32歳、《ルールブック》片手に異世界救世紀行
蒼蟲夕也
プロローグ
第1話 異世界の管理人
『異界管理人 急募!
仕事内容:異世界の保守・管理業務
勤務地:採用後、面接によって規定 ※希望がある場合、担当エリアを考慮します
雇用形態:正社員
就業時間:9:00~17:00(実働8時間)
休日:土日祝日(年間休日124日)
応募資格:不問。地元で長く働きたい方、歓迎します!
給与:月収30万~ ※経験、能力を考慮の上、詳細な支給額を決定
初年度年収:360万~500万円
備考:服装の規定はなし 私服面接OKです
電話番号:○○-××××-△△△△
(株)金の盾異界管理サービス』
▼
近所のコンビニの帰り道。
目下求職中の男、……坂本京太郎は一人、眉を寄せていた。
――異世界の管理業務……?
冗談だろうか。
あるいは、何かの業界用語、とか。
例えば、”異世界”みたいな名前の、どこかのテーマパークの管理人、的な。
あり得る話だ。
――まあ、そーいうのも悪くないか。
親戚の紹介で就職したIT系企業を退職して、三年経っている。
すでに貯金はない。
左手には、コンビニ袋に入った雪見だいふくがぶら下がっていた。
財布の中にある最後の百円玉で買ったものである。
――ってことはアレかな。ミッ○ーとか、○ナルドとか。ああいう連中と同僚になるってことだよな。
うまくやっていけるだろうか?
そういえばあいつら、普段なに喰ってるんだ?
飲みに誘ったら上司に怒られるかな?
どこか夢心地でそう考えていると、
「オヤ? アナタ、ワタシタチの仕事にキョーミ、おありで?」
ずいぶん片言の日本語で声をかけられる。
振り向くとそこには、ネイビーブルーのスーツを身にまとった、モデルのような金髪碧眼の優男がいた。
「ヤアヤア、ドーモドーモ。ワタシ、ソロモンとイイマス」
気安く話すその男は、目映いまでに白い歯を見せて、京太郎の空いた右手を握る。彼の指に嵌められたゴツゴツした指輪がひんやりと冷たい。
「えっ……あ……わ……」
一瞬、言葉が出てこない。ここ数年、場末のゲーム実況者の下手くそなプレイに文句を言う以外、まともに口を開いてこなかったせいである。
「ええと、……わ、わ、わ、私ですか?」
愚問中の愚問であった。相手は手を握ってこちらの目を見て話しているというのに。
「モチロン。その求人、トッテモ真剣に見ていたデショウ?」
「ええ……まあ……ちょっと今私、求職中でして」
「デハ、ちょうどイイ。さっそく面接シマショ」
「えっ。……良いんですか? まだ履歴書も見てないのに」
「イーンデスイーンデス。うち、ソノヘン甘々なトコロあるんで」
そんな馬鹿な。どんな企業だよ。
反射的に京太郎は身構える。
――こいつアレか? ……詐欺師とか、……なんか、そーいう類の人間じゃないのか?
一方、どうせこちらにはだまし取られるような金などないのだ、なんでもやってやろう、という気持ちもあった。
「では、とりあえず家に戻って着替えてきますんで……」
「あ、それはダイジョーブ。ソノママの格好でオーケー」
「いや、さすがにそういうわけには」
「ソノママの格好で」と言われても、今の京太郎はヨレヨレのTシャツにサンダル履きという、カジュアルすぎるファッションである。
「どうせ歩いて数分のとこに住んでますんで。ちょっとだけ待ってもらえません? ……その。……私、さっきコンビニでアイス買っちゃいましたし」
「フフフ!」
ソロモンは魅力的に笑って、
「後で食べればダイジョーブ! すぐ済むカラ!」
――すぐ済む……って。
まるで最初から結果が決まっているみたいな言い方だ。
――ますます怪しい。絶対、幸運の壺とかイルカの絵とか、そーいうのを売りつけられる羽目になる。絶対にだ。
眉間にしわを寄せていると、ソロモンはかなり強硬な姿勢で京太郎の手を引く。
「ホラ、ハヤクハヤク!」
「ちょ、ちょ、ちょっと……」
手を振り払おうかとも思ったが、結局、彼の意向に従うことにした。
理由は自分でもよくわかっていない。
強いて言うならば、好奇心に負けてしまったから、とか。
何にせよ、そのとき京太郎は、何かの物語が始まる気がしていた。
そしてその物語の主人公は、――きっと自分自身で。
思えばそれは、仕事を辞めてから、心の底ではずっと待ち望んでいた展開ですらあったかもしれない。
▼
そのビルは古い建物で、いかにもレトロな雰囲気だった。
灰色のリノリウムの階段を昇ると、白色蛍光灯で照らされた廊下に行き当たる。
廊下はガラス張りの扉が並んでいて、掃除と空調が行き届いた落ち着いた雰囲気の空間だった。耳を澄まさなければ、誰の話し声も聞こえない程に。
「ちなみに、このビルはどこも、ウチに似た業者が入ってるんデスヨ」
「へえ……」
その頃にはすでに、そこそこ覚悟は固まっていた。
何が起こっても、自分の裁量でうまく切り抜けられる気がしていたのだ。
その当て推量が現実的だったかどうかは別として。
