第154話 閑話:予想外(後)
ローキャスターを含めた多くの貴族がマリアンヌを初めて見たのはマリアンヌの悪評がそれなりに広まった後だった。
ラインハルトと共に王に結婚と挙式の許可を貰うために王宮に現われる。
多くの貴族が興味津々の目でマリアンヌを見ていた。
(地味で目立たない女だな)
そう思う。
大人しく、どちらかといえば気弱に見えた。
だがその目立たない女は公爵であるローキャスターに堂々と反論する。
国王はマリアンヌにマルクスの話を振った。
第二王子がランスローに居を構えることが公の場で初めて明らかにされる。
それは第二王子派閥としては黙って見過ごすことは出来ない問題だ。
ここで何も発言しなければそれは決定事項となり、そのまま通ってしまう。
止めることが出来るチャンスはこの瞬間だけだ。
ローキャスターは発言する。
この場にいる第二王子派閥のなかで一番爵位が上なのは自分だ。
それはある意味、使命感だったかもしれない。
だがそれは逆に、マルクスの口から王位を継ぐつもりがないという発言を公の場で引き出すことになった。
今までもマルクスは王位を継ぐつもりはないことを態度で示していた。
だが、口には出していない。
発言する機会がなかった。
そもそもそんな話題は公の場で話されることはない。
しかし話の流れで、マルクスはそれを口にした。
一度口にした言葉は簡単には取り消せない。
それが貴族社会だ。
そのことを嫌というほどローキャスターは知っている。
最悪の展開に、嘆くより腹が立った。
何もかも、マリアンヌの思惑通りに見える。
生意気な男爵令嬢が裏で糸を引いているとしか思えなかった。
王子と結婚するとはいえ、マリアンヌはまだ男爵令嬢だ。
体裁を整えるために大公家の養女になることは決まっているが、それが形だけのものであることはみんな知っている。
誰もマリアンヌを大公家の令嬢とは思っていなかった。
そんな男爵令嬢に、公爵であるローキャスターが面子を潰される。
それは許すことの出来ない屈辱だ。
貴族というのはプライドを何よりも大切にする。
その一番大切なプライドを潰されて黙っていることは、さらに自分の面子を傷つけることになった。
恨みを晴らすべく、ローキャスターは裏でいろいろと工作する。
細かな嫌がらせを実行した。
たがそれは悉く空回りする。
誰かに邪魔された。
マリアンヌは嫌がらせに気づいてさえいないかもしれない。
唯一、成功したのはドレスのデザイン変更に許可を出さなかったことだけだ。
ローキャスターは王族のドレスのデザインを審査する査問委員会のトップにいる。
ローキャスターが反対すれば、許可は下りなかった。
マリアンヌが泣きついてくるまで、ローキャスターは承認するつもりはない。
だが当日になっても、マリアンヌは泣きついてこなかった。
許可が下りていないデザインのドレスで結婚式を行う。
(それならそれでいい)
ローキャスターはそう思った。
後から、マリアンヌの不手際を追求することが出来る。
思惑は外れたが、ローキャスターはほくほくだ。
やっとマリアンヌの弱味を握ったと思う。
ローキャスターは次の作戦に移ることにした。
マリアンヌは妊娠している。
公には発表されていないが、貴族なら誰でも知っていた。
悪阻で匂いに敏感になっていることも知れ渡っている。
尤もそれは、マリアンヌが自分から説明して回ったせいだ。
匂いを嗅ぐリスクを減らすために、マリアンヌはマスクという奇妙な布で口の周りを覆っていた。
それはとても目立つ。
誰もが気になった。
国王も同じものをしていたので、さらに注目が集まる。
視線を感じたのか、マリアンヌはいちいちマスクを使っている理由を説明していた。
誰もが、マリアンヌの今の弱点は匂いであることを知る。
ローキャスターは挙式後のパーティでマリアンヌに恥をかかせることを計画した。
もともと、大広間は換気が悪く、匂いが充満しやすい。
