第145話 はじめての殺人

 飛竜の死骸が、――ある種の前衛的なオブジェクトのように積み上げられていく。

 とある苛烈な女”探索者”の命を受けた”世界樹”は、今や一個の強大な怪物と化して街を見下ろしていた。

 すでにニーズヘグによって蹂躙されつくしたその街は、さらにその有り様を変えていく。

 今やその場所は、千年もの間、動物が足を踏み入れなかった植物の楽園のように見えた。


 かつて、まだ人類の手元に”戦争”という愉しみが残されていたころ、トネリコの樹はとある”マジック・アイテム”の材料に使われたという。

 その”マジック・アイテム”の名は一般に、”槍”とだけ呼ばれていた。

 震える民衆を猛る殺戮者と変えたその武器は、現代においては虐殺の象徴とされている。


 世界が洪水に流される前の、――伝説にのみ伝わるその光景が、”探索者の街”に蘇っていた。



 ……と、いうような地上の様子を感覚的に理解した京太郎が、呟く。


「――もう地上は、安全だろう」


 その顔からは、多少血の気が引いていた。

 この街から、ワイバーンの気配が綺麗さっぱり消滅している。恐らくは街の外も同様だろう。ひょっとするとこの世界から全てのワイバーンを一掃することだって不可能ではないかもしれない。


――こんな恐るべき兵器を、……政府公認とはいえ一介の”探索者”が所有していたとは。


 恐ろしい世界だ。

 だからこそ、自分やウェパルのような人物が派遣されているのかもしれないが。


「左様、で、ござるか」


 そしてラットマンは、今や腰の辺りまで木の根と同化しつつあるソフィアに向かって、ナイフを引き抜いた。


「……何をする気だ?」

「完全に樹と同化する前に、姉貴の命を絶たねばなりませぬ」

「待て」

「……? まさか、姉貴をこのまま放っておくおつもりで?」

「いや。その……彼女の始末は、私がやるよ」


 ラットマンは、ちらとこちらの顔を見上げた。何とも言えない顔をしている。


「しかし……」

「いまこの街で起こっていることは、全て私の責任だからね。――やらなくてはならない」

「でも、あなた、刃物を使えるんですかい」

「わからん」

「わからんって……、下手に苦しませることになっちゃあ……」

「努力する」

「ニホン人には、”ハラキリ”とかいう野蛮な風習があると聞きますが」

「ええと、……いや、腹は切らない。ちゃんと急所を突くつもりだ。だから、サポートしてくれないか」


 ラットマンは一瞬、仲間のジョニーと目を合わせる。

 寡黙なその大男は、黙って頷いた。


「……承った」


 そして、鉛筆を手のひらで転がすような手つきで、ナイフを京太郎に渡す。

 京太郎はそれを受け取って、つかつかとソフィアの元に行った。

 あれほど美しかったソフィアの肌はすっかり茶色く変色していて、表情の変化などもない。

 ぱっとみた感じ、そういう形のオブジェにみえないこともなかった。

 ただ、それでもまだ、人間の形をしている。


「ふむ。……ええと、どうやれば苦しまないかな」

「肋骨の間から、――心の臓をひと刺しにするのが良いかと」

「それ、わりと難しくないか」

「場所は、拙者が案内しましょう」


 気付けば、自分の心臓の方が先に止まるんじゃないか、――というくらいには胸が鼓動している。

 だが不思議と、いつも親しげにしている”後悔”の二文字は浮かんでこない。

 いずれ通らなければならない道だと思っていた。むしろこの場合、難易度としてはかなり優しい。


 しかし。

 そうだとわかっていても、京太郎の心には未だ迷いがあった。

 無理もない。訓練を受けた兵士であっても、ナイフの取り扱いは”斬る”方法を選びたがるという。古来より、刃物の取り扱いは”斬る”よりも”突く”方が優位性が高いということは証明済みであるにも関わらず、だ。

 その理由はというと、なんでも、相手の肉体に触れ、それを刺し貫くという行為はいくらか性的な意味合いを連想するためらしい。

 性行為に類似する方法で他者を殺傷する行為について、人は強い嫌悪感を抱くのだそうだ。


 その時の坂本京太郎も、まさしくそうであった。

 彼の頭の片隅から離れずにいたのは、――初めてセックスした日のこと。


――ねえ、せんぱい。

――わたし、こうしているだけで、すっごく幸せだよ?

――がっこうのこととか、将来のこととか。なーんにも考えなくていいんだもの。

――ねえ、せんぱい。

――もういっかい、しよっか。


「……………――ッ!」


 手が震える。背筋が凍る。だが、やりとげなければ。責任は取る。責任を取らなければ、その方がきっと後悔する。


 その肩に、ぽんと手が乗せられた。

 一瞬、ラットマンかと思ったが、そうではない。

 見ると、サイモンだった。


「まあまあ、旦那。そんな捨て犬みたいな顔、しないでくだせぇよ」


 顔をしかめる。


「そこまで根性なしに見えるかい」

「童貞捨てる時ぁそんなモンです」

「そうかい。――私が武士なら、今こそ腹を切っているところだな」


 嘆息。

 きっとこの場に、シムとステラがいたら励ましてくれたかもしれない。

 だからといって、彼らに頼る訳にもいかないが。


 今度は、大きく深呼吸。

 やることは簡単だ。力を入れる方向は、ラットマンが指し示してくれている。


「すまん、――ソフィア」


 そして、腕に満身の力を込めた。

 ナイフを通じて、肉を裂く感触が伝わってくる。皮膚を貫き、脂肪を貫き、骨を通り抜け、ソフィアの鍛え抜いた筋繊維を分断し、――やがて、鋼鉄の刃が彼女の心臓に到達したことがわかった。

 スーパーで売ってるグラム150円の豚バラ肉をカットするより、よっぽど力が要るな、と思う。


 それが、坂本京太郎が自らの手で行った、最初の殺人となった。


 そして、数秒。


 ソフィアの身体が、淡く輝く。

 魂魄化が始まったのだ。

 彼女は末期の言葉を残すようなこともなく、虹色の残光を残しつつ、天へ向かって飛び去っていった。


「――これでよし」


 それを見送ってから、京太郎は可能な限り動揺を表に出さず、ナイフをラットマンに返す。


「……この後は?」

「ウェパル、――全ての元凶になった子と、会うよ」

「それで?」


 ラットマンの当然の質問に、京太郎は一瞬、妙な顔をする。


――それで? ……私は、どうするつもりだろう。


 考えて。


「あとはアドリブだ」


 結局、そう応えるしかない。


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