第87話 大人の恋愛
終業のベルとともに扉をくぐり、帰社。
「ただいまっす」
言いながら、いつものようにウェパルの席に声をかける……が、そこには誰の姿もなかった。
「あれ?」
かつてないことなので、ちょっとだけ拍子抜けする。
――お手洗いかな?
そう気楽に思って、京太郎は自分の椅子に座って待つ。
だが、それから二、三十分経っても音沙汰がない。これはちょっとした異常事態だった。
――万一誰もいないところに泥棒でも入ったらどうするつもりなんだろう。
まあ、”異世界を管理する”などと常軌を逸した会社のことである。何らかの不思議な力が働いていて、防犯対策はバッチリ、という可能性もある、が。
京太郎は少し考えて、”異世界用スマホ”を試してみることにする。
これはちょっとした実験のつもりでもあった。
このスマホ、OSは一応最新の機種と同様のものが入っているはず。あわよくば現実世界でも試せるかも知れない。そう思えたのだ。
とりあえず、適当にスマホのアプリを起動してみる……が、どうしたことかいつまでも『Loading……』の文字が表示されるばかりで、ウンともスンとも言わない。
――やっぱダメか。
それでも京太郎は諦めず、廻谷浩介に電話してみる。
……が、残念ながら通じなかった。やはり異世界のアイテムをこちら側で使っても、うまく作動しないらしい。
京太郎は少し思い直して、元々持っていた方のスマホで浩介に電話してみる。
当然、そちらの方はすぐに通じた。
『――うーっす。どうした?』
「わるい。いま仕事中か?」
『仕事中だけど、休憩中。昼飯と夜飯一緒に食ってるところ』
「そうか。キツい状況だったか」
『そーでもない。今日はたまたま忙しいだけ。うちはわりかしホワイトだからなぁ』
確か浩介は、ミステリー好きが高じて大手出版社でしばらく働いていたが、小説家とかいう厄介な種族の対応に心折れ、今では叔父の紹介かなにかで事務職に就いているらしい。
「なあ、ちょっと相談したいんだが」
『ん?』
「お前、社内恋愛についてどう思う」
『どうって……時と場合による、としか。まあ、もし別れる羽目になったら気まずそうだよな』
「そうか」
『なんだ。良い感じの娘、見つけたのか?』
「ええと、……実は、まあ」
『マジかよ。やったなあ!』
「いや、まだ仲が進展するとはかぎらない。ただ、今夜デートする」
『へえ』
「そこで聞きたいんだが……その。なんかアドバイス的なのありませんかね、廻谷先輩」
『誰が先輩だ』
「女性の扱いには詳しいんだろ? 頼むよ」
『っつっても俺、基本的に向こうからくるからなあ』
「じゃ、もう切るわ。そして地獄に落ちろ」
『まあ待てって! そんな俺でも、言えることが一つある』
「なんだよ」
『学生時代の
「ぐむ」
『今日デートする相手には、ちゃんと異性として興味あること、伝えてるか?』
「……一応」
『一応、じゃダメだ。はっきり言葉にしないとダメだ。鈍感が許されるのはハーレム系の主人公だけだぞ。現実でそれやると自分の馬鹿さ加減で他人を傷つけることになる。それは本当に哀しいことなんだ』
「根っからの型月厨が、よく吠える」
『やかましい』
浩介はからから笑って、
『じゃ、相談に乗ってやった報酬として、明日の報告会を楽しみにしてる』
「ちょっとまて、そんなことしてやる義理は……」
『あ、上司来たから切るわー』
ガチャン、ツーツーツー。
京太郎は苦い顔で嘆息する。
ちなみに、ウェパルの姿は未だに見えない。さすがに少し不安に思って、そのまま彼女に電話してみる。が、『おかけになった電話番号は、電波のとどかないところにいるか、電源が入っていないため……』という機械女の声がするばかり。
――電波が通じないってことは……つまり、いま異世界にいるってことか。
嫌な予感がしている。
――ひょっとして、彼女の担当する世界で何かあったか?
