第29話 第五章 7 運命の歯車 4




 アルフレットはマリアンヌの件を祖父に話した。


 密かに王子との結婚が決められていることを知っても祖父は落ち着いている。


 驚いた様子もなかった。


 それをアルフレットは不思議に思う。


 だが、問うことはしなかった。


 一緒に暮らしていても、アルフレットにとって祖父は遠い。


 マリアンヌが来るまで、一緒に食事をすることも話をすることもほとんどなかった。


 気安く疑問を問える相手ではない。


 マリアンヌとの約束を果たしただけで良しとした。


 それよりも、アルフレットにはシエルの方が気になる。


 マリアンヌの話を聞いたら、シエルの怒りの矛先は自分に向うだろう。


 それがわかっていた。












 夜遅く、アルフレットは庭に出る。


 シエルに話をしたいと呼び出されていた。


 覚悟していた呼び出しだったので、アルフレットは素直に応じる。


 シエルは庭の奥にいた。


 月の光を浴びたその容姿は王都の華と呼ばれてもてはやされたという叔母の肖像画に本当によく似ている。


 男だとわかっていても綺麗だ。




「待たせたな」




 声をかけると、ちらりと一瞥したシエルは顔をしかめる。




「役立たず」




 毒づいた。


 そのくらい言われることはわかっていたので、アルフレットは驚きはしない。




「口が悪い天使だな」




 ただ苦笑した。




「姉さんの前以外でいい子でいる理由がない」




 シエルは清々しいほどはっきりと言い切る。




「何のために三日間もついて行ったの? 姉さんと二人きりの時間を堪能するためとか言わないよね?」




 辛辣な言葉で容赦なく刺してきた。


 だが、アルフレットは申し訳ないと思っている。




「役に立てず、すまない」




 素直に謝った。


 そのことにシエルは苛立った顔をする。




「謝らないでよ。謝罪されたら、文句も言えなくなる」




 口を尖らせた。


 自分が八つ当たりしていることは十分、わかっている。


 だが誰かに八つ当たりでもしなければやっていられなかった。


 姉本人に、文句は言えないのだから。




「はあ……」




 シエルは深く息を吐いた。




「やっぱり、お妃様レースになんて出すんじゃなかった」




 愚痴る。


 嫌な予感は最初からあった。


 だが、簡単に王子と知り合うことはさすがにないと思った。


 本人が自覚しているより、マリアンヌは可愛い。


 だが、美貌を磨くことに多くの時間を割いているほかの貴族女性と比べたら、地味だ。


 もともとは色白だったが、長年続けた畑仕事でそれなりに日にも焼けている。


 健康的と言えば聞こえはいいが、貴族としては駄目だろう。


 好まれはしなかった。


 そんな姉を好きになるとしたら、知り合って人柄を知ってからだと思う。


 それには時間が必要だ。


 王子にそんな時間があるとは思えない。


 女装して参加するなんて、シエルにも予想できなかった。




「フローレンスが王子だなんて、最悪の展開だ」




 シエルは怒る。


 アルフレットは苦笑した。




「王子の求婚を断ることなんて出来ないのだから、仕方ないだろう」




 シエルを宥める。


 だが、シエルはキッとアルフレットを睨んだ。




「仕方なく結婚するわけじゃないから、最悪なんだ」




 口を尖らせる。




「姉さんは本当に嫌だったら、どんなことをしても逃げる。実は婚約しているとか、関係を持った恋人がいるとか。いくらでも結婚出来ない言い訳を考えるだろう。そしてそれに協力してくれる相手もいる。アークなら喜んで恋人役を引き受け、結婚しただろう。王子は人前でプロポーズしたわけではない。この時点でなら、断れば最初から話そのものをなかったことに出来たはずだ。それに気づかない姉さんじゃない。でも姉さんは、本当は王子と結婚するのが嫌ではないんだ」




 シエルの言葉にアルフレットは戸惑った。




「そんな感じには見えなかったが……」




 首を傾げる。


 マリアンヌは結婚を断ろうとしていた。


 だが、断りきれないと諦めていたようだ。




「それは姉さんの言い訳だよ。断れないから仕方ないのだと、自分に逃げ道を用意しているだけ」




 シエルはやれやれという顔をする。




「姉さんが初めて自分から興味を持って、親しくなろうとしたんだ。一目惚れなんて、本当に最悪だ。今までの僕の努力はなんなんだよっ」




 夜中なのを忘れて、吼えた。


 どんな努力をしたのかは、怖いのでアルフレットは聞かないことにする。




「まあまあ。結婚しても兄弟であることは変わらないし、お前のことが誰より大切なのは一緒だろう?」




 アルフレットは優しくシエルを慰めた。


 自分がこんなことをしていることを不思議に思う。


 実の弟のルイスにさえ、こんな言葉はかけたことがない。


 姉弟そろって、振り回してくれると苦笑が洩れた。




「そんなの、わかんないじゃん」




 シエルは拗ねる。




「結婚したら、旦那さんが一番大切になるかもしれない。もっと怖いのは、子供が生まれることだ。弟でも溺愛する姉さんが、わが子を溺愛しない訳がない。きっと、僕より大切な存在になる」




 涙がその頬を伝った。


 綺麗な顔が涙に歪むのを見るのは、心が痛い。


 なんとかしたい気持ちになった。




「泣くな」




 思わず、抱きしめてしまう。


 優しくシエルの背中を撫でた。




「何、これ?」




 シエルは冷めた声で尋ねる。




「慰める方法はこれしかしらない」




 アルフレットは答えた。


 苦笑を洩らす。


 自分でも可笑しいと思った。


 だが、シエルを慰めたい。




「……」




 文句を言われるかと思ったのに、意外にもシエルは何も言わなかった。


 黙って、アルフレットの腕の中にいる。


 アルフレットは優しくその背中を撫で続けた。


 実の弟が全く手がかからなかったので、アルフレットは年の近い同性の面倒を見たことがほとんどない。


 弟というのはこんなに手のかかる生き物なのだと初めて知った。


 だが、悪くない。


 手のかかる子ほど可愛いというのは本当なのかもしれない。




 アルフレットはシエルが泣き止むまでその身体を抱きしめていた。






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