがメリーアンは理解できない。自分のことなのに、まるで他人事だ。
それが嫌味ではなく、本気なのがさらに性質が悪い。
「こちらのチーズは領内で一番の逸品で……」
チーズの説明を夫人が始めるのが聞こえた。
ラインハルトは黙ってその説明を聞いている。その話には少し興味があるようだ。領内で取れる特産物の話だからかもしれない。珍しく、ちゃんとした相槌を打っていた。
それがわかるから、夫人の話も興が乗る。
その顔は少女のようにらんらんと輝いていた。
「侯爵夫人って、本当に父様が好きなのね」
メリーアンは呟く。
「ええ、有名な話です。だから、他の領主夫人はラインハルト様に寄って行かないでしょう? 二人きりの時間を邪魔したら、後で煩いのを知っているので放置しているのです」
ルイスは説明した。
他の領主夫人達がラインハルトに話しかけないのをメリーアンは不思議に思っていた。既婚者であっても、父は今でもよくモテる。見た目が飛びぬけて整っているし、性格も悪くないからだ。パーティに出ればいつも女性に取り囲まれれている。それが今日は無いので可笑しいと思っていた。そういう理由なら納得出来る。
気が強い夫人と揉めるのは誰だって嫌だろう。
「夫人はどうしてそんなに父様がお好きなのかしら?」
メリーアンはルイスに聞いた。
「それはラインハルト様も悪いのですよ」
ルイスはため息を吐く。
「彼女はああいう性格なので、他の令嬢の風避けには最適でした。それで、ラインハルト様は煩く寄ってくる令嬢達を避ける為に彼女を利用したのです。そしてそれを彼女は自分が特別なのだと誤解したようです」
渋い顔をした。
ルイスはもちろん、そのことを彼女に説明した。言葉は悪いが、利用させてもらったことを話す。彼女に期待させるのはあまりに残酷だと思った。
だが、その言葉を彼女は信じない。
ルイスが自分とラインハルトを引き離そうとしていると食ってかかった。
それ以来、ルイスはそのことに関わらないことにしている。
未だに、夫人はラインハルトを諦めていなかった。
「なるほど。母様が賞賛する気持ちが少しわかってきたわ」
メリーアンは苦く笑う。
報われない気持ちを持ち続けるのは簡単ではない。頑張る方向は間違っているが、確かにそれは賞賛に値した。
「マリアンヌ様は意地悪してくる彼女をあまり嫌いではないようです。直接的な危害を加えてこないうちは放置する方針でいます」
ルイスの言葉に、母ならそうするだろうとメリーアンは納得する。
その母に視線を向けると、領主達との話が終わったようだ。満足そうな、ほっとしたような、柔らかな表情を浮かべている。
「ラインハルト様」
マリアンヌの夫を呼ぶ声が聞こえた。
ラインハルトはトルスト侯爵夫人に一言断りを入れて、歩き出す。
「話し合いは終わったかい?」
マリアンヌに寄っていった。隣に立ち、その腰を抱く。引き寄せながら、しれっとマリアンヌの髪にキスをした。
「ええ。有意義な時間でした」
マリアンヌはにこにこ笑う。
その顔にラインハルトの手が触れた。
「そうだね。顔色も良くなった」
安堵の表情を浮かべる。
「相変わらず、仲睦ましいですね」
領主の一人がそう言った。
「ああ。仲良しだよ」
ラインハルトは大きく頷く。
「ぜひもう一人、子供が欲しいくらいだ」
冗談には聞こえないトーンで語った。
マリアンヌは苦笑する。
領主たちの笑いもどこか乾いていた。
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