「ところでその、イセカイ? カンリ? というのは、具体的にどういう……」
「難しく考える必要はナイんデス。坂本サンは、思った通りに行動すればいいだけデスカラ」
「はあ……」
ボンヤリ応えて、「あれ? 名乗ったっけ?」と、疑問に思う。
まあ、彼が名前を知っているということは、名乗ったということだろう。ここ最近、物忘れが酷くて困る。
ソロモンはニコニコ笑顔を崩さず、さっさと先を進む。
「ところでこれ、何かのドッキリとかじゃないですよね?」
ありえる。『水曜日のダ○ンタウン』あたりの企画で。
”三十過ぎた無職のオッサン、異世界って言葉見かけたら思わず飛びついちゃう説”とか、なんかそんなの。
だとすると納得できることがある。
テレビ業界だけだ、ソロモンみたいな美形が存在を許されているのは。
「エエト、……その、ドッキリ、というノハ?」
「何か……バラエティ番組の企画じゃあないんですか?」
「んなワケないデショ。曲がりなりニモ世界の命運がかかってるワケデスから。ワレワレはシリアスデス」
「そう言われても、だったら具体的に何をするか教えてもらえないと」
そこでソロモンが足を止めた。
特に目印となるような看板もないその扉を開くと、空調の匂いが鼻につく。
中を覗くと、型の古いPCが五、六台並んでいて、ごくごく一般的な”中小企業”といった感じのオフィスが見えた。
少なくとも、得体の知れないヤクザ者が飛び出してきそうな雰囲気ではない。
働いている社員は、……見たところ一名。
少し冷たい印象だが、一度見たら二度と忘れられないほど巨乳の美女だ。
彼女もソロモンと同じコーカソイド系で、少なくとも生粋の日本人ではなさそうだが、かといってどの国籍か予想することはできそうにない。
彼女は、数秒ほど興味深そうに京太郎に視線を向けたが、すぐに自身のデスクへと向き直った。
――ああいうヒトを嫁さんにもらったら、毎日楽しいんだろうな。
などと漠然としたことを考えながら、応接室の扉を開く。
京太郎を招き入れたソロモンは、相変わらずニコニコ笑っているだけだった。
▼
その後、ソロモンから受けた面接は以下のようなものである。
「マズ、……お名前は?」
「坂本京太郎です」
「ナルホド。では坂本さん、以前のご職業は?」
「IT系の企業で営業職をしていました」
「辞めた理由は?」
「……上司と折り合いがつかず。あと、休暇と就業時間が労働基準法に反していたこともあって」
「イワユル、ブラック企業ってヤツ?」
「そんなとこです」
「ヘェー。大変ダッタネ」
「……どうも」
「ジャ、自己紹介、オネガイ」
「ええと、……大学時代は映画研究会で副部長、してました。裏方として頑張ってきたんで、粘り強さには自信があります」
「スゴイジャナイ。映画撮ってたの?」
「はい。いちおう、当時の映画はYouTubeにアップロードしてます」
「ヘー、じゃ、今度観とこうカナ」
「ありがとうございます。……まあ、身内しかアクセスしてない動画ですけど」
「オーケイ。ナンカ、自己PRとかアル?」
「ええとその。……失礼ながら、御社の業務内容すらわからない状態でここにいますが、やる気はあります。なんでもやるつもりでいるんで、よろしくお願いします」
「なんでもやるって、本当になんでも?」
「……はあ。もちろん、法律に違反しない範囲で、ですが」
「ナルホド。……あとはソーダネー。……自分を動物に例えると、ナンダと思う?」
「……犬、でしょうか」
「最近読んだ本ハ?」
「漫画ですけど。『ゴールデンカムイ』です」
「ドンナ内容?」
「冒険ものです」
「イイねえ。……ワタシも冒険はダイスキだよ」
「ですね」
「じゃ、最後のシツモン。アナタの将来の夢はナンデショウか?」
「……誰かを笑顔にする仕事がしたいです」
「よし。オーケイ。リョーカイ。ワカッタ」
そうして、ソロモンは両の手をぱちんと打ち鳴らし、立ち上がった。
「終わり……ですか?」
これまで数十件以上の面接を受けてきたが、ここまで短いのは初めてだった。
たぶんだが、それがどういうことかはわかっている。
戯れに面接してみたが、見込みはない、ということだろう。
「ソンジャ、明日には連絡行くとオモウから。今日のトコロは帰ってダイジョブよ」
内心、少し落胆しながら席を立つ。
――やっぱりそんなに上手い話はない、か。
応接室を後にすると、コーヒーを口にしている例の美人と再び目が合った。
彼女に会釈して、逃げるようにビルを出る。
――失敗だったな。こんな近くの会社に落とされたら、今後、ここの社員の人と顔会わせづらいじゃないか。
そんな風に思いつつ、ずっと握りしめたままのコンビニ袋を開く。
中の雪見だいふくはずいぶんと柔らかくなっていたが、それでもまだ美味かった。
▼
その次の日のことである。
『オッケー。採用。今から出勤してもらってイイカナ?』
そんな電話が、ソロモンからかかってきたのは。
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