第26話 第五章 4 運命の歯車 1
華麗にお断りし、わたしは一仕事終えた気分になっていた。
一息つこうと、お茶を飲む。
少し冷めてしまったが、高級なお茶はやはり美味しかった。
ふわふわと幸せな気分に浸っていると、ラインハルトはにこやかに微笑む。
「では、その一人目と二人目がいなくなれば、三番目のわたしにも権利は発生しそうですね」
怖いことを言い出した。
アルフレットが言った通り、王子様は腹黒系だったらしい。
それが冗談なのはわかっていた。
いくら王子でもそんな強権が振るえないことは考えるまでもない。
だが一瞬、わたしは想像してしまった。
自分のために誰かが傷つくのはとても怖い。
それが自分の愛する人なら、なおさら。
身体が小さく震えだす。
泣きたくなった。
それは手を繋いでいるラインハルトにも伝わる。
「すいません」
直ぐに謝罪の言葉がかけられた。
握った手をそっと撫でられる。
慈しむように、癒すように、優しい動きでラインハルトの手はわたしの手を包み込んだ。
「君があまりにも意地悪なことを言うから、私もついむきになって意地の悪いことを言ってしまいました」
ラインハルトは反省する。
「それでも、口に出して言っていいことではありませんでした。本当に反省しています。どうか、私の謝罪を受け入れてください」
優しい声音に、わたしはおずおずとラインハルトを見た。
青い目が真っ直ぐ私を見つめている。
それはとても不安そうに揺れていた。
王子はまだ19歳だ。
貴族社会では成人を迎えているとしても、実際のところはまだまだ子供なのかもしれない。
わたしにも反省するべきところはあった。
「わたしは、自分の身に何か起こるのは平気です。自分のことなら、自分でどうにか出来ますから。でも、わたしのことでわたしの周りを巻き込むようなことは、冗談でも口にしないでください。わたしは愛する誰かが傷つくようなことがあったら、絶対に許せないし、どんな手を使ってでも報復します。そんな自分がわたし自身も怖いのです」
ぼそぼそと言葉を続ける。
「ごめんなさい」
そんな言葉と共に、抱きしめられた。
(え?)
わたしは固まる。
ラインハルトは構わず、わたしを抱く腕に力をこめた。
少し息苦しい。
王子が何をしたいのかわからなくて困惑していると、謝罪の言葉が繰り返された。
「ごめんなさい。本当に反省しています。どうか、私を嫌いにならないでください」
懇願される。
その声はとても真摯で、本当に悪いと思っているようだ。
「……」
わたしはなんとも複雑な気持ちになる。
王子の腕の中は不思議な安心感があった。
すっぽりと包み込まれると、守られている気分になる。
わたしを震えるほど怯えさせた相手なのに、そんな風に思う自分に困惑した。
「わかったので、放してもらえませんか?」
わたしは軽くラインハルトの胸を押した。
ラインハルトは大人しく離れる。
わたしはほっと息を吐いた。
「私と結婚して欲しいのです」
ラインハルトは私の手を取り、最初の時とは違うとても重い響きのある言葉でプロポーズする。
「……」
わたしは本当に困ってしまった。
お断りしましたよね?――なんて言えそうな雰囲気ではない。
「……困ります」
わたしは俯いた。
他に言いようがない。
「そもそも、お妃様レースはどうするんですか? レースで勝った人から妃を選ぶ約束ですよね?」
問いかける。
お妃様レースはとても盛り上がっていた。
今さら、中止になんて出来るわけがない。
勝てば妃になれるのだと、参加者はみんな信じていた。
その絶対的なルールを破ることは、主催者といえど許されるはずがない。
「それについてはこれから、話し合いましょう。貴女の付添い人はルイスの兄のアルフレットですよね? 彼も呼んで、ルイスと4人で」
ラインハルトの中でそれは決定事項になっているようだ。
使用人を呼び、ルイスとアルフレットを呼ぶように指示する。
使用人は二人を呼びに行くため、退出した。
何も言わなかったが、ちらりと王子が私の手を握っているのを見る。
わたしと王子の関係をそういう意味に捉えたに違いない。
外堀からがんがん埋められていく気がした。
(勝手すぎますよ、王子様)
わたしは心の中でぼやく。
「どうして結婚を前提で話を進めようとするんですか? わたくし、承諾はしていません」
いやいやとわたしは首を横に振った。
「でも、私が望めば貴女に断ることは出来ないのです」
ラインハルトは苦笑する。
その言葉は真実だ。
王子に望まれれば、男爵令嬢のわたしに断ることなど出来ない。
それが貴族社会であり、階級というものの力だ。
そのことをラインハルトは自分でも皮肉に思っているようだ。
「権力なんて、必要ないとずっと思ってきました。それは私にとって、枷でしかなかったから。でも今初めて、王子として生まれて良かったと思っています。私はこの力を使ってでも、どうしても貴女を妻にしたいのです」
真摯に口説かれた。
「……わかりません」
わたしは困惑する。
「何故、わたしなんですか? わたしより綺麗な人はたくさんいます。優しい女性も他にたくさんいるでしょう。わたしは特別なものは何も持っていない、ただのその他大勢です。王子様が固執するようなものは何もないのです」
