第184話 勇者を苦しめたもの

 船尾に腰掛けながら、約束の夜明けを待つ。

 出港までの空き時間。

 船員たちもいまは暇を持て余しているらしく、娯楽室に設置したピアノの音が聞こえていた。どうやら、腕に覚えのある船員がいるらしい。知らない曲だが、巧いことだけはわかる。


 暗闇に染まった港に、人影は見えない。

 約束の時間が迫っているのだが。


――さすがに、身辺整理のための時間が短すぎたか?


 とはいえ、もとより”探索者”は根無し草の連中が多い。さほどやるべきこともないはずだ。


「おはよ」


 そこで、京太郎に声が掛かる。振り向くと、濡れ髪のステラだ。朝のシャワーを浴びたばかり、といったところか。

 ステラは京太郎の隣にすとんと座って、


「お茶のおかわり、いる?」


 と、皮の水筒を差し出す。注ぎ口からは湯気が立っていた。


「気が利くじゃないか。今朝はどうした?」

「あたしはいつも、気が利くの」

「そうか?」

「そうよ」


 そして二人、ふうふうと紅茶を吹く。

 今のところ、京太郎が『ルールブック』によって生み出した設備の中でもっとも好評なのはこの、リプトンのティーバッグであった。

 ”アドベンチャー号”の船員にはいま、空前の紅茶ブームが到来しており、皆が皆、仕事の合間を縫っては紅茶を飲んでいるような状況である。どうもこのティーバッグの利便性が人気の理由らしい。船員の中には、使い終わったティーバッグを家族のためにコレクションしている者までいる始末だった。そんなことしなくても別に、新品を持って帰っても構わないのに。


「みんなの調子はどうだい」

「いいかんじ。――最初はいろいろなものの使い勝手に戸惑っていたけれど」

「そうか?」

「シャワー室とトイレが ねー。明らかにオーバーテクノロジーって感じ。おしりを紙で拭くとか、どこの貴族だって話だし。っていうか正直、あそこまで吸水性の高い紙ってだけでびびるわ。あれ、どうやって作ってるの?」

「知らない」


 京太郎は率直に言った。


「私の世界では当たり前にあるものだからなぁ」

「……ふうん。――良いところなのね、あなたの故郷って。そう考えると、あたしたちの世界って、わりと遅れてるように思える」

「そうでもない」


 そこははっきりと断じておく。


「私には時々、こちらの側の人間の方が生を謳歌しているように思える時があるよ」

「そうかなぁ?」


 そこで、


「まあ、滅びに至る世界の、一瞬の煌めき、――といったところかのォ」


 すぐ隣からしゃがれ声がした。

 誰かと思って振り向くと、――道着に似た服を着た老人が座っている。

 ステラと京太郎はほぼ同時に紅茶を吹き出し、


「り、リカ・アームズマン!?」


 ほとんど似たようなリアクションでカップを取り落とした。

 老人は目にもとまらぬ精妙な所作でカップを二つ、空中で拾い上げ、


「大袈裟じゃの。ほれ」

「あ、ありがとうございます」


 慌ててそれを受け取る。


「……”鉄腕の勇者”が、何しにきたのよ?」


 ステラが、噛みつくような口調で訊ねた。

 そういえばこの二人、顔見知りだったか。


「ちょいと話にな」

「話?」

「どーせ暇にしてそうだし、別にいいじゃろ。話し相手になりんさいよ」


 ステラは、どこか悔しそうに押し黙った。

 考えてみればリカは、彼女の祖父を殺した男である。なれ合えるはずもなかった。

 だがリカは、そのような過去の因縁など完全に水に流したかのように口調が軽い。まあ、いまさら神妙にしたところで何かが解決する、というわけでもないが。

 京太郎は、二人の間を取り持つような口調で、


「では、個室に移動しますか? 朝食でも食べながら……」

「ここでいい。どーせ長居はせんし」

「……ふむ」


 どうやら、話は手短に済む程度のものらしい。

 遅れて気がついたが、今のリカの服装は、爆撃でも切り抜けてきたかのようにボロい。どうも旅から戻ってすぐ、ここに駆けつけてきたらしい。

 それだけで、――なんとなくではあるが、ウェパルにされた何かを察した。


「長旅、だったんですか?」

「うむ。”世界の端っこワールド・エンド”から休みなく走って、さっきアルのやつをたたき起こして、オ主らの居場所を聞いて、――そのままここへ直行してきた」

「なるほど」


 それが、どれほどの距離を走ってきたこと指すのかはよくわからないが……まあ、人間業ではないことは容易に予想できる。


「だが結局、……それほど急ぐ必要はなかった。”管理者”どの」

「?」

「ワシはてっきり、オ主が英雄気取りで街を導いている可能性を考えておったのよ」

「ああ……それはいろいろ考えて、やめておきました」


 理由はいくつかある。

 単純に目立つような真似を避けたい、ということが一つ。

 それとは別に、此度のような異変に対応する者は”勇者”とその家系の者でなければならない、というような考え方が、この世界の人間にはずいぶん強く根付いていたため、というのもあった。


 これは特別なことではない。地元の王族を擁立せねばその土地の者が従わない、というようなことは京太郎の世界の歴史でもよく見られる現象だ。

 事件の解決が”勇者”とはまったく無関係な外国人であるという事実は、いずれ歴史の闇に葬り去られる運命にあるだろう。


「なんと欲のない男よ。普通、一度でも命を賭けた者は、一生それを鼻にかけて生きていくものだというのに。……オ主は、人に認められたいという欲望がないのかな?」

「ないことはないですけど、それより優先すべきことがある。……でしょう?」

「まぁのぉ」


 ”勇者”は、両の目を閉じ、考え込む。


「それに今後のことは、この国の人々が自分で選んだ道に任せるべきでしょうし」

「賢明じゃの」

「軍師が優秀なんですよ」


 シムがこの場にいたら、照れてその場で丸まってしまいそうな台詞だ。


「オ主がそういう方針なのであれば。……ワシが言えることはもう、ない」

「なら良かったです」

「いや、やっぱ一つあるわ」

「……どっちなんです」


 京太郎は苦笑する。

 だが、”鉄腕の勇者”の目は、孫に説教するような目つきで、真剣だった。


「いいか、”管理者”どの。この世の中は、賢明な者ばかりではない。幼児性を腹の内に抱えたまま生きてきたような者も多くいる。。……それを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


 要するに、この世の中は信じられないくらいの阿呆がいる、と。

 一言で言うとそういうことで。

 なんだか居酒屋で定年間際の上司に聞かされるような話だが。

 その時の京太郎は、その言葉を胸に深く刻み込んだ。


 きっとそれは、かつて”勇者”たちの冒険において、最も彼を苦しめた何かだから。


「わかりました。覚えておきます」

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