第144話 虐殺劇

 しゃり、しゃりしゃりしゃり、もぐ……ごくり。


 ソフィアがその金色のリンゴを食べ終えるまで、五秒とかからなかった。

 ものすごい早食い芸だと思った。


「……って、おいッ!?」


 一拍遅れて、慌てて彼女に駆け寄る。


「いまなに食った!? べぇーしなさい、べぇー!」

「お待ちを」


 その足を止めたのは、影のようにソフィアに付き従っていたラットマンだ。


「待つって……いや、なんかいま、ソフィアが……」

「ご安心くだされ。我々は”不死”であるが故。死にはせぬ」

「そうなの? しかし……」


 ソフィアの様子を見る。彼女は今、目を細めて片膝をついている。

 この世界の地面は基本的に汚い。うんことかわりと平気で放置されたりしている。このままでは彼女の美しい身体が汚れてしまうではないか。悪くすれば病気になったりするかもしれない。


「拙者もまた、あの”黄金のリンゴ”を手に入れる経緯に立ち会った者である故。――あのリンゴの真実を知っているのでござる」

「リンゴの真実?」

「左様。……あの不老不死の伝説は、――実を言うと、真っ赤な嘘だったのでござるよ」

「そうなのかい」

「うむ。それはラグナグに住む一部の者にのみ伝わる、秘密の口減らしの手段であったのでござる。”金のリンゴ”を食べたものは、確かに不老不死を得られる。――しかし、ご覧あれ」


 ラットマンと共に、ソフィアの姿を見る。

 彼女の、あれほど白く美しかった肌が変色を始めていた。

 その姿は、さきほど見た植物と人間と合体したような生き物、――アルラウネを彷彿とさせる。


「な、なんだこれ……っ」

「”金リンゴ”を喰ったものは、このように身体を変異させてしまうのでござるよ。不死人間。――ストラルドブラグの正体はすなわち……」

「植物化した人間、ということか」

「左様。ご存じの通り、一部の樹には寿命というものがござらぬ。……すなわち不老となる、ということにて」

「そう……なのか」


 京太郎は眉をしかめて、


「禁断の果実、だな」

「うむ」


 ラットマンの顔は終始、渋い。

 どうやら”黄金のリンゴ”を巡る冒険は、彼にとって苦い経験をもたらしたらしい。


「世界が平和になってからというもの、あらゆる国で、多様な種類の人口制限が行われている。――この国が、子作りを許可制にしているのと同様に。”黄金のリンゴ”は、ラグナグ王国における”人道的”な人口制限の手段なのでござるよ」

「そうか……」


 なんとも言えない空気になった。

 たっぷり十秒ほどの沈黙の後。


「……で?」


 ルーネが口を開く。


「ウチも、あれ食べると樹になる、っちゅうんは知ってたよ? 本になってるからね。ルー・アームズマンが書いたやつやろ?」

「うむ。何を隠そう、あの本の元ネタはソフィアの姉貴がもたらしたものである」

「うん。それも知ってる。ウチ、わりと本好きな人やし。……で? その、ソフィアさんが樹に変異したから、どうなるっていうん?」


 ラットマンは、セフィロトの樹を見上げて、


「ここから”世界樹”に接続し、姉貴はグラブダブドリップ全体を支配下に置くつもりでござる」

「えっ」


 ルーネが目を丸くする。


「まさか、そんなこと……」

「できる。前例もある。”世界樹”には意志がないでござるからな。いくら巨大なものであっても、意志を持つ者が優先されるのでござる」


 彼女は、少し眉をひそめて、


「それって……怖くないかなあ? もしソフィアさんが裏切ったら、……この世界そのものがひっくり返っちゃうかも」

「それは問題ない。姉貴はこの世界を愛しておられる。――それに、本を読んだのであれば知っておろうが、ラグナグ王国は、すでに滅びた。”黄金のリンゴ”は、姉貴が持っているものを除いて全て焼き払われてござる」


 その小柄な男は、その点だけはまったく心配していないようだった。


「まあ……そういうんなら、ええねんけど」


 ルーネ・アーキテクトは、髪を指先で弄びつつ、


「えっと、じゃ、ウチらは次に、何を……?」


 異変が起こったのは、その時である。



 その変化は、植物という存在そのものが持つ印象とは裏腹に、ピストルの弾丸のように早急であった。

 グラブダブドリップの地下に張り巡らされている”世界樹”の根が、突如として隆起し、地盤を吹き飛ばし、数千、――いや数万匹の大蛇が突如目覚めたように脈動を始めたのである。

 

 まず、地下から世界の終焉を告げるような音が鳴り響いた。

 その異変に最初に気がついたのはもちろん、危機にさらされているワイバーンたちである。

 とはいえ、ソフィアが念じた木の根の攻撃を避けられたワイバーンは、ただ一匹の例外もなく存在しない。

 ほとんどの飛竜たちは皆、突如地下から出現した針山が如き木の根に貫かれ、断末魔の悲鳴を上げることもなく絶命した。

 その一撃の鋭さは、かつてアキレウスが振るったとされる、トネリコの槍を彷彿とさせる。

 その様子はもちろん、”探索者の街”に住まう人々の多くが目の当たりにしていた。

 立ち上がる気力すら奪われ、自身の命すら投げ出した彼らをしてなお、その様子は心を圧倒する何かがあったという。

 長らく彼らの精神的支柱であった”世界樹”が、葉っぱをもみくちゃにしてお尻を拭く材料にしていたその”世界樹”が、突如として荒ぶる神となって殺戮を始めたためだ。

 その結果として人々が傷つくことはなかったものの、大人も、子供も、老人も、昨晩は幸福に包まれていた家族も、借金に苦しむ貧乏人も、人間関係に悩む若者も皆、その凄惨な光景に、世界の終わりを垣間見た。


 そしてそれは不思議なことに、街の住人ほぼ全員に、同様の感想を植え付けたのである。

 

 この世の中は一種のドタバタ劇スラップスティックに過ぎず、そこには悲劇などというものはない。ただ喜劇があるだけだ。


 この世界を深刻に捉える必要はない。

 世界の方は、我々を深刻に捉えてくれてはいないのだから。

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