第120話 海辺の記憶
気がつくとそこは、見知らぬ海辺の街であった。
――この世界にも、こんな場所があるのか。
グラブダブドリップは内陸の都市であるので、異世界の海を観たのはその時が初めてだ。
特別、京太郎の知る”海”と大差はない。
ただ、少し寂しげな風景だと思った。
ひょっとすると、見ているものの心象風景が反映されているのかもしれない。
死んだような海と曇った空を見比べて、京太郎は辺りを見回す。
アル・アームズマンの時と同様に、彼女の姿はすぐに見つかった。
「……ステラ」
京太郎が声を掛けると、今よりもっと幼い……恐らくは人間で言うと十歳前後の姿になったステラが、体育座りで砂浜に腰掛けていることに気付く。
今のステラも活発な褐色肌であったが、それでもどこか幸薄そうな印象があった。
京太郎は彼女の隣に腰掛けて、
「元気か?」
わかりやすい愚問を口にする。
幼いステラは、見るからに気力を失っていて、頭を膝の上に伏せた。
『元気なわけないじゃない。――ほんと、勝手に心の中に入ってきて……紳士のすることじゃないわ』
「悪かった。……だが、必要なことなんだ」
『ふん』
ステラは顔を上げて、ちょっとだけ頭を京太郎の肘の辺りに預けた。
『……それで?』
「ん?」
『それで、この後どーすんの? ほっといたら何もかも良くなるの?』
「まあ、たぶん」
『たぶんって何よ。……頼りないなぁ』
実を言うと京太郎自身、”バクの腕輪”の仕様を完璧には理解していない。
これを使えば『ルールブック』を上書きして、精神状態をリセットさせることができるのはわかっている。
だが、そうなる条件ははっきりしていない。
――アルの時は……どうだっけかな。
京太郎が物思いに耽っていると、妙な出来事が起こった。
ちかっ、ちかっ、と二度、海の向こうで一本の輝ける絹糸のようなものが瞬いたかと思うと、瞬間、海全体がぐらりと揺れたのである。
「ん?」
それが前兆だった。
どぼんと揺れた海が波を作り、生まれた波がみるみる膨らんで、――ひとつの巨大な津波となる。
その高さは、――二十メートルほどだろうか?
青黒いカーテンが、遠目にはゆっくりとこちら側に迫ってくるのがわかった。
「おい、おい、おい……!」
京太郎は慌てて当たりを見る。津波に対して、海辺の街の堤防はあまりにも低い。
ここからでは、その街の全体像はわからなかった。どこかの田舎にある漁村、といったところだろうか。とはいえ人口は少なくない。
「津波がくるぞぉ!」
京太郎たちの背後で、誰かの悲鳴が聞こえた。だが遅い。遅すぎる。家にダンプカーが迫りつつあるのに、まず歯を磨くところから始めているようなものだ。
誰もが為す術なく、その津波に対する有効な対処を思いつけずにいた。
もはやそれは、人間の力で抗うことができるシロモノではない。
一つの形をとった、死に神の鎌であった。
「ステラ、………! これは………!」
ステラは気にせず、ぼんやりとした目でそれを眺めている。
『――……。こうなるまでに色々あって。詳しく話す気はないけど。……結果だけ言うなら。……まあ、こーいうことをした女だったってわけ』
京太郎は二の句を失う。
やはり、――最初に見えた隕石は、彼女の魔法だったらしい。
つまりこの事態は彼女が引き起こしたということで……。
『あたしの家族をめちゃくちゃにした復讐、だとか。
世界を取り戻すための第一歩、だとか。
迫害を受けたこの世界への憎悪、だとか。
ほかにもいろいろ考えてしたこと。
――子供だったのね……』
京太郎はほとんど聞いていなかった。
すばやく立ち上がり、”焔の手袋”を空に掲げ、大きく息を吸い、
「――火よ! 原初の
瞬間、その手のひらに、先ほどアルとの戦いで産み出した巨大な火球が産み出される。
その大きさを改めて確認したところ、およそ直径5、60メートルほどだろうか?
人間の目測ほど当てにできるものはないから大体それくらいだろうと解釈して、京太郎はその水のカーテンへ真っ直ぐ向き合う。
――これで助けられる人間は、……限られるだろうな。
それにそもそも、イメージの世界で人助けをしたところで何かが変わるわけではない。
だが、それでも、立ち向かう必要があると思われた。
今度は、ちゃんと説明書通りの取り扱い方であった、ように思う。
京太郎は頭の上の火球を、ボールを投げる要領で大きく振りかぶり、……投げる。
火の球はゆっくりと弧を描き、津波に向かって呑み込まれていく。
同時に、着弾点からもの凄い勢いの蒸気と、ここからでも鼻につんとくる潮の匂いが発生した。
大規模な科学実験を目の当たりにしている気分で、京太郎たちは固唾を呑んでそれを見守っている。
大空に向かって色の濃い煙が上がっていくのを二人、眺めながら、
「でも今は君だって、――人間にも良い奴がいることがわかってる。そうだろう?」
するとステラはなんだか、ちょっとだけ口元を緩めて、
『まあ、――ね』
「ならば、私の仲間である十分な資格がある」
京太郎は思った。
この娘はやっぱり、笑っている時の顔が一番好きだ、と。
「……さあ。仕事を再開しよう。定時までには何もかも片付けてしまいたい」
京太郎が手を差し伸べる。
幼い姿の”魔族”の姫は、ゆっくりとその手を握り返した。
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