一度その可能性に思い至ると、もう居ても立ってもいられない。
やはり自分は、ウェパルに惚れているのかも知れなかった。
京太郎は落ち着かず、社内を歩き回る。何か彼女が去った痕跡が見つけられないかと思ったのだ。
そこでようやく、自分たちが異世界に行くとき《ゲート・キー》と呼ばれる鍵を使っていることを思い出す。その鍵はいつも所定の場所に引っかけられていることも。
京太郎は小走りに、いつも使っている鍵かけの場所に行った。
そこには京太郎の担当区域である”WORLD0147”の鍵が掛けっぱなしになっており、それとは別に”WORLD0095”と”WORLD1777”がかかっている。
――そういえばこれってつまり、私の他に職員が二人いるってことか。
恐らく一つはウェパル、一つはサブナック。
――ん。となるとソロモンは何してるんだろう。
案外、この世界で外回りとかしてるのかもしれない。
よくわからないが、今はそのことを深く考えている暇はなかった。
京太郎はとりあえず自分の”WORLD0147”の鍵を取って、慣れた感じで異世界へと繋がる扉を開く。
▼
すると、シムが哀しげな表情で”お菓子ガチャ”で引いたハズレのお菓子(なんか輪ゴムみたいな味がする飴)を口に運んでいた。
『ふええ……不味いよう……でも捨てるのもったいないし……。って、京太郎さま!?』
綺麗な二度見でシムと目が合う。
『あれ、お戻りになるの早すぎませんか。たしか約束は夜明け前のはず……』
「すまん。ちょっとした用事で、一瞬だけ戻っただけだ」
『は、はあ……』
京太郎はさっそく”異世界用スマホ”を取りだして電話する。
――たしか、これなら通じたはずだよな。
果たして京太郎の予想は当たった。ぷるる、ぷるるるる、と、今度はちゃんと着信音がする。
だが残念ながら、ウェパルが出ることはなかった。
こうなってくるともはや、異常事態はほとんど確定している、……ように思える。
――誰かに助けを呼ぶべきか。
京太郎の頭に浮かんだのは、以前顔合わせしたサブナックという男だ。
彼の電話番号は知らないが、”異世界用スマホ”の仕様上、それは問題ないはず。
京太郎は彼の名を唱え、連絡を取ろうとする…が。
『おかけになった電話番号は、電波のとどかないところにいるか、電源が入っていないため……』
受話口からは、無情な機械女の声が響くばかり。
京太郎は頭をがりがりと掻きむしる。
試しにソロモンにも掛けてみたが、結果は同様だった。
『ど、どうされたんです、京太郎さま?』
「いや……。こっちの事情だ。何も心配しなくて良い。ではまた明日」
『は、はあ……』
京太郎は、開けっぱなしになっている扉から元の世界に戻る。
▼
――困ったな。こういう時どうすべきか、指示を受けたことがない。
とはいえ、ウェパルが約束を違えるとも思えなかった。
確か、サブナックが仕事を終えるのは、今から七時間後と言っていたか。
最悪、彼が帰還するまで待つことになるかもしれない。
京太郎は長期戦の構えで自分の席に戻り、落ち着きなく歩き回る。
いっそ警察を呼べたらいいのに。あるいは救急車とか。
こういうところ、この仕事は厄介だ。自分たちの問題は自分たちで解決しなければならない。
独りぼっちの孤独と焦燥を思う存分味わいながら、思考を回転させる。
――あるいは、お隣さんに声を掛けてみるか?
確かソロモンは、このビルに入っているのはみんな”ウチに似た業者”だと言っていた。つまり、こういうときの助けになってくれる人がいるかも知れない。
時計を見ると、すでに終業時刻から一時間ほど経過している。
――よし、行こう。
そう思った次の瞬間だった。
がちゃ、とドアノブを捻る音が聞こえて、
「ふああああああああああああ疲れたああああんもおおおおおおおおおおおお」
という言葉とともに、待ち人が現れたのは。
「ウェパル……」
とりあえず、彼女に何か起こったことは間違いない。毎朝クリーニングに出してるみたいに綺麗な彼女のスーツが、今や少し土で汚れている。それに、ところどころ破けてしまっているところまであった。
「いやはや、ごめんごめん。お待たせ。厄介なのに絡まれちゃってさ。今日は珍しくちょっと残業しちゃったよー」
「それより、怪我は?」
「怪我? 怪我なんかしないよぉ。異世界じゃあ私は無敵だからね」
「でも、なにかアクシデントがあったんじゃないのか」
「んー」
ウェパルはちょっとだけ考え込んで、
「ま、そりゃそうなんだけど。こっちのこと話してもしょうがないし。乙女のひみつってことで!」
ちょっとだけ舌を出しておどける彼女を見て、――
――はっきり言葉にしないとダメだ。
先ほどの浩介の言葉が頭に浮かんだ。
気付けば京太郎は、ウェパルの手をぎゅっとつかみ取っている。
今日一日、人間の生き死にを意識しすぎたからかもしれない。
男は命の危険に瀕すると生殖本能が高まるという。その真偽はともかく、京太郎の脳みその、今までにない部分が刺激されているのは事実だった。
異界管理人は、いつ自分の命が花のように散るかわからない仕事である。
だから京太郎は、その日を絶対に後悔しないよう、自分の気持ちを全て打ち明けることにした。
「ウェパル」
「…………えっ、えっ、えっ? どしたん?」
そしてほとんど言葉を精査しないまま、こう口走っている。
「わ、わ、私と……、その、一緒になってくれないだろうか」
この世界でもっとも気まずい間があった。
ウェパルはしばらく目を白黒させ、京太郎と、彼がぎゅっと掴んでいる自分の手を交互に見て、
「ほへ?」
大人の恋愛が行われているにしては、実に間の抜けた声を発する。
「一緒になる…………? って、その、え? 付き合って欲しい、ということ?」
そして京太郎は、後々このことを思い出して百回ほど枕に頭を叩き付けることになる台詞を吐いた。
「いや。一時的な火遊びのつもりはない。できれば私と結婚して欲しい」
「け! けっこ……っ!?」
もちろん知っている。
これ時々、匿名掲示板とかで『中途採用の冴えないおっさんにちょっと優しくしてやったらいきなりプロポーズされた件wwwww』みたいにしてスレが立つアレだ。
だが少なくとも、その時の京太郎は本気だった。
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