好きだと言われて、ただそれを信じることができるほどわたしは純粋ではない。
何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうし、騙されているのではないかと疑いたくなる。
だって、妃になるなんてどう考えてもそれはその他大勢の人生ではない。
まるで主役みたいではないか。
だが、わたしには主役が持つような特別なものは何一つないのだ。
チートな能力の一つでも持っていれば、もしかしたら自分が主役かもしれないと思うこともあったかもしれないけれど。
「何もなくはないですよ。貴女は困っていた私を助けてくれたし、弟の嫁にならないかと誘ってもくれた。王子である私を求める人は多いですが、王子でない私を助けてくれたのも欲してくれたのも、貴女だけです。私にとってそれは、王子の権力を使って無理やりにでも貴女を自分のものにするほどの価値があることなのです」
王子の言葉はどこか寂しく響いた。
自分の評価が低い人なのだと気づく。
こんなにも主役のオーラをキラキラと撒き散らしているのに、自分ではわからないらしい。
本当はとても寂しい人なのではないかと思った。
「本当は、貴女のところに婿に行きたいんですけどね。貴女の大好きな故郷で、男爵としてのんびりと穏やかな生活を送れたら幸せでしょうね。ですが、さすがにそれは無理なので……」
ラインハルトは残念な顔をする。
「ただのフローレンスだったら、愛してもらえましたか?」
切ないことを呟いた。
(ああ、ヤバイ)
わたしは心の中で呻く。
胸の奥がつんとした。
(そんなことを言われたら、突き放せなくなる)
ため息がこぼれた。
ただでさえ、フローレンスとしては一目見た時から気に入っている。
そんなことを言われたら拒めなくなってしまう。
「嫌いなわけではないんです。ただ、わたしには妃なんて荷が重すぎるし、他に二人も奥さんがいるのは、ちょっと……。わたしに他の妃たちと競う生活は無理です」
それは本音だ。
わたしは基本的に女という生き物は自分も含めて面倒だと思っている。
例えば、女の子は好きなタイプに『優しい人』と挙げる。
だが、女が求める優しい人は『自分だけに優しい人』だ。
誰でも優しい人は誰にでも優しくないのと一緒で、意味がない。
女は自分だけに優しくして欲しい生き物だ。
そんな女が三人で一人の夫を共有するなんて、想像するだけで恐ろしい。
表面上は笑っていても、心の中はバチバチだろう。
他の二人より愛されたいと、願うことは当然だ。
わたしだってそう願うだろう。
そしてそれが叶わなかったら、とても傷つく。
身体の傷はいつか治るが、心の傷は治りにくいので厄介だ。
そしてわたしは痛い思いをするのは好きじゃない。
出来るなら、傷つくことなく人生を送りたかった。
結局、わたしがその他大勢でいたいのは傷つくのが嫌だからかもしれない。
波乱万丈な人生より、穏やかな人生の方がリスクは少ない。
(ハイリスクハイリターンより、ローリスクローリターンがモットーなのよね。もっといいのは、ノーリスクローリターンだけど)
困った顔でラインハルトを見ると、きょとんとしていた。
「他に妃を娶るつもりはない。必要なのは、マリアンヌだけだ」
そう言われる。
熱烈な言葉に、女としては感動するべきなのかもしれない。
だが、わたしはロマンチストよりリアリストだったようだ。
(それはそれで困る気がする)
跡継ぎ問題が頭を過ぎる。
権力者がたくさんの妻を持つのは、権力にものを言わせて色欲に走っているだけじゃない。奥さんが一人しかいない場合、その妻との間に子供が出来なかったら子孫が残せないからだ。それを避けるため、権力者は何人も奥さんを持つ。日本でもそれが当たり前の時代の方が長かった。リスクを分散し、可能性を広げて子孫繁栄を狙うのは生物として理にかなっている。
だがそれをラインハルトに説明するのは、なんだか生々しくて嫌だ。
それに、結婚を受け入れたことになるような気がする。
(わたし、OKはしていないよね?)
自分のことなのにちょっと自信がなくなる。
話の流れが、完全に結婚の方へ向かっている気がした。
まるで、運命の歯車がそう回ると決められているように。
トントントン。
ノックの音が響いた。
ルイスとアルフレットを呼びに行った使用人が戻ってきたらしい。
「手を離してください」
私は頼んだ。
「何故?」
ラインハルトはそう聞いたが、手は離してくれる。
わたしはほっとした。
ドアが開き、ルイスがアルフレットを連れて入ってきた。
「お呼びですか?」
そう問いかけたルイスの目が、わたしに止まる。
並んで座るわたしたちを見て、眉をしかめた。
(並んで座っている時点で、アウトだったのか)
わたしは今さら、そのことに気づく。
「……」
ルイスの少し後ろにいたアルフレットはわたしを見てなんとも渋い顔をした。
(そんな目で見ないで。わたしもいろいろ頑張ったのよ)
わたしは心の中で言い訳する。
だがその頑張りは何一つ成果を挙げていないことは自分でもわかっていた。
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