常の軽食しか用意されないパーティでも、香水の香りと料理の匂いが相まって、気分を害する人が出るほどだ。
挙式後の料理は軽食ではなくちゃんとした料理なので、さらに匂いは酷くなることが予想される。
マリアンヌがいる壇上は料理が並ぶ場所からは最も遠いが、そんなのは料理を皿に盛った自分たちが壇上の近くに集えばいい。
匂いを充満させる方法はいくらでもあると思った。
だがパーティが始まって、ローキャスターは戸惑う。
大広間はいまだかつてないほど換気されていた。
ひんやりと肌寒さを感じるほど、空気が入れ代わっている。
窓も扉も全て開かれ、見たことがない扇状のもので使用人が定期的に外から中へ風を送っていた。
そこでまず一つ、ローキャスターの目論見は外れる。
その上、料理からも匂いはほとんどしなかった。
理由は明らかだ。
どの料理も冷めている。
だが、これはこれでマリアンヌの失態になる。
内心、ローキャスターはほくそ笑んでいた。
冷めた料理になど誰も手をつけないだろう。
料理の手配をしたのがマリアンヌであることはみんなが知っていた。
しかしそれもまた予想を裏切る展開になった。
冷めているにも関わらず、料理に手を伸ばす貴族がいる。
それは自分の地元料理を供されている貴族だった。
その時に初めて、ローキャスターはテーブルに並ぶ料理が全てどこかの領地の郷土料理であることを知る。
地元の郷土料理なら、冷めていても味を確かめずにはいられないだろう。
そして食べた貴族は皆、一様にその味に驚いていた。
とても美味しいと親しい貴族に勧める。
半信半疑で食べた貴族はまた別の貴族に勧めていた。
その様子を見て、他の貴族も料理に手を出す。
初めから冷めているから、料理が冷めるのを気にせず話が出来ると妙に評判も良かった。
何故そんなことになるのか、ローキャスターは理解できない。
冷めた料理を出すのは明らかにマリアンヌの失態のはずだ。
そしてその時、いつもは香水臭い貴族たちから今日は匂いがほとんどしないことに気づく。
その理由は、派閥の別の人間が突き止めてきた。
マリアンヌが匂いに過敏になっていることを知っている貴族たちは、第三王子の不興を買うのを恐れて、香水の匂いを抑えたらしい。
第三王子の妃への溺愛はすでに有名だ。
好き好んで、王子の不興を買う者はいない。
余計な匂いがしないことで、貴族たちも不快な思いをせずにパーティを楽しんでいた。
それら全てがマリアンヌの思惑通りだと思うと、ローキャスターは面白くなかった。
せめてもと思って、王子に娘を売り込む。
ローキャスターは最初から、挨拶の場で娘をアピールすることを計画していた。
そう考えているのはローキャスターだけではない。
他の貴族もさりげなく娘をアピールしていた。
それはある程度、王子の不興を買うことも覚悟している。
だがこの場しか、ローキャスターには娘を売り込む機会がなかった。
王子への面会依頼はルイスのところで止まって、ほぼ通らない。
よほど重要な案件でなければ、個人的な面会に王子は時間を取らなかった。
だがさりげないアピールはなかったこととして流されてしまうことをローキャスターは知っている。
一か八かの賭けに出る。
それがとんでもない事態を招いた。
娘には王族のドレスに準じたデザインでドレスを作らせていた。
同じではないけれど、似たテイストになるように指示する。
査問委員会にいるローキャスターは何が駄目で何がいいのか、その境界線を知っていた。
お針子にデザインを出させて、チェックする。
その時点では何の問題もなかった。
黄色い花の模様は色のついたガラスで描かれることになっていた。
それが何故琥珀のクズ石に変わったのか、ローキャスターには理解出来ない。
だがことの重大さはわかっていた。
ドレスの禁止事項は熟知している。
いろんな意味で覚悟を決めた。
それをマリアンヌに助けられる。
何故自分を助けてくれたのかまったくわからないが、救われた。
