第55話 ある遊廓にて

 この街の娼妓は一般的に、職を追われた貧乏人の子か、どの”勇者”の庇護下にもない外の領土から買われてきた人々、あるいは単純に性の関心が強い者が自主的になるとされている。

 自主的になる者もいるくらいだからその待遇は決して悪くなく、店の品格によっては偶像アイドルじみた扱いを受ける例も少なくない。


 シムに案内されて、これまで一度も立ち寄らなかった煌びやかな照明で埋め尽くされた街の一角を歩く。

 この辺は淡い光を放つ特殊な”魔導線”が建物の壁にまで張り巡らされていて、それがネオンサインのような役割を果たしているらしい。

 どういう技術が使われているのか知らないが、魔導線から漏れる淡い映像は男女が絡み合う露骨に18禁なシロモノだった。


「すごい光景だな……」


 京太郎は、周囲で呼び込み中のドスケベ系ソシャゲの登場人物みたいな服装の連中を横目に、


「男娼とか、女性向けの店も一般的なのか」

『……はい。ひ、”人族”は何にでも発情しますので』


 街頭に立つ人々の格好は様々で、いかにも淫靡な感じの女性もいれば、短パンに薄い生地のシャツを着ただけの男もいる。その誰もが後ろめたい仕事をしているという憂いの色は感じられず、みんなどこか、さばさばとした調子で客を呼ぶのだった。


『は、はい。……”人族”が性欲を持て余すとろくなことにならないのは有名ですので……、は、話によると、二十歳を超えた男子はまずここで、他人を思いやる精神を養うのだとか』

「マジかよ」


 風俗店で道徳を学ぶのか。

 思っていたよりかなり狂った街だな、ここ。


『ち、ちなみにこの街、国営の風俗店だって、あ、あるんですよ?』

「国営? ……ってことは、公務員の娼妓がいるってことかい」

『はい……』


 京太郎の顔が引きつる。別に職業差別をしている訳ではないが、この手の仕事の人がそういう待遇を受けているというのは……。少なくとも、京太郎の知る歴史では例のないことだ。

 あるいはこの世界の人間にとって性欲というのは、常に生活と共にあるもので、ひた隠しにすべきものではないのかもしれない。


『元々は人口の調整のために”奴隷商”から買い取った外国人向けの職業紹介所だったのですが……その、……立地的に売春宿が多いとこに建てちゃったせいか、そこに集まってる人たちが自主的に客を取り始めちゃって。それが始まりみたい、です』

「……まあ、あの行為そのものは人類共通だしな」

『で、ですね……言葉の壁を越えてできる仕事ですし……ははは……』


 二人揃って、すぐ隣を歩く少女の顔色をうかがいながら話している。

 ステラは実につまらなそうな顔で中空に視線を向けており、特に何も話そうとしない。


「うん。知的好奇心を、主に知的好奇心のみをくすぐられる話題で実に結構」

『で、ですよ、ねー』


 その時、祭りの売店みたいに景気の良い男が声をかけてきて、ウチの店なら広くて過ごしやすくて鏡張りでベッドが自動的に回転するシステムを搭載していてならぴったりであることを一方的にまくし立てたが、京太郎はそっと彼を押しのけた。


「はやくここを出よう。君の友人はどこにいるんだ」

『こ、このあたりの最奥に。いつもこの時間は、”奴隷商”が良く出入りしている”ギルド”にいるようです。……この手の店は、”奴隷商”と切っても切れない仲ですので』

「やれやれ」


 京太郎は眉をひそめて、無言で道を進む。

 それから、十五分近く性の香りで頭がくらくらする街並みを進むと、一際薄暗い、照明のないレンガ造りの建物に行き当たった。

 シムは、その建物の入り口付近の花壇に陣取りってキセルをふかしている男に声をかける。


『や、やあ、フリム。ひさしぶり……』


 最近、京太郎も何となく、仲間が魔族の言葉で話しているか、人間の言葉で話しているかわかるようになってきた。今のは魔族が使う言葉で話したようだ。

 男は《擬態》しているからかはわからないがシムに劣らぬ男前で、ハンチング帽を目深に被った切れ長の目の男だ。正体は”ウェアウルフ”とのことだが、どちらかというと狐が化けているイメージだった。


『…………なッ。……と。お仲間かい』

『久しぶり。シムだよ』

『あん? ……シムだって? ……村長のガキの?』


 同時に、どこか不機嫌そうだった顔が一気にえびす顔に変貌する。


『うおおおおおおおおおおッ! デカくなったなあお前ッ』


 そして、親切な親戚のおじさんみたいにシムを高い高いした。


『ふ、フリム。もう子供じゃないだから』

『お前なんて、いつまでもガキみたいなもんだろーが! ははは! 元気してたかよ? なんでこんなうすぎたねえ街に来ちまったんだ、おい!?』

『ちょっと色々あって。”人族”に紛れることにしたんだ』

『そうだろうそうだろう、その方がいいんだよ! “迷宮”に閉じこもってるよか、こっちの方が安全だって……ようやくリムもわかったってことかい?』

『い、いや。リムはあそこで最期をむ、迎えるつもりだと、思う』

『え?』


 フリムの顔が曇る。


『でも、しかし……なんで……』

『村のみんなが《擬態》できるわけじゃないから。……な、仲間を見捨てられないんだよ』

『そーか……』


 男は気まずそうに視線を逸らし、シムを地に降ろした。


『村のみんなは、おいらのこと何て言ってた? ……裏切り者、とかかい』

『そ、それは……まあ、生き方はそれぞれだから』


 彼を傷つけないように気を遣っているのは、客観的に見ても明白だった。

 フリムは渋い顔で笑って、話題を変える。


『そいで、そこの二人は?』

『心配しないで。仲間だよ』

『仲間……?』


 ステラは、嘆息混じりに頭まで被っていたローブをはだけさせ、ちょっとだけ自分の長い耳を見せる。


『驚いた、そのエルフ耳……ひょっとして”魔王”様の血族、……魔族の姫……』

『その言い方はやめて。――所領も持たない王族なんて、冗談じゃないわ』


 ステラはぴしゃりと言う。


『と、とにかくそういうこと。……ぼ、ぼくたちは”魔女”さまの使い……みたいなものだ』

『……そうかい。いつの間にか出世したな、シム』

『しゅ、出世とはちょっと違うけど……』


 シムはぱたぱたと両手を振って、


『そ、そんなのはどうでもいいんだ。……フリム兄さんには、少し聞きたいことがあって』

『おし。わかった』


 フリムはにこりと笑って、


『だがここいらで長々と話すのもアレだしな。……おいらの行きつけの店があるから、そこで話そう。酒は飲めるようになったか?』

『う、うん……ちょっとなら』

『最高だ。何を隠そう、――お前と酒を酌み交わすのが、おいらの小さな夢だったんだよ』

『あっ、でもでも、今は仕事中だから、お酒を飲むのは……』

『なんだ、つまらんこと言いやがって』


 言葉とは裏腹に足取り軽く、フリムは京太郎たちを先導する。

 道中、シムから聞いたところによると、フリムはあの喧嘩腰だった”ウェアウルフ”、フリンの弟で、リムの恋人だった男だそうだ。


 フリムが案内したのは、――どこぞの娼館と思しき建物の一つ。

 少なくとも、一般的な飲み屋には見えない場所であった。

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