第121話 奇跡のような幸運

 彼の手を取った時、一瞬、ステラの目の前に映る光景があった。

 ”迷宮メイズ”の用水路。”魔女の家”に向かう道の途中。


 奇っ怪な魔獣に乗る、奇妙な礼装を身にまとった”人族”の男と、彼と親しげに話す”人狼”の少年。


 自分はどこか、それをうらやましそうに見ている。

 ほんのちょっとだけ、二人の輪に入って行けたら、とも。

 でも、実を言うと、その願いは遠からず叶うことは知っていた。

 お節介な祖母の提案によって。

 自尊心を傷つけられない理想的な形で。


 ”魔女見習い”、ステラ。”魔族”の姫、ステラ。


 彼女の《星占い》の固有魔法は――。


 素敵な出会いと、多くの人々を巻き込んだ冒険の未来を指し示していた。



『うう……………』


 妙な感覚だった。ふと、白昼夢から覚めたような。

 自身の頭に男の手が載っていることに気がつき、ぱっとそれを払いのける。

 すっかり慣れたものと思っていたが、男に対する偏見は未だ心の奥底に根付いていた。

 それでも時々、彼に甘えたくなってしまうのは、この男の中に父親を見いだしているのかも知れない。――などということは絶対に、命を引き換えにしても認められないが。


「起きろ、ステラ」


 京太郎に耳元で囁かれ、鳥肌が立つ。別に彼を嫌っているわけではないが、こういうのは苦手だ。普段から気を張っているせいかもしれない。


『ウ、ウワー! へんたい!』


 そう大袈裟に叫んで、彼を蹴っ飛ばす。

 管理者に危害を加えた時特有の、綿菓子を蹴ったみたいな感覚がして、


「……変態とはご挨拶だな」


 京太郎は眉をひそめた。


「もう平気か?」

『え、ええ……』


 ステラは、またこの男に借りを作った事実に苦い想いをしながら、それでも心の中に重くのしかかっていた不愉快さが羽根のように軽くなっていることに気付く。


「なら、次はシムの番だ」

『うん……――いや。彼のことなら、いまは大丈夫』

「そうなのか?」

『ええ。さっき、あんたに借りた――その、”いせかいすまほ”? とかいうので連絡してみたのよ。そしたら彼、ちょうど安全地帯まで逃れたところで、今は雲の上からこっちを見てるって』

「雲の上……そうか」


 京太郎はほっと安堵の吐息を吐く。


『ところで、――あなたの『ルールブック』で、この街に掛かってる術そのものを一度に解除する方法はなかったの?』

「どうも、それは難しいようなんだ。もう一人の”管理者”から『ルールブック』取り上げられれば別だが……」

『なるほど。――つまり、そいつをぼこぼこにすりゃあ問題解決ってわけ?』

「それはそうなんだが……できれば、話し合いで解決したい」

『……話し合いで解決できるような相手なの?』

「ああ」


 ステラは目を細める。いまこそ、《星占い》を使うべき時だろうか? いや、人前ではあれを見せられない……。


――未来視の能力は人を狂わせる。……あの術は、愛する人の前でだって見せちゃいけないよ。


 祖母の教えは、正しい。

 それは、「タル一杯の葡萄酒に、ひとさじの小便を混ぜるような真似」だと。

 たった一つの事実が、それまで大切にしてきた何もかもを台無しにすることがある。


 幸い、先ほど京太郎に見せた場面は、自分のトラウマの中でも最も優しいもの。

 恐らくはアンドレイさんが飲ませてくれた薬酒のお陰だろう。あれでなんとか、気を逸らせることができた。

 もしあれがなければ、場合によっては人生最悪の場面を見られるところだった。

 この、奇跡のような幸運を、――無駄にするわけにはいかない。


「ステラ、――どうした?」

『ん? ああ……?』

「なんだか深刻な顔してるぞ」

『いえ……ってか、ちょっと気になったんだけど、あんたさっき確か、敵の管理者に惚れてるとかどうとか言ってたよね』

「え? あ、ウーン……そんなこと言ったっけ?」

『とぼけないで。確かに言ったわ』


 なんだか、全身がモゾモゾかゆくなるような感覚がする。ステラは未だに――「つがいになる」という風習を、野蛮で動物的だと感じていた。

 謎は多くある。

 なぜこの世に存在する多くのつがいは、互いの唾液を交換したがるのか、とか。ばっちいのに。

 ステラがこの世の真理を解き明かすのは、もうしばらく時間をかける必要があるらしい。

 だが、そんな彼女でもわかることはあった。


『……もし敵に特別な感情を抱いているのならば、それは本当に危険なことだわ。なんなら、あんたは前線に出ない方がいい』


 京太郎は首を横に振る。


「いや。大丈夫だ。そこに私情を交えるつもりはない。……もし必要なら、彼女の命を犠牲にするくらいの覚悟もある」

『なんですって?』


 ステラはちょっとだけ驚いた。

 そして、……少しだけ頭を振って、


『――いいえ。ダメよ。そんなことをさせるわけにはいかない。そんなことをしたら……』


――きっとあなたは、あたしたちの好きなあなたではなくなってしまう。


 そう言いかけて、それは自分のキャラではないと気付く。


『馬鹿なこと言わないで。――口で言うのと、実行することの間には深い溝があるの』

「だが、なんと言われようと、私はここで事態を放り出すつもりはない。――責任を君たちに押しつけるような真似もしない」


 ステラは嘆息する。

 頑固……というと少し違うか。


『とりあえず、ベストは尽くしましょ。――まず、何から始める?』


 返答は早かった。


「シムが平気なら、――あとやるべきことは単純だ」


 どうやら、彼の中ですでに手順は決まっているようだ。


「ニーズヘグを殺す」

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