第552話 外伝7部 第四章 2 不便
ラインハルトの一行は帰国の途についた。時間をかける必要もないので、帰りは大急ぎで馬車を走らせる。王都に向かった。すでに結構な日数が過ぎている。
ラインハルトの公務はまるっとアドリアンとオーレリアンに押し付けてきた。二人で手分けして処理しているだろうが、きっと終わっていないだろう。仕事が溜まっていることは予想するのに難しくなかった。
帰ったらその仕事を片付けなければいけないと思うと、ラインハルトもルイスも気が重くなる。
だが、メリーアンは一人、暢気だった。
「せっかくの旅行なのに、どうして帰りは急ぐの?」
のんびりと馬車の旅を楽しみたかったらしいメリーアンは不満そうにマリアンヌに聞く。
急いで走る馬車は乗り心地も悪かった。悪路の影響がもろに出る。
「そう長い間、留守には出来ないのよ。父様にはお仕事があるから」
マリアンヌは説明した。急いで帰らなければいけない理由があることを話す。
飛行機や新幹線なら数時間の距離だと知っているので、マリアンヌはは移動の時間をとても勿体無く感じていた。移動手段が馬車しかないことにはとっくに慣れている。それくらい長い時間を転生してから過ごしていた。だが今でも時々、便利だった前世の暮らしを思い出す。
世の中が進歩することは必ずしも善とは言えないが、便利だったのは確かだ。流通も輸送手段が変わればメリットが多い。だが、デメリットも脳裏を過ぎった。そういうのを考えると、この世界にない知識を活用する気にはなれない。
(そもそも、わたしには飛行機や新幹線を作る側の知識はほぼないしね)
心の中で苦笑した。作りたくたって作れない。だが作れたとしても、たぶん作らないということを選択しただろう。
人生とは、多少不便なくらいがちょうどいいのかもしれない。何もかも便利だったあの世界が、幸せだったのかは甚だ疑問だ。少なくとも、マリアンヌにはこの世界の人々の方が生き生きしているように見える。人間らしくというか、生物として正しく生きている気がした。
「もっとこう、空でも飛んでいけたら簡単なのにね」
早く帰らなければいけないことは理解したメリーアンはそんなことを言う。
「どうしたんだ? 突然」
ラインハルトは驚いた。突拍子も無いことを言い出した娘を不思議そうに見る。
マリアンヌも別の意味で驚いた。飛行機を思い浮かべた心の中を覗かれた気分になる。
「だって翼があったら自由に何処にでも行けるでしょう?」
メリーアンはラインハルトに答えた。
(ああ、そっちか)
マリアンヌは心の中で呟く。天使とかそういう系統の話だったようだ。
(普通、空を飛ぶという表現で飛行機を連想するわけないわよね。空飛ぶ乗り物があるなんて知らないのだから)
緊張で強張った身体から力を抜く。苦く笑った。
「そうね」
ただ頷く。
「でも、人が飛んでどこにでも行けるようになったら、それを悪用する人が出てくるのよ。人間は欲深いから」
良くないと、首を横に振る。
「そういうものなの?」
メリーアンは首を傾げた。
なんだかんだいって王宮の奥で大切に育てられているメリーアンは人の悪意に触れる機会は多くない。人の本質は善だと思っているのかもしれない。
「世の中、残念なことに善人だけではないの。悪い人もいるから、騙されないでね」
しっかりしていても娘がまだ9歳であることをマリアンヌは思い出した。急に不安になる。
娘の手をがしっと握った。
「さっきから、何の話をしているんですか?」
ルイスは訝しい顔をする。
「世の中には悪い人もいるという話よ」
マリアンヌは答えた。
「え? 空を飛べたら便利だという話ではないの?」
メリーアンは困惑する。
「……どっちもね」
マリアンヌは苦笑した。
「まあでも、世の中は多少不便なくらいが人は幸せなのよ」
そんなことを言う。
「母様の言うことは時々、よくわからないわ」
メリーアンは小さく首を傾げた。
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