ローキャスターはマリアンヌに言われた通り、国王に琥珀の鉱山を譲渡するための書類を作った。
密かに面会以来を国王に送る。
その返事を待っている間にマリアンヌのドレスの申請を許可し、お針子のところに届けさせた。
国王からの返事はパーティが終わった後、直ぐに来る。
控え室で国王に呼ばれるのをローキャスターは待っていた。
その部屋にラインハルトがやって来る。
当然、ルイスも連れていた。
「ローキャスター。少しいいかな?」
王子の来訪に、ローキャスターは驚く。
だが、そんな予感はしていた。
マリアンヌはドレスの申請の許可以外何も求めなかったが、ラインハルトは違うだろう。
やって来る気はしていた。
「……はい」
あんなに会いたかった王子がこのタイミングで向こうから会いに来ることにローキャスターは皮肉を感じる。
「なんでしょうか」
何を言われても受け入れる覚悟で聞いた。
王族のプライドも国王のプライドも二重に傷つけた自分に言い訳の言葉はない。
ラインハルトはローキャスターに向かい合うように座った。
「殊勝だな。自分が命を狙った相手に救われて、毒気が抜けたか?」
ちくりとラインハルトは笑顔で皮肉を口にする。
ローキャスターは苦く笑った。
だが、訂正しなければいけないことがある。
「確かにわたしはマリアンヌ様が恥をかくよう、いろいろ画策しました。ですが、命までは狙っておりません」
首を横に振った。
そこまでするつもりはない。
マリアンヌが恥をかけばそれで良かった。
「それは本当か? 自分の罪を軽くしようと言い訳しているのではないか?」
ラインハルトは疑う。
「いいえ。今さら、嘘はもうつきません」
ローキャスターは静かに否定した。
「そうか」
ラインハルトはただ、そう言う。
厳しい顔になった。
どうやら、ローキャスターの知らないところで、マリアンヌは命を狙われていたらしい。
気まずい沈黙が流れた。
ローキャスターは躊躇いながら口を開く。
「あの方はどんな方なのですか?」
マリアンヌという人間がわからなくなって、問いかけた。
「見たままだ。別に裏はない」
ラインハルトは答える。
「マリアンヌは貴族から最も遠くにいる。だがとても貴族的だ。本人の意図しないところで、物事は好転する。それを周りは勝手に解釈しているだけだ」
ラインハルトの言葉に、ローキャスターは考える顔をした。
「何も裏はなかったというのですか?」
確認する。
「マルクス兄上のことはすべて兄上の希望だ。あの人はもう、王宮のあれこれに煩わされることに疲れてしまったんだよ」
ラインハルトはそれだけ言うと立ち上がった。
「私の話は終わった。マリアンヌの命を狙ったのが公爵でないなら、話はない。父上との話が上手くいくよう願っているよ。マリアンヌの悲しい顔は見たくないからね」
ローキャスターのためではなく、妻のために願っていることを口にする。
「私がどうなろうと、マリアンヌ様には何の支障も無いでしょうに」
ローキャスターは苦笑した。
「そう思わないから、マリアンヌはマリアンヌなのだ。自分の敵でも最終的には許してしまうのだよ」
困ったように言いながら、ラインハルトは嬉しそうに見える。
「今後、マリアンヌに害をなさないなら私も何もしない。だが、許すのは一度だけだ。二度目はない」
きっぱりと告げた。
「はい」
ローキャスターは頷く。
それを見て、ラインハルトとルイスは部屋を出て行った。
ローキャスターが国王から呼ばれたのはそれからまもなくのことだった。
まるで見ていたようなタイミングで声がかかる。
ローキャスターはマリアンヌに勧められたとおり、琥珀の鉱山の献上を申し出た。
国王はそれを受け取る。
今回はマリアンヌに免じるとだけ告げた。
それ以上は話もなく、ローキャスターは退室を命じられる。
自分が本当に助かったことを、国王の部屋を出てから実